閑話5(前)

 ブラッドガルド――それは世界に七つある迷宮の中でも、最悪と呼ばれる迷宮主である。その居住地にあたる最奥と呼ばれる場所は、大地の裏にあるシバルバーにまで到達している。

 そこは寂しく荒涼とした不毛の地。

 永劫の静寂に包まれた場所。

 そこに潜むブラッドガルドには朝も夜も関係は無く。光さえ差さぬ闇の領域で、その光を奪おうと淡々と迷宮で手を伸ばしている――……はずだった。


 実際のところ、ブラッドガルドは近頃ずっと魔石をいじり回していた。

 初期型から少しずつ改良を重ねられた魔石の石版は、いまや使い魔〈カメラアイ〉によってその映像を見ることができ、指先ひとつで迷宮の画像情報が手に入った。

 とはいえ現段階でも魔力の補給方法や小型化など課題は山積みで、ひとつひとつ何かを作り上げる、というのに楽しみさえ見いだしているようだった。


 だが、そんな風にずっと魔石を弄びながら過ごしているわけでもない。


 地上での昼を過ぎて夕方が近づくと、ブラッドガルドはその動きを止める。

 疲労と空腹、というだけではない。


 その日は、四時を過ぎた頃合いだった。


「たいへんだブラッド君!!!!」

「……」


 思い切り開けられた扉から叫んで入ってきたのは一人の少女。

 萩野瑠璃、現代日本に生きるごく普通の女子高生である。


「ヨナル君が死んじゃう!!!」


 一方のブラッドガルドは、完全に面倒事を持ってこられた反応をしていた。

 よろよろと部屋の中へ侵入しながら、大仰な身振り手振りとよくわからない主張と何事か喚く瑠璃をしばし見下ろしたあと。

 ブラッドガルドは無言のまま、その額に手刀を落とした。


「あいたっ!?」

「喚くな、黙れ」

「なんだよ!? 自分の使い魔が心配じゃないのか!?」


 べちべちと自分の影を叩く。

 それを合図にしたように、ずるり、と影が伸びた。


 そこから出てきたのは腕に巻き付けるほどにまで縮んだ影蛇だった。蛇としては普通くらいのサイズだが、当初から比べると圧倒的に小さい。何しろ通常サイズならば、それこそ胴体だけでそのへんの大男が隠れてしまうくらいは余裕であるのだ。

