47話 マシュマロを食べよう

 ブラッドガルドの眉間にはやや不機嫌な皺が寄っていた。

 異世界の人間が見たならば、それだけで萎縮するか、言葉を失うか、それともブラッドガルドが僅かにでも感情を見せたことに恐れおののくことだろう。

 だが瑠璃はその様子をやや呆れた目で見ていた。


「……まさか……」


 ブラッドガルドは瑠璃を見据えながらゆっくりと口を開く。


「貴様があれほどの大量の菓子を隠していたとは思わなかった……」

「隠してないんだけど……」


 ブラッドガルドが言っているのは、遊園地の土産物屋の事である。

 東京にある巨大遊園地――キングダムランドには、キャラクターのぬいぐるみやキーホルダーといった定番モノから、マグカップや筆記用具といった生活雑貨、そしてジュエリーまでと幅広い。もちろん、家に帰ってくると途端に使い道に困るような耳カチューシャや帽子まで様々だ。

 そんな土産物の中で無難でもあるのがお菓子だ。


 缶に入っているものはお菓子を食べた後でも使えるし、箱ならそのまま捨てることも可能だ。そこそこ処分に困ることもなく、遊園地の中にはお菓子専門の土産物屋もあるくらいなのだ。

 最初は物珍しげな視線を向けていたブラッドガルドも、「そこ」が何を陳列しているかに気が付くと、完全にフリーズした。


 ここまで来れば説明は不要だろうが、つまりはそういう事である。


「そりゃね、ブラッド君が見本品見つめて固まってた理由はわかるよ」


 土産物としてポピュラーなのはクッキーやキャンディ、チョコクランチといったものだ。最近は和風のお菓子としておかきやせんべいもあるが、やはりクッキー類は強い。


「それに、ブラッド君が一番わけわかんない顔してたお菓子は買ったじゃん」

「貴様が中にチョコレートが入っているなどと巫山戯たことを言うからな」

「ふざけてないからね?」


 瑠璃は横に置かれたものに手を置いた。

 それはキングダムランドのキャラクターの描かれた缶だ。ハロウィンの時期ということもあり、イラストはオレンジと紫のポップなもので、蓋を開けると中からは透明の袋に詰まったマシュマロが姿を現わした。白いものが多いが、中にはピンクや淡い緑といった色合いのマシュマロが入っている。


「巣か卵のようにしか見えん……」

「なんの?」


 真顔で聞く瑠璃。


 とはいえ、だからこそマシュマロの見本品を見ながらフリーズしていたのかもしれない。

 要は、クッキーやキャンディやチョコクランチならなじみもある。けれど、マシュマロは出したことがないのだ。


「大体貴様らはタピオカだのマシュマロだの、よくわからん形のものを作りすぎなのだ」

「そのよくわからん形でも食べてる人に言われたくないなあ」


 袋を開けて、マシュマロを皿の上へと転がす。ころころと転がるそれを、二人で覗き込む。

 ブラッドガルドの指先がひとつ手に取ってつまむ。やや潰しかけそうになりながらも、近くでまじまじと見つめた。


「軽い。それに柔らかい……?」


 骨張った手が白いマシュマロをプニプニと何度もつまむ。

 完全に理解の範疇を超えた無の表情だ。

 引き千切るよりも先に柔らかく伸びていく。


「……なんだこれは……」


 あまりに途方に暮れたような声色だったので、思わず笑いそうになる。

 見本品を見ていた時に柔らかいとは伝えていたのだが、たぶん予想以上だったらしい。確かにケーキやクッキーと比べれば、なんだこれはとも言いたくなるだろう。


「えーとね。改めて言うけど、これはマシュマロ」


 瑠璃は自分もひとつ手にとり、かじりとった。

 じんわりと柔らかな甘さが、ぷにぷにとした食感とともに口の中を転がっていく。中に入ったとろりとしたチョコレートが、アクセントになっている。どちらも甘いものであるのに、食感の違いはかくも重要らしい。


「マシュマロはソフトキャンディの一種だね。煮詰めた砂糖にゼラチンとメレンゲを加えて作るとこういう感じになるんだよ」

「意味がわからん……」


 そう言いながら、既に三個目に手を出すブラッドガルド。

 瑠璃はちらっと彼を見上げつつ、視線をスマホに戻した。


「フランス語だと『ギモーヴ』。元々は『マーシュマロウ』っていう、アオイ科の『ウスベニタチアオイ』、沼地の葵って意味の植物から出来たものらしいよ」

「植物? これがか?」


 視線が瑠璃へと向けられる。


「んっとね。この植物には喉とか胃の炎症を抑える効果があって。エキスは重くて苦いペーストなんだけど、古代エジプトだと、根をすり潰して樹液と蜂蜜と混ぜたキャンディーみたいにして、咳止めとか胃腸薬として使ってたらしいよ」

