55話 シュトーレンを食べよう

「ねー。瑠璃さー、次の土曜日って空いてる?」


 教室で、スマホを見ながら問われる。

 といっても帰りの準備をしていたところなのだが。

 季節はもう冬休み近く。期末テスト期間も終わって、あとは冬休みに向けて残りの授業を受けるだけだ。


「土曜って……二十三日か。空いてる。ってか、土曜ってもう冬休みじゃん」

「いまさ、クリスマスに遊ぼうってみんなで話してて」


 スマホで、くいっと帰り支度を終えて鞄を持っているメンバーを示す。


「えっ、いいじゃん! 行く行く! でもなんで土曜?」

「ホントは二十四日に行きたかったんだけどね~。美佳とゆりしーは予定あるからって~」

「あっうん」


 なんとなく色々と察してしまう。当人たちのほうをちらっと見ると、まったく悪びれない表情で手を合わせてゴメンねポーズをしていた。いつの時代だ。つまるところ、彼氏との先約があったというわけだ。

 クリスマス当日にみんなで集まってパーティ、なんていうのは、意外に漫画やアニメの中だけの出来事なのかもしれない。


「でもせっかくだし、二十三日にみんなでクリスマスマーケット行こうって」

「そんなのあったっけ?」

「繁華街におっきい公園あるじゃん。あそこでやってるみたいよ。ドイツ風のクリスマスマーケット。タワーのほうでも別のイベントやってるみたいだし、行こうって」

「え! いいじゃん! 行きたい!」


 瑠璃はパッと表情を明るくさせた。


「シュトーレンとかホットオレンジとかも売ってるらしいよ~」

「おお! たのしみ!」

「そうそう。じゃあ瑠璃は参加で」


 鞄を持って、立ち上がる。


「今日は買い物だから、決まったら連絡くれる?」

「おっけー!」


 見事なグッドラックサインを貰った。瑠璃も親指を立てると、手を振って教室を出た。







「と、いうわけで今日のおやつはシュトーレンです!」


 瑠璃は白い塊を片手で掲げながら言った。

 毎度毎度何が「と、いうわけ」なんだ、という目で、ブラッドガルドは瑠璃を見上げた。

 相変わらず雰囲気がバラバラながら絶妙なバランスを保つお茶会部屋は、季節イベントとは無縁だ。石造りの壁はむしろ味も素っ気も無いし、棚に入れられた現代日本の雑誌やゲーム、小物だけがかろうじて雰囲気を作っている。

 それにブラッドガルドにはシュトーレンがなんなのかがわからない。


「……それは……、チーズか何かではなく?」

「チーズじゃないよ。白いけどコレ粉砂糖だよ」


 テーブルにシュトーレンを置いて、自分も座布団に座る。


「まあ、買ってきたのはスーパーで売ってるやつなんだけどさ」


 瑠璃が置いたそれは、まさに白い塊と言ってよかった。長細い岩といっても通用してしまいそうだし、そもそもどうやって食べるものなのかわからない。


 だが瑠璃はブラッドガルドの視線は無視して、さっそくシュトーレンに巻かれたビニールを取り外しはじめた。


「えっと、確か……真ん中から切る、だったかな」


 瑠璃は右からも左からも塊をまじまじと見てから、ようやく真ん中に包丁をあてた。少しだけ位置を確認してから、中へ包丁をいれた。

 真っ二つになったシュトーレンは、中からドライフルーツやナッツが顔を出した。包丁についた粉砂糖がぱらぱらとこぼれ落ちる。


「……なんだ、パンの類か?」

「まあ、そんなようなものだけど」


 それから少し包丁をずらして、薄くスライスした。切り出しながら皿の上に載せていく。見た目のことをまったく考えない乗せ方にブラッドガルドの目がやや細くなったが、明確な文句は出なかった。

 何枚か切ったところで、瑠璃は皿を真ん中に置いた。


「粉砂糖が落ちちゃうから、気をつけてね」


 言われつつシュトーレンをつまんだブラッドガルドが、何かに気付いたように瑠璃を見た。


「……おい、これは……酒の匂いか」

「あっ、気付いた? これ、ラム酒漬けにしたドライフルーツらしいんだよね。アルコールはもう飛んでると思うけど」

「……」


 明確な舌打ちはしなかったが、視線だけが逸らされる。


「この時期はね~、売り出されるのがちょっと楽しみなんだよね~」

「何故だ?」

「シュトーレンはねー。ドイツでクリスマスに食べるお祝いのお菓子だよ」

「……またあまり出してこないところから出てきたな」


 瑠璃はそっと視線を逸らしつつ、自分もシュトーレンを一枚手に取った。

 ラムの染みこんだ、ほんの少し固い生地。粉砂糖のさらりとした甘さ。ドライフルーツの弾力と凝縮したフルーツの味。


「クリスマス前にはアドベントって時期があってね。キリストの誕生、つまりクリスマスまでを待ち望む時期なんだ」


 アドベントは、ローマ・カトリックにおいて、「聖アンデレの日」に近い日曜日からクリスマスイブまでの間のことをいう。


「ドイツ東部にあるドレスデンってところで誕生したらしいけど、もともと収穫祭とかの祝い事の時にも作られてたみたいだね」

「また宗教の乗っ取り関係か?」

「うーん……それも思ったんだけど、諸説あって、一三二九年の司教様へのクリスマスの贈り物が最古の記録って話もあるみたいなんだよね……。それを考えるともともとキリスト教関連なのかな……」

