挿話23 迷宮学者は発見する(前)
ドン、という重くも鋭い音が響くと、断末魔の叫びがあがった。
蜘蛛型の魔物たちの死骸が転がり、黄色い体液が流れ出る。不利を悟った蜘蛛たちがサカサカと逃げていくと、あたりはやがて静まりかえった。
そんな死骸の山の合間に、ザシリと靴先が踏み込んだ。
「これは順調と言えるのかねえ」
ザカリアスは魔物たちに手を合わせつつ言った。
別に魔物に対して慈愛を持っているわけではない。単なるクセのようなものだ。それを無視して、弓を下ろしたナンシーは厳しい顔をした。
これで三度目の迷宮探査になるが、出てくるのはよく知られた魔物ばかりだった。
戦闘にならずとも、臆病さが勝ったものは向こうから勝手に逃げていく。
刺激しなければいいものはこちらから避けるのが無難だ。
だがどれもこれも、ブラッドガルドに直接連なるものではない。
「結局、いま見つかってるのはあの小さな軍隊だけだしね」
軍隊といっても、同じものがわらわらといるのでそう形容しただけだ。
肉に包まれた眼球だけの体。蜘蛛のような足。小さく、群体で行動する例の魔物だ。
すぐに倒せるが、魔力量も少なく、逃げ足も速い。簡単だが見返りもほぼ無く、数も多い。こちらに何かしてくるわけでもないので、脅威とも言いがたい。冒険者に依頼を出しても、手応えも見返りも少ない状況では、見向きもされなくなりそうだ。
そんなものをブラッドガルドが作り出したこと自体が不可解だ。
ただしナンシーが推測したように、軍隊の失敗作だということも充分考えられる。
しかも今は、そんなものより重要な問題がある。
ザカリアスは振り返ると、ナンシーへと視線を向けた。
「冒険者の押さえ込みだってそろそろ限界だろう? 教会もそうだけど、王も早いところ決断したほうがいいと思うけどねえ。これ以上隠してたって、誰のためにもならんよ」
無言が返ってくる。
ザカリアスは気にせず続けた。
「ところで、きみの仲間に連絡はとれたのかい?」
「……いいや」
ナンシーは首を振った。
「オルギスは本人に会う前に門前払い。アンジェリカも王城にいるようだが、音沙汰がない。シャルロットも癒し手の訓練講師として駆り出されているが……、やはり門前払いを食らった。本人に会う前に」
不快さを隠しもせず、その眉間に皺を寄せる。
「見事にバラバラだなあ。盗賊君はどうなったんだい?」
「ハンスも音沙汰がない。何か情報を握っていればいいのだが」
「そして唯一動けるきみはバッセンブルグ王に飼われていると!」
ナンシーはぎろりと睨んだが、それ以上何も言わなかった。
自覚があるのだろう。
「そういえば、ついこの間も大規模な追放があったようだよ」
「犯罪者たちのか?」
「犯罪者といえば聞こえはいいけどねえ! 上からの締め付けがだんだん厳しくなってるようだね。冒険者ならわかるけど、それがとるにたらない宿無しだの貧民だのにいくなんて、一体何が起きてるんだろうね?」
「さあな。……だが、やることをやるだけだ」
「そりゃそうだけどね。王も頭が痛いのはわかるけど、そろそろすべてをあきらかにしたほうがいいと思うけどねえ、僕は」
ザカリアスは肩を竦めながら歩き出した。魔物の合間をすり抜けつつ、うへえ、という顔をする。
ナンシーは少しだけ自身の胸の辺りでこぶしを握った。
「……リク……」
その小さなつぶやきを、ザカリアスは聞き逃さなかった。
それからまた二人は、暗い通路を歩き出す。
既にナンシーは前を行き、ザカリアスはその背を眺める格好になっていた。
――勇者パーティの弱点はこれだろうなあ。
前を行く背に視線をやりつつ、推測する。
いわばそれは、勇者リクという存在への依存だ。
確かに勇者リクは、女神という絶対的な存在の加護を得ている。街の噂では、オークのごとき大男だとか、筋骨隆々だとか、巨大な武器を振り回すとか――おひれはひれがつきまくって、なにやら怪物のようになりつつある。
だが本物のリクは、ごく普通の、ともすれば周囲の冒険者から見くびられるような少年であったらしい。好感の持てる、爽やかで、ごく普通の少年。
ブラッドガルドへの恐怖心が薄れたのが、加護の力なのか、リクの人となりだったのか――そんなのはどちらでもいいことだ。だけれどそのおかげで、「リクさえいればなんとかなる」「リクがいれば大丈夫」という思いが芽生えてしまったのは想定外だっただろう。
――罪な男だなあ。
規則的な足音を聞きながら、ザカリアスは口の端をあげた。
しばらく進むと、ナンシーが無言で片手をあげた。魔物の気配だ。耳をすますと、何者かの小さな足音がだんだんと近づいてくるのがわかった。相手は何か文句のようなものを言っているようで、ナンシーたちの気配には気付いていないようだ。あきらかに無防備すぎる。
