挿話20 「女神の加護」で最強勇者の異世界再訪譚(前)
バッセンブルグ――。
冒険者を擁することで、迷宮戦争後の復興と中核を成した国。今では冒険者の国としても名高い豊かな国だ。
冒険者とは、いわば魔物の巣と化した場所――ダンジョンの脅威を退けるため、その攻略を目的とする腕の立つ者たちのことだ。しかしその本質は攻略そのものというより、中にいる魔物の素材採取なども視野に入っている。
なにしろ一歩間違えればゴロツキと変わりない彼らを統括するため、国も冒険者ギルドを作ったり、階級を作ったりなど様々な手を講じているのだ。
しかし、冒険者の国といっても国中に散らばっているわけではない。基本的に彼らはギルドの存在する王都や中心地に集まっている。小さな村や町では冒険者は依頼して呼ぶものであり、普段の生活では無縁とも言えた。
こののどかな農村でもそうだった。
山間に近いこの村では、冒険者とはほとんど無縁だった。ときおり冒険者になることを夢見て王都まで出ていく者がいるくらいで、みな小麦や野菜を育てて生活していた。
エトラもそのひとりだった。
「おうい、エトラ!」
自分の名を呼ぶ声を聞くと、籠を背負いながら振り返る。
同年代の友人である少女が、手を振りながら近寄ってくる。
「なんだ? また山に行くのか?」
「ええ、そうよ! 今のうちに冬の用意をしておかないと」
「だけどエトラ……、お前が行く必要無いんじゃないのか? 他にも山に入れる奴はたくさん……」
「もうっ、アリィったらそればっかり!」
唐突に始まった説得に、エトラは息を吐いた。
「心配性なのよ、アリィは」
「そりゃそうだろうよ! 幼馴染みが盗賊に捕まって、奴隷にされるところだったんだぞ! これが心配せずに何してろっていうんだ」
わざわざ耳が痛いように言ってくれる。
「それにしょうがないじゃない、今日は私しかいないんだから」
「だからって……」
「だいたい、あのあと冒険者を呼んで、盗賊の生き残りがいないか確かめてもらったじゃない」
アリィは無言で口を尖らせる。
「それにアリィが心配なのは、弟のことがあるからでしょう?」
なにしろアリィの弟は、冒険者に憧れていた。
隠れて剣の練習までしていたが、アリィの両親が猛反対して、騒ぎにまでなったのはまだ記憶に新しい。
そんなとき、エトラが通りすがりの若者に助けられたと知った。冒険者だと決め付けてずいぶんと懐いたものだ。実際は冒険者になる前の若者だったのだが、冒険者への憧れは無くなるはずもなく。むしろ最近ではますます強くなっていた。
なにしろ、助けてくれた人物が――バッセンブルグどころか世界に名を轟かせることになる、かの勇者リクだったのだから。
最近ではまた隠れて剣の練習をしているのは何人かが知っていた。両親が気付くのが先か、弟が家出するのが先かと、もはや時間の問題になっている。
「あたしだってあの子が冒険者になるのなんか反対だけど……それとこれとは話が違うだろ」
「でも、あの子が剣の練習を再開したの、知ってるんでしょ。アリィが口酸っぱくなったのもそれからだって、私は知ってる」
エトラは宥めるように言った。
それは弟に言うべきであって、エトラに向けるべきじゃない。
「……大丈夫よアリィ、ここしばらく魔物も見てないし」
エトラはアリィの肩を優しく叩くと、きびすを返す。
「でもエトラ、いつまでもそんな幸運が続くとは思わないでくれ」
「ええ。当然よ」
「危険だと思ったらすぐ逃げろよ!」
「わかってる!」
エトラは声をあげると、山に続く道へと歩き出した。
友人の言葉はありがたいけれど、半年以上も経って言われるのも耳が痛い。とはいえ同じことが起きないとも限らない。できるだけ明るいうちに帰ってこようとは思った。
