41話 かき氷を食べよう
不気味なほどの沈黙だった。
窓の外から覗く月は、ただ何も語りかけぬままそこにある。
久々の宿のベッドだというのに、どうにも眠れなかった。
ナンシーは深いため息をつき、膝を抱える。
ブラッドガルド復活の兆しの一報が入ってから、どれほどの時間が経っただろう。
あれ以来、迷宮は奇妙に静まりかえったままだ。
相変わらず魔物は溢れ、ときおり魔人が跋扈している。そういう意味では同じだが、たったひとつ。
加えてバッセンブルグの王がナンシーを召命し、勅命の理由にした「奇妙な魔物」、あれは忘れもしない。小さな、とても小さな――それこそ魔力感知を強く行わなければならないほどの、だが――ブラッドガルドの魔力を感じた。それは間違いなく復活したことを示している。
信じたくなかったが、事実は事実だ。
ブラッドガルドが復活したという噂はいまや確信的で、迷宮の封鎖が解けない事に苛立った冒険者が小競り合いを起こすこともある。詳しい事を聞かされていない下級兵士は鎮圧だけで手一杯で、治安は急速に悪化している。そろそろ国民をおさえておくだけで精一杯で、もはや時間の問題だ。事実を公にしない国だけでなく、教会への不信感さえ高まっている。勇者の存在すら疑いはじめたのだ。
ザカリアスは放っておけとあいかわらずだが、ナンシーは気が気でなかった。
――好き勝手言いやがって。お前たちに何がわかるっていうんだ……!
思わず拳を握りしめる。
あの旅の間に何があったのかは一番近くで知っている。それは、回復魔法の暴走の果てに、悍ましい異形の怪物と化したブラッドガルドを封印したことも。
――あの……魔女、なのか……。
バッセンブルグの王が口にしたのは、戸惑うばかりの事実だった。
宵闇の魔女。
ブラッドガルドの復活に手を貸したとおぼしき女。
あれほどの封印に入り込んできたとは信じがたい。事実であるなら、それこそブラッドガルド以上の脅威だ。
問題は、魔女が何を考えてブラッドガルドに手を貸したのか。
――くそ。わからないことだらけだ。
眠れない目で、月を眺める。
「ブラッドガルド……。いったい、何を考えているんだ……?」
*
「おまたせしましたー!」
店員の明るい声が響くカフェの店内。
「こちら、イチゴとバニラの白玉のせかき氷になりますー」
「はいっ」
瑠璃が片手をあげると、店員さんはにこりと笑み、かき氷のひとつを目の前に置く。
「こちらが特製ショコラかき氷になりまーす」
そして、テーブルを挟んだ反対側に座る男の目の前に、もうひとつを置く。
「ご注文は以上でよろしいでしょうかー?」
「はい、大丈夫ですー」
店員が遠ざかってから、瑠璃は目の前の男を見返す。
それは金糸の混ざった光沢のある茶色い髪に、黒曜石のごとき黒い瞳、日本人離れした整った風貌の――たったひとつ、眼力だけが尋常ではない人間の男が、ショコラかき氷を一心に見つめているのを見た。
「……これを作った奴は天才なのか……?」
「わかる」
瑠璃は同意した。
なにしろ、目の前にあるショコラかき氷は凍らせたチョコレートを削って作ったという代物なのだ。しかもかき氷自体もふわふわで、およそ普段思い浮かべるものとはまったく違った色合いをしている。チョコレート色のかき氷の上にはひんやりと冷たそうなバナナとチョコレートアイスが乗せられ、パフェのようにも見える。豪華だ。
「……小娘」
「なに?」
「……貴様もたまには役に立つではないか……」
「お、おう……ありがとう」
ブラッドガルドが直接的ではないにしろ褒めてくるなら相当だ。
とはいえチョコレートがらみなので普通に手放しで褒めているだけだろうが。
「あっ、ねえ食べる前に写真撮っていい?」
「好きにしろ」
端から見れば鋭い目で睨み付けているだけのようだが、だいぶ機嫌は良かった。
瑠璃はスマホを取り出して、目の前にあるかき氷にカメラを向ける。
赤いイチゴ味のシロップには、ジャムのように砕かれた本物のイチゴも混ぜられている。バニラアイスの上にちょこんとのせられたミントが色を添え、そして白玉が二個、隅にのせられている。
ショコラかき氷も一緒におさめて画像を確認する。
「よし、後でSNSに載せよう」
満足してスマホを横に置くと、代わりにスプーンを手にした。
その間ずっとチョコレートのかき氷を睨み付けていた(機嫌が良い)ブラッドガルドも、ようやく息を吐いた。
「氷を食うという行為だけでここまでのものを生み出すとは……」
「ほんと機嫌いいなあ」
