迷宮学者は発見する(後)
二人が問い詰めて数分もしないうちに、ゴブリンはあっさりと白状した。
「……つまり、ブラッドガルドは既に封印を解いてるってことだね?」
「へっ、はっ、はいッ! そうです、そうなんですう!」
「はぁ。やっぱりね」
ザカリアスは肩を竦めた。今更、派手に驚くようなことでもない。限りなく正解に近い予感が、正解として確定しただけだ。商人にしては口が軽いとは思ったが、おそらくブラッドガルドが絡めば別なのだろう。
ザカリアスはちらりとナンシーを見る。
無言だった。だがその表情は凍り付いている。瞬きすらしない瞳の奥に、怒りとも悲しみともつかない色があった。唇を噛みしめる様は、悔しさよりも自分を落ち着かせようとしているようだった。
「あ、あんまり驚きませんね……?」
「ん~? まあ予想はできてたからねえ~」
止まっている終戦宣言や教会の調査隊、それからいまだに足止めされている冒険者。探せばもっと色々あるだろう。王や教会の対応は後手後手に回りすぎた。
――バッセンブルグと教会が繋がっているかは……どうかな。
「……なぜ、教会はそれを公表しない」
ぽつりと呟いたナンシーに、視線を向ける。
「そりゃあナンシー君。都合が悪いからさ」
芝居がかって肩を竦めた。
ナンシーはよくわかっていないようで、返事が無かった。その代わりに、言葉を引き継ぐ。
「女神の後ろ盾を受けた勇者が、ブラッドガルドを討伐した――教会にとって大事なのはその事実なんだ。教会にとって、これ以上無いほどの宣伝効果だし」
「宣伝効果だと?」
「信者にとっては女神の実在はありがたいものだけど、そうじゃない人々にとっては驚きだろう? 女神様は本当にいて、この世界をお作りになったのだという正しさを証明して、御自ら示してくださったようなものだからね。実際に封印が成功してから、教会の信者はぐっと増えたし」
「……」
「でもブラッドガルドが復活したとなると、本物かどうかを疑われてしまう。真実を知る人々にとっては腹が立つだろうけどね。それに教会の人間だって、清廉潔白な人間ばかりじゃないのさ。世俗的な野望を抱いている人間だっているだろう?」
――とはいえ、教会にとってはもうひとつ言い訳が出来る状況ではあるけど……。
それを証明するにしても、勇者がいない状況では話にならない。
「まっ、可能性のひとつだよ。それより……」
ザカリアスがきらりと光る硬貨を一枚、目の前に吊り下げる。
ゴブリンの目の色が変わった。
「僕はもう少し詳しい話が聞きたいなあ! ねえゴブリン君?」
人の好い笑みを浮かべると、ゴブリンは引きつりながらも何度も頷いた。
「オルギスの旦那が教会の騎士団を引き連れて来たんですよう! 直前まではあっしが案内したんでさあ」
どうもオルギスもゴブリンに対して口封じをしなかったらしい。
こうなることを見越していたのか、それとも保険としてとっておいたかのどちらかだろう。
ゴブリンの話によると、調査団はオルギスを筆頭に小さな集団で構成されていた。詳しいことは知らされなかったが、ブラッドガルドの封印の確認をすると言っていたらしい。
「ふうむ。となると、その前後で何かあったと見ていい……かな?」
首を傾ぐと、ナンシーが小さく口を開いた。
「……多分だが、アンジェリカが言っていた……」
「ん?」
「しばらくしたら、封印の確認をすることになると……。その結果で……まだ生きてるにしろ、死んでるにしろ……、終戦宣言がなされると……」
「ほほう。ではアンジェリカ姫の魔力で、生きている以上の何かがわかったのかもしれないね」
「ああ。おそらくそれで……何か……動きがあったのだ。決定的な何かが……」
その言葉は、確実に何か濁している。
ザカリアスはそれを感じ取ったが、いま問うのはやめておいた。
「とにかくそれで直接の調査に踏み切ったってところかな。バッセンブルグ王がきみに親書を送ったのも、勇者の仲間を抑えておきたかったんだろう」
ナンシーはやや厳しい表情をしたが、無言のまま首肯する。
「それで、ゴブリン君はブラッドガルドに会ったって話だけど。様子はどうだった?」
その途端に、ゴブリンは震え上がった。
恐怖にがちがちと歯を打ち鳴らすさまは、演技にも思えない。いっそ惨めでもあった。
「か……」
「か?」
「……買い物が、したいと……」
「へえ……」
完全に冷めた口調で、ザカリアスは言った。
微妙な空気がその場に満ちる。
「いや、ゴブリン君。普通ならここで大爆笑かもしれないけどね。普通に聞いちゃったじゃないか!」