最近では盗賊よりもむしろ、いまだに話題に上がるのがブラッドガルド討伐の話だ。女神の加護を受けた勇者リクが迷宮に挑んで倒した噂は、あっという間に広がった。なにしろこんな村にまで届くほどだ。
迷宮に近い国でありながら、普段は迷宮のことなど意識もしないというのに。近くて遠い場所の英雄譚は、ありとあらゆる尾ひれをつけて村までやってきたのだ。だが、そのほとんどを村人たちの一部は笑いながら受け止めて、口を閉ざした。
エトラはほくそ笑むと、跳ねるようにして山へ向かった。
冬が近いとはいえ、山は恵みで溢れていた。
木の実や果実、茸といったものから、この時期に生える薬草もついでに採取していく。何人か既に山に入っているはずだが、まだまだ資源は豊富だった。
――今年はずいぶんと山も豊かみたいね。
きっとブラッドガルドが討伐されたからだろう――なんて、まったく関係ないのに思ってしまう。
エトラは少し先まで足を伸ばして、ついついもう少し、もう少しとばかりに山に分け入った。
目印になっている箇所をいくつか通り抜けたあと、ふと向こうのほうから人の声のようなものがすることに気付いた。
――人の声?
立ち止まって耳を澄ます。
鳥たちの声に交じって、確かに人の声のようなものが聞こえてくるのだ。だが不思議なことに、道の前後には誰もいない。ということは、獣道や横道など、本来の道からは外れているところから声がしているのだ。
――他の人がいるのかしら?
でも、熊などの獣や、もしかすると魔物ということもありえる。熊も山の魔物も恐ろしいものだが、対処法を知っていれば退けることができる。
しかし、人の声を発する魔物がいるという噂は聞いたことがなかった。
エトラはほんの少しの警戒心と好奇心で、そろそろと音のするほうへと近づいた。
「おい、バークはどうした?」
聞き慣れない声と名前に、反射的にしゃがんで隠れる。
「西側のポイントに配属だとよ。ビッツとベルの奴も一緒だ」
「なんだ、張り合いがねえなぁ」
「そう言うなよ。頭が決めたことだ」
――これって……。
耳を澄ませ、話をしている二人を陰から伺う。
「しかし、こんな田舎の村なんて襲ってどうすんだ」
「いやいや、馬鹿にしたもんじゃないぜ。意外に食料もたんまりあるようだし」
――盗賊……!
どうやらここに二、三人が集まっているようだ。
――少なくともまだどこかに三人いる……。六人以上ってなると、結構な数じゃない……。
たいてい数の多さで実力を補強しているような集団がほとんどだが、ときにカリスマ性のあるリーダーが団を率いていることもある。
「それに、迷宮の主討伐でしばらくどこもかしこも浮ついていたからな。やりにくいったら無いぜ」
「だけどそれも落ち着いた今なら……、そうだろ?」
いずれにせよ自分が考えていたような油断が間違っていたと考えると、アリィに申し訳ない気持ちになってくる。
だがそんなものは一瞬だ。
あとからどうとでもなる。
――あいつらのことを報告しないと……。
そうして振り向こうとした時、目の前に影が見えた。
代わりに盗賊たちがガサガサと蠢いた茂みに振り返ると、そこには捕らえられたエトラが仲間に引きずられて放り投げられるところだった。
「ちょっと!」
恐怖よりも先に文句をつける。
「そこで覗いてやがったんだ」
「ほー。村の人間か」
一人がしゃがみこみ、指先で顎をあげる。
「ふうん。まあ悪くないな」
それが不快で仕方なくて、ギッと睨む。
「おー怖。いっちょまえに睨みやがる」
「殺すなよ、あの村の人間なら色々使えるはずだ」
「言われなくてもわかってるよ。でもその前にちょっとぐらい、いいだろ?」
