43話 モンブランを食べよう

 しくじった、と男は思った。

 盗賊団を率いていた時ですら、こんなポカはやらかさなかった。

 やはり勇者と出会って腕が落ちたらしい。


 魔力嵐は予想以上で、魔力を与えては奪い、荒し、内側から体を壊し続けていく。周囲には既に倒れた者たちも多く、まだ歩けていても不安と恐怖に怯えている。


 ――くそ。


 追放者の多さといい、国には不穏な空気が漂っている。

 このところの警備の強化は異常だった。

 かつての仲間が閉じ込められているのを聞いて身を隠しても、あっけなく捕まったほどに。だが盗賊の男は、自分が勇者の仲間であった事を隠しきった。貧しさゆえにパンを盗んだ哀れな浮浪者であると信じ込ませることに成功した。それでも本来は鞭打ち数回か、教会の慈善施設を教えられるかだ。


 バッセンブルグだけではない。銀狼を戴くグライフ公国や、エルフを保護する美しい女王の国でも同様だ。特に休戦協定を結んだ大国で顕著である。

 平民だけでなく、胡散臭い魔術に手を染めた貴族が捕まったのを聞くと、貴族たちまで戦々恐々とする始末。中には犯罪者の捕縛に協力したり、慈善事業に手を出す者、女癖がぴたりとやむ者までいたが、その裏では取引が横行している。

 良くも悪くも様々だ。


 国が躍起になって何者かを探しているのは明白だった。

 そしてそいつの名前は――。


 ――宵闇の魔女……。


「……おい、しっかりしろ」

「う……」


 顔色の悪い少年は、呻いたまま意識も朦朧としていた。確か、盗賊団に無理矢理盗賊のまねごとをさせられていたと言っていた。盗賊団が捕まったあとも、保護されることなく投獄されたと。

 不運だとは思うが、放っておけなかった。

 だが目眩と吐き気、頭痛と熱は一気に押し寄せ、幻覚と幻聴が同時にやってくる。奇妙な格好の男たちが踊り狂い、虫たちの祈りが聞こえ、虹色の川が流れる。

 突如としてひどい頭痛を感じると、それがすぐに幻覚だと知れるのだ。どれほどひどい拷問でも、こんなことはないだろう。

 山は巨大になったかと思うと縮み、人の形になって崩れる。

 男はひたすら逃げ続ける。勇者にどれだけ尽くそうと、砂に足がとられてしまう。

 歩いているのか止まっているのかすらわからない。

 果たして自分はちゃんと上に向かって歩いているのか。


 いや、向かう方向はどこだったか。

 心臓が大きく跳ねたのを感じ取ったあと、突然、目の前に緑の風景が現れた。

 白い山が目の前に迫る。


「……おい、大丈夫か!」


 自分でも可笑しなほどに呆然としてしまう。助かった、とすら思ってしまったほどに。

 こんなもの、幻覚だろうに。

 指はひとつも動かないのだから。


「そいつは? 生きてるのか?」

「脈はあるぞ!」

「まったく! もうちょっと嵐を縮めてくれるのかと思ったらこれだ!」

「仕方ないヨ、相手は腐ってもブラッドガルドだしネ! この状況でも御の字だヨ!」

「ははっ、違いねぇ」

「おい、喋ってないで手を動かせ!」


 最期にしてはずいぶんと夢のある幻覚だな――事実を理解する前に、男は意識を失った。







「……何にしよう」


 瑠璃はスーパーの菓子コーナーで首を傾げていた。

 スナック菓子ではなく、洋菓子や和菓子が置いてあるコーナーだ。


 スイーツ系もいいけれど、これは本当にネタがないときに取っておきたい。それに季節ごとに新しいのが出るお陰で、いざという時に頼りになる。


「うーん。水まんじゅうとかもいいけどなー!」


 水晶のような見た目と、外側のぷるんとしたあの感触。特に冷たくしたのは最高だ。中身のこしあんの絶妙な甘さは、夏の暑さに負けないほど上品だ。

 スーパーの和菓子売り場くらいだったら、年中置いてあるところもないことはない。

 しかし、しかしだ。

 九月になると、暑い寒いに関係なく秋商戦に入るのだ。食品売り場からはそうめんが消え、ファッション街では長袖の服が並び、既にハロウィン用品を置き始めているところもあり、さすがに早すぎないかと思ってしまう。


 まだ暑いとはいえ。こうも秋を強調されると、望むと望まないとに関わらず口の中は秋を求めてしまう。


「秋……秋といえばサツマイモとか……?」


 かといって焼き芋を持っていってもあきらかに手抜きだと言われそうだ。ただ、先に焼き芋味のお菓子を持っていけば一度くらいは許されるかもしれない。そういうところは非常にめんどうくさい魔人だ。