 ヨナルと名付けられた影蛇は、ややぐったりとしながら瑠璃の肩を通り、目の前にいるブラッドガルドへと頭を向ける。


「うう……なんでこんな姿に……」

「泣くな面倒臭い。ただの魔力欠乏ではないか」


 ため息をついて、ヨナルに手を翳す。

 途端に、光の粒子が指先からあらわれたかと思うと、ヨナルに吸い込まれていった。


「お、おおっ……!?」


 ぐったり加減が消えて、元に戻ったように見える。


「姿は戻ってないけど……ちょっと元気になった?」

「あのサイズでは単独でも消耗が激しいからな。そもそも貴様に魔力が無いうえ、節約するくらいはあるだろう」

「でもなんで突然? 割と平気だったのに」

「こちら側なら外に出ても魔力が溢れているからな。それとも貴様、何か頻繁に呼び出すようなことでもしたか」


 首を傾ぐ瑠璃。


「えっ……なんだろう……暑い時とか?」

「貴様、我が使い魔をなんだと思っているのだ?」


 ストレートで真っ当なツッコミが返ってくる。


 蛇のせいなのかそもそも真っ黒な影でできているせいか、その体表はひんやりしていて気持ちがいい。しかも弾力のある表面はぷにぷにのもちもち。

 もちろん普通の用事もあるが、触りたい時だってある。本物の蛇と違って自由が効くがゆえに、呼び出しては触り心地を堪能していた。


「そんな馬鹿な用事で使うな」

「でもそうか、やっぱり外に出ると消耗するんだね」


 頭を撫でてやっても、大人しくされるがままにされている。

 ブラッドガルドは微妙な目で見た。


「まあいい。貴様は魔力無しなのだから、直接何かやっておけ」

「そんなお腹が空いてるレベルに言われても。魔力ってブラッド君から流れたりしないの?」

「流れるが、それでも召喚陣を挟んでいてはあまり意味はない。まあ、貴様が名前を付けたせいでこういう事もできるが」

「名前って関係あるそれ?」

「個々に名付ける、ということは、存在が固着化して独立するということだ。それは使い魔であっても同じだ」


 瑠璃は一瞬表情を固くする。


「何言ってるのかぜんぜんわからん……」

「真面目な顔で言うな」


 さすがにそこはツッコミが入れられる。


「貴様が名を付けることで使い魔として独立させてしまったのだ。これはこれで便利だが、名が無ければこいつも半分は我の影のまま、我から魔力を与えられたんだがな」

「お、おう? よくわからん」

「まあ、あの小僧とつるんでいる以上は監視につけるが」

「それじゃあ、お菓子とか食べさせればいいんだね」


 瑠璃は部屋の片隅を指さしながら言う。

 そこでは、カメラアイたちが砂糖やらこんぺいとうに群がっていた。


「……。ヨナル……、貴様やはり戻れ」

「なんで!?!?」


 瑠璃はヨナルが巻き付いた腕を隠しながら疑問にまみれた。

 一通りの騒動が収まり、本来ならばここでお菓子タイム〈お茶会〉が始まるはずである。

 だがこの日は違った。


 ひとまずヨナルを自分の影に戻し、カインの国に行く予定だったことを告げる。秋用のケーキを対価にすることにして、影の中から一緒に送ってもらう。

 最初は驚いたが、よく考えればブラッドガルドが影の中に入れるのだから、人を引きずり込めるのは当たり前のことだと気付いた。


 カインの城では突如壁に染み出た黒い影に一瞬誰もが驚いた。


「よっ、とお!」


 城にいたメンバーに挨拶をしようと顔をあげた瞬間、恐怖に引きつった顔が見えた。震える手で槍を構えてはいるが、完全に腰が引けている。


「な、な……、なんだお前……!?」

「あ、あれ? まちがった?」


 初めて見る顔だった。

 だが城の中はいつも通りで、どこか違う場所に飛んできたというでもない。

 しかもその上、ずるりと後ろにあった影がそのまま瑠璃の影へと吸収された。ずしっ、と軽い重みが体を襲う。


「あっ、ちょっと!?」


 このままでは、ブラッドガルドではなく瑠璃自身が影を操れるようにしか見えない。

 困惑していると、救いの手が現れた。向こうの曲がり角から、見知った元村人の兵士たちが何事かと走ってきたのだ。


「あ、なんだ瑠璃じゃないか」

「急いで来て損した!」


 酷い言われようである。


「あ、あ……! せ、先輩。こいつは!」

「あ~。いいのいいの。大丈夫大丈夫」


 兵士の一人が状況を察して、腰を抜かしている兵士を連れていく。

 距離をとったところで尋ねる。


「さっきの人は? 見たことない人だったけど」

「それは多分、カイン様が説明すると思うよ」


 この一ヶ月ほどの間で、村人から国民になった人々は、カインを様付けするようになっていた。

 カイン本人は嫌がったが、国民から呼び捨てされていることで他国から「たいしたことない」と見下される可能性もある。そういうことで、公務中とプライベートを分けて考えることにしたのだ。

 案内されてカインが居る部屋に赴くと、瑠璃は声をかけた。


「カイン君!」

「ああ――瑠璃さん。ようこそおいでくださいました。どうぞこちらへ」


 部屋の中は以前と比べて整理整頓がされていた。

 会議用の長机の上座にカインが座っていて、瑠璃はその近くへ座る。


「そういえばあの果物……、スイカでしたっけ。好評でしたよ、また持ってきてもらいたい者が多いそうです」

「そっか! よかった。九月中くらいは売ってるとは思うけど……高くなるんだよなあ」 


 単品で甘く水分もとれ、遊びもできるスイカは絶妙に支持を得ていた。

 カインがタネを回収して農業研究のほうへ回そうとしたが、その場にいたほぼ全員がタネをくすねたようである。それはそれでうまい育て方を見つける者もいるだろうからと、カインは不問にした。というより見なかったことにしたのだ。


「では、さっそくですが今日の議題にいきましょう」

「うん。とりあえずわかったことを言うね」


 今日の議題――いつだったかに瑠璃が約束した、小麦の育て方についてだ。

 以前もこの議題については取り上げられたのだが、ひとつだけ問題があったのだ。


 ひとまずおさらいとして、小麦の種まきから収穫までの時期や行動についてを確認する。ほとんどはネットで確認したのだが、ずいぶんと便利な時代だ――というのを瑠璃自身が痛感した。


「あとは……ええと、四年ごとの輪作、でしたっけ」

「そうそう!」


 四年輪作体系は北海道の農家たちが独自に考案したやり方だ。

 輪作は複数の違う種類の野菜や麦を、一定の年数ごとに循環して栽培するやり方だ。反対に連作というのが、同じ作物を作り続けるやり方である。

 北海道のそれは、イモ、ビート、豆、麦の四種類を四年単位で順に作るというやり方で、化学肥料や機械化で連作障害を克服できると考えた国に対して危機感を持った農家が自分たちで編み出したのだ。


 この村では輪作という名前こそ無かったが、農作業を担当していた者たちの間でそれとなく考案されていたやり方でもあった。それを土台にすることで何とかなりそうだった。

 夏も暑いが比較的過ごしやすかったことから、このあたりの気候が北海道に近いというのもヒントにしたのだ。


 ビートも似たようなものが――葉のほうを食用にされていたという若干わけのわからないものだったのだが――あるなら利用しない手はない。

 現代でもビートから砂糖が作られたのは、十八世紀にドイツで飼料用ビートから砂糖の分離に成功したあたりからのこと。製造工程を調べる必要はあるものの、野菜から砂糖が作れるという事実を前にしては、やらない理由は無い。


