46話 チュロスを食べよう
「来たよ、キングダムランド!」
瑠璃はエントランスから見える城を見ながら言った。両側にファンタジックな街並みに擬態した土産物屋が並ぶ通りを抜けると、巨大なモニュメントでありランドマークでもある西洋風の白い城が見える。
そんな瑠璃の後ろから、一人冷ややかな目で見つめる同行者がいた。
瑠璃は振り向くと、彼に近付いて言う。
「暗いよブラッド君! もうちょっと明るく!」
「貴様は本気で言っているのか……?」
さすがに真顔で言うブラッドガルド。
とはいえその姿は普段のボロ雑巾のような格好でも覇気の無い髪でも爬虫類のような縦長の瞳孔でもなく、黒いコートに黒服を着た、茶髪の背の高い人間の男へと変わり果てていた。
「いいじゃん別に。かりそめの人間ライフくらい楽しもう?」
「貴様はどこからそういうセリフが出てくるのだ」
「だってさあ。ハロウィンだよ!?」
見てみろというように両腕を広げる。
ハロウィンイベント真っ最中の遊園地には、あちこちにコウモリやオバケの装飾がされ、気分を盛り上げてくれていた。普段は単なるゴミ箱のモニュメントも、中からポップなオバケが飛び出してきている。
奥を見れば、城の前にある広場には、巨大なカボチャのモニュメントが出迎えているのだ。
そこにハロウィンの王のような存在が人間に擬態して地上に来ているという現状。興奮しないわけがなかった。
「あとはなんか……ゲームのアバター的な」
「突然違う方向性を持ってくるな」
「まぁここは魔法と幻想の国キングダムランドですから?」
貴様が作ったわけではないだろう、と言いかける。だがもはやツッコミすら面倒だったのか、言いかけただけで何も言わなかった。
そのかわり、自分を落ち着かせるかのごとく息をひとつ吐く。
「……我がここへ来たのは、そんなものを見るためではない」
「あー、はいはい。わかってるってば。でもせっかく来たんだから色々見てまわろーよ。ね!!」
「貴様、今の我の言葉を聞いていたのか……?」
「この時期はハロウィンイベント真っ最中だからね!」
「聞いておらんな……」
――まあ良い。
ブラッドガルドは軽く流した。
当初に比べれば、の話だが、瑠璃はブラッドガルドを伴っての外出に慣れていっていた。何より場所とイベントの複合技で完全に浮かれている。多少横で何かをしたところで気が付かないだろう。
それに人間が多い。
人の目というものは、多ければいいというものではない。誰かが見ているだろうという油断こそが死角を作り上げる。本当にまずい時は瑠璃の影に紛れるという手もあるのだ。
うまくいけばこの世界のこともまた知れるし、この世界の人間の魔力もいただける。
「じゃあとりあえずさ、ハロウィンナイトは絶対混んでるから、アルカディオンとエスパニアとどっち行く!?」
「は?」
「そういうエリアがあるんだよ! ハロウィンナイトは今は絶対混むし、一応目的のものがあるのもそこだし」
「……まあ、なんでも良いが」
「よしっ、じゃあ行こ――待ってあそこにウィリアムがいる!!!」
他の客に囲まれているキャラクターに突っ込んでいく瑠璃。
ブラッドガルドはその背を見ながら小さく息を吐いた。
――……あれはそうは保たんな。
最初から全力の瑠璃を見ながら、彼女の体力の限界を見切っていた。
*
それから約三時間後。
――……な……んだ、ここは……。
完全にグロッキー状態だった。
ハロウィンナイトにある品のいい――黒く塗られた怪物モチーフの――ベンチに座り込んで、ブラッドガルドは微動だにしなくなっていた。
高度に発展した科学は魔法と区別がつかない。
魔術でないことは当然わかるが、それがどのように成されているかがまったくわからない。ある程度の予想はつくが、理解が追いつかない。
キャラクターの仮装や着ぐるみなんてのはまだいいほう。
エリアを構成している雰囲気にハロウィンが足されているのもまだいい。
しかし、エリアの建物の壁に突然オバケの影があらわれたり、下手にそのへんの樽のモニュメントに触れようとすれば煙を吐く。
掃除夫のような者が突然掃除を始めたかと思えば、どこからともなく本来ありえないような効果音が鳴り響く。
見えない犬を散歩させている、という大道芸の部類まで不思議なものに見えてくる。
完全に酔ったような状態なのだ。
くわえて人が多い。
基本的に何処へ行っても人しかいない。
しかもそれ以上にどういうわけか視線が多かった。
人が多ければ隠れられると思いきや、何故かこちらを見た者が一瞬顔をじっと見てから去っていく。
意味がわからなかった。
「大丈夫? ブラッド君」
横に座った瑠璃がさすがに尋ねる。
「人が多い」
「そりゃ遊園地は人が多いよ」
しかもここはそのへんの水族館や商店街とはわけが違う。
「貴様はどこにそんな体力を隠し持っていたのだ……」
「ブラッド君こそなんで急にモヤシみたいになってんの?」