ナンシーもやや呆れた目をしている。
「ほほ本当なんですよぉ!! あっしはねえ、いきなりバカみたいにでっかい蛇に捕まえられて! 脅されて!! 取引をさせられたんですよお!!」
「何かとられたのかい?」
「ああん!? えー……あー……」
上気した頬を落ち着けるようにゴブリンは目線を上にあげる。
「砂糖を入れた茶を……飲まされて……甘くて芳醇な香りがして……ああもう、あの蕩けるような味といったらあ……。と、とにかく、砂糖入りの茶を飲まされて……それで、このままじゃ役に立たないから……取引がしたいと……」
「……どう思う? ナンシー君」
「一から十までバカみたいな話だ。ブラッドガルドが買い物だの、砂糖入りの茶を飲まされただの」
それこそ妄想だ。そもそもこんなところに砂糖や茶があるはずがないし、あったとしてもブラッドガルドがそれを扱うはずがない――ナンシーの見解はその一点だけだった。
だが、ナンシーはゴブリンの鼻先に顔を近づけると、脅すように続けた。
「商人。そのときブラッドガルドは一人だったか? 誰か一緒にいなかったか?」
「ひ、一人ですよ!! 誰かを助けた引き換えに砂糖を貰ったみたいなことは言ってましたけど!!」
「それで、何の取引をしたんだい?」
「こ、鉱石を。これっ、これですよ!」
鞄の中をひっくり返すように、ゴブリンはくしゃくしゃになった羊皮紙を取り出した。ザカリアスが受け取ると、まだ何とか読める文字で何かがメモしてある。
「魔石が多いけど、基本的に魔力を持つものばかりだなあ。魔力の補充用にしてはバラバラだけど」
「つ、使い道なんて聞いてやしませんよ!!」
ゴブリンは先手を打った。
「使い道もサッパリなんだけど」
「あのブラッドガルドが取引などと、考えられないが……、だが……」
どこか戸惑うような声色のナンシーを、ザカリアスは見つめた。
「ま、いいさ。とりあえず一度休憩しよう。考えてもしょうが無いことだからね!」
両手を開き、気分を変えるように言う。
そしてナンシーに向かって、目玉の生物を寄越すように片手を差し出した。
ナンシーは相変わらず気難しい表情をしていたが、それでも迷宮を進んできたことの疲れはあるようだった。特にこれといった文句もなく、目玉の生物を渡すと、ふいっときびすを返してしまったのだ。
ひとまず魔力の糸で目玉の生物を捕まえておき、三人はそれぞれ固形食料を口にした。温かな湯を飲んだ頃にはだいぶ落ち着いて、しばし緊張感から解放されていた。
ナンシーが弓の手入れを始めた頃、ザカリアスは目玉に砂糖をやっていた。
落ちた砂糖粒に目玉が集い、他の場所からも二、三匹やってきた。ブラッドガルドの使い魔にしてはあまりに罠に引っかかりやすい。
「ひとまず砂糖はたべるみたいだけど……いや、これどこから摂取してるんだ……?」
完全に謎の生物だ。
しかも、名前すらわからない。
「ブラッドガルドは彼らの名前を呼んでいたかい?」
「さあ、わかりやせんな……」
ゴブリンは疲れたように首を傾ぐ。思い出したくもないようだ。
「そもそもどういう魔物なんです? 存在意義がわからねぇ」
「それは本当に僕にもわからないけどね! ただ、興味はある……」
おそらくは足の間に口があるのかもしれない。あるいは摂取口のようなもの。
しかしザカリアスが真に興味があるのはそこではない。
小さく詠唱を唱え、自分の瞳に意識を集中していく。魔力を視る感知魔法だ。以前も使ったが、直接魔力を奥まで辿るようなことはしなかった。そんなことをすればブラッドガルドに直接到達してしまうかもしれない。だが、こうして視るくらいなら問題はないだろう。
この目玉だけの生物は、小さな魔力で蜘蛛の巣状にお互いが通じ合っている。その細い糸は複雑に、しかい邪魔しないように絡み合い、張り合い、おそらくはブラッドガルドまで続いている。こんなものは初めてだ。群体であるからそうなのか、それとも偶発的にそうなったのか。
――しかし、面白い形だ。やはりこれは、なんらかの意図のもとに作られた存在……。
急に黙り込んで小さく笑うザカリアスを、ゴブリンは呆れた目で見ていた。
ザカリアスからすれば魔力を視ているだけだが、それがわからない他人からすれば何をしているかサッパリなのだ。
呼んでもこれといった反応をしないザカリアスを無視して、ゴブリンはやれやれとばかりに火に近づく。
だが、ザカリアスは突然、嫌な予感が近づいてくるのを感じていた。
――……なんだ?