「しかし、大地の精霊にも好みがあるとは。考えてみれば当たり前のことでしたね」

「ま、まあね」


 瑠璃は一瞬ギクリとしつつ同意してみせる。


 現代日本とこちら側では色々と違う事はあるだろうと予想はついたものの、ただ一点、大きく異なる点が、土に精霊がいるという『事実』だった。

 考え方ではない、『事実』だ。


 それに気が付いたのは、カインと最初に小麦の育成方法に対して話していた時。

 現代と同じく連作障害や輪作年限は存在するのだが、この世界ではそれが「大地の精霊の好み」というとんでもなく曖昧なものだと判明したのだ。

 大地の精霊は顔のない褐色の小さな人型で――始祖が大地の巨人と言われるだけはある――豊穣の証だった。


 土の状態や作物などによって彼らは顔を出し、その加護によって作物の出来まで決まる。

 しかし、好まれるからといって同じものばかり作れば当然そっぽを向かれる。

 それがこちらの世界の連作障害の正体だ。


 それはカインの聞き取り調査という努力と、後から国に加わったという魔法使いの女性の助言、そしてブラッドガルドの何気ない一言で判明した。

 とはいえ、「大地の精霊の好み」などという事実を何気なく言い放ったのは、ツッコミ混じりだったらしく、後で代価としてチョコレートケーキをワンホールぶん献上することになってしまった。どうもブラッドガルドも口にしてしまったのを悔いていたふしがある。


 ――じゃがいもも連作障害があるらしいけど……。交代で色んな人が作ってたのが幸いしたのかな?


 小麦は憧れのパンの素材であることから同じ場所で作り続けてしまい、連作障害が発生して廃れ気味になったらしい。しかもこちらの世界では大麦が小麦と比べて楽なのと、イモ類を交互に植えていた者が多いことで、なんとなくそちらのほうが生き残ってしまったのだ。

 しかし幸いなことに、この国で小麦を育て続けた数少ない人々がなんとか考案した「土の精霊に合うようなやり方」は、瑠璃がネットで調べてきた小麦の栽培方法と似通っていた。瑠璃はその知識を補強する形で伝え、これでようやく大麦だけでなくパン用小麦の生産の目処も立った。なんとか面目は保てたらしい。


 小麦を育てていた老婆が、自分にしか見えなかった「小さなともだち」が土の精霊だと知って喜んでいたので、それも僥倖だろう。


 ひとつだけ――


「後は――脱穀機と水車の建造が急務ですね。それらしいものは見つかっているので、ひとまずは修理して使って……その後……」


 カインがぶつぶつと呟くのを聞きながら、瑠璃は自分の持ってきたメモに視線を落とした。

 そこにはまだ伝えていないことがある。


 化学肥料と、小麦の改良――。


 現代の化学肥料は、緑の革命を起こした立役者である。

 だが、こちらの世界では農業においても魔力が中心だ。土の精霊なんてものがいる。化学肥料がうまく作用するかはわからない。

 現代の小麦の収穫量も、小麦自体への改良や遺伝子操作を施された結果だが、そうして小麦が次第に変化したことでアレルギーが出てきた、という説もある。実際、古代小麦ならアレルギーを発祥しにくいという話まであるほどだ。


 それに、豊穣の土地と言われる場所は迷宮にある豊富な魔力が関わっているという話まである。まだ一部の迷宮研究者が提言しているだけだが、やはり土にも魔力のほうが重要なのは確かなのだろう。

 瑠璃はその情報を握り潰した。

 魔力が重要である以上、そちらに合わせたほうがいいだろうと思ったのだ。


「しかし、オオムギにも結構な使い方があるんですね。パンにビールに……」

「どういう大麦かにもよると思うけどね。でも大麦ってあんまり食べてる実感無いなあ……」

「そうなんですか?」

「うん。あっ、でも麦チョコとか美味しい!」


 言った途端、強烈な視線が飛んだ。

 その瞬間にその場にいた全員が恐怖に引きつり、放出される魔力におののく。城を中心にして、誰もがびくりと芯を震わせた。


「っ……!?」


 カインですらやや引きつった顔で、表情をこわばらせた。


「……」


 あーこれ麦チョコに反応したやつだな、と瑠璃だけが思った。


「……ど、どうされたのですか、今のは」

「気にしなくていいと思う……」

「……しかし、姿が見えないと思っていたのですが、ここにいらっしゃったのですね」


 どうも影の中に入ってしまうと、気配も無くなって感知もできなくなってしまうらしい。


「重いからやめてほしいんだけどね」

「……そうだ。せっかくなので、お二人におたずねしたいことがあるのですが」

「……だってさ」


 ブラッドガルドはしばらく出てこなかったが、十秒ほどしてからしぶしぶと影から泥のようにせり上がってきた。

 瑠璃が小さく麦チョコ、と呟いたのは誰の耳にも届かなかった。


「……すみません、ご足労を」

「なんだ。早くしろ」


 カインは咳払いをしてから、気を取り直して続けた。


「宵闇の魔女――という言葉に聞き覚えは?」


 瑠璃は何気なく聞かれたのだと思った。

 その言葉が、瑠璃の顔を引きつらせる要因になるとは思わずに。

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