挿話19 それからとこれから(あるいは傍若無人さの成したもの)

 嵐というだけあって、あらゆるものが震えていた。

 しかしその嵐はただの嵐ではない。


 魔力嵐――迷宮を通じてシバルバーの魔力が流れ込み、地上の魔力と絡み合って嵐となっているのだ。これはもはや災害であり、脅威だ。百年前からの呪いであり、払うことの出来ない厄災だった。

 だが同時にそれはいつしか、追放の場ともなっていた。


 特に身分の低い者たちの中で、追放処分となった者だ。

 逃走奴隷、取るに足らない軽微な窃盗、許されないミスを犯した使用人、負けねばならない相手を殺してしまったグラディエーター。他にも貴族の気まぐれやら何やらだ。彼らの罪は、魔力嵐の中から戻ってこられれば許されることになっていた。

 だがそれは、二度と戻ってこられないことを意味している。

 とはいえ、運の悪い冒険者や旅人の類が、偶然迷い込んでしまうことのほうが問題視されない分悲惨といえた。それこそ本当に「運が悪かった」というだけで片付けられてしまうのだから。


 ともあれ、魔力嵐は取り返さねばならない場所でありながら、利用され続けていたのだ。

 そして今日も、その魔力嵐の中を行く一団があった。

 鬼のごとく屈強なオークが、その歩みを止めることなく進み続けていた。

 ぐったりとした女を背負い、腕には生きているのか死んでいるのかわからない子供を抱えている。

 一歩進むごとに、荒い息を吐き出す。その目は見開き血走って、額の血管は破れて血が噴き出した。いくらオークといえど魔力がある以上、影響を受けないはずがない。人と違うのは、多少体力があるかどうかだ。

 その後ろには仲間達――同時に追放された、という意味でだが――が、物言わぬ何かになって転がっていた。


 どさり、と隣を歩いていた人間の男が膝をついた。


「……おい!」

「……すまん、俺は……ここまで……だ」


 時を同じくして追放された者同士は、いかにして逃げ出すか、いかにして他人を犠牲にするかを考える。しかし一度魔力嵐に入ってしまえば、もはやそんなことは意味が無い。ただひたすら自分の内なる魔力の器を荒らされながら、血反吐を吐きながら進むしかない。そうなれば同情も抜け駆けも意味は無いのだ。ここはそういう場所なのだ。

 だがひとつだけ違ったのは、オークが女と主従の関係にあることだった。

 だからオークは女だけは反対側に送り届けようと思ったし、女が少しの間でも目をかけた子供も片腕に抱いた。

 ばたばたと倒れていく中で生き残ったもう一人の男を伴って、進んでいくしかなかった。


「……もう、目が……見えない、んだ……」


 男の目は虚ろで、瞬きすらしない。どこを見ているかも定かでなく、ありとあらゆる場所から魔力を放出している。


「……くそ。くそっ……、すまない……」


 ここで足を止めてしまっては、女を助けることも出来ない。

 叫び出したかった。何故こんなことになったのか、誰かにぶつけたかった。


 せめてもう少し。


 どうしてこんなことになったのか。

 いや、今はそんなことを考えている暇はない。


 その背はオークの亜人にしてはひどく小さくなって、魔力嵐の中に紛れた。







「やはり人手不足は否めませんね……」


 旧都にある建物の一つで、カインたちは頭を突き合せていた。

 会議室代わりに使っている建物で、昔はどこかの邸宅だったのではないかと思わせる。ひとまず使えそうな箇所を見繕って掃除をし、突貫工事で直して利用しているのだ。

 今いるのはグレックとコチル、そして他にも数名の「リーダー」たちだった。それぞれ清掃担当や農業開拓担当などに分かれたリーダーたちである。


「とはいえ、今はギリギリ確保できている人員で何とかするしかありませんね。まだ魔力嵐もそのままですから。欲を言えば、もう少し修復作業員に回したいところですが……」


 カインは手に持った白い紙を置いた。

 いわゆる現代のコピー紙だ。三日前に現代へと一旦帰った(とはさすがに言ってないが)瑠璃が、「独立祝い」として持ち込んだのだ。五百枚でいくらという安価のものだが、カインたちからすれば完全に贅沢感溢れる使い心地だった。とはいえそのカインは瑠璃から別に手渡された本型のノートを専用にしていたので、コピー紙のほうは惜しみなく投入したのだが。