蜘蛛の巣状の魔力を辿って、何かが近づいてくる――。
「……すまない、二人とも」
「はあ? なんですいきなり?」
「僕死んだ」
「……はっ?」
その瞬間に、足元から何かが一気に立ち上ってきた。
周囲の闇からぞわぞわと素早く虫のように集ってきた気配は、そのままザカリアスの心臓を鷲づかみにした。軽く手を握れば潰されてしまうほどの恐怖。顔は引きつり、頭から血が引いていくのを感じる。それなのに脂汗が止まらず、ザカリアスは指ひとつ動かすことができなくなった。
「あ……あ……これは……」
商人ゴブリンもそれに気が付くと、カチカチと震える口元で何か言った。だがそれ以上は言葉にならずに、悲鳴なのかどうかさえわからない声をあげながら、縮こまって頭を地面にこすりつけた。
『……ふん。何やら弄っていると思えば』
聞こえた声ひとつだけで、全身の毛穴が泡立った。
『商人と進入者が――揃って何をしている?』
――……ああ。……ああ、これは……。
勇者リクを求めても仕方ないだろう。今更ながらザカリアスは理解する。これに対抗できるというのなら、どんなものだって無条件に信頼してしまうに違いない。
その後ろで、ナンシーは掴んだ自分の右腕に爪を立てていた。皮膚に強く食い込んだ爪はやがてぷちりと上皮を切り裂き、肉を裂いて血をこぼす。怒りと恐怖とを押しとどめ、ギリギリと歯を噛みしめる。
「……ブラッドガルド……!」
ザカリアスは顔をあげた。
手の上に乗った目玉の生物の瞳を通じて、壁に四角い光が映し出されている。そこにいるのは――間違いなくブラッドガルドだった。
三人を見下ろす形で、そこにいる。そしてその赤い瞳が、一人に向けられた。
『なんだ、貴様……、勇者の弓師ではないか』
ナンシーの感情を逆なでするかのごとく、焦りも戸惑いも何も無い。
だがそれ以上に、ナンシーはそんな風に自分を指摘されたことに驚いた。かつて自分が会ったブラッドガルドは――本当にこんな魔物だっただろうか。そんな違和感が、頭の片隅を過る。
もちろん姿は以前より痩せているし、髪はボサボサで、ローブはすり切れて汚れている。
「貴様……貴様ッ……、やはり、生きて……!」
『そうだ、ちょうどいい。貴様らでいいだろう』
だが、ブラッドガルドは目の前の人間たちの動揺も恐怖も意に介していなかった。
目線がちらりと横を見ただけで、巨大な蛇のような影が一瞬通り抜けた。
「なんだ……何をしている? 貴様は今……、どこにいるんだ!?」
「なんだって?」
ザカリアスが尋ねる。
思えば、背後の背景は比較的明るい。迷宮の中というよりは、どこかの王宮のような気さえする。
しかし、聞こえてきたのは返事ではなかった。
『うわっ!』
小さな悲鳴と、ドサリという音がした。視界の外で誰かが連れて来られたのだ。二人はそれでも身構える。
だがその誰かは、あきらかに焦ったような声をあげた。
『なっ……、彼女は……!?』
『小僧。賭けをするぞ』
『待ってください! あなたはいったい何を……』
『ここにいる奴らが先に迷宮を出て、我の情報を持ち帰るのが先か――あの魔女がバッセンブルグに、黄金の文をバラまくのが先か――!』
ナンシーが目を見開いた。
「貴様ぁあッ、ブラッドガルドぉお! 居るのか、そこにっ! 貴様を解放した、魔女がっ!」
震えながら声を上げる。
だが、ブラッドガルドももう一人の人物も、しばし黙したままだった。
『……そ、れは……、宵闇の魔女殿の、ことですよね』
『それ以外おらんだろう。なに、貴様に譲渡した荒れ地を賭けようというのではない』