「……なんだい? 魔物……?」
「……シッ」
ひたひたいう足音が近づいてきた瞬間、ナンシーはカンテラの明かりを手で何度か隠した。冒険者同士の合図で使われるそれを、向こうも気付いたらしい。同じようにカンテラの明かりがついたり消えたりした。
それから数秒ほどの間があってから、二人と一人はお互いに近づいた。
「おっと! あっしは怪しいもんじゃございませんぜ?」
暗闇から出てきたのは、大荷物を背負ったゴブリンだった。
小さな群れを作るゴブリンが単体で出てくるというのは、それだけで亜人であることの証明だ。フードだけでなく、ベルトや荷物を持っていることもその証明になる。時には群れからはぐれているような者もいるが、その場合でもたいていは見張りだ。
「お前……商人か?」
「そうですそうです! いやー、お客さんらは運が良い! あっしはここらで商人をさせてもらってるゴブリン種の亜人でしてね?」
「……おおおおっ!」
勢いよく叫んだのは、後ろにいるザカリアスだった。
その声に負けず劣らず、ゴブリンへと顔を近づける。
「なるほどなるほど、きみがゴブリンの亜人というやつだね!! ちょっと色々聞きたいんだがいいかね!? やっぱりきみたちのような種族はだいたい商人になるのかい!?」
「は!?」
「そこのところはやはりゴブリンの特性ゆえのものかい? 宝を探し求めたり自分のものにするような? 人間の硬貨のことは金だから集めるのかそれとも価値を理解したゆえかな!? いやでもそうでもないと亜人で商人なんてやってないか! そういえばきみたちは首から提げた牙で個体の識別を行っているというが、きみのソレはどういう意味なんだね!」
「なっ、なっ……、なんですかいアンタ!?」
さすがのゴブリンも引きはじめたあたりで、ナンシーは静かに拳を握った。鈍い音が迷宮にこだました。あとには、湯気を出すかのような頭を抱えたザカリアスが地面で悶えていた。
「ちょっと黙ってろ」
「……はい……」
完全に引いた目でゴブリンが二人を見る。
「……なんなんです、この男……」
「ただの変態だ。気にするな」
「ええ……」
気にするなというほうが無理だ。
下のほうで、やや復活してきたザカリアスが呻いた。
「せめて迷宮マニアと言ってくれないかな……」
「なんだ、まだ生きてたか」
「なんで殺す気なの!? やめて!」
その間、改めてナンシーをまじまじと見つめていたゴブリンが、ふと気付いたように片目を見開いた。
「おや? というよりあなた様は、ナンシー様では?」
「そうだが」
「おやおやおや! ということは、勇者リク様とご一緒にいらっしゃった……、いやはや、再びこんなところでお会いするとは! へっへっへ、奇遇ですなあ!」
「覚えている。ここを根城にしているゴブリンの商人といえば、お前くらいだからな」
「はあ! なんとも光栄ですなぁ。いやはや、覚えていただいて何よりです。勇者殿はどうされましたかね?」
ゴブリンの一言は、ナンシーの眉間に皺を寄せるのに充分だった。
ありゃ、というようにゴブリンも口を噤む。
「はぁん。そういう時もありまさぁな。質問を変えましょう。ナンシー様は探索ですかい? まだ冒険者に解放されたっつう話は聞きませんが」
「それはこっちのセリフだ。ここはいま冒険者がいないだろう。何をしている?」
「そりゃまあ、迷宮の中に住み着いてる亜人もいますからねえ、商売には事欠きませんや。しかしこいつは運がいい! ちょいとここらで補給なんぞいかがです? ここじゃなんですし、休憩地点まで行きましょうや。無事に案内させてもらいますぜ。情報だっていつでも新鮮だ。まぁ貰うもんは貰いますがねぇ。へへへ……」
揉み手のゴブリンに対して、ナンシーとザカリアスはお互いを見た。
たいていこういう商人は野営地点を拠点にしていることが多い。
「ちょうどいいや、ナンシー君! 彼の言うとおりだろう。このあたりで休憩にして、商品を見てみようじゃないか?」
「研究心ではなく?」
「それもあるけどさ……」
ザカリアスは声を潜める。
「迷宮の深部について知っているかもしれないじゃないか……?」
ナンシーは一瞬声を詰まらせた。
ザカリアスの目の奥に、狂気にも似た好奇心と、抑えきれぬ研究心を見たからだ。
「わかった。では、この近くの野営地点まで行こう」
「やった!」
「おおっ、こりゃまた話が早い! 毎度あり!」
まだ何も買うと決めた訳ではない。だが、ゴブリンはほくほく顔で二人の前を歩き出した。現金なものだ、とナンシーは思ったが、この先何があるかわからないのは事実なのだ。
