挿話24 そして荒れ地は解き放たれる
いつもと変わらぬ一日だった。
疲れたような無表情の追放者を荒れ地に見送る。その背を確認する兵士たちは、黙々と自分の仕事をこなしていた。追放者の増えた昨今では、流れ作業のように自分の職務をこなすか、酒浸りになって人生を駄目にするかになっていた。感情が飛び交うには、期間は短すぎる。
そんなものを遠い出来事としながら、多くの一般国民たちは日々を過ごしていた。多くの人々には関係が無いことだ。安いよ、買ってってよ、と声が飛び交う商店街は、不穏さを感じさせないほどに活気に溢れている。
教会には信徒が日々の祈りに訪れ、まるで何事も無かったかのようだ。
そのブラッドガルドの迷宮は変わらず入り口が厳重に封鎖されていたし、ときおり無理矢理入ろうとする冒険者がトラブルを引き起こしていた。頭がいいか、体の小さい者たちは小さな横穴からこっそり出入りしていたにも関わらず、だ。
そんな多くの冒険者は、ギルド本部に足を向ける機会は少ない。
本部や支部に行かねばならないのは登録や昇格の時だけ。だいたいは、正規にギルド登録した酒場でクダを巻き、掲示板に貼られた依頼書を見ることになる。
酒を片手に適当な依頼を見繕い、金を手に入れてはまた酒場に戻ってくる――これが一般的な冒険者のルーティンだ。
だがいまやその酒場でさえ、険悪と怠惰を煮詰めたような鈍い空気が渦巻いていた。
あちこちに置かれた円形テーブルを、暇を持て余した冒険者が気怠げに囲んでいる。暇のついでに賭けトランプに興じているのはまだいいほうで、中には酒浸りになって追い出されている者も少なくない。
それもこれも――。
「なあアンネ、まだ迷宮は解放されないのか?」
冒険者の一人が声をあげた。
アンネはこの酒場「黄金の杯亭」の給仕であり、依頼の張り紙も担当している女性だ。
「まだよ、ドランク。まだ国のほうからオッケーが出てないのよ」
「もう出てもいいはずだろ!」
屈強な戦士の男が、筋力に任せて木杯を叩きつけた。
「いつまで調査だのなんだのに時間を割いてるんだ? あそこは俺たちの迷宮だぞ!」
もはや我慢の限界だった。いいぞベルドー、もっと言ってやれ、とあちこちから焚きつける声があがり、同時に声の波が大きくなりはじめた。その声に押しつぶされない前に、アンネは両手を二度叩いた。乾いた音がを鎮める。
「はいはい、依頼はたくさんあるでしょ! クダ巻いてないで、さっさと依頼をこなしちゃってよ!」
いくら迷宮に入れないといったって、依頼が無いわけではない。
迷宮以外のダンジョンの攻略や、討伐、それから採取依頼と、一時期ほどでないにしろ貼られている依頼はある。賢明な冒険者はそれらの依頼で食いつないでいた。
「だがなあ、どれもこれも迷宮に比べれば……このままじゃ腕が鈍っちまう」
「腕なんて討伐依頼受けてりゃどうとでもなるだろ」
「迷宮に入れるか入れないかってーのはモチベに関わるんだよ!」
「ダニーは酒が飲みたいだけだろ~」
「なんだと?」
「はいはい、昼間っから喧嘩しないの!」
アンネはもう一度手を叩く。
「いいからやりなさい! 登録証だって、ほっといたら使えなくなるんでしょ?」
「とはいうがなあ」
倦怠が酒場に満ちる。
「迷宮に新しい主が出来たら困るんでしょうよ」
「そりゃいい。今度こそ俺様が迷宮を攻略してやるさ!」
「よっ、ガフ!」
「いいぞお!」
爆笑が起こり、ガフが酒を一気飲みするのを煽った。
「もう一杯!」
はあ、とアンネはため息をついた。しぶしぶとガフの差し出した木杯を受け取り、キッチンのほうへと歩く。
「いつまで続くのかしら、あれ」
「さあねえ」
他の従業員と、やってられないというように肩を竦める。
「アンネはどう思う?」
「どうって?」
「ブラッドガルドが復活したんじゃって話もあったけど、迷宮は妙に静かじゃない?」
「そうよねえ。なんか色々おかしい気はするんだけど……でも、街中に魔物が出てくるよりはマシだと思うわ」
「それはそうだけど」
液体がなみなみと注がれた木杯を盆に置き、暖簾をくぐる。その途端、またワッと声が聞こえてきた。先程よりも喧噪が激しい。
「また喧嘩?」
見回すと、入り口のほうに人が集っている。
ガフもそっちのほうにいるらしく、テーブルにはいなかった。思わず瞬きをして、訝しげに入り口を見る。
「あ! アンネさん!」
聞き覚えのある声がした。
テーブルの間をかきわけて、声の主がアンネに近寄ってくる。
あの日のことを覚えている。はじめて彼がこの酒場に顔を出した日。登録したばかりの初心者を示すFランクの登録証を出したこと。一ヶ月もしないうちにランクを駆け上がり、やがて彼だけの為のランクが作られた破格の冒険者のことを。