「元は薬といっても、砂糖とはまた違うようだな」

「だよねえ。こっちはホントに薬ですって感じ?」


 画面をスクロールしつつ、うんうんと頷く。


「それが次第にウスベニタチアオイの代わりにリンゴゼリーが使われるようになって、最終的にはメレンゲやゼラチンが使われたって感じかな。十九世紀にはフランスやドイツに広まったんだけど、十九世紀後半からは完全にお菓子って感じになってたみたいよ」

「……、薬品が菓子になって、名前だけは残ったのか」

「うん。ただ、昔のものに似たタイプのは今もあるみたい」


 ロシアで作られている「パスチラ」がそれだ。

 焼き菓子とのことだが、瑠璃が調べるとばっちり「マシュマロに似た菓子」と書かれている。


「しかしこれは……、どう使うんだ」

「いや色々あるよ。この形が一般的だけど、今は結構自由だし。海外とかだと、マシュマロで作った動物とか花とかエビとか……」

「……和菓子のような?」

「……それはどうだろう……」


 和菓子とはまた違うんじゃないだろうか。


「あとは、キャンプとかだと火にくべて焼いて食べるのがポピュラーかな。私はやったことないんだけど……。普通に美味しそうだなあとは思うよ!」


 他にも、マシュマロをクッキーやクラッカーなどに挟んで、外側をチョコレートでコーティングしたお菓子がある。呼び方も、マロマーやムーンパイ、ティーケーキなど様々だ。


 ただ、ムーンパイについてはどうにも日本人の感覚からすると「パイじゃない」感が強い。

 なにしろ日本人にとってパイとは「サクサクしたパイ生地」に包まれたもの。

 ところが日本には森永製菓の「エンゼルパイ」や、マシュマロやクリームを挟んだ「チョコパイ」も存在するので、これまたややこしいことになっている。


「それと、マシュマロってホワイトデーの発端にもなったんだよ」

「なんだそれは」


 そもそもホワイトデーは、福岡の石村萬盛堂という菓子屋がはじめた「マシュマロデー」からはじまった。その当初は貰った気持ちを優しさで包んで返す、という意味で、バレンタインのお返しをする日ということではじめたのだ。

 ところが何時の頃からか世間では「気持ちを包んで返す」だけが一人歩きし、気持ちに応えられないので優しく返すもの、つまり「マシュマロ=嫌い」の意味で使われるようになってしまった。

 ちなみに石村萬盛堂は、これに反論する広告を出して話題になった。


「……いや待て。そもそもバレンタインの説明が無い」

「二月十四日に、好きな人やお世話になってる人にチョコをあげる日だよ」

「は?」


 完全に聞き捨てならないという声色だ。


「そのお返しをするのがホワイトデーで……」

「いやバレンタインの話を聞かせろ。なんだそれは。毎日やれ。貴様は我が世話してやってるだろうが」

「そういうところだぞ……。というか、ブラッド君と会ったのはバレンタインの頃だったね。実際にはバレンタインよりちょっと前だったんだけど」

「……ほう? それで貴様はあの時チョコレートを持っていたのか?」

「お、おう。うん。そう……、……そう、だったかな?」


 そうだったはずだ。

 バレンタインをあえて外して幼馴染みに告白したのだ。

 けれども急に振られると、本当にそうだったかどうかふと疑問に思ってしまった。あまり言いたくないこと――というのもあるのだが、変に考えがつまずいてしまう。

 本当に、そうだったのか。


 微妙に歯切れの悪い瑠璃に、ブラッドガルドはやや目を細めた。


「どちらだ。はっきりしろ」

「え、ええー。もういいじゃんその話は……! そ、それよりもう食べないの?」


 瑠璃は話を変えるように言う。

 すると、さっきの違和感はあっという間に消え去ってしまった。たぶん違和感も気のせいだろうと思うくらいに。

 だから、瑠璃は気にしないことにした。


「……ふん?」


 ブラッドガルドは何個目かのマシュマロを口にしながら、その様子を見ていた。その目の奥で渦巻く魔力が、瑠璃の中で蠢いた魔力を敏感に察知する。

 もはや影の中に入る必要などなかった。


 あの魔力嵐で受けた影響で、瑠璃の中で何かを施している魔力が僅かに揺らいだのだ。

 いわばそれは、巧妙に土の中に隠されたものが、土が剥がされて露出したかのごとく。

 瑠璃自身の呼びかけ――その当時の記憶を思い出すこと――によって、ノックに応える形で真相が出てこようとしている。

 今や鍵は目の前にある。


 だがブラッドガルド自身もこのときは考えもつかなかった。

 こんなにも早く――”そのとき”が来ることなど。

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