完全にテンションが真逆だ。
「人が多いのだ、人が。しかもやたら視線が来る……、我が人間でないと気付かれたわけでもあるまいに」
「だってブラッド君目立つんだもん」
「……何故だ!?」
「いや、なぜって……」
ちらっと、こちらを見ていった女の子の集団を見る。
具体的に何を喋っているかは聞こえないが、何を言っているかはわかる。
ちょっとしたラッキー。ちょっとした目の保養。
つまるところ。
「……顔がいいからでは……?」
背が高くてスラッとしたイケメンがいるだけで普通に目立つのだ。
遊園地である以上、キャストや仕掛けのほうが目立ってはいるが、たまたま見かけた人間が格好良いとそれだけで一瞬でも視線を集めてしまう。
――でも、そもそも人間に擬態してコレだしなあ……。
瑠璃にとってはいくら顔が良くても、本来の姿でないことを知っているし、見慣れてしまった分、どうにもイケメンという気がしない。
「……なるほど。醜悪な容姿になればいいわけか」
「きみの言う醜悪は普通に怪奇現象だからやめろ」
せめて気配を遮断するとかそういう方向性にいってほしい。
「まあほら、水買ってくるから飲む? 待ってて」
「む……」
ブラッドガルドが答える前に、瑠璃は立ち上がってスタスタと歩いていってしまった。普段の体力とは段違いだ。
とはいえたまの休憩も必要だ。買ってくるというのなら買ってこさせたほうがいい。
――……それに、多少は食える魔力もあったか。
近くを通りすがった男から、気付かぬ程度に魔力を奪う。
味のほうはそこそこといったところだった。
こちらの人間は、魔力が無いわけではない。
むしろこちらの人間からしても、瑠璃のような魔力も魔力の器も回路も無い人間というのは珍しい類だ。ただし魔法が残っているわけではないから、今現在、その魔力がどのように体に働きかけているかは多種多様だ。
しかしそれでも普段使用しているわけではない分、体に溜まりきったものは当然不味い。溜まった魔力が無くなることでどうなるかは知ったことではないが、それでもたまに当たりがあるので賭けのようなものだ。
足を組んで、しばし魔力の回復に勤しむ。
味のほうはともかく、効率はいい。
そのうちの何人か――特に女――は、ブラッドガルドを視界に入れると小さくのぼせあがった。そういう奴ほど視線を送り返し、笑みを浮かべてやると、嬉しそうに笑うのだ。その瞬間がチャンスだ。
目線だけで魔力を奪ってやると、形式は違えど一応は捧げられた形になる。そうすればまだなんとか、食える味にはなる。
奪った後は用はない。
それを何度か繰り返した頃、唐突に声をかけられた。
「ブラッド君!」
びくりと肩が跳ねそうになる。
「あ?」
「水買ってきたよー!」
瑠璃は片手に持ったチュロスをよそに、脇に抱えた水のペットボトルを渡そうとしていたところだった。
「待て貴様」
さすがにツッコミが入る。
「……先に水を差し出す奴がどこにいる!?」
「えっ、先に水でしょ!?」
そう。
何故二人が遊園地にいるのか?
その答えがこれだ。
ブラッドガルドがたまたま見ていた地域情報紙から、ハロウィンイベント限定チョコレートチュロスを見事に見つけ出してしまったからである。
九月から十月にかけての二ヶ月、キングダムランドはハロウィン一色になる。ハロウィンにしかあらわれないキャラクターが歩き、昼と夜のパレードも変わる。
そして当然、ハロウィン限定の土産物や食べ物も出現する。
瑠璃が買ってきたのは、チョコレートチュロスの先が紫色のチョコで固められ、そこに白チョコで蜘蛛の糸が描かれたものだ。ちょこんと乗ったかわいらしい黒い蜘蛛のチョコレートは、どうにも本物には見えないが。
もうひとつはハニーチュロスで、先はオレンジ色のチョコで固められていた。そこに白いチョコレートで横線がいくつも描かれている。ちょんと黒い点が載せられた小さな二つの白チョコで目が表現され、おそらくミイラのつもりなのだ。
この二種類のために、わざわざ二人は東京の遊園地にまでやってきたのである。
瑠璃は隣に座ると、ハニーチュロスの先をぱくりとかじりとった。
ぱきんとチョコレートが割れて、チュロスのやや固めの食感の中から、じんわりとしたハチミツの風味が流れてくる。
いかにもといったものだが、それでもここで食べるとひとあじ違うのは、雰囲気のせいだろう。
ハロウィンナイトエリアは今の時期の主役。ポップで賑やかな恐ろしさに溢れた、ホラーな空間。たとえ明るい日差しの下でも、負けはしない。
「それで?」
蜘蛛のチョコレートを容赦なく噛み砕きながら、ブラッドガルドはそう言った。
「んー……」
瑠璃は片手にチュロス、片手にスマホを持ちつつ足をぶらつかせる。
「チュロスはスペインとかポルトガルとかで食べられてるお菓子、まあ揚げ菓子だね。いろいろなところで食べられてるけど、起源になってるのがこのふたつ……スペインかポルトガルのどちらかってところ」