「修理するにしても、だいぶガタが来てるけどな。ま、これじゃあ新たな王都を建設するなんて夢のまた夢だな」


 グレックが息を吐きながら言った。

 カイン以下の者たちは文字が使える者と使えない者がいたので、基本的な文字の習得も急務だった。しかし、今はそれよりも重大なことがある。どのリーダーも、文字なんかより自分のところに人員を回してもらえないだろうか――と思っていたのだ。


「……そういえば、ブラッドガルドが……何か言ってたな。城を作ってやるとかなんとか……」


 グレックが思い出したように言うと、途端に周囲がざわついた。


「……ああ、それですか……」

「やめたほうがいいよ!」


 声をあげたのは、カインの近くで座っていた瑠璃だった。


「ブラッド君てば、ウィンチェスター・ミステリー・ハウスのドキュメンタリーめっちゃ凝視してたから」

「と、いうことらしいのですが」

「おいなんだ、そのウィン……なんとかってのは」

「ウィンチェスター・ミステリー・ハウス。私のせか……国じゃ結構有名な幽霊屋敷でね」


 もとはアメリカに存在する幽霊屋敷で、霊障から逃れるために増築し続けられた屋敷のことだ。持ち主は、銃のビジネスで成功した人物の未亡人。夫が亡くなった後、霊媒師によって銃で殺された人々の霊が彼女を呪っていると言われ、助言に従って建設したのだ。屋敷は霊の目を欺くために、増築に増築を重ね、隠し通路やダミーの扉などがあちこちに作られた。部屋数も数多く存在する一風変わった屋敷だ。


「今はほぼ観光地化してるみたいだけど、今のブラッド君に任せたら絶対わけわかんない隠し部屋とかダミー扉とか作られるよ」


 それはそれで忍者屋敷みたいで楽しそうだけど……とは口が裂けても言わなかった。


「気付いたら建ってそうですけどね……」

「新しいダンジョンか何かかそれは……。土地を返したっていうのに何考えてんだろうな?」


 そのとき、不意に黙っていたコチルが口を開いた。


「……奴隷を……」

「えっ」


 全員が驚き、視線が集まる。


「魔力嵐、おさまったら。奴隷を雇うのは、どうなんだ」

「えっと、それは……」

「……虐げられてる奴。たくさんいる」

「……ああ、なるほど」


 雇うことで救いたいのだ、というのは想像がついた。

 しかし、カインは渋い顔をした。


「……気持ちはわかりますが、奴隷にもいろいろ問題がありますからね……」


 そう言って、小さくため息をつく。


「問題って?」

「虐げられている、という事にも絡むのですが……、最近、奴隷を粗雑に扱う貴族や商人が増えているらしくて」


 ファンタジーによくある奴隷事情かと思いかけたが、どうもそうではないらしい。

 そもそも何らかの力によって翻訳されているのでそう聞こえているのだが、カインの話によると、奴隷というのはもともと労働者全般を表わす言葉らしい。今でこそ職人や使用人と区別されているが、本来は雇用主の財産であり、食事や結婚まで含めて面倒を見るものだった。

 次第に得意分野や専門性が出来、財としての価値が上がると、高値で取引できるようになった。他にも雇い主の後ろ盾を得たり、自分を買い取って専門職として独立したことで職人となっていったのだという。


「今はギルドや職人の徒弟制度があるので、ある程度自由も効きます。奴隷という言葉も身分の低い使用人や闘技場の闘士だけを指すようになりました」

「へえ……」


 初めて知った、というようなどよめきが起こる。


「しかし、次第に成金貴族や裕福な一般人が正しい扱い方を知らぬまま雇って、軽率に扱ったり、安く売り飛ばすことが増えました。結果、奴隷の質が落ちる事になります」

「でも、見た目がいい奴は高く売れたりするんだろう?」

「ええ。盗賊などにとっては手頃な小遣い稼ぎでしょう。しかしそれとは別に、本来は教養の高い使用人を詐欺まがいに買いたたいて身分の低い所に落としたり、能力のある奴隷が取るに足らない者として扱われると、結果的に全体の質が下がります。問題視する貴族もいますけど……積極的に関わることはないようですね」

