荒れ地に行こう(13)
「あの小娘にしては考えたものだが」
ブラッドガルドは片手を空中へと差し出す。
その指先に、下に見えている「駒」がおさまった。
「やることは変わらんな」
「な……」
まるで小さな人間の駒をつまんだようだ――そう思った瞬間、持ち上げた指先とともに下にいる「駒」がひとりでに浮き上がった。宙に浮かぶ「駒」から悲鳴があがる。
「た、た、たすけ……」
周囲からどよめきがあがる。途端に今までと違った緊張感に包まれた。
――これは……。
ブラッドガルドの指先が、いとも簡単に駒を潰すのを幻視する。この魔物はそれが可能なのだと真っ先に頭で理解する。
カインは一瞬、言葉を失っていたが、なんとか自分を押し殺した。気が付かれないように大きく深呼吸をしてから、口を開く。
「……公は、口での指示は必要なさそうですね」
「そうだな」
ブラッドガルドはなんてことの無いように、指を下ろした。
下では指先でつままれた駒ががくがくと震えていた。
「大丈夫! 何をしたらルール違反になるかは、公も理解しているはずですからね!」
カインはつとめて冷静に声をかけた。
それから、なんてことのないように振り返る。
「……では、始めましょうか?」
ブラッドガルドは何も言わず、ただ愉快そうに目を細めた。
怯えながら、メイドが白と黒に塗られた石を持ってきた。カインはそれを見えないように拳の中へ隠し、ブラッドガルドへと差し出した。無言のまま指先が片方を指すと、拳を開く。白い石が鎮座し、先攻は決まった。
「では、始めます! 先攻はブラッドガルド公です!」
「おっけーー!」
瑠璃の声が響き渡ると、カインはようやく一息ついた。
ブラッドガルドの指先が動き、小さな悲鳴とともにナイトが前へ進軍させられる。
続けてカインが指示の声を出すと、同じくナイトが戸惑いと緊張とを表情に乗せ、ポーンたちの前へ進軍した。
続けざまにブラッドガルドがEマスのポーンを中央へと動かすと、カインもそれに習う。中央で向かい合った形のポーンが、緊張感とともに武器を構えていた。
ブラッドガルドの指先がDのポーンを動かす。先程動いたポーンの隣へと並び立つ形だ。
カインはDのポーンを取る以外の行動ができない――しかしそれはこの始まりにおいて定石に組み込まれたものだ。二人の視線が一瞬交わった。
カインは迷わず指示を出し、D4の白を取った。
指示を受けたポーンがマスにたどり着くと、槍を構える。ゲーム上では決まりきった勝敗であるが、お互いの槍を何度か受け、かち合い、演舞を見せてからポーンが退いた。
「……なんの真似だ、あれは」
「『演舞やろ!』、という一言で」
「……ああ……」
大体それですべて察したらしい。
しかし、どれほど飾り立ててもり立てようが、やることは変わらない。盤上の中央支配を進めるための戦いは既に始まっている。
演舞は二人よりも、ゲームを見守る周囲の人間の緊張感を削ぐほうに機能していった。周囲の人間たちが盛り上がるなか、次第に二人の目の真剣味のほうが増していく。なにしろ演舞が起きるということは、どちらかの駒が取られたということなのだから。
互いの出方を見ながら先を読み、駒を進める。きっとこちらへ来るだろうと思った手は裏切られ、かと思えば思いも寄らぬ場所を見つけて攻勢に転じることもあった。
互いが互いの思考を読みながら、それを裏切ろうと盤上をにらみ合う。
キングを動かしたあと、カインは小さく呟いた。
「……僕は……恐ろしい」
ブラッドガルドの目が隣のカインをとらえた。
駒を進めたあとに、目線が戻る。
「何がだ」
「……昨日まで、グレックさんやココさんだった人々を……いつか、いつか……ただの歩兵や騎士として扱わねばならない時が……来るのが」
カインは盤上を見ながら小さく呟いた。
聞こえてくる歓声は、ただ現状を楽しんでいるようにも見える。
「彼女は……それをどこかで……わかっていたのでしょうか? わかっていて、このやり方にしたのでしょうか」
ポーンである鎧の人間は、誰がどこにいるのかわからない。今の人数くらいならばわかるが、これが数十人、数百人に膨れ上がったとき、覚えていられるかどうか。
そしてそれは、否が応でも戦を想像させた。