最初にかき氷を食べに行くからちょっと人間になってくれと言った時は、微妙な反応しか返ってこなかった。
あまりに久々だったので、かえって新鮮だったくらいである。
とはいえ、新しいタイプのかき氷だと説明すると、ようやく重い腰をあげた。その変身は服を着替えるよりも早かったのだが。
「普通のはもっとシンプルなんだけどね」
普通の――というより、コンビニや出店で売っているものはほとんどが、削った氷にシロップをかけただけのものだ。
シロップもイチゴやらメロンやら名付けられてはいるが、実際はシロップに風味付けとそれらしい着色をしたものが大半。かき氷といえば長年そんなものであったし、今もおおかたはそうだろう。
そしてそんなシンプルなものが食べたいのなら、今はどこにでもある。
それこそカフェやかき氷の専門店でもだ。
しかしそのかき氷に目をつけた者たちが、ここ数年で進化を施した。
店によっては、かけるシロップや見た目はもちろん、氷からこだわる。どこそこの湧き水を使っているとか、どうやって凍らせたかだとか。
結果、目の前にあるかき氷は、スイーツの仲間入りを果たしたのである。
そろそろと氷の山の中にスプーンで割って入る。崩れそうな山をそっとかきわけ、ジャムのようなイチゴと一緒にすくいとった。
冷えたスプーンと一緒に、赤い果実が削り取られる。
柔らかく削られた氷はふわふわとした食感がして、まだ温かな口の中であっという間にとろけてしまった。
「ひゅめたい」
そしておいしい。
ブラッドガルドはというと――削られたショコラのかき氷をすくっては口に運ぶという行為を繰り返していた。無言で、無表情で、ただひたすら同じ行為を繰り返しているだけに見えるのだが、実際のところ表情は普段より和らいでいる。
うんうん、と瑠璃は頷いた。
「そっちにはある? かき氷」
「……氷を食う、という概念は存在するようだな」
ただし実際にそれをできるのはやはり一部の人間たちだけらしい。
冬の間に保存した氷を、夏の間に食べる。それはやはり贅沢なことなのだ。
具体的に人間がどうしていたのかはカインあたりに聞かねばわからないだろう。そのカインの国でも――というか、荒れ地の村でも――氷室はあったが、それを食べる余裕はなさそうだったと記憶する。
もっとも、寒い地域の魔物や魔人がそのまま食べるという話もあるが、そこはそれ、というように、都合のいいところは切り離しているのではないかと語った。
「でもさあ、魔法とかで凍らせられないの?」
「凍らせられるが、それを魔術師がやると思うか?」
「あー……そういう……」
そういえば魔術はほとんど魔術大国とやらが独占状態。最近は魔術師が冒険者になることで、ようやく小さめの魔術が一部に広がりつつある、という状況らしい。
であれば、やはりかき氷を食べられるのは一部の裕福な者だけということになりそうだ。
多くの国でそうだったように、氷を削って食べるという行為そのものが贅沢なところから始まっているのだ。
アイスクリームができるよりも前。古代ローマ時代に遡れば、かの皇帝ネロが冷たい飲み物を作るところからはじまっている。それは雪や氷にワインや蜂蜜を入れたものだったようだが、それらもまた原始的なかき氷と言えるのかもしれない。
氷を切り出して保存しておくという行為そのものも、文化が発展する比較的早い段階から様々な場所で、様々な方法でなされている。
「削った氷にシロップかけるって、平安時代からこんな風らしいよ」
「何年前だそれは」
「今から千年くらい前……?」
日本でも同じことだ。
平安時代といわれる時代はだいたい三百九十年ほど続くが、その中でも中期頃に活躍した女流作家、清少納言がはじめてかき氷に言及したと言われている。
瑠璃は一旦置いたスマホを再び手にした。
「その清少納言の代表作の『枕草子』は国語で必ず習うくらい有名なんだよ。春はあけぼの、ってやつ。春はこれがいいとかあれがいいとか書いてる随筆だね。そこに上品なもののひとつとして、かき氷……削った氷にあまづらをかけて、新しい金属製のお椀に入れたもの、ってあるよ」
「上品の類いなのかこれは」
「そうなんじゃない? 雪を食べてるようなものだし」
「あまづら、というのは?」
「当時の甘味料みたい。当時、どんな植物を使ったものを食べてたのかはわかってないみたいだけど……日本かき氷協会が前に再現したことがあって、そのときはアマチャヅルって植物を使って作ったみたいだね。ただ、これで現代でも再現可能だってことがわかったみたい」
画像検索でかき氷の画像を見せる。