「ブラック雇用か何かなの……?」


 思わず言ってしまう瑠璃。


「ブラック……? ともあれ、何が言いたいかというとですね。安く人を雇っても、ボロボロでは話になりません。食事や衛生は結局こちらの負担になります。こちらがちゃんとした扱いをできるようにならなければ、人としても育ちませんから」

「……」

「しかし今は無理でも、いずれは必要なことになるはずです。奴隷を雇う、という事も視野に入れてもいいと思います」

「そうか……」


 部屋に沈黙が降りた時、不意に瑠璃の腕の影から何かが飛び出した。

 それは肉の塊に細い蜘蛛のような手足がついたもので、ぱっちりとした一つ目だけがついている代物だ。


「えっ。カメラアイ? どしたの」

「うえっ。そいつは確か……」

「公の使い魔ですよね?」


 カメラアイはじーっと壁のほうを向いた。目から発せられた光の向こうに、外の景色が見えている。


『う、うおおーっ! すげー! カインが映ってル!』

「えっ。これもしかして……、向こうと繋がってます!?」

「なんで急に? いやでも偉いから後でこんぺいとうをあげよう」


 瑠璃はカメラアイの頭を指先でぷにぷにと撫でる。

 多分コンペイトウが要因じゃないかとカインは思ったが、今は突っ込まないでおいた。


「なんかあったの? どっちにしろカメラアイの気まぐれが終わらないうちに言ったほうがいいよ」

『えっ。何それ!? いやまあそれなんだけどサ! 魔力嵐の中から遭難者が出たんだヨ! それも三人!』

「三人!?」

『ねえこれホントに繋がってる!? すごいネ!? 何匹か欲しいくらいなんだケド!』


 叫ぶココを尻目にカインが地図を取り出すと、全員が覗き込んだ。


「ココさん! 今そちらの場所は!?」

『えっ? えーと……あれって黒い三角だっけ?』

『いや違うぞココ、あれは白い塔だからここは3のB地点だ』


 地図はチェスの盤上のように線が入っていて、かちあった地点がわかるようになっている。最初は塔などの古い建物を目印としていたが、目印に加えてこのほうが覚えやすい、という他の者たちからの要望があったのだ。


「……しかし、一気に三人か……」

「多くないか? 奴隷の追放だってそんなに生き残る事は多くない」

「多分、なにがしかの理由で一斉に追放処分になったのでしょうけど……? いえ、そんなことはいいですね。ひとまず助かった人々の手当と事情聴取を。比較的近い地点ですし、状況によっては話も聞いてみたいところですね」

『はいヨー。おまかせ!』


 画面からココが消えた。

 カメラアイはそのまま違う風景を映していたが、瑠璃が手で持って移動するとようやく映像が切れた。

 それから数時間もすると、旧都に三人の生き残りが運び込まれたという一報が入った。


 女と子供は消耗が激しいということで、別室に運び込まれた。残りの一人であるオークの亜人もまったく動けずにいたが、意識ははっきりしているということで、カインが面会を望んだのだ。

 オークにしてはすっかりぼんやりとしていたが、もはや抵抗しても無駄だと悟っているのか、大人しいものだった。

 とはいえ相手は亜人。カインの周囲には厳重ともいえる警護がついた。


「どうも。僕はここの責任者で、カインと申します」


 オークが胡乱な目で見返す。


「おそらく亜人の方ですよね。喋れますか?」

「……女が……いただろう。あの方は、どうした」

「あの女性と子供は消耗が酷かったので、今は別室で手当をしています。魔力嵐を抜けてきた以上、命の保証はできかねますが……、悪いようにはしません。魔力嵐を抜けてきたという意味でなら、僕らもほとんどが経験者ですからね」

「……なに? それじゃあここは……」

「その前に、なぜ魔力嵐の中を? 見たところ、旅人には見えません」


 カインが先制すると、オークは眉間に皺を寄せた。


「……いや、それがよくわからんのだ」


 オークは眉間に皺を寄せた。

 つっかえながら彼が語ったところによると、女性はグライフ公国の近くに住む少数民族らしかった。魔女や呪術師と呼ばれる人々で構成されていて、民族としては消滅傾向にあった。

 そんな中でオークは奴隷亜人として買われ、村で力仕事などを任されていたらしい。民族そのものもマイノリティなこともあり、それほど種族間にも抵抗はなかったようだ。特にこれまでは近隣の国からも何か言われたことはないが、最近になって唐突に――特に魔術を扱える女性が捕まることが多くなった。

