荒れ地に行こう(7)
何度か棒で衝撃を与えると、バキンと強烈な音がした。
扉は腐りかけた木の板へと姿を変えながら向こう側へと倒れる。
建物の中からはもうもうと土埃があがった。扉を倒した男は思わず口を腕で覆い、遅れて後ろから覗き込んだコボルトの亜人の男が派手に咳き込んだ。
「ダメだな、こりゃあ」
「うえー。崩壊、だいぶ進んでるナ」
中へ踏み込むと、ぎしぎしと嫌な音がした。部屋のほうは屋根が落ち、光が漏れているところもある。そこから雨風が入り込んだのか、床に穴が開いていたり、ほとんどの食器や木杯の類いは壊れていたりした。
部屋の隅にある樽や物入れも潰れていたり壊れていたりで、そのまま使えるものはほとんど無かった。金属もほぼ錆びていて、このままでは使用できない。
「木材ならドズに頼んだほうがまだいいナ」
「まったくだ」
二人はオーク種の亜人である木こりを思い浮かべながら言う。
「こっちの物入れもダメだ。中身もほとんどやられちまってる」
「布さえありゃあいいサ。下のほうは? たまに生きてるのあるゾ」
「外で広げてみるしかねぇな」
二人がそれぞれ無事そうな麻布を持って外へと赴き、広げてみる。だがほとんどは虫に食われたり、無事そうに見えても所々にカビが生えてしまっていたりと惨憺たる有様だった。思わず顔を見合わせる。
するうちに他の家々を探索していたメンバーが集まってきて覗き込んだが、どこも成果は似たようなものだった。ひとつだけ無事なものがあったが、それも浸食された部分を切らないといけなかった。
「ダメだなあ。最近はめっきりだ」
「二十年ほど前ならまだなんとかあったらしいけどな」
「魔物もいるし、探索も限られてるからナ。仕方ないさナ」
そう言い合っていると、男たちの一人がぽつりと言った。
「……外へ行ければいいんだが」
その言葉に、男たちは急にしんと静まりかえる。
急に重苦しい空気が落ち、誰もが言葉を失った。その場にいたたった数人の男たちでさえ、そうなるほどの力を持っていた。
「……悪い」
先に言い出した男は、ばつの悪い思いをしながら謝った。
「……とにかく、このあたりはもう駄目だろう。他に探索場所……ほら、あそこがあるじゃないか」と、一人が空気を変えるように続ける。「半年前の『拡張』で出てきたやつだよ」
「あのでかい建物だっけ。……あそこが探索できればいいんだがな」
「すぐに行ければナー。でかすぎて魔物の巣窟になってるもんナ」
「お前、亜人なんだから話とか通じねぇのか」
「無理だナ。種類が違うシ」
コボルトの亜人はそう言って首を振る。
「種族同じなのに、コチルとだって話は合わないシ」
「そりゃそうか!」
ははは、と一人が豪快に笑うと、ようやくぎくしゃくした空気が散っていった。
残りの男たちにもホッとした空気が漂う。
「そういえば、あの……カインって奴か。あいつ戦えるんだろう?」
「えっ。そうなの?」
「そうらしいぞ。この間、森の魔猪が襲ってきた時に戦ったって言ってた。あれから槍を習いたいって奴が増えたみたいで。……ああそれで、戦力が増えたなら城を攻略してもいいんじゃねぇかって話になってるな」
「へえ。それなら誘ってみるか。今はどこの家にいるんだ?」
誰ともなく地面に置きっぱなしになった麻布を手に、帰りの準備をしはじめる。
「ああ、それがまだ娘っこと一緒にコチルの家にいるらしいぞ」
「コチルの? あの人見知りが珍しいナ」
「なんだ。あの二人のことがそんなに気に入ったのか?」
「いや、俺もそう思ったんだけどよお――」
戦利品を持ち直しながら、男の一人は首を傾げた。
「なんか監視してるみたいなんだよな、あの目」
*
朝早く、カインは槍代わりの長い棒を持って広場に立っていた。
「では、今日も宜しくお願いします」
「はーい!」
「おう!」
カインが比較的年若い子供や男たちを相手に鍛錬を始めたのは、カインの日課を目撃されたのが最初だった。
ストレッチや運動をしたあと、手にした長い棒で素振りや構えの練習をする。最初こそ何をやっているのかと首を傾げられたが、一度村に入り込んだ森の魔猪を撃退した後からは早かった。
自分も戦う力が欲しいと目を輝かせ、あっという間に何人かの生徒ができたのだ。
朝の鍛錬への参加を許し、ともに訓練をするようになってからはカインに話しかける人々も増えた。
それが終われば鍛冶屋へと赴き、仕事を覚える。午後になるとその日によっていろいろな場所へと出かけて手伝いをする。
その頃には、カインはすっかりこの村に打ち解けていた。
そして反対に、瑠璃はといえば基本的に役立たずだった。
役立たずと言えば聞こえは悪いが、突出したものが無い代わり、毒にも薬にもならないムードメーカー的な立ち位置になっていた。村人も憎めないと思ったのだろう。
