40話 (ショコラ)プリンを食べよう
「何故時間が掛かった……」
「だって結局取り寄せになったし、当然でしょ」
散々、外の人々を硬直させてきた目力に、瑠璃はしれっと答えた。
とはいえ、その理由が「ショコラプリンがすぐに出てこなかった」からだとわかりきっているからこその反応なのだが。
数日前、ようやく瑠璃は現代日本へと帰還した。
久々の部屋の中はクーラーがついていないせいでひどく熱く、そのうえ居間からは人の声が続いていた。ブラッドガルドを伴い、ドアの外をそっと覗く。両親が揃ってそこに居たうえに、遠方にいる父方の祖父まで居て渋い顔をしている。あきらかに雰囲気が暗い。
若干の罪悪感。
出て行ったとしても完全に「今どこから出てきた」と突っ込まれるしかない状況だったのだが、後ろからせっつかれてしぶしぶ出て行ったところ、それは起こった。
驚きの目で瑠璃の姿を見た大人たちは勢いよく立ち上がりながら声をあげたが、一瞬その動きを止めた。あきらかに「動きを止めた」と言っても過言ではない止まり方だった。瑠璃の目には時間が止まったように思えたほどだ。
「……ああ、瑠璃! おじいちゃんに挨拶したっけ?」
まるで何事も無かったかのように会話しはじめる大人たちに、瑠璃は若干引きつりながら答えるしかなかった。
そして罪悪感を深めつつ、夕方には「唐突に」やってきた祖父を送り出した。
しかし、いなくなっていた事に気付かなくなる――というのは本当らしかった。外に出て知り合いに会っても特に何も言われることはなかった。電池を大幅に減らす勢いで入ってきたスマホの通知も、心配する声に返しても何事もなかったかのように返ってくる。
逆に自分のほうが心配になってくるレベルだ。
さらにネットやらで調べてみると、どうも公開捜査に踏み切った直後だったらしい。さすがに一ヶ月も経っていると遅いと思われるが、年齢も未成年とはいえ高校生。自分で出て行ってもおかしくない。最初はそれこそただの家出と思われていた。だがマンションから出た形跡が無いことや、それこそ靴も鞄も無いのに煙のように消えてしまっていることから、テレビでも謎の失踪事件として取り上げられていた。公開捜査の遅さも相俟って批判の嵐だったが、報道は瞬時に風化し、ネットニュースはまったく違う内容に書き換えられていた。新聞などは書き換えられないというのに、自分の顔を見ても行方不明者だと気付く者もおらず、それはそれで異様ささえ感じた。
ブラッドガルドがそれに対して何か言うかと思ったが、特にこれといった反応もなかった。それどころか早くショコラプリンを持って来いと言わんばかり。
とはいえ気が付けば八月も後半。夏休みもあと一週間近く。
大体この熱い時期にショコラプリンなんてと思ったが、注文から数日程度でショコラプリンはやってきたのだ。
「そういえばここ三日くらい、ずっとこの一ヶ月の事調べてたんだけどさ」
「なんだ突然」
「いや凄いよ。一ヶ月いなかっただけなのに、ASK84がグループ内の対立で解散してるし、刑務所から脱走した人が捕まってて、YourTuberが三人くらい大炎上、仮面騎士ライダーが新番組になってる」
「最後はなんだ一体」
「日曜の朝にやってる子供向けの特撮。なんか面白いってSNSでも凄い話題だし、一緒に見る?」
「後にしろ」
「わかった、じゃあ後で見よう」
「……」
若干眉を顰めるブラッドガルド。
あきらかに面倒がったその様子をスルーして、瑠璃は話を続ける。
「でもほんと凄いよ。コンビニのスマホ決済サービスが私がいない間にサービス開始して終了してるし……いやこれは本当に意味がわかんないけど」
「おい、我にもわかる言葉で言え」
「なんか二重認証が無くて、IDの乗っ取り食らって被害に遭った人が多数……」
「よりわけがわからんわ、後で説明しろ」
「えー……」