確かにチェスは王を中心とした軍になぞらえたゲーム。規模がどうあれ遊びの一環だ。しかしそれでも――人間が行っているからか――どうしても戦を思い起こさせてしまう。
カインは小さくフェンスを握りしめた。
「貴様はバカなのか?」
「……は」
あまりの唐突さに、カインは目を丸くしてブラッドガルドを見上げた。
「あれはそんな殊勝なことは考えておらんだろうよ」
ブラッドガルドの指先が空中を彷徨い、持ち上げられたナイトが動く。
ナイトの駒であるココはそれにまだ慣れないのか、持ち上げられている間、足をばたつかせていた。
「あれが面白いと思った事が、結果的に貴様にとってそうだったというだけだ」
指先が地面に置かれると、ココはふーっと息を吐きながら汗を拭う。
「どうせ人間チェスなら派手だからいいとか、当事者意識が芽生えるとか、バカのような理由だろう」
「よ……よくわかりますね……」
バカは言い過ぎだろうと思ったが、完全に瑠璃の思考を読んでいる。
だから、きっと瑠璃の本音についても当たっているのだと思った。
「そういうものだ、あれは。だから我が魔力にも平気で名なぞ付ける」
その言葉には、何か含みのようなものがあった。
名付けるという事に何か意味でもあるのか――そう思ったが、尋ねる前に、ブラッドガルドは再び口を開いた。
「だがまあ、貴様の予行演習としては最適だったようだな」
ぎくりとしたように、カインの思考はその言葉に引きずられる。
「相手が誰であれ、いつかその時が来る」
不可視の指に操られた駒。その駒を操る手の主は、きっとブラッドガルドではない。そんな時がきっとくる。
動けなくなったポーンがお互いににらみ合うのが見える。だが、その表情はどこかホッとしている。ルール上、自分たちが動く時間ではないと知っているからだ。けれど本物の戦場になればそれは違う。
お互いに武器を向け、演舞ではない戦いで、どちらかが倒れるまでそれは続く。
「……はい」
指示を出した駒が動くのを見ながら、カインは呟いた。
「でも僕は、兜の中身がちゃんと一個人のヒトであると忘れないでいたい」
ブラッドガルドは鼻を鳴らした。
「……つまらん奴だ。貴様とて、今はあの小娘の駒のようなものだというのに」
「でしょうね」
カインはさらりと流すと、指示を出した駒がブラッドガルドの駒と打ち合うのを眺めた。
「でもあなたはきっと、彼女からの挑戦でなければ受けてくれなかった」
二人の実力がどの程度なのか、誰にもわからなかった。ただひたすら動かされる駒に翻弄されつつも、同じマスへと動くたびに行われる演舞を楽しんでいた。中にはおそらくこのゲームが何を賭けていたのか忘れかけた者もいたのだろう。演舞のたびにあがる拍手や歓声は、それを忘れさせてくれた。
最初期に取られて横にはけた「駒」もそれに参加し、祭りのような空気さえ漂う。
瑠璃もその中の一人だった。
「あなたは――彼女をどう見ているのです?」
「ふん。あんなものは猫のようなものだ。勝手にやって来ては自由気ままに歩き回る」
カインはその言葉を聞きながら、瑠璃もきっと同じ事を言うに違いないと思った。
そしてそれを最後に、この先の展開を考えることに集中した。
終わりが見えたような気がする。
チェスは先攻が有利だというが、そんなものは知ったことではない。有利だろうがなんだろうが、ここで勝たなければならないのだ。相手の王を捕捉するために、どの位置に駒を動かせば最適か、未来を予測する。
脂汗が流れ、張り詰めた糸は触れれば切れてしまいそうだ。
立ち止まって動かないままの駒の位置を見ながら、今動くことのできる駒をシミュレートする。
どんな奇策で立ち向かえばいいのか。何か無いのかと頭を動かすが、さすがにそこまでチェスに長けているわけでもない。
だがここで負ければ二度とチャンスは無い。
勝たなければ何の意味もないのだ。
眉間に皺を寄せ、手に握った汗を拭くことも忘れ、フェンスを握る。
女神にすら祈りかけたそのとき、下にいるコチルの瞳が、自分を見ているのに気付いた。そのとたん、祈りの言葉は言葉にならぬまま消え去った。皆、チェスの行方を気にしながらも、上にいる自分を見ている。
――……いや……。
深呼吸をすると、もう一度盤面を見た。
――僕がここに立っているのは、女神のためじゃない!