 ただ一方で、そのやり方で許されると思っているあたり、瑠璃もブラッドガルドの扱い方を熟知してきていた。


「んー……」


 視線を彷徨わせた先で、ふと黄色いものが目に入る。


「お。そっか。これがあった!」


 手を伸ばす。きっともうちょっとお高めのものを持っていけば、そのうち甘栗とかでも受け入れるはず。そう自分の中だけで断言して、くるりとケーキショップのほうへと足を向けた。


 その三十分後には、瑠璃はきっちりとケーキの箱を持って鏡の前に突っ立っていた。


「というわけで、今日はモンブラーン!」


 箱を見せびらかすと、ブラッドガルドは箱を胡散臭げに凝視した。

 ケーキという名がつかないのに、またもやケーキ屋の箱が目の前にあらわれたからだろう。


「……モンブラーン……?」

「ごめん、モンブランが正しい」


 訂正すると、イラッとしたように一瞬顔を顰める。


 そんなブラッドガルドは相変わらず鏡の先の部屋の中で引きこもっていた。

 もとい、引きこもっていると思っているのは瑠璃だけだが。


 これ以上突っ込まれないうちに、テーブルの上に箱を置く。先に置いてあったトレイの上から皿とスプーンを分け、紅茶のひとつをブラッドガルドの前に滑らせる。


「秋だからね!」

「秋? 貴様、つい昨日までまだ夏を満喫するとか言っていなかったか……?」

「気分は変わるんだよ。女心と秋の空ってね!」


 なんだそれは、と一瞬ブラッドガルドは言いかけたが、もはや突っ込む気力もなかった。というより、持ってくるものを決めるのは瑠璃なのだ。そこを任せたのは他ならぬブラッドガルドである。


「ほら、栗って秋じゃん」

「貴様、我が理解している前提で話すな」

「おうふ……、ごめん。モンブランはえーと、栗のケーキなんだよ」


 言いながら、箱から取り出して皿の上に載せる。それを果たしてケーキと認識できたのか怪しい。

 何しろ形といえばピラミッドなのだ。下の土台部分にはかろうじて円形のスポンジらしきものは見えているものの、そこから巻き上がるよう栗色の、麺のように細いものが巻き付いている。頂点には生クリームの上に、色の濃い栗がぽんと乗せられて存在を誇示している。


「まずケーキなのか麺なのか栗なのかはっきりしろ」

「これは麺じゃないよ。麺みたいに見えるけど、これも栗のクリーム!」


 スプーンを持ち、自分のケーキに分け入ってみせる。


「ほら」


 麺状のクリームは見た目に反してあっという間に形を崩しつつ、すくい取られた。


「貴様の腕がこの一日で強化された……?」

「強化されてどうなるんだよ! というか強化しても無理でしょ!?」


 ジョークかどうかいまいちわかりにくい。

 気を取り直して、すくいとったクリームをちょっと見せてから、自分のほうへ向けた。

 ぱくりと口の中へとスプーンを誘い込むと、舌の上で甘いクリームの中で淡い栗の風味が駆け抜けていった。冷えて少し固くなったクリームが、舌の熱でするりとほぐれて溶けていく。


「ん~~、めっちゃ美味しい!」

「……」


 スプーンをくわえたまま顔をとろけさせる瑠璃。

 その様子を相変わらずしれっとした目で見ながら、ブラッドガルドは目の前にあるケーキに視線を落とす。蛇眼が一度だけ瞬きをしたあと、スプーンを手にする。


 瑠璃は気にせず、二口目を唇に運んだ。

 今度は下のほうのスポンジも一緒だ。

 シンプルな味はクリームにほどよく絡んで、柔らかくも存在感を示してくれる。ほんの少しの食感は、まさにケーキだ。

 瑠璃が悶えている間に、ブラッドガルドは無言のままスプーンをケーキと自分の間で往復させていた。


「モンブランてね、フランス語で白い山って意味なんだって」

「黄色いが?」


 速攻でツッコミが返ってくる。


「黄色いというよりは……黄土色か、これは」

「おっ、ブラッド君さすが! というか、色の区別がつくようになって私は嬉しい……」


 花を飛ばすと、ブラッドガルドは鬱陶しがるような目で見てきた。


「というか、もっと黄色い色のモンブランもあるんだけどね」

「どういうことだ」


 ブラッドガルドの蛇眼に興味の色が光るのを感じて、瑠璃は片手でスマホを操作しはじめる。


「んーと。まず最初にモンブランなんだけどね」


 と前置きする。


「この名前はもともと、フランスとイタリアの国境にあるアルプス山脈の最高峰がモンブランなんだよ。イタリア語ではモンテ・ビアンコ。アルプス山脈自体はすごく大きくて、他にもドイツやスイス各国をまたがってるんだ。で、基本的に真っ白」