中国の揚げパンを模したものがポルトガルで作られ、それがスペインに広まったという説。
もうひとつは、スペインの羊飼いがパンの代用品として作ったというものだ。ナバホ・チュロスという名前の羊の角に似ているからという理由でチュロという名前になった。
どちらが起源かはハッキリしないが、新大陸に渡ったのは確かだ。
そこから様々な形で広まっていったという。
「本場のほうだともうちょっとカリッとした食感らしいよ。手軽な軽食ってところだと一緒だけど」
「……確かに、揚げてあるならもう少し固くなりそうだな」
「で、食べ方も結構違ってて。日本だと砂糖とかで単品でも食べられるようになってるけど、向こうだとホットチョコレートとかにつけて食べたりするみたい」
「ホットチョコレート……」
完全になぜその食べ方ではないのかという視線だったが、チョコレートがついているのでそれで我慢してもらいたい。
「スペイン語で『誰でも簡単に作れる』って意味があるらしくて、あとは自分好みのチョコレートをつけるのもアリだね。遊園地じゃなくてもチュロス売ってるところがあるから、今度やろうよ」
「ふん。まあいいだろう」
チョコレートであるからか、機嫌はそこそこいいらしい。
機嫌がいいのはチュロスのおかげだけではないが、瑠璃はあずかり知らないところだった。
「それと、星型なのも理由があって。丸い形……っていうか円柱にしちゃうと、揚げた時に中で固まってないところが膨張して、爆発するんだって。油も飛び散って危ないし」
「面白そうだな」
「面白いけど普通に食べられなくなるからやめてね……」
言いながらスマホの画面をスクロールさせ、首を傾ぐ。
「うーん。話としてはそれぐらいかなぁ」
「……まあ、暇は潰せたのでいい。これ以上頭に入れると我の頭がおかしくなりそうだ」
「なんで!?」
「そもそもここ自体がおかしい」
完全に紐解くのはまだ先であるようだ。
ゴミを片付けてから、瑠璃はブラッドガルドから返ってきた水を一口飲んだ。
「よし、じゃあこの後どうする? ご飯の前に先にお菓子食べちゃったけど」
「飯は食うが、人が多いのはどうにかならんのか」
「どこもこんなもんだよ~。このエリアにホーンテッドレストランってとこあるから行こ! 結構お値打ちだからさ! そしたら『ミステリーマンション』まで行って~」
「意味がわからん。あと人が多い」
「人の多さに負けないでよ迷宮の主!」
手を引っ張られると、ブラッドガルドはしぶしぶといったように立ち上がる。
そのまま連れられるように歩き出すが。
「……」
やはり時期柄なのか、人間が多い。
その多さに一瞬眉を顰めた。
楽しげに歩いている人間共に対して、不快とも煩わしさともとれないものが湧き上がってくる。その不快感ゆえか、紛れなければならない事実も忌まわしいものとして認識しはじめた。何も知らない人間どもが――。
その視線を少し横に向けると、これまた何も知らない瑠璃が先を行く。その脳天気さはもはや筋金入と言っていい。
一瞬喉が詰まったような感覚を、自分で抑えつける。
エリア内にある不気味な銅像のモニュメントの横を通り過ぎる二人。真横に伸びる影へと足を踏み入れた瞬間、ブラッドガルドの姿が黒く変化し、影と同化した。
影の中から瑠璃の足が出た頃には、自分のぐっと体が重くなったのを感じた。
『しばし運べ』
「おい」
忽然といなくなった隣をじろっと睨みつけたあと、視線を落とす。
もー、と言いながら歩き出す瑠璃の影が、僅かに揺れた。他人の目がないうちに自然体で歩き出した瑠璃は、もはや慣れたものだった。
そうしてレストランまでしばしの休息を選んだブラッドガルドを引き連れて歩き出したのだ。
*
ちなみに、後日――。
さまざまなSNSで、某Kランドで録られたとおぼしき流出動画が物議を醸した。
それは顔だけモザイクをされた監視カメラのような映像で、若い男女二人組が奥のベンチから立ち上がって手前に歩いてくるまでの短い動画だ。
二人がモニュメントから伸びた影に入った瞬間、男の姿が不自然なほど暗くなる。まるで黒い人影が重なったかのごとく姿が隠され、そのまま消え失せてしまうのだ。女のほうは気が付かずに歩を進め、それどころか影から出たあとも、そこにまだ男がいるかのような反応をしながらカメラの範囲から消えてしまう――というこの動画。
加工の跡を多くの人間が探し続けるなか、「万にひとつの本物である可能性の高い動画」――つまりは本物の心霊動画として、驚異的な再生回数を更新し続けた。数日も経ったころには、ついには海外にまで届いたのである。
なお、Kランドは動画流出について遺憾の意を述べるだけにとどめた。
その理由が心霊動画によってめちゃくちゃに盛況となり、今年のハロウィンを大いに盛り上げたからだと噂されている――。
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