挿話25 勇者、かつての仲間と再会する

 バッセンブルグ王宮の一室に籠もって、いったいどれくらいになるだろう。

 アンジェリカは日付を数えるのにも飽きかけていた。けれども一応は数えておかないと、精神的に苦痛だった。

 身体だけは鈍らないように、部屋の中でできる精神統一や筋肉の運動くらいはしているが、これといった不自由は無い。ある程度融通は効くし、ベランダで外の空気を吸うこともできる。これ以上何か言える立場ではない。だからここでじっとしていることが、自らの勤めなのだと思うようにしていた。


 人質として。

 魔女でないことの証明として。


 だからその日も、普段と変わらぬ一日になるはずだった。


 ――なにか、騒がしいわね。


 いつ頃からか、城内がばたばたと騒がしいことに気が付いた。何かあったのだろうか。

 椅子に座って書き物をしていたアンジェリカは、振り向いて耳をすませた。


 ――迷宮に進展でも? いえ、それにしては……。


 首を傾げている間に、騒がしさはだんだんとこの部屋に近づいている。

 訝しげに、ほんの少しの緊張感とともに立ち上がる。

 ノックされると、あまりに不躾に扉が開いた。思わず何か言いかけたアンジェリカは、そのまま停止してしまった。


「よう!」


 にこやかに入ってきた人間と目が合う。

 アンジェリカはなにも言わずに、相手をまじまじと見た。


「あ、あれ? アンジェリカ? おーい、リカー?」


 相手は、おかしいな、というように手を振る。

 その様子を見ながら、アンジェリカはふうっとため息をついた。


「レディの部屋に不躾に入るなんて……、なんて犬でしょう。ああ、嫌だわ。誰か早く連れていって!」


 テーブルに手を伸ばし、パチンと扇子を開く。その扇子で口元を隠すと、ふいっと視線を逸らす。顔をあわせるのも嫌だというように。


「い、犬っておまえな……」


 その冷たい仕打ちに一瞬呆れるも、その肩が震えているのに気が付いた。


 ――……あ。


 困ったように頭を掻くと、今度は静かにアンジェリカに近寄った。アンジェリカも一歩、二歩、と後ろに下がったが、やがて壁際に追い詰められてしまった。


「ただいま」


 その声を聞いても、アンジェリカは顔を覆ったまましばらく動かなかった。だが、しばらくすると耐えられないように小さく相手の名を呟いた。


「……リク……」


 そして小さく呻いたかと思うと、扇子を放り出してその胸に飛びついたのだった。







 勇者の出現によって、世間は湧いた。

 そして、事態は大きく進展した。まるで何もかもが勇者の出現を待っていたように。そもそもが勇者の出現――ということが一番の進展ではあるが、今回はそれだけではない。直面したことのない事態に、リクは以前の仲間たちの招集を希望した。

 バッセンブルグの国王は快く承諾し、教会も結局それを許した。


 それは、普段なら前々から許可を取って審査も必要とされるはずの、謹慎者との面会もそうだった。その唐突な来訪に、オルギスは思わず言葉を失っていた。


「よう!」

「……り、リク……殿……!」


 ちょうど庭で素振りをしていたオルギスは、木刀を落としそうになっていた。

 何度も自分の頭がおかしくなっていないか確認し、ようやく目の前にいるのが本人であると認めた。

 癒し手の講師を頼まれていたシャルロットも呼び出され、王宮の一室に着く頃にはナンシーも駆けつけていた。部屋に入ってきたナンシーは、開口一番にこう言った。


「とりあえず、ザカリアスは置いてきた」


 ザカリアスは迷宮研究家で、ナンシーの魔物研究の師匠らしい。


「ありがとう。あとで彼にも逢ってみたいんだけど」

「別に逢う価値はないぞ」


 とはいえ、その扱いは師匠というにはどうにも疑問があるのだが。


「い……いや、一応研究家の意見も聞きたいし……」


 相変わらずナンシーの反応は冷淡だった。いったい普段はどういう関係なのか。


「さて、後は……と」


 魔術国家の姫君アンジェリカ。

 教会と女神に仕える聖騎士オルギス。

 教会の癒し手シャルロット。

 狩人ナンシー。


「……ひとり足りないけど、まああいつはそのうち顔を出すだろ」


 盗賊ハンスはだいたいいつも姿が隠れている。だからこその信頼だった。


「あらためてみんな、久しぶり!」

 