教会でもなく、自らに課せられた血脈という枷でもなく。
カインは指示を出し、まっすぐに攻めることを選択した。
後は思い通りにいくかどうかだ。
ブラッドガルドもキングを逃がすが、道筋を考えてそれを追う。
指示を飛ばし、駒を取られながらも逃げ道を無くしていく。
――そこだ!
相手のキングを追い詰めたとき、ブラッドガルドは動かしかけた手を止めた。
「……おい。貴様の駒を動かせ」
「え?」
「投了だ。チェックメイトはくれてやる」
その言葉の意味に気が付くと、何か熱いものがこみあげてきた。
「……あ……」
声が震える。
気を取り直すように唾を飲み込み、一度視線を落とした顔をあげる。
「……チェックメイト!」
声とともに指示を出す。
本来、やる必要の無い指示だ。
だが、ここにいる者たちにはっきりと示さねばならない。
全ての駒が目を丸くしてお互いを見あった。そして何か熱に浮かされるように、指示された駒が一歩を踏み出し、やがて意を決したように走り出した。互いの剣を突き合せる。凜とした音が、キングを中心に円を描きながら響いた。
誰もが黙り込んでいた。
皆がルールに疎くても、ひとつだけはっきりと把握していたことがある。
どちらかのキングを倒せば、勝ち。
一瞬誰もが黙り込んだあと――大地を揺るがすような雄叫びがあがった。
カインはぐったりと下を見た。
今のはなんだ、勝ったのか、本当にやったのかと聞こえてくる中、見上げた瑠璃と目があった。
瑠璃はにっこり笑って両手を大きく振ったあと、嬉しそうに親指を立てた。カインもはにかみながら親指を立ててみせた。
わあわあと窓の下に人が集まってくる。
「……あ……、今からそっちへ行きますので!」
カインは慌ててそう言うと、部屋の中へ振り返った。
ブラッドガルドはその慌ただしい様子を目で追ってから、自身もきびすを返した。
「うわっ!」
しばらくしてカインが外へと到着すると、勢いよくもみくちゃにされた。あっという間にラグビーかと思うくらいに姿が見えなくなるのを、瑠璃は離れたところから見ていた。
さすがにあの中に突っ込んでいく勇気は無い。
気が抜けたのは瑠璃も同じなのだ。
「ん。あれっ。そういえばブラッド君は……」
「おい」
がしり、と瑠璃の頭が後ろから掴まれる。
「うわっ、びっくりした!? いつからいたの!?」
見上げたが、返答は無かった。
だが頭を掴んだ指先が少しずつ負荷をかけているのか、瑠璃の顔が渋くなる。
「いやホントになんなの!? 縮むからやめてくんない!?」
「言いたいことは山ほどあるな」
「なんかあったっけ?」
「とぼけるな、貴様の入れ知恵なのはわかっている。であれば――語ってもらうからな」
「えっ、そっち?」
「しかも我が魔力に勝手に名前まで付けおって」
「ダメなのそれ!?」
呆れきった目で見下ろしたあと、ブラッドガルドはようやく瑠璃の頭から手を離した。一度だけため息をつき、視線を村人たちのほうへと向ける。
「まったく貴様という奴は……あんなもので我が領土を奪おうなどと」
「私はなんもしてないよー。カイン君がやろうとしたことを手伝っただけ、みたいな?」
瑠璃はもみくちゃにされているカインを見ながらにまにまと笑う。
おそらく、しばらくは離してくれないだろう。
「あ、ねえそうだブラッド君。ちょっと頼みたいことがあるんだけど」
「厭だ」
「聞く前から拒否するなよ!?」
「どうせ碌な事ではないだろう」
「そんなことはないよ!?」