迷宮の最深部にたどり着き、ブラッドガルドの封印に成功した勇者のことを。
「リ……リクっ!? あなた、本当にリクなの!?」
「そうだよ。久しぶり!」
アンネは胸の奥底から、熱いものが混み上がってくるのを抑えきれなかった。
普段と変わらない一日だったはずのその日、バッセンブルグの王宮は久々に明るい喧噪がやってきた。
勇者の帰還――。
その一報は驚きと安堵をもたらした。
ありとあらゆる兵士に口伝てで届いたその一報は、あっという間に王のところへと繋がれた。道を空けるに充分なほど広がると、王宮ではさっそく勇者を迎え入れる準備に入った。
王宮の一室で籠もるアンジェリカのもとにも、彼女のメイドによって届けられた。
この数ヶ月を厳しい表情で過ごした彼女の耳に優しく届いたその言葉は、その瞳を開かせるに充分だった。
その瞳からは我知らず涙が流れたが、手の甲で強く拭い去った後にはもう泣いてはいなかった。自信に溢れた気位の高い王女の笑い顔が戻り、メイドは冒険者用の装備を両手に持って差し出した。
一方で、教会にも戦慄が走っていた。
多くの信徒の反応に対して、上層部の一部の人間は面白くなかったのだ。
同じ勇者がもう一度姿を現わしたということもそうだが、教会よりも先にバッセンブルグに顔を出したことが衝撃だったのだ。
とはいえそれは想定の範囲内。
女神が勇者の行動に対して何も言わないなら、それは女神の意志に他ならない。
いずれにせよ安堵感が漂った。
「勇者が戻ってきた!」
「勇者様の帰還だ! 道を空けよ!」
その命令でさえ、喜びとともにあった。
まだ教会に行ってないというリクに、王はすべての予定をキャンセルして真っ先に会うことにした。
「いや~~……、こんなことになるとは……」
謁見の間にあらわれた当の本人は、あまりの事態にやや引いていた。
「勇者リク! よく戻ってきてくれた!」
「えー……まあ、なんで呼び戻されたのかまだよくわかってないんだけど……」
頬を掻きつつ、やや砕けた言い方になっても、いまは咎める者はいなかった。
「それで、詳しい話を聞かせてもらいたいんですが……」
「ああ! さっそくだが大変なことが起こっているのだ。それが……」
王が話し始めるのと同時に、入れ違いに勇者の出現を伝えようとする下級兵士の騒ぎが大きくなってきた。王が一番に面会を望んだせいで、情報が逐一伝わっていなかったのだ。
王が扉のほうへ目線をやるのと同時、リクもまた扉を振り返った。
微動だにしなかったうちの一人の上級兵士が、率先して動き出す。
「なんかめっちゃ騒ぎになってるな……」
「おい、落ち着けお前たち! 勇者殿は既に王と会っていらっしゃる!」
上級兵士が、騒ぐ下級兵士を一喝した。
持ってくる情報は常に「勇者が帰還した」の一言なので、入れ違いも甚だしい。
だがその中で、最後に走ってきたのは真っ青な顔の兵士だった。
人波をかきわけ、いまにも卒倒しそうな表情で、息を荒くしている。
「た、た、大変ですっ……大変です、王!」
「またか。勇者殿はここにいるぞ」
「ち、違うのです! 街に……街にっ……!」
兵士が震えながら訴えるのとほぼ同時、謁見の間にナンシーが滑りこんできた。その顔をやや青くして。
王宮の外では、置いていかれたザカリアスが国中にばらまかれた白い紙を見ていた。
その紙が内容以上に、恐怖と戦慄をもたらしつつあるのを感じながら。
*
その狂乱を、カインはカメラアイが壁に映す光から見つめていた。
「……なんて事をしてくれたんですか」
隣で満足そうに眺めるブラッドガルドへと言葉を向ける。
だがその言葉に批難の色は無かった。
「貴様はずいぶんと肝が据わってきたな」
「お褒めの言葉として受け取っておきます」
カメラアイの映像には、困惑するバッセンブルグの市民たちが映っていた。
突如として落ちてきた大量の白い紙は、驚きと戦慄を与えるに充分だった。見たこともないほど真っ白な紙であること。クラシックなアンティーク風の、金色の美しい飾り枠が描かれていること。そしてなにより――手紙から感じる魔力が戦慄をもたらした。
その魔人に出会ったことがなくとも、感受性や魔力感知の豊かな者たちは、たったそれだけで魔力の持ち主に気付いて戦慄した。
「あのフレーム――飾り枠ですか。うちの職人候補が泣いてましたよ。こんなの描けないって」
「フリーソザイとか言っていたが」
「なんです、それ?」
「知らん。小娘に聞け」
紙の四隅に描かれた飾り枠は、瑠璃がネットのフリー素材から拝借したものである。紙も当然ただのコピー用紙だが、ブラッドガルドの世界にそんなものはない。美しい白い紙に、見事な飾り枠。それで充分だった。
カインは手元に残されたオリジナルの紙に目を通す。