 リクが言うと、シャルロットが感極まった。


「り、リクぅぅ~~!」


 ぶわっ、と泣き出す。


「うわっ、びっくりした。なんだよー、そんな嬉しかったか!?」

「そうですよう~~!」

「まだ一年も経ってないだろ~。半年くらい?」

「それでもリクは、リクの故郷は遠いんですっ!」


 その様子に、オルギスがちらりとアンジェリカを見る。

 アンジェリカは顔を赤らめてリクから視線を外していた。


「まあ、アンジェリカはさっき歓迎してくれたもんなー」

「してないわよッ!!」


 強い語気だったが、誰も反論しなかった。オルギスはどことなく子供を見るような目で見ている。ナンシーもやや呆れ顔ながら、何も言わなかった。


「何よその目!?」

「いえ、何も」


 気を取り直したオルギスが、こほんと咳払いしてから声をかける。


「しかし、安心しました。次の勇者は別人ではないか、という話もあったので」

「あー。そういうこともあるだろうなー。俺が呼ばれたけど」


 ひとまず


「でも俺も嬉しい。こうしてみんなとまた会えたんだしな」


 和やかな空気が流れた。


 この会合は再会を喜ぶ、という理由で行われたものだ。

 メイドや兵士たちも下がらせている。

 だがその理由はひとつではない。


「それに、俺の事情を知ってる奴のほうが都合が良かったし」

「リクの事情って……?」


 アンジェリカが尋ねる。


「まあ、まずはこいつを見てくれ」


 リクの出してきた紙に、全員の瞳が吸い込まれる。


「……それは……!」


 ナンシーが反応した。

 それは、勇者の帰還とともに街にばらまかれた手紙。ありえない人物からの信じがたい内容の手紙だ。そしてその隅に描かれた魔血印。ひとつは神聖なる王のものであるが、問題はもうひとつの署名だった。