今度ははっきり説明しろと言ったことに対して微妙な顔をする瑠璃。
対して、ブラッドガルドはさらりと無視した。
「それで、持ってきたんだろうな」
「あーもう、わかったよ。持ってきたよ」
観念して、スマホを置いて横にあった箱をテーブルの上に置く。
箱を開けると、瓶入りのショコラプリンが整然と三つずつそれぞれ並んでいる。そのうちのふたつを取り出す。瓶を手にとって、上の蓋に手をかける。牛乳瓶の蓋のようなプラスチックの蓋で、そのまま引っ張ると取れるようになっていた。
「おお。美味しそう!」
中ではショコラ色の(当然だ)、少し弾力のあるプリンが詰まっている。
プリンとしてはちょっといいやつだ。
本当は旅行代として少しお高めのお小遣いを貰っていたのを、こうして利用している。少なくともこのお金はできるだけ自分の為でなく他の、特に向こうの世界に関わるところに使おうと決めたのだ。
もうひとつの蓋も開けると、ブラッドガルドの前へと滑らせた。
スプーンをそっと入れる。やや固めで弾力のある表面が割れ、その下の滑らかなショコラプリンが顔を出した。
それをすくいあげると、口の中へと運び込んだ。
口当たりが良くて、少し苦味のあるチョコレートが広がった。
スプーンに残ったものを舐め取ると、滑らかな食感が舌の上に広がり、噛む必要さえなく消えていく。そんな味を惜しむように、瑠璃は声をあげた。
「んー……! 美味しい……!」
少し涼しいこちらの世界でなければ、食べる気も起きない――と思っていたが、やっぱり美味しいものは美味しい。
近所にあるケーキ屋さんのチョコレートプリンもだいぶ良かったが、こちらもなかなかだ。どちらが良いか、という疑問は意味がない。どっちも美味しいのだ。
それから、ふとブラッドガルドを見る。
瓶を眺めつつ、無表情ながらほぼ同じスピードで口の中に運んでいる。その様子を眺めながら、瑠璃の口はほころび、思わずへらりと笑ってしまった。
「おい小娘」
「なに?」
「足りんぞ」
「なんでもう食べ終わってんの!? 早いよ!」
空の瓶が置いてあるのを見ながら、しぶしぶプリンをもうひとつ開ける。
ようやく落ち着いて食べられるようになると、瑠璃は残りのプリンを堪能した。
「そもそもプディングなのかプリンなのかはっきりしろ」
今更のようにブラッドガルドが言う。
「本来の名前はプディングだよ。だからカイン君たちにもプディングって言ったし」
西洋菓子はフランスのものが多いが、プディングは名前だけで既に英語圏のものとわかるらしい。なんでも、『ING』がつくのはこれくらいだから、という理由だそうだ――ということを告げる。
「ふむ……、それなら、チョコレートをショコラと呼ぶようなものか」
なんでそれだけはしっかり覚えてるんだ、と多少思ってしまう。
チョコレートとショコラだと、日本では上品なものをショコラと使い分けている場合があるので別のものに思えるが、実はチョコレートは英語でショコラはフランス語というだけだ。さらに言えばチョコラータと読むのがイタリア語である。
「いや……それは……プディングが日本に入ってきた時に、当時の日本人がプディングをプリンって聞いてそのまま広まっただけで……」
「……。それじゃあ、奴がした説明はどこまで本当なんだ」
「ほとんど本当だよ! あの村でも蒸し料理として作られてたし、こっちの世界では船乗りが作ったっていうのも本当!」
瑠璃はスマホを手に取ると、カバーを開いた。
時は一五八八年、イギリス。
当時、ローマ・カトリックから分離し、プロテスタントの道を歩んでいたイギリスは、エリザベス一世の統治のもとスペインの制海権に挑んでいた。
ローマ・カトリックの強力な宗主国でもあったスペインは、それに対抗すべくスコットランド女王メアリー・スチュアートを後押し。しかしエリザベスがメアリーを処刑したことで、戦いの火蓋は切って落とされることになる。海の覇権と宗派を巡る対立だ。