二人の署名――魔血印が描かれたそれには、盟約により、勝負に打ち勝ったカイン・ル・ヴァルカニアに荒れ地を譲渡する旨が書かれていた。
その魔力だけで、足が竦み、腰を抜かしたのだ。
「しかし、貴様はよく了承したな。抵抗するかと思ったが」
「……僕は恨んではいないのですよ」
カインは表情ひとつ変えず、静かに言った。
だがそこに含まれた微かな反骨心に、ブラッドガルドは口の端をあげる。
「あなたこそよろしかったのですか。こんなタイミングで」
「構わん。愉快だからな」
ブラッドガルドは恐怖でパニックに陥ったバッセンブルグを、心底愉快そうに眺めてから、きびすを返した。
カインはそれを見送ってから、やや顔を強ばらせた。
ブラッドガルドが何を考えているのか、いまいち掴みにくかったからだ。
とはいえ――もはやこの文章だけで、何もかもが暴かれてしまった。
ブラッドガルドの復活。カインの生存。国が復活を知りながら隠していたこと。
そしてあろうことか――この事態の根幹であったはずの荒れ地が、ヴァルカニアの末裔によって取り戻されたこと。
しかも、討伐ではなく何らかの約束によって。
これから忙しくなる。
ひとまずはカインもまたきびすを返した。その後ろを騎士となったグレックとコチルが続く。ブラッドガルドと会っている時よりも、ある意味で緊張した。
なにしろ自国の民となった者たちへ言葉を向けなければならないのだから。
一方――、ヴァルカニアから迷宮へと戻ったブラッドガルドは、部屋にいた瑠璃を見つけた。
「いいのかなあこれ……」
カメラアイの映像を見ながら微妙な顔をする瑠璃を一瞥して、テーブルにつく。
「まあ、勇者なら気が付くだろうな。この紙そのものが招待状であることに」
「んああああ……」
現代のコピー紙と印刷技術は、否が応でも勇者の目に留まるだろう。
「まあそんなことはどうでもいいのだが」
「おい当事者」
さすがにつっこまざるをえない。
「勇者が来るまでに時間がある。それまでは今までどおりだ。わかっているな?」
「思うんだけどさあ……ブラッド君て、もう普通に魔力回復できるのでは……?」
「……それと、これとは、話が別だ」
ブラッドガルドは「それとこれ」を強調して、ゆっくりと言い聞かせるように言った。
「それに貴様、我との契約を覚えていないのか」
「なんかもう忘れかけてたけど、忘れてはない……」
世界の狭間の牢獄――いまや異世界と繋がっている扉をなんとかするために、ブラッドガルドにお菓子を届ける。それが本来の約束だったはずだ。
「なら何もおかしなことは無い」
「そんな暢気なことやってていいのホントに!?」
「なら、迷宮に手でも加えるか。少しくらいは遅くなるだろう」
「お、おう……殺さないでね……」
本当にいいのかそれで、と若干思う瑠璃。
「それに、我がここまで整えたのだ。貴様もうまくやれ」
「……」
瑠璃は少しだけ瞬きをしてから、やや目を伏せた。
「……うん」
「じゃあもうこの話はいいだろう。それより菓子はどうした」
「その切り替えの速さちょっと羨ましいな……!?」
テンションの乱降下をさせられる身としては、言わずにいられなかった。
*
瑠璃が部屋を出て戻った後、ブラッドガルドはおもむろに立ち上がった。
棚に手を伸ばすと、魔石のプレートを取り出す。
壁に向かってカメラアイが映像を映し出す。
そこには無残にも地面に置き去りにされた「手紙」が一枚、映されている。ブラッドガルドはその映像を見ながら、プレートの表面を撫でた。プレートから光が浮かび、宙に画面が表示される。目線がカメラアイの映像へと向けられると、口を開いた。
「深入りはするなよ、数を減らされても面倒だ」
ブラッドガルドがそれだけ言うと、紙きれがひとりでに膨らみ、その下からぴょいぴょいとカメラアイが姿をあらわした。
わらわらとあちこちに散ると、建物の影に溶けていく。中には、近くにあった冒険者の遺体に殺到するものたちもいた。冒険者が纏っていたローブがぶわりと膨らみ、冒険者の遺体から剥がされた。ローブは中身が少し崩れそうになりながらも、ヒトガタをとった。深くかぶったフードの闇の中で、多くの瞳が見開かれたあと、ふたつの小さな光だけを残して閉じられた。
「肝心のシステムの構築はこっちでやる。魔力解析のほうを重視しろ」
了解、を示すように、蜘蛛足たちがぴょいぴょいと跳ねた。ローブも何度か跳ねようとして、右足が崩れる。ブラッドガルドが呆れたようにやや目を細める。だがそれ以上は何も言わなかった。
かくして、手紙の魔力に紛れ、カメラアイたちは地上に散っていった。
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