三人が向かった野営地点は、冒険者の間で共有されているものだ。いわば迷宮で発見されている安全地帯ともいうべき場所で、有事の際にもすぐに動けるような場所が選ばれている。ギルドでも野営地点として推奨されているところで、かつては何組かのパーティが一緒に野営していた。
ただし、ブラッドガルド討伐後の空白期間が予想外に伸び、今では安全地帯として意味を成さなくなっている場所もいくつかあった。その中でも、まだ生き残っているところだ。
三人は他の魔物に気をつけつつ、ひととおり安全を確認してから部屋の中へと入った。いささか汚れやガレキが目立つものの、休憩できないほどではない。ザカリアスが火の準備をし、その間にゴブリンが品物を広げる。ナンシーは片膝をつくと、商品をじっくりと検分しはじめた。
「傷薬に水、それから固形ハチミツ……このあたりは基本だな。……本当に亜人のためだけか?」
「へへへ、亜人のためですよお」
だがそれは建前なのは想像がつく。こっそりと侵入している冒険者がいてもおかしくない。
「そういえばお二人さんこそ、冒険者はまだここに入れないでしょう。いったいどうしたってんです?」
しかし今はそんなことは関係無い。ゴブリンがわかりやすく逸らした話題に乗ってやることにした。
「私はバッセンブルグ王の勅命を受けている。きちんと許可を取っている。なにも後ろ暗いところはない」
「ほほう、そりゃご苦労様なことで。こうして真っ当な商売できるのも王様のおかげってなもんですなあ。……ああそうだ! 火を焚くなら湯も沸かすんでしょう?へへへ、いいものがあるんですよお」
ゴブリンはそう言うと、鞄の中からひとつ、袋を取り出した。
その瞬間、全員の動きがとまった。
なにしろ袋には例の眼球の魔物が三匹くっついていて、そのうちの二匹が三人の視線とばっちり合ってしまったのだ。もう一匹は袋の頭に目玉を突っ込んだまま、わきわきと蜘蛛足を動かしている。
「だーっ! もう、この、目玉野郎どもがぁ! あっしの宝に触るなって、まったくもう!!」
ゴブリンは慌てふためく眼球の魔物を乱雑に掴むと、一匹ずつ投げ捨てた。
「……今のは!」とザカリアス。
「なっ、なんでもないんですよ! ちょいと魔物に狙われただけで、中身は無事です、無事!」
ゴブリンの言葉をすべて聞き終える前に、ナンシーの手が素早く動いた。放り投げられた眼球の魔物を掴むと、信じられないものを見るような目で魔物を見つめる。
「……きみ、それは一体?」
ザカリアスが代わりに尋ねる。
「へへへ、気になります? こいつは上玉ですぜ。ここで出会ったのが奇蹟ってもんでさあ! ひとさじ、湯なり茶なりに落し込んで休憩中に口に含んでみりゃあ……あら不思議ってなもんだ」
「砂糖か! よくこんなところにあったな! そんなものをどこで?」
「そっ……、それは企業秘密ってやつで! たまたまっ、たまたま手に入れたんですよう!」
ゴブリンは見てわかるほどに取り繕った。
反対にナンシーは無言のまま、まじまじと状況を眺める。
「ふうむ。となると、この魔物は砂糖に群がっていたことになるな。与えてみればわかると思うけど。……なあ、ゴブリン君?」
「い、嫌ですよ。こいつぁ、あっしが命賭けて手に入れたもんでさあ! 二束三文じゃ売れねぇですよ!」
「ずいぶんと高級な餌だなぁ!?」
ザカリアスは食い下がる。
その横で、ナンシーがぷらぷらと眼球の魔物を捕まえたまま呟く。
「……しかし、どうして砂糖なんだ?」
「ナンシー君。砂糖というのは確かに甘くて高いだけで、湧き水のごとく使えるのは一部の金持ちくらいだ。けれど砂糖は薬でもあるんだ。傷口に塗る治療法もあるし、ジャムにすれば腐敗を防いで保存食にもなる。それに、貴重なエネルギー源でもあるからね」
「つ、つまり……、旦那、そいつぁもしかして……、この目玉野郎から砂糖がブラッドガルドに戻ってるってことですかい……?」
「そうだなあ、エネルギー収集用の使い魔という可能性もないことはないからね」
「なっ……!? そ、そんな、とんだインチキじゃねぇか……っ!」
ゴブリンは叫びかけて、慌てて自分の口を塞いだ。
だがザカリアスもナンシーも、普段は口の堅いであろう商人の慌てぶりを見逃してはいなかった。
「商人。今のは……当然、どういう意味か説明をしてくれるんだろうな……?」
ナンシーの瞳がぎろりと光ると、ゴブリンは小さく悲鳴をあげた。
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