当時のスペインは無敵艦隊とも呼ばれる強大な大軍団を擁し、アルマダの海戦と呼ばれる英仏海峡での海戦に挑んだ。ところが、イギリスが打ち破ることで革命をもたらした。さらに悪天候が重なったこともあり、スペインは甚大な被害を受けたのだ。
「スペインは短期決戦を見込んでたけど、イギリスはビスケットっていう、小さくて場所も取らないものを持ち込むことで士気を下げずに戦っていられた。そういう話もあるわけ」
「……ビスケットの話ではないか」
「船上での食糧問題は今より昔のほうが大変だったって話だよ。んで、まあ――その食料事情に絡んでプディングも出来たっていうこと」
どんな欠片のような食材でも捨てるには忍びない。
しかし、バラバラの食材をどうしたらいいのかわからない。それである時すべてひっくるめて卵で包んでナプキンでくるみ、蒸し焼きにしたところ完成したのがプディングだった――想像するならこんなところだろう。
「他にも、プディングはもともとソーセージとか腸詰めを表わす言葉説があって。ローマ時代にはもう存在したとか、それが一五世紀になって肉の他に卵とか入れるようになって、一七世紀くらいには腸じゃなくて布きれ……要はナプキンでくるむようになってから一般に広まったとか。なんでそれが今のプディングになったのかは正確なことはわからないみたいだけど……」
「それらしいものは既にあった、ということだろう? 船の上で布に包む料理として発展し、そこから船上の逸話に繋がったのだろう」
「ありそう」
瑠璃は頷く。
「あの村でもそうだが……、卵を蒸し焼きにする、というのは比較的思いつきやすいのではないか」
「そうかも。日本にも茶碗蒸しっていう料理があるんだけど、これも日本風プディングだしね」
とはいえ、茶碗蒸しとプリンが同じものと言われても、いまだにピンとこない。
一応茶碗蒸しの画像を出して見せる。
「……見た目はそっくりだが」
「でも感覚的になんか……ほら、しょっぱいものと甘いものだし……器も違うし……」
お好み焼きがパンケーキと同じものと言われるのと同じ感覚だ。
「それに、プディングが元は食材を入れ込む料理なら、そのチャワンムシとかいう料理と似たようなものではないのか」
「うっ、それを言われるとつらい」
「……」
貴様が言うな、という気配を目からひしひしと感じる。
「……話を戻そう。どこまで話したっけ?」
瑠璃はスマホに視線を戻して探る。
「しかし、それだけではまだ料理の一種だな」
「うん。最初の話に戻ると、船上から陸に持ち込まれて一般家庭で作るようになって、そこから材料を足したり引いたりするようになったみたいだね」
次第に数を増したプディングにはいまや何千というレシピが存在し、プディングだけのレシピ本なんてのも存在するらしい。
日本でプリンのレシピ本なんていったら、比較的子供向けの薄い冊子のようなものじゃないかと思われそうだが、本場ではそうではないのだ。
イギリスではプラム・プディングという(今現在はプラムを使わないらしいが)クリスマスのご馳走が、フランスのブッシュ・ド・ノエルに匹敵するほどに有名だ。そのクリスマスとプラム・プディングが結びついた背景についても、諸説ある中にはやはりというべきか、「英国王ジョージ一世がクリスマスに作られたため、プディング・キングと呼ばれた」という説がある。つまりは例の「王族が好んだ系」の話まで浮上している始末。
とはいえ、実際はそれより以前からプラム・プディングは作られている。冬の直前に屠殺した肉を加工するという季節的なことや、プラム・プディング自体が様々な材料を必要とする豪華な料理であるということから、特別な料理にはクリスマスという発想ではないかという説があった。