それに、ときおり瑠璃が語る不思議な話は人々を魅了した。
娯楽の少ない子供たちに請われて簡単な昔話やおとぎ話を話しただけだが、どうもそれは新鮮に映ったらしい。
それでわかってきたのは、ここには二種類のヒトがいるということだ。
それは見た目や出自の問題ではなく、考え方の問題だ。
まず、この村は外から来た人々と、元々この村で生き残っていた人々が混ざり合っている。
この村で生き残っていた人々は、当初はいつか外の世界から助けが来る――あるいは魔力嵐が取り払われることを信じていた。
外からやってきた者たちはそんな「中の人たち」に「助けられた者」であり、そのお礼として「若い働き手」の役割を担った。なにしろ閉ざされているがゆえに、老齢化もゆるやかに進んでいたからだ。
そのため、よそ者を排除するという発想には至らず、過去のことは極力聞かずに情報収集に尽力した。村を作るというよりは、脱出のための手段が無いか、生活のための知識を持っていないか、ということを重要視したのだ。
だがこれといって進展がないまま、次第に見つけた者が世話をするという決まりまで出来た。
時代が進んで世代交代が行われるようになると、村の中しか知らない者も増えた。
脱出のための一時的な生活ではなく、村の維持にまわるほうが多くなった。
「……そうなると、どうなると思います?」
その日の”夜会議”で、カインは瑠璃に尋ねた。
「えっ? どうって言われても……」
「……外からやってきた人々の中には、何かしらの理由で元いた場所を追われた人々もいるんでしょう」
ここでは過去を尋ねられない。
あれほどの魔力嵐の中を必死に生き抜き、半死半生でたどり着いた場所。過去を問われず、罪を問われず。新たな存在としてつつましい仕事をしながら生まれ変われる場所。
即ちそれは――楽園。
いつか崩壊するとわかっていながら、過去を暴かれる恐怖と隣り合わせなのを理解していながら、この生活が永遠に続くのを願う。
そんなどん詰まりのような理想郷。
事実それを象徴するように、この村のことを尋ねようとする瑠璃とカインからそっと距離をとる者たちがちらほらといた。
彼らは普段こそにこやかに接していたが、そうした質問にはやんわりと逃げた。
この村が無くなることを不必要なほど恐れる者たちは、確かに存在するのだ。
過去を暴かれることを悲しいほどに嫌う者たちが。
「しかし、問題は人だけではないですね」
「そうだね。私もこの間、『収集家』の人たちについて行ったじゃん?」
『収集家』と自称する一団は、生活用品を調達してくる人々だ。
彼らが遠回しに『遺跡』と呼ぶ無人の村や屋敷まで出向き、そこに残った生活用品――農具や道具、衣類といったもの――を探すのだ。
人がいれば盗賊以外のなにものでもないが、この閉ざされた村では一応「生き残りの探索」と「生き残るための生活品探し」として成立していた。生き残った人々だけでは作れないものを調達してくるのだ。
だが、最初はともかく最近は劣化がひどく進んでいた。
中でも深刻なのは衣類だ。
この村では麻も栽培しているが、数年に一度しかとれない。一度収穫すると五年ほどは同じ土地では採れないのは麻の特性でもあるのだが、それでは新しい服が作れない。
このところは『収集』も大した収穫はないままに終わっていて、そのたびに人々は深刻な表情をした。
「んーー……資材の問題かあ……」
「今のところはどうしようもないですね。麻を育てるのも時間がかかりますし。木材はある程度はありますが……」
「そっかー。麻の育て方……あとは羊とか綿かな?」
とりあえず知る限りの「布」のもとを口にする。
そこまで来て、不意にカインが気付いたように尋ねた。
「……そういえば最近手袋をしていませんね」
「ああ、あれ? 蜂蜜隊の人たちにあげちゃった」
「あげたんですか!? あんないい手袋を!?」
「えっ……うん」
食い気味のカインにやや引きつつ、瑠璃は頷く。
「だって蜂怖いし……。その代わりに、手袋が生きてる間は優先的に蜂蜜回してほしいって言ってあるけどね」
「ああ……なるほど。そういえば最近、蜂蜜の量が増えてますね」
蜂蜜が多いからとティキが喜んでいたのを思い出す。
ほとんどは固形蜂蜜に加工して大人たちの蓄えにするのだが、瑠璃のところ――つまりはコチルの家には優先的に回っていた。
「……」
カインはしばし瑠璃を試すように眺めた。
その眼光は鋭く、じっと見ているにしては真剣すぎる。
「……どしたの?」
突然黙り込んだカインに、瞬きをしながら尋ねる。
「――ああ、いえ。なんでもありません」
微かに笑いながら答えるカイン。
「それより、ここに来てだいぶ経ちますが……瑠璃さんは大丈夫ですか?」