「ほう」

「ただ、元になるものが先にあって、それをたまたま司教様に献上したって事もあるんじゃないかな。わかってるのは、今みたいな形になったのはもっと後ってことだけだよ」


 アドベントはキリスト教の断食期間でもあり、その頃はバターと牛乳が使えず、質素な味だった。

 そこから許可が出るまでに更に百年ほどを要し、更にそこから乾燥フルーツなどが加えられてようやく現在のシュトーレンの形になったというわけだ。


「キリスト教関係だから、形の由来についてもそれ関係の説が多いね。キリストを抱いたマリアとか、白いマントでくるまれたキリストとか。粉砂糖も白いマント説があるけど、生誕の日の雪だとか」


 他にも東方三博士が持っていた杖を模した説や、神父の袈裟(シュトーレ)を模した説などはすべてキリスト教関係だ。


「シュトーレンは本来、棒とか坑道って意味があってね。発祥の地であるドレスデンにも、鉱山があるらしいんだ。そこに由来する説もあるよ」


 薄く切ったせいか、ブラッドガルドの手が伸びるスピードが早い。


「……それはいいが、薄く切りすぎではないのか」

「えー。でもこれ、アドベントの時期に毎日うすーくスライスして、後のほうになるとラムがもっと染みこんで美味しいーってなりながら食べるやつだし」

「……面倒だな」

「そーゆーこと言わないの。まあこれは今日食べちゃうつもりで買ったけどさ」


 いそいそともう一度塊を目の前に出してきて、包丁をいれる。


「大体、クリスマスにはブッシュ・ド・ノエルという話だっただろうが」

「それは当日に食べるやつじゃん」


 そうはいうものの、スライスしたそばからシュトーレンが消えていく。仕方なく一枚自分用に確保してから、他のものもスライスしていく。あっという間にシュトーレンは最初の半分ほどになって、大きさも小さくなっていった。


「あ、そうだ。今さ! 繁華街のほうでクリスマスマーケットやってるらしいんだよ。もしかするとここでワインとか飲めるかもだから、行こう!」

「ほう」


 ワインと聞いてブラッドガルドの目が光る。


「だが、いいのか」

「なにが?」


 ブラッドガルドは無言で横の壁を指さす。

 ぴょこんと目の前に現れたカメラアイたちが、壁に向かって目を光らせた。光は重なり合って、四角い映像を映し出す。

 そこには、いかにも冒険者といった風情の御一行が、ダンジョンのような場所を進んでいる。まったく現実感が無い。コメディドラマか、良くてファンタジー映画だ。


「……いや、なにこれ」


 やや死んだ魚のような目で尋ねる瑠璃。


「我が迷宮だ」

「そ、それは見ればわかるけど……迷宮のどこなのコレ……」


 ほぼ似たような構造が地上から延々続く迷宮は、一体どのあたりなのかわからない。これこそが冒険者の精神を削る一端でもあるのだが、瑠璃にとっては「どこだよ」以外の感想はない。


「……ふむ。そうだな、この迷宮を層で分けるとするなら、既に最後の層だな。早くて明日、明後日にはここに到達していると思うが」

「そういうことは早く言って!!!」


 突然の報告に叫ぶしかなかった。

 小学生の子供に、明日工作の授業で牛乳パック必要なんだけど、と寝る前に言われた親と似たような気持ちになる。親ではないが。


「なんで今まで黙ってんの!? 言えよ!! ホウレンソウ大事なんだぞ!!」

「なんだそれは。甘味か」

「報告・連絡・相談だよ!!!!!」

「勇者が来ているというのは確定だっただろうが」

「にしても急すぎるでしょ!?」

「来るものは来る。ならば振り払うだけだ」

「う、うおおぉ……そういうとこだぞ……!!」


 瑠璃は震えながら言葉を無くした。この感覚の違いだけはどうしても慣れない。


 ぐぬぬ……、と声を漏らしながら、もう一度映し出されている映像を見た。勇者と呼ばれている男の姿が目に入る。その姿を目に焼き付けつつ、瑠璃は無理矢理落ち着くように紅茶を飲んだ。

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