 その途端に、全員がぞくぞくと嫌なものを感じた。表情が強ばる。


「……リク殿。これは……」


 オルギスが尋ねる。


「これは、俺の還ってきた日にばらまかれた紙だ。ナンシーも知ってるよな?」

「……ああ、読んだ。あの騒ぎの中にいたからな」

「じゃあ、三人もとりあえず見てくれ」


 指名された三人は顔を見合わせ、困惑しながらも内容を読んだ。


「え……!?」


 シャルロットは紙とリクの間を何度も視線を往復させ。

 アンジェリカは困惑したように読み直す。

 オルギスは黙ったまま、硬直したように目線だけを動かしていた。

 リクはその様子を一通り見回したあと、続きに入る。


「まあ、内容もおおごとだと思うんだけど……」

「内容を置いておく以上のことがあるっていうの?」


 さすがのアンジェリカも驚いて言った。


「ああ。問題はこの紙だ。たぶんここにいる誰も見たことないんじゃないか?」

「え、ええ……凄く綺麗な紙ですよね。白くてしっかりしていて……」


 シャルロットが紙を触りながら言う。


「こら、無闇に触るものじゃない。ブラッドガルドの魔力もついているのだ」

「あ。は、はいっ」


 オルギスに怒られ、思わず手放したその紙を、リクが引き寄せる。


「……この紙。たぶん、コピー紙だ」

『コピー紙? 聞いたことのない名前ですが?』

「まあ、そりゃそうだろうな」


 他者からすればよくわからない会話の流れだったが、その場にいた仲間はすぐに気付いた。

 ここに女神セラフがいる。


「こ、これは、女神様! いらっしゃったのですね!」


 オルギスが慌てたように姿勢を正した。

 女神セラフがにこりと笑って姿を現そうとした時、リクが言った。


「あー、いいよいいよ。とりあえずそういうのは後回しで」

『ちょっと!?』

「セラフも後でいいって言ってるから」

「そうですか? では、のちほどあらためて……」

『リクぅぅぅぅぅ!!』

「それより今はこの紙に注目してもらいたいんだ。こいつは十中八九、俺の世界のものだよ」

『えっ』


 キーキーと喚いていたセラフが、衝撃的な表情をする。


『そ、それってつまり……』

「ブラッドガルドの所に、俺と同じところ……、つまり、俺と同じ世界から召喚された奴がいるんじゃないかってこと」


 全員の目が驚愕に見開いた。


『な、な……なんてこと……!?』

「やっぱり駄……セラフも気付いてなかったか」


 さすがに仲間の前なので、駄女神呼びは控えておいてやる。

 だが心のなかではしっかりとやっておく。


「だが、リクの世界に……ブラッドガルドに協力するような理由がある奴なんか……いるのか?」


 ナンシーが尋ねる。


「まあ確かにな。召喚されたときは、『ブラッドガルドを倒せる者』ってことで召喚されたけど、こっちの世界のことは何も知らなかったし」

『……』


 今度はセラフは何も言わなかった。

 ひとまず後回しにしておく。


「あとは、このカインって奴のところに居る可能性もある」

「あ……そ、そうですよね。そういうこともあるのですよね」


 シャルロットが気を取り直したようにうんうんと頷く。


「少なくとも、名前はともかく魔血印は本物みたいで、それで国の上層部もパニックになってるみたいだ」

「……そうですね。僕もこの方にお会いしてみたい」


 オルギスの鋭い目線と感情を消した声を、リクは見逃さなかった。


「一番、可能性が高いのが一人いますわね」


 それに気付かなかったのか、アンジェリカが考え事をするように呟く。


「……『宵闇の魔女』」


 もう一度、空気が凍った。


「あの頑丈な封印の中で、剣聖と自称する冒険者ヴェインとその仲間を倒した魔女……。ブラッドガルドが『宵闇の魔女』と呼んだ、正体不明の……」

「……」


 誰もが声を失った。

 宵闇の魔女。いまだにどこの国からも情報の入ってこない、未知と謎に包まれた、その実在だけが知られている魔女。


「ああ。そいつに関しては驚いたよ。もし、俺が女神の加護を持っているように、ブラッドガルドの加護を持っているなら……」

「ええ。じゅうぶんありえることですわ」


 ――……でも、なーんか聞き覚えのある単語なんだよなあ。宵闇の魔女に、剣聖ヴェイン……。ここじゃなくて、俺の世界で……。


 ただそれは、どちらかいえば何かのゲームだった気がする。リクは気のせいとか偶然の一致ということにしておいた。







「さて、還ってきて早々驚くことばっかりだったけど……」


 王宮に与えられた一室で一息ついたリクは、そう話しかけた。

 ギルドの宿を借りるといったのだが、バッセンブルグ王が仲間全員に部屋を提供したのだ。

 端からみれば一人で話している変わり者だが、実質その隣には女神セラフがいた。鳥の姿を借りているものの、リクには空中に浮いた半透明の女性の姿で見えている。


『わ、私の知らない間に……』


 訂正。

 リクには、ずーん、と落ち込んで暗い闇を背負った半透明の女性の姿が見えている。あれ本当に女神なのかな、と思うが、リクが受け取った膨大な魔力や、周囲の反応から本物には違いない。


「でも一番ビックリしたのは。『カイン』のことかな」

『え……? ああ、はあ……そうですね……』

「オルギスが隊長の聖騎士調査団だっけ? そのメンバーにいた、孤児のカイン」


 カインは迷宮で死んだと、同じ調査団にいたメンバー二人から報告された。話によるとカインは実は貴族の血を引いていて、ほぼ出家扱いでそこにいたようだ。だが、命を落としたことで責任を問われてオルギスは謹慎処分。


 ……というのが表の話。


 実際にはカインは魔力嵐で『荒れ地』となったヴァルカニアの血を引く正真正銘の王家の末裔。ただそれを知っていた者もいたはずなのに、ブラッドガルドが復活したかもしれない調査団に入れられたりしたのは不審だ。


「報告したうちの一人が孤児院時代からの親友だっていうから、信頼度は高いと思うんだけど……」

『でも、魔血印は偽造できませんよ。私やブラッドガルドであっても』

「実はふつーに死んでなくて、ブラッドガルドと何らかの取引をした、って説が一番濃厚だと思うけどな」


 ただ、その場合。報告した二人の今後の動向に注目すべきだろう。


「教会も一枚岩じゃねぇってことだな」

『わ、私の教会でそんな……』

「お前……」


 だから駄女神なんだよ……とリクは突っ込む気力すら無かった。


「それよりお前はどう思うんだ? ブラッドガルドが土地を返した件については」

『……それは……わかりません。このカインという者が、どのような手段を用いたかにもよります』

「たとえば、宵闇の魔女が仲介したとか」

『それこそ宵闇の魔女の目的がわかりませんが、要注意です。もし本当に、宵闇の魔女が……リクと同じように、ブラッドガルドから力を与えられた者であれば……』

「そうだなあ。敵が増えるってわけだ」


 リクは笑いながらベッドにばさっと横になった。


『もうっ! どうしてそんなに楽観的なんですか!』

「そんなのここに召喚された時からわかりきってたことだろ? お前が言うのかよ」

『ううっ……そ、それは……。本当に申し訳ないと……』

「”ブラッドガルドはこの世界の生き物では殺せない”」

『う……』


 それは実力的に、ということではない。


「で、それはお前も同じなんだろ、セラフ」

『……ええ』


 セラフは苦い顔で肯定した。

 この世界の生物とはまた違った理で、セラフはブラッドガルドを傷つけられない。


「じゃあ、俺がやるしかないだろ」


 リクはニッと笑った。


『り、リク。私は……』

「ふああっ」


 言いかけた言葉を遮るように、欠伸をする。


「よし寝よう。さすがにっ……疲れた!」


 リクはいまだ何か言いたげなセラフをよそに、布団をめくって潜り込んだ。


「セラフー。明かり消しといてくれ……」

『も、もうっ。仕方ないですね』


 そんなことに神の力を使わせるなんてと思ったが、セラフはもう眠り込んだリクを見てため息をついた。指先を向けると、フッと風が吹いて火が消えた。ベッドの横に座り、その寝顔に視線を向ける。


『……ありがとう。リク……』


 月明かりが差し込む室内に、小さな声が響いた。

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