荒れ地に行こう(12)
魔がやってくる。
それは、夕暮れの終わりとともに帳を下ろした。
夜が来るよりも早く、影はあらゆるものを包み込む。
染みのように地を這い、ヒトの心にも暗いものを落とす。
すべての生き物は身を潜め、声を潜め、じっと耐えた。
影の時間がただ過ぎ去ることを願って。
カインは意を決したように目を開ける。
王の血を受け継いだ髪の下から、しっかりと影を見据えた。
「改めてようこそおいでくださいました。最古の迷宮の主にして王――ブラッドガルド公」
ブラッドガルドは一週間前と変わらぬ姿でそこに立っていた。
「……御託はいい」
ブラッドガルドがぎろりと目を動かすと、あたりの者たちは縮み上がった。
カインもごくりと息を呑んだが、すぐさまに気を取り直す。
「そうおっしゃると思いました。まずはささやかながらお食事を用意致しました。どうぞ此方へ」
そう言うと、旧都の城の中を案内するように歩き出した。
その二人の後ろ姿を、メイドの衣装に身を包んだ女たちがこわごわと見送った。
*
その数時間前のこと――。
瑠璃は村人たちの前に立っていた。
旧都の王城前に集まったのは、村に残った数名以外のほとんどだった。旧都の広さに比べればなんてことない人数で、広場にはまだずいぶんと余裕がある。
「はいじゃあこの一週間お疲れ様でした!」
瑠璃は笑顔で言ったが、ずらりと並んだ村人たちは緊張感が取り切れていなかった。
そもそもが怒濤の勢いで事が進んでいるだけに、それについていけてない者も多いのだ。ひとまず理解できているのは、勝てばこの国がカインのものに――加えて、正式に自分たちのものになる、ということだけ。負けたらどうなるのかを正確に理解出来ている者は少ないが、相手がブラッドガルドである以上、碌な事にならない――という意識だけはあるようだ。
そのブラッドガルドがやってきた日のことは、昨日のことのようでもあり、ずっと昔のことのようでもあった。
「とりあえずリラックスしていこ!!」
「なんでお前はそう脳天気なんだ?」
声をあげたのはグレックだった。古い鎧を着込み、槍に体重を預ける形で見ている。
「ルリは抜けすぎだと思うけどネ」
「ひどい! なんで!?」
ようやくそこで小さく笑い声があがった。
「はい、じゃあカイン君からも一言あるのでどーぞ!」
「えっ」
瑠璃は拳を突き出し、マイクを渡す仕草をした。
カインも含めて誰もその仕草の真意を理解していなかったが、拳を突き出すその仕草は、何かを引き継ぐ力強い仕草だと思ったに違いない。
カインが前に出ると、ざわざわとしていた村人が黙った。
「……皆さん。改めて……今まで黙っていて申し訳ありませんでした」
あたりはしんと静まりかえったままだ。
「……そして、僕を受け入れてくれてありがとうございました」
カインはそっと目を伏せる。
「過去の無いこの村の中で、僕は誰でもない一人になれた。それは、今までヴァルカニアの末裔という存在に縛られた僕にとって、すごく気楽な時間でした。もちろん、戻らないといけない時間もあったのだけど――。真っ正面から土いじりが下手だとか、木刀作りのほうが向いてるとか、教え方がいいとか、ここがダメだとか――そういうことをちゃんとあなたがたは言ってくれた」
息を吸い、前を向く。
「まだ僕を受け入れられない人もいるかもしれない。戸惑っている方もいるかもしれない。でも、僕は、それでも――」
その目はしっかりと前を向いている。
「僕は、僕の持ちうる最初で最後の切り札を、あなた方とともに使いたいと思った。
この切り札は、二度目はないほど対等な舞台で使われます。この国を正式に僕らのものにするために――……勝ちましょう!」
一拍おいて、拍手があがった。やがて声があがり、その波が広がる。
もう後は無い。ここまで来てしまったら、やるしかない。ただ、自分たちの代でその役目が回ってきただけなのだ。
カインはもう一度頭を下げた。
その歓声の中で、ティキは近くに立っていたコチルを見上げた。
「なあ、コチル! やっぱ俺も……」
「お前はダメ」
「なんでだよ!」
「武器、振り回すの。下手だから」
「下手!?」
ティキはごく普通にショックを受けていた。
「ほら。所定の位置につく」