「……ああ、それで白い山か」

「うん。ヨーロッパのモンブランは、二つ説があって。まずはこの、モンテ・ビアンコっていう家庭料理説」


 人差し指を立てる。


 アルプス山脈に近いイタリアのピエモンテ州やフランスのサヴォワ地方――かつてはイタリア領だった――の家庭菓子に、モンテ・ビアンコの名が付けられた。

 それこそ雪山、つまりアルプスをイメージして作られたものだ。

 これは甘い栗のペーストに、生クリームを添えたものらしい。こう聞くと、今のモンブランとは同じようで少し見た目も違う印象を受ける。


「で、もうひとつがアルザス地方で作られたトルシュ・オ・マロン説。こっちは栗の松明って意味の名前で、栗のピュレが上に向かって絞り出されてるような形らしいよ。その形が松明に見えるってことらしいんだけど……ただ、トルシュ・オ・マロンがモンブランとして紹介されてることもあるみたいだねえ」


 瑠璃はいくつかのページを開きながら首を傾ぐ。


「で、これらをもとに、フランスはパリの『アンジェリーナ』ってティーサロンで出されたのが最初のモンブランって言われてるね。こっちはメレンゲ生地の上にクリームを搾って、こういう麺状になった栗のクリームで包み込む感じ。こっちも似たような感じかな」


 言って、球体のようなモンブランを見せる。

 シンプルで、この形で売っているものも多い。


 栗の色は山の岩肌であり、クリームは雪。

 そうしたイメージはどんな名前で、どんな形であろうと変わらないようだ。


「……では、これで終わりではないのか?」

「これが日本でも作られたって話だよ」


 画面をスクロールさせる。


「日本では東京の自由が丘ってところに『モンブラン』ってお店があって。そこの初代店主が、フランスのシャモニーってところを旅した時にモンブランに出会って、そこから刺激を受けて考案したって流れがあるみたいだね。店名やお菓子も許可を取ってまでそうしたみたいだから、だいぶインパクトがあったのかも」

「それはいいが……、考案?」

「そのときは皿盛りのデザートだったんだよ。それが持ち帰りができるような形にしたってことで」


 ああ、と納得したような声。


「このケーキもそれに近いかな。カステラが土台で、カスタードクリームと生クリーム、あとは栗のクリームを絞って、一番上がメレンゲ。マロンクリームで岩肌、メレンゲでモンブラン峰の万年雪を表現したのは同じでしょ」

「基本は同じか」

「ただ、この時は栗をくちなしで黄色く染めたペーストを使ってて、もっと明るい黄色みたいな色だったらしいよ。最近だと、栗と洋酒を合わせた洋風とか、和栗を使った和風、みたいな感じで、時期になると二種類出してるケーキ屋さんとかも見かけるね。モノによっては洋栗と和栗と一緒に乗せてたりとか、お店によって色々考えて出してる感じだね」

「ほう」


 最後の一口を名残惜しげに口の中へ運んだあと、ブラッドガルドはスプーンで皿の隅をつつく。


「それなら、これからは秋の味覚とやらになるわけか」

「えっ……それはわかんない……」

「何故だ」


 真顔で言い放つ瑠璃に、思わず真顔でツッコミ返される。


「だって水まんじゅうとかわらび餅とか食べたいじゃん!」

「知らん。菓子なら持ってこれば良いだろうが」

「でも日本人として季節感は大事にしたいんだ、私は……!!」

「なんなんだ貴様は」


 それが日本人の問題なのか、瑠璃の問題なのかいまいちぴんとこない。


「だってほら、ブラッド君だって和栗とか洋栗とかの味が気になるでしょ……!」

「貴様は何故そんなにこだわるんだ……」

「だってブラッド君、引きこもってるからせめて季節感だけでもと思って……」

「引きこもっていたのではない、封じられていたのだそれは」


 しかも今はその封印は既に破られているから、あまり関係はない。


「なんでだよここのすぐ外とかめっちゃ不毛の地じゃん」

「……しかし、そうだな。栗は初めて口にした」


 ブラッドガルドは少し考えてから瑠璃を見る。


「……小僧の敷地内に栗はあると思うか……?」

「隣の家の栗盗むみたいな規模で言わないで!?」


 山に生えている栗を気が付いたら全部収穫しているくらいのことはやりかねない。


「それにカイン君とこ行くなら、今後はもうちょっとこそっと行ったほうがいいんじゃないの? 人が増えてそうだし」

「貴様はそうだろうな。捕縛されれば小僧のところにすらたどり着けんだろう」

「……それはなんかちょっと、寂しい気もするけど」


 やや目を伏せた瑠璃に、ブラッドガルドは鼻を鳴らした。

 瑠璃は紅茶に手を伸ばして、口をつけた。僅かに残っていた甘い栗の味が、喉へと押し込まれた。

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