 多くの場合は釈放されるが、その理由もよくわからない。同時に、よくわからない理由で追放処分にもなっていた。捕まえた以上何かしらしないといけない、ということなのか、ともかく女性は追放処分になってしまった。

 オークもそのままともに捕まってしまって、なんとか処分にくっついていけたということらしかった。


「同じように捕まった女の魔術師はたくさんいる……、ばらばらにされてしまったが……」

「……つまり、魔女、とされる者を捕縛していると?」

「ああ、そうだ。今までは国に入らなければ見逃されていたような小さな罪でも、捕縛されて何らかの調査を受けてる。それから……まあ、あとはばらばらだ」


 カインは眉を顰めた。


 ――そうか、宵闇の魔女……。


 それがまだ解決していなかった。

 おそらく他国は宵闇の魔女捜しに夢中になっているのだ。そのため、どんな「魔女」でも見逃さずに目を皿にしているに違いない。

 とはいえ。


 ――そもそも、宵闇の魔女は存在しているのか……?


 あえて言うなら瑠璃だろうが、特徴として聞かされたイメージとまったく違う。


 ――……ブラッドガルドに直接尋ねるしかないな……。


 バカにされそうだと思いながらも、それしか道は無かった。


「しかしここは……どこなんだ。そろそろ教えてくれてもいいだろう」


 オークが声をあげた。


「必要なら、お前の奴隷になってもいい。隷従を誓おう。同じように引き連れてるみたいだしな」


 その視線が、カインの後ろのコチルへと向かう。


「え? ……ああ、コチルさんは奴隷ではないですよ。彼女は王宮騎士団の分隊長なので」

「……は?」

「人がいなかっただけ。私でなくてもよかった」


 よく見れば、コチルと呼ばれた亜人の格好はどことなく洗練された鎧に身を包んでいる。


「まあいいでしょう。いずれ知れることですし。この国はですね……」


 そう言いかけた時、全員がぞくりとした感覚を味わった。

 ヴァルカニアの者たちが一度は味わったその感触を、オークは初めて受けた。しかし、説明されなくてもその恐怖はベッドの下から伝わってくる。得体の知れないものが近づいてくる。

 それは比較的明るい旧都に闇をもたらしながら、影の中を移動してくる。

 誰もがその名を恐れ、誰もがその存在を恐れる。


「……あ、あ……まさか……まさかここは……?」

「落ち着いて。彼は客人です。何もしませんよ」

「馬鹿な、そんな……あ、あの気配は……あ……」


 ずるりとその影が部屋に入りこんできた時、叫び声すら出なかった。

 誰もが道を譲り、カインは振り返った。相変わらず冷や汗の出るような気配だったが、つとめて冷静に彼の姿を見た。


「いかがなされましたか、ブラッドガルド公」

「……なんだ、小娘はおらんのか……。……せっかくいいものを見せてやろうとしたのに……」


 その声を最後に、オークの意識は途切れた。







 その数時間後、瑠璃はその都市を前に叫んだ。


「何このウィンチェスター・ミステリー・キャッスル!!?」 

「最高傑作だ」


 隣に並んだブラッドガルドが自画自賛する。

 ダミーの通路にダミーの扉、そしてわけのわからない道が並ぶ都市は、まさにミステリー・キャッスルと言っていい。

 使われていなかった一つの古い街が潰され、代わりに一つの新たな都市ができあがっていたときは誰もが絶句した。


「他人の土地にマイクラ感覚で城を作るなよ!?」

「そう言うな。あの時計台なぞ我ながら見事だろう」

「それはウィンチェスターじゃなくてウェストミンスターじゃない!? っていうか作りたかっただけだろ絶対!!」

「あとはボスを配置するだけなんだが」

「ダンジョンにしないで!!」


 だが、瑠璃を含めた全員がブラッドガルドから目を離してしまった以上、何かが起こっても仕方なかったのだ。


「おいどうすんだアレ」


 半分死んだような目でグレックが尋ねる。


「とりあえず全員の地図に追加するよう通達して、後は下水処理がどうなってるか尋ねたいところですね……」

「……強くなったなお前……」


 そんなところで成長を感じられたくなかったとカインはほんの少し思った。

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