「ええー……」
ティキはコチルに促され、いやいやながら割り振られた担当のところへと歩き出す。ティキはまだぶーぶーと言っていたが、その背を見ながらコチルは呟いた。
「……お前は。何かあっても、ここを出て行ける」
コチルは守るべき次世代を送り出し、きびすを返した。
他の場所では、瑠璃がメイドと執事担当の人々に声を掛けていた。
「じゃー、こっちもよろしく!」
今まで着たこともない――あるいはしばらく着ていなかった――正規の服は、少しタイプが古いが仕方無い。ただし瑠璃には区別がつかなかったので、特にそれに関して何か言うこともなかった。それも良かったに違いない。
着ているものについて何か言われるのではないか――という村人の不安はとっくに払拭されていた。
「任せな! 若い頃はこれでも貴族様に仕えてたんだよ」
「アンタは厨房の下にいた奴隷だったろ。メイドやってたのはアタシだよ!」
使用人にしてはどこか肝が据わった者ばかりなのは、必然的にブラッドガルドに近い位置に立つことになるからだ。
「んむ。それじゃ、私も行くかなー」
ひとまず激励を終えた瑠璃は、そのまま旧都の王城内へと入っていった。その途中、するりと瑠璃の影から蛇の形が伸びて、瑠璃を見ながらあぎとを開く。
「おー。ヨナル君。きみもよろしくね」
その体を軽く撫でても、表情は変わらない。
だが、撫でられるに任せていた。
「私が部屋に入って、合図したらブラッド君呼んでくれるかな」
ヨナル――そう名付けられた影蛇は、言葉を理解しているように軽く頭を上下させた。頷いたようなその仕草に、瑠璃は歯を見せて笑う。
そうして、瑠璃は王城のとある部屋へと進んだのだ。瑠璃が部屋に近づくにつれて、すれ違う人々はその姿を目で追った。時計が読めずとも、その歩みが、その足音が、否が応でもその時が近づくことを示している。
祈るような人々をすり抜けて、瑠璃は部屋の扉を開け放した。
カインと数名の「近衛騎士」の目が、瑠璃へと向けられる。緊張を隠しきれない面持ちで立っている彼らの目の前で、瑠璃は宣言した。
「よし。呼ぼう!」
カインは頷き、かくして、夜は訪れたのだ。
*
食事会は比較的穏やかに進んだ。
それが異様な光景として人々の目に映ったのは、その席についている二人のせいだろう。
まだ頼りなささえ見える青年と、影を纏う人型の魔物。
この場には、どちらも普段ならいるはずのない人物だ。だがいるはずがないからこそ、どちらもそれを当然のこととして受け入れる。
「それではそろそろ、デザートをご紹介しましょう」
「ああ……目玉だったな」
どこか空虚な言葉だった。
ブラッドガルドが言うと違う意味に聞こえそうだが、誰もそれを指摘しない。
「蒸しプディングなるものです」
ブラッドガルドの目が細くなり、瞳の奥に何かが宿った。
カインはそれを見逃さなかった。
「プディングとはもともと、船上で作られる料理だったそうです。船旅はいまだ危険が伴うものですから、どんな食材も無駄にできません。地上では捨ててしまうような食材でも、卵液と一緒に蒸して作ったのがプディングの始まりだそうです」
「……それで?」
ブラッドガルドが続きを促す。
「この村でも似たような料理がありましてね。ここは船上ではありませんが、かつてこの村から脱出を夢見た人々が、食材を無駄にしないように作り上げたそうです。
この村が魔力嵐によって封鎖された頃は、まだここで住むというより、脱出を考えていた時期だったようですから。状況は違いますが、考えたことは同じだったのでしょう。
それが今まで残っていたのです。
今ではここで食料を作っていますから、料理の一つになっています。普段は卵液に野菜や肉を混ぜた卵蒸しにしています」
「……」
「船上で作られたプディングは、やがて陸上でも作られるようになると――次第に中の食材を減らしていったそうです。要は引き算ですね。面白いことに、そうして最終的に作られたのは砂糖を入れたデザートだったそうです。
それをヒントにしたデザートが、今回の蒸しプディングです」
その言葉を合図に、メイドたちが蒸しプディングの入った器をそれぞれの前へと出した。器には黄白色の柔らかな塊が乗せられていた。