「いやだいぶ大丈夫じゃないけど」
「そ……それはすみません」
「まあいざとなったらブラッド君に頼むから! それに、楽しいからね!」
瑠璃はやや興奮気味に答える。
基本的に瑠璃に対する見解は全会一致で「役立たず」だが、その明るさは彼女を知らないところで救っていた。
実際、楽しい。みるものすべてが新鮮で、幻想的だ。牧歌的な景色は非日常を与えてくれる。
だがカインを送り出し、麻の布団をかぶってから、瑠璃は改めて考えた。
――楽しいけど、ずっとこのまま……ってわけにもいかない。
現実世界では夏休み中だといっても、既に一ヶ月は軽く経過している。現実では果たしてどうなっているのか、帰るのが恐ろしい。
ブラッドガルドに頼んでどうにかなったとしても、さすがに気になってくる。
――どうなってるんだろう、向こうは……。
スマホも通じないから何か入っていたとしてもわからない。
そもそもウソはついていないけれど、ほとんどウソをついて出てきたようなものだ。両親や友達が何をしているか、どう思っているのか。
ベッドの隅で、うとうととしながらついつい考える。
「……んあーっ! 考えててもしょうがない!」
瑠璃は布団をはねのけながら、一緒に考えも吹き飛ばす。
とにかく今は夜で、ちょっと考えてしまったからこうなっているのだ――そう言い聞かせる。そうして無理矢理目を閉じて、眠ることにした。
それからしばらくすると、静かになった。
村じゅうがしんと静まりかえり、夜型の鳥や虫の声だけが小さく響いている。魔力嵐に閉じ込められた中でも生き残ったものがいるのだ。
そんな声までもが不意にしんと静まりかえったかと思うと、するりと瑠璃のベッドの下から、物言わぬ蛇があらわれた。影蛇は音と気配すら立てぬまま、体を伸ばして眠りにつく瑠璃を見つめる。
ゆらゆらと体を揺らし、瑠璃の肩が上下するのをしばらく見ていたが、やがてあぎとを開いてぐいっと近づく。
そして跳ね飛ばされた麻布を口でつまむと、瑠璃の肩へとそっとかけた。
それからまた瑠璃が寝たままなのを確認すると、するするとベッドの下へと戻っていった。
蛇は影に溶け、その頃には再び夜型の鳥と虫の声が世界に返ってきたのだった。
翌朝のこと。
すっかり慣れきった朝が始まったころ、不意に家のドアがノックされた。
コチルが開けると、コボルト種の亜人の男が手をあげた。
「おう、コチル。おはようさんナ」
「早いな。おはよう」
「カインはいるカ?」
尋ねると、コチルは家のドアを全開にして、亜人を部屋に通す。
中にいた瑠璃とカインは、同時に亜人を見つめた。
「あれっ。あなた確か収集家の?」
「おー。ルリ。俺、俺。ココ」
コボルト種の亜人――ココは手を振る。
その後ろでは、コチルが扉を閉めていた。
「カインを誘いにきたのナ」
「……僕を誘いに? ああ、収集家にですか?」
「そうナ。『拡張』した地域に行きたいからナ」
「拡張……?」
瑠璃もカインもぽかんとした顔で瞬く。
「拡張って何?」
「あー。言ってなかったっケ」
ココは毛に覆われた頭を掻きつつ、近づいてくる。
「時々、魔力嵐は遠ざかる。らしい」
後ろから近づいてきたコチルが口を出した。
「らしい?」
「私は見る、無い」
「そうそう。魔力嵐が遠ざかって、隠れてた建物が出てくるんだナ」
「あっ」
カインが何かに気付いたように声をあげる。
「そうか。外から見ると魔力嵐が大きくなっていたように見えていたんですが……。その分、中の空間も広がっていたんですね」
台風が大きくなるにつれて、中の「台風の目」も大きくなる。おそらく似たような現象だろう――とあたりをつける。
「んー。まあ、それが拡張だナ」
ココは頷く。
テーブルに置かれた木杯の白湯を勝手に飲みつつ、ぷはあと声を出した。
「で、半年くらい前に結構でかい拡張があってナ」
「ふーん?」
瑠璃は流したが、カインは何かに気付いたように片眉をあげた。
「その時に、結構でかい建物が出てきたんだよナ」
「へー。そんなでかいお屋敷なの?」
「でかい。めっちゃでかい」
ココは両腕を上下させながらコクコク頷く。
「えーと。誰かなんか言ってたナ。確か……」
コチルが飲み干された木杯の中に白湯を注ぐ間に、ココは思い出したらしい。
「そうダ!」
ぽんと両手を叩くと、続けざまに言った。
「城だ」
その言葉に、思わず瑠璃はカインを見た。
「……し……」
カインは後ろから殴られたような顔で、その場に呆然と突っ立っていた。
「……城……?」
この小さな国に城と呼ばれるほどの建物はひとつ。
それは即ち、かつてのヴァルカニアの王たちの居城を意味していた。
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