だがそんな命令を聞いてやる義理はない。
勢いよく顎を開くと、がぶりと指にかみついてやった。
「痛ぇっ!」
「はははっ、だっせぇ! 噛まれてやんの!」
「こいつっ! 離せこのアマぁ!」
脳天にゴチンという音が響き、目の前がちかちかとした。
けれども口だけは離さなかった。何度も焼きしめたパンさえ噛み砕く丈夫な歯だ。せめて痛めつけてやろうじゃないか。
指ごとかじりとらんばかりの勢いで顔を引くと、ただでさえプライドを傷つけられた男は、反対の手でそのまま髪を掴みあげた。上等だ、むしろ痛みではっきりする。
「このクソガキっ……!」
何度か頭にきつい一発を食らった。
最後に拳が見えた次の瞬間には唐突に視界が反転し、土の上に倒れこむ。
ぜえぜえと肩を揺らす男が視界に入る。口の中にはわずかな血の味がする。
「ざまぁないわ」
上半身をあげながら睨み付けてやると、鈍い痛みとともに乾いた音が響く。また視界がひっくり返った。握るとも平手ともつかぬ手が、そのまま頬を振り抜いたのだ。
「おい顔はやめとけよ、値段が半減するだろ」
「うるっせえ! 構うか!」
勢いづいた男は胸ぐらを掴んで、土の上へと後頭部をぶつける。
そして首の間に腕を突っ込むと、衣服を破こうとする。なんとか抵抗をしようと、その腕を掴んで爪を立てる。足で男を蹴り上げてやろうと、両足をばたつかせる。
「おいっ、ぼーっとしてねぇで足抑えろ!」
「はいはい」
他の男がにやにやと笑いながら近づく。慌てるでもない余裕すら感じられた。
――く。誰か、誰か……!
必死の抵抗虚しく、男たちが被さったそのとき。
ぱらり、と白い羽根が落ちてきた。
それが一枚二枚であったならば、そうは気にならなかっただろう。けれどもそれはあまりに白く淡く――ふわふわと落ちてきていた。
「え?」
思わず抵抗も忘れて空を見上げる。眉を顰めると、小さな羽根は渦を巻くように地面へと落ちて消えていた。その渦の中心を滑り落ちるように、何かが近づいてくる。
「は、諦めたか。っておい、どうした?」
首を掴んでいた男たちが、他の盗賊へと声をかける。
「なんだ?」
さすがに盗賊たちも戸惑い、空を見上げる。
呆けたような時間があってから、目をこらしていた盗賊の一人が顔を歪ませた。
「……なにか来るっ!」
「逃げろぉおっ!?」
その瞬間――凄まじい衝撃とともに、何かが勢いよく地面に近づいた。巨大な魔力の翼を――背ではなく靴から広げた両足が、土埃を吹き飛ばしながら着地する。魔力の翼は盗賊たちを一瞬にして吹き飛ばし、近くの木々へと衝突させていた。
衝撃の中心地にできた小さなクレーターで、その人物は風がおさまるまで待った。土煙の中で、ばたばたと薙いでいた衣服が落ち着くと、彼は立ち上がる。
「……まっ……ったく! 二度目も空から落とすとか、どういう了見だあの駄女神……!」
どこか呆れたような、文句を言うような声。
その声をエトラは知っていた。
あのときと同じだった――。
かつてエトラがこの山で盗賊に襲われた時も、彼は悲鳴をあげながら空から落ちてきた。翼を駆りながら、大地は空から落ちた彼を傷つけることなく受け止めた。
「まあでも、結果オーライ、かな」
目の前にいる、変わった衣服を着た少年。
黒髪の少年は少しよろめきながら、後ろを振り向く。そして、目があった。
「……あ、あなたは……あなたは……!」
ニッと人の好さそうに笑う姿は、前に会った時とまったく変わらない。
「……リクぅっ!」
「よう、エトラ! 久しぶり!」
笑顔で片手をあげるリクに、エトラは破顔した。
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