「厭だ」
「ブラッド君――」
突如真面目な空気を纏う瑠璃。
「さっきのプリン……、プディングだけど、なんで味違いなんてものが成立するのか、わかってないな?」
ブラッドガルドの動きがぴくりと止まる。
「……そうだよ、ブラッド君。はっきりいうけど、入れないはずがないんだよ。こっちでは手に入らないけど、私の国なら手に入るあれが」
「……貴様……」
眉間に皺を寄せるブラッドガルドは、やや不機嫌そうに見える。
「でもブラッド君が私の頼みを聞いてくれないと取り寄せることすらできない……」
「……貴様、何が望みだ」
「やってくれるんだね!?」
言質は取ったとばかりの瑠璃に、ブラッドガルドはますます不機嫌に眉を顰めた。
「まあ、私が一ヶ月くらい行方不明になってたのをどうやってごまかそうかっていう算段なんだけど」
「なんだそれは。何か問題でもあるのか」
「問題大アリだよ!! あっちじゃ人ひとり急にいなくなったら普通に大騒ぎだからね!? どうやって答えろって言うんだよ!! さすがに家出してましたも無理がある!!」
ローブを掴んでがくがくと揺らす瑠璃に、ブラッドガルドは今日何度目かの呆れを通り越した目をした。
「……つまり、貴様がいなくなっていた事実を認識できないようにすればいいのだろう」
「何それどんなチート?」
「不正行為(チート)ではない」
そこはざっくりと言うブラッドガルド。
「貴様の世界でも、貴様と違って魔力を持っている者たちが多いのだ、何とかなるだろう。貴様と違って」
「なんかナチュラルに私バカにされてない?」
「気のせいだ。……人ひとりいなくなった程度で騒ぐことか?」
「最近はそのへん厳しいからね。行方不明になった人の年金貰ってたのとか、発覚してからちゃんと確かめるようになったし……」
「何を言っているのかさっぱりわからんのだが」
「とにかく、私の世界じゃ一人いなくなるって大変なんだよ。それが知ってる人や大事な家族だったりしてみなよ。心配だし、戻ってきても理由が意味不明とか、ねえ?」
「面倒だな。管理でもしてるのか」
「当然だよー。ちゃんと戸籍があるのは基本だし、いなくなったとなれば警察も動くし……。それこそ大騒ぎで……。……」
――『……なんで?』
――『みんな絶対おかしいよ……、なんでみんな……』
――『――君がいなくなってたこと、覚えてないの……!?』
唐突に沸き起こった何かに、瑠璃は動きを止める。
「なんだ。どうし……」
ブラッドガルドですら、すべて尋ねる前に口を噤んだ。
赤黒い瞳の奥底に魔力が宿り、瑠璃の中でかすかに蠢いたものを捉える。瑠璃という魔力の器の無いもののなかで、かすかに響いた小さな音。記憶の回廊での呼びかけに応じて、内側から開けられそうになった扉が――微かにさせた、鍵の音。閉ざされたままの扉は、それ以上の反応は無かった。
そしてその扉は、今はまだ瑠璃に何ももたらさなかったらしい。
瑠璃の瞳に光が戻ってくると、逆に瑠璃を見下ろしているブラッドガルドを見て不思議そうな顔をした。
「……ん? 何の話だっけ?」
「……いや。行方不明者が出ると面倒だ、というところまではわかった」
ブラッドガルドがそう答えると、カインの声がした。
二人が見ると、ようやく人の波から解放されたカインが走ってくるのが見えたのだった。
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