瑠璃にはこちらのほうがまだ納得できた。
「日本に伝わってきたのは江戸時代後期くらい。一八七二年の『西洋料理通』って本にはもう紹介されてるみたいだね」
言ってから、瑠璃はスマホを見つつ渋い顔をする。
「一応……ここには……ポッディングって名前で載ってるっていうんだけど……」
「なんだ。見られるのか?」
声が止まった瑠璃へ、視線を向けるブラッドガルド。
「古い本なら、今だとデジタル化されて誰でも見られるんだよ。……けど、さすがに達筆すぎて無理かな……。でも多分、後編の第百四等ってあたりだと思う。このへんに干柿ポッデングとか、ライス・ポッデングとか書いてあるし。あとは生姜とか蜜柑とか、人参もしくは芋のポッデングとか」
「……そう聞くと、結構なものが紹介されているような気がするが」
スマホから目を離し、思わず頭を掻く瑠璃。
「んー。カスタードを入れるようになるのって、レシピとしてはだいぶ新しいらしいんだよ。もともと色んなもの突っ込んで出来たものが陸に上がって、だんだん引き算されて……最後のほうにそのままだと味気ないから入れられたのがカスタード。ほら、プリンってシンプルじゃん」
「知らん」
「カイン君のとこで食べておきながら知らないとは言わせない……!」
舌打ちは無かったが、片眉が一瞬だけ上がった。
どうせ貴様からは(直接)献上されてない、とかそういう理由なのだ。
「たぶん、紹介された時は色々と種類があったんだろうね。他の本でもレモンプリンとか、ミートプディングとか珈琲とか……」
指先で画面を移動しながら、目についたものを言っていく。
「一応お菓子として紹介されてはいたから、特に何も入ってないカスタード・プリンがイコール、プリンになった……のかな? 一般家庭にも広がるのは一九六四年に『プリンミクス』が発売されてからだけど」
「プリンミクス……?」
「ハウス食品が作ってるお湯だけで作れるプリン。これはゼラチンとかで固めるケミカルプリンの類だけど。あとはプッチンプリンとかも有名だね。私も子供の頃は、プリンといえばプッチンプリンだった……」
子供の頃を若干懐かしみつつ、瑠璃は首を傾いだ。
「いずれにしろ、いつの頃からか日本ではプリンといえば甘いものって印象が強くなって、今は完全にそう思ってる人がほとんどなんじゃないかな。私もそうだったし。でも本家本元だと日本のプリンはカスタード・プリンっていうプディングの種類のひとつって感じだね」
だから、英国に行った日本人が、店でプディングと書かれているから甘いデザートだろうと判断して注文すると、まったく想像と違うものが出てきてびっくりした――という、ウソのような本当のような、しかし納得してしまう話まで出てくるのだ。
「ああでも、カボチャプリンとかはよく聞いたかな」
「……貴様、だからあの小僧のところで……」
カインが勝者は土地と一緒に食べられると約束した特別なプリン、それがカボチャプリンだ。カボチャが主食のひとつでもあったようなので提案してみたのだが、意外にマッチしていた。
カボチャをペースト状にするのは大変だったが、これが意外と合っていた。
「意外と美味しいから秋の収穫祭とかで出そうって話もあってさ~。そもそもプリンとチェス自体がなんか特殊なものになってそうだけど」
「…………なるほど」
「ねえその間、なに?」
思わず突っ込まずにはいられない。
「貴様はその、秋の収穫祭とやらはいつの予定か知っているのか?」
「ねえなんでそれ聞くの?」
真顔で尋ねるが、答えは返ってこなかった。
というよりも、答えの前に――。
「もうひとつ寄越せ」
「お、おう……」
せめて全部持っていかれる前に、確保しておこう。
そう、切に思った。
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