定番のものも、イチゴやレモンだけじゃない。ちゃんとつぶあんが乗った宇治金時もあるし、抹茶やミルクだけのトッピングもある。
伊勢名物の赤福を入れたものも夏の定番と化している。
そんな和風だけでなく、最近ではチョコレートに代表されるような洋風かき氷もたくさん存在する。
「他にも和風洋風問わずに結構色んなかき氷が出てきてるし。昔みたいに砂糖だけかけるようなやつは消えちゃってるみたいだけど」
「そんなにか」
「意外にかき氷愛好家って多いんじゃない? そもそもかき氷協会があるくらいだし」
「言えている。選択肢が広いのは悪くないのではないか」
「どうだろ。選択肢が多いと人って選べなくなるっていうけど」
瑠璃が首を傾ぐと、ブラッドガルドのスプーンがぬっと伸びてきた。
と思った途端に、イチゴのかき氷に無造作にスプーンが入れられ、そのままかっ攫っていく。
「あっ。ちょっとー。食べるなら一言いえって毎回言ってるじゃんー」
「知らんな」
これは絶対わざとだ。
わかった上でやっているのだ。
瑠璃が同じようにスプーンを持った手を伸ばすと、ブラッドガルドは即座に目線だけを上げ、届かない場所へとグラスを移動させた。
「このやろう」
「貴様が同じことをするな」
「えー。じゃあ一口ちょーだい」
無言のまま無視するブラッドガルド。
「なんか言えよ!?」
「ところで、さっきの選択肢がどうの、とはどういうことだ」
その話じゃないだろと一瞬思ったが、瑠璃は考えてしまう。
「なんでだっけ。いろいろありすぎて何から手をつけていいかわかんなくなるんだったかな……。ほら、世の中に娯楽が野球かサッカーしか無かったらどちらか選ぶこともできるけど、今はそこにラグビーとテニスとスケートと他にも色々入った上に、ゲームとか小物作ったりとか色々あるわけで」
「もう全部やったらどうだ……」
「人間そこまで寿命長くないからね?」
加えて仕事や勉強もしていたら時間は圧倒的に足りない。
――とはいえ……。
目の前のブラッドガルドの寿命がどの程度なのかわからない。そのうえ、そもそも脇目も振らずにチョコレートを選ぶような人間……もとい魔人である。今のがそれほど意味のある話だったかと問われると謎だ。
「でも、話戻すけどさ。氷は氷ってだけで特別感あるよね。かき氷にもお酒をかけるとかあったんじゃなかったかなー。あとは確かフローズンカクテルっていう氷を使うお酒もあったはずだし」
その瞬間、ブラッドガルドはこれみよがしにため息をついた。
「……貴様なあ……、貴様……。何故貴様はもっと早く生まれていなかったのか……」
「……ブラッド君、意外にお酒も気にするよね……」
反応の良さは相変わらずチョコレートのほうがいいのだが。
しかし迷宮の奥地で延々と陣取っていたとは思えないほどではある。
――ブラッド君て、チョコレートリキュールの存在を知ったらどうなるんだろう……。
そう。昨今のかき氷には、大人向けと称した、リキュールやカクテルをかけたかき氷も存在する。その中には当然チョコレートリキュールを使うものもあるのだ。
確実に睨まれるか、それは別物としておいたほうがいいと講釈を垂れ出すか、どちらにしろ今は絶対に口にしないと決めた。
甘い水になりかけた最後の一口を食べ終わると、瑠璃は満足したように冷たい息を吐き出した。
七月二十五日のかき氷の日からは一ヶ月も過ぎてしまったが、いつ食べてもいいものはいいのだ。
体はすっかり冷えてしまったが、まだ暑いこの時期にはちょうどいい。
会計を済ませて外へ出ると、とたんに熱気が体に吹き付けてきた。冷え切った体には少々酷だ。
「うあー、外、相変わらず暑いなー」
瑠璃がげんなりして言うと、不意にブラッドガルドが瑠璃を見下ろした。
「……それでだ。次は何にするんだ」
「えっ。おやつなら今食べたじゃん」
「ほぼ水分だろうが」
「……水分……?」
物言いたげな瑠璃を無視し、その横を通り過ぎる。
それから振り返ると、親指で背後を示す。
「貴様が来る時に見つけた……あのタコヤキとかいうのでいい、行くぞ」
「普段引きこもってるくせにー。出てくると色々やりたがるの、ほんと何なんだよ?」
「水では腹は膨れんだろうが。それに、貴様にひと月も待たされたのだぞ、我は」
「ねぇそれ根に持ってたの? ウソでしょ?」
半分呆れつつ、その隣に追いついた。
こうなったら後で自分の買い物にも付き合わせよう、と思いつつ、その足でたこ焼き屋へと赴くのだった。
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