『……そうですか。それなら安心できますが……、貴方は当然、宵闇の魔女殿に賭けるのでは?』
「待ってくれ。いま、荒れ地を譲渡したと言ったかい!? そこにいるのは誰で、宵闇の魔女とは何なんだ……!?」
情報の波が押し寄せようとしていた。
ぎろりとブラッドガルドの目線だけがザカリアスへと向けられる。
『ああ、こいつはな。我から荒れ地を奪い取った、憎きヴァルカニアの末裔。カイン・ル・ヴァルカニアだ』
「……は?」
「な……、な……」
今度こそ誰も彼もが言葉を失った。
宵闇の魔女。ヴァルカニアの末裔、カイン・ル・ヴァルカニア。そして、荒れ地の譲渡。
「バカな……」
『奪い取ったのではありません。勝ち取ったのです』
『好きに言うといい。魔女について知りたければ神の実を持って来い。話はそれからだ』
「待てっ! 今のはどういう意味だ!? いったい何が起きてる!?」
『もういいな、切るぞ』
ナンシーの叫びも虚しく、目玉の映像が唐突に切れた。あとにはもう、土と木の壁がそこにあるだけだった。
「くそおっ!」
苛立たしげに足で目玉を踏みつけると、ぷちりと音がした。哀れな使い魔は、魔石にもならなかった。僅かばかりの魔力が霧散し、虚しくその場に散った。
*
空中には、カメラアイを通じていまだ迷宮の光景を映し出されていた。
そこには混乱しきった商人と、ナンシーともう一人が何事かを叫んでいる。おそらく向こう側からは既にこちらが見えないのだろう。
「……これでよろしいのですか」
カインはブラッドガルドへ支線を送る。
ブラッドガルドはぴくりとも動かなかったが、口の端をあげていた。
「上出来だ。駅は貴様が望むところへ接続してやろう」
「ええ。それはありがたい」
カインは頷いた。
「しかし、僕ですらまだ宵闇の魔女の正体を教えてもらっていませんが」
「言っただろうが。それは神の実を持ってこいと」
「そうでしたね」
ブラッドガルドが本当に持ちかけたのは賭けではなかった。
駅と鉄道を望む場所に設置する代わりに、奇妙な事を言い出したのだ。
――瑠璃さんの存在に代わって、宵闇の魔女の名を証言すること……。
どちらが先かなんて、ブラッドガルドにとってはどうでもいいことなのだろう――カインはそう推測した。単なる遊びに過ぎないのだ。
カインはいまだ愉快そうに映像を見るブラッドガルドを眺める。
――あれでも、隠しておきたいのだろうか。瑠璃さんのことを……?
「予想が正しければ……、勇者は真っ先に我の元へ来る筈だ」
「……? まあ、そうでしょうね」
当然ではある。
倒し損ねた迷宮の主がそこにいるのだから。わざわざそれを言うのも不思議だったが、カインは疑問には思わなかった。
「では、我は帰る」
「そ、そうですか」
そしてこの唐突さにはいつまで経っても慣れなかった。
相変わらずすり切れたローブを翻して影の中に消えていくのを、カインは見送った。
――ああそうか、四時が近い……。
そういえば瑠璃が来ていたのもそれくらいの時間だったな、と思い出す。だが、カインは口にはしないでおいた。
だが、その様子を見ていた騎士の一人が呟いた一言には、つい返してしまった。
「ほんと自由だなぁ……」
「……自由ですよね……」
ちなみに現在ヴァルカニアでは、ブラッドガルドのごとく好きなように物事を進めたり行動したりすることを、「自由」と形容するスラングが流行っていた。
完全に瑠璃のせいである――。
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