プディングには上からも蜂蜜がたっぷりとかけられ、ミントが添えられている。
ブラッドガルドはそれをしばらく眺めたあと、スプーンを手にした。なんの疑いもなく――する必要も無いのだ――形を崩しながら、スプーンの上に淡い黄白色の塊が乗せられる。
カインも試食をしたが、普段食事として食べているものがここまで変わるのかと驚いた。柔らかく甘い蒸し卵はデザートとして上出来だった。普段の蒸し卵に比べればどことなく変な感じもしたものの、ここまで蜂蜜を使うのは贅沢以外のなにものでもない。
そして、スプーンに乗った黄白色がその口の中へと消えていった。すぐさまに二口、三口と消えていくプディング。
カインは微笑みながらも、内心は緊張感を隠せずにいた。
――瑠璃さんの言っていたことは本当だったのか……。
頭の中に瑠璃の笑顔が蘇る。
――『ブラッド君は知らない事にめっちゃ興味示すから、とりあえずプリンの説明だけしとけばこっちのものだよ~』
こっちのものかはともかく、意識を惹きつけることには成功したようだ。
プディングなのかプリンなのか統一してほしいと思ったが、ひとまずプディングと呼ぶことにした。
「実はもう一種類、味の違うものをご用意したのです。プディングはその性質上、いろいろな味を加えることも可能ですから――どうです? これから先のゲームの勝利者が、国の他にそれも先に味わえる、というのは」
ブラッドガルドの腕が止まり、目線がカインを見た。
それから視線が左右を彷徨う。
「そういえば、本題はそうだったな。あの小娘はどうした」
「ゲームの準備をしていますよ。ちょうど盤上の準備も終わった頃でしょう」
「ゲームの? ……やるのはチェスだろう」
ブラッドガルドは聞き返すように言ったが、何か思い当たる節があったようで声を止めた。
「……ああ。なるほど――そうだったな」
ただでさえ悪いブラッドガルドの顔色が更に曇る。
だがどこか楽しげなのはきっと、彼の自信の表れなのだ。
「ご覧になられましたか?」
「いや。見ていない」
「知っていたかと思っていました。……どうぞ、こちらへ」
カインは立ち上がり、窓へと近づく。
「あの小娘が、我の蛇に名を付けただろう」
「え? ええ、そうですね」
「だからだ」
ブラッドガルドは立ち上がった。
それ以上は何も言わなかったが、カインへと近づく。後ろに気配を感じながら、カインはカーテンを開いた。夜闇の向こうで、微かに明かりが見える。
下で松明が焚かれているのだ。
「どうぞ」
バルコニーへと案内すると、その下があらわになった。
地面には白と黒の布が交互に敷かれた、8×8の盤が用意されていた。左右にはそれぞれそろいの服を着込んだ者たちが規則的に並んでいる。
前列には鎧を着込み、槍を掲げた者。
後列にはそれぞれ外側から、砲台を背負うもの、馬の代わりに軽鎧を着た亜人たち、白いローブに身を包んだ僧侶、そして女王たる女と、王を示す男。見た目にも理解しやすい衣服が選ばれ、それぞれが並んでいた。
「国を賭ける以上、少し派手なものが良いかと」
一週間前、瑠璃はこう言った。
カインが駒を作ることに時間を割くより、村人にチェスの駒になってもらったほうが早い、と。
「人間将棋ってたまーにニュースでやってんだよね! 人間チェスもあるかなって。見た目も派手だし、みんな参加してる感があるじゃない?」
本来は、きっと人間チェスのほうが時間がかかる。だが、正確なルールを把握しているのがカインぐらいしかいない以上、「駒作り」を他の人間が担ったほうが良かったのだ。
ルールに関しても、瑠璃が把握しているそれとこちらのチェスが同じかわからない。だからこそ、カインは腕を磨くほうに集中してほしかった。
それに、駒になることで一体感が出る。
カイン一人に任せるよりも、自分達の問題であるという意識が芽生えやすい――というところまで考えていたかはさておき、結果的にはそうなったのだ。
「……なるほど」
ブラッドガルドはバルコニーに立ち、下を見る。
そこには瑠璃がいて、目があった。にへりと気の抜けた笑みを向ける瑠璃。対してブラッドガルドは、口の端をあげた。
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