挿話17 第一回迷宮会議
「では! 第一回! 迷宮会議をはじめます!!」
瑠璃が仁王立ちで叫ぶ。
ブラッドガルドは胡乱な目で見つめるだけだった。パキリ、と口の中のクッキーが音を立てる。小さなクッキーだが、真ん中にジャムのようなものが挟んである。
カインは逆に、おちつかなげに縮こまっていた。
当然だ。
まずカインは二度目の「回復」を施されたあと、最初に会った部屋に来るようにと言われただけなのだ。体はまだ軋んだが、もはや従うしかないと覚悟を決めてここまで来た。その結果が今の一言だ。
そのうえ、「最初に会った部屋」は当時とだいぶ変わっていて、他の部屋より生活感があるし、迷宮の一室とは思えなかった。テーブルは低いくせに、座布団と呼ばれるものは妙に座り心地がいい。何故か工具のようなものはあるし、本棚にはわけのわからないもの――雑誌とカードゲームとボードゲーム、そしてガチャで手に入れた三百円の小型怪獣――までおかれている始末。
そして当のブラッドガルドはこの現状を何も疑問視していないらしく、クッキーを延々と口にしている。目線は「また何か始まった」とばかりに瑠璃を眺めているのだ。ほぼ違和感しかない。
「……それで。今度は一体なんだ」
「やってみたかった!」
「そうか」
ブラッドガルドは完全に諦めた声色で流した。
「まあでもやらないと、ほら、このままだと死人が出る……」
「……死人なあ……」
ブラッドガルドの視線がカインに向く。
視線の先で人間がひとり、ギョッと固まったのは言うまでもない。
瑠璃は用意した座布団に座ると、スケッチブックを取り出す。
「そういうわけで、会議を始めます!」
二度目の宣言に対して、もうブラッドガルドはツッコミを入れることもなかった。
瑠璃の手がスケッチブックをめくると、カインがさすがに声をあげた。
「あの……これはいったいなんなんですか?」
「今日の議題は『荒れ地』をどうするか会議です!」
「えっ。あの、どういう」
「……小娘」
ブラッドガルドが静かに言葉で割り込む。
「はい、ブラッド君!」
「菓子が足りん」
「私のりんごクッキー!!!!」
ブラッドガルドの前にあった菓子入れはとっくに空にされていた。
それから瑠璃が菓子入れにクッキーを追加し、三度目の開催宣言をするまでにしばらくかかった。
「はい。もういい加減そろそろ始めるからね! というかお菓子はカイン君も食べていいんだよ」
「私の、と叫んだ奴が言うのか」
「いいでしょそれは別に! というか一人で食べきった奴の台詞じゃないよそれは!」
カインは別の意味で頭痛が酷くなってきていた。
瑠璃はようやくスケッチブックを手にすると、改めて黒いペンでその上にきゅっきゅと何か書き付けた。
「今『荒れ地』についてわかってるのはー」
カインは視線だけでテーブルの上にインク瓶を探したが、無かった。
スケッチブックの上には、瑠璃の画力センスによる何らかの絵が描かれていく。
「百年前にブラッド君の迷宮が拡大! 上にあった国……えっと……ヴァルカニア? を呑み込んだ。で、今そこが魔力嵐吹き荒れる『荒れ地』になってる」
描かれたのは、地下にのたくった何か――おそらく迷宮――から伸びた蛇が、上の城を食べようとしているところだ。さすがに日本語で説明するわけにもいかない。
「それで、迷宮の主討伐や拡大した迷宮そのものの所有権問題に、荒れ地の土地問題が加わっちゃった。っていうのも、当時のヴァルカニアの人たちが避難して空いた土地になっちゃったからだね。ここまでいいかな?」
「……おおむねは正解だ。あとは貴様の画力がもっとあればな」
「ここは素直に褒めるとこだよ?」
「……」
あからさまに面倒そうな視線を送るブラッドガルド。
「……まあいい、続けろ」
「っていうかさあ、カイン君にすごい今更な事聞いていい?」
「な、なんですか?」
「荒れ地ってもう誰かの土地になってるんじゃないの? 勇者様が一度ブラッド君を倒したはずでしょ」
ブラッドガルドが一度横目で瑠璃を見たが、何も言わなかった。
「……あ、いえ……、おそらく……ですが」
カインは慎重に言葉を選ぶ。
おそらく最初はそうなるはず――そうなっていたはず、だった。
「確かに、バッセンブルグと教会のものになる……正式にそうなるはずでした。ですが、その前にブラッドガルドの一報がもたらされたのだと思います」
そこでカインは一呼吸おいた。
「本来は終戦協定が締結し、そのまま終戦宣言が出される流れだったはずです。みなもそう思っていたかと……。ですがその前に調査隊が結成され、ブラッドガルドの封印まで出向くことになりました」
「ほーん? なんでバレたんだろうね?」
瑠璃は不思議そうにブラッドガルドを見る。
「まあ、時間の問題だ」
ブラッドガルドはしれっと言ってから紅茶を飲んだ。
「……ふうん?」
「……そもそも、我が迷宮がバッセンブルグのものとなったのなら、……もうとっくに解放されていてもいい時期だ。我という主がいなければ、迷宮は新たな主を求め、魔人どもは新たな主の座を奪い合う。触発された魔物どもは殺し合い、たった一人が決まるまでそれは続く。……そうなる前に迷宮を解放したほうが人間どもには都合がいい……。だがそうなっていない。我の復活に関わらずだ。そうだな、小僧」
「は、はい。その通りです」
「はー。なるほどなー」
「おい、貴様も頭を使え小娘」
「ホームズだって確証を得てから推理するでしょ」
「ならせめてワトスン役くらいはこなせ」
交わされた言葉の意味をカインは理解できなかった。
「んー。じゃあ、話し合いは停滞してると見ていいのかな?」
「少なくとも荒れ地を欲しいと思う国は多いと思います。……そのために、僕の先祖は死にました」
「……それ、迷宮戦争のことだよね」
「はい。土地を奪い返せれば自分のものだと。しかし戦争と死の呪いによって疲弊し、事態の収拾をはかるために休戦協定が結ばれました。荒れ地のことも、そもそも土地が迷宮に組み込まれてしまったので……ブラッドガルド討伐は必要不可欠になったんだと思います」
「迷惑な奴らだ」
「それブラッド君が言っていいことじゃないと思うよ」
真顔でツッコミを入れる瑠璃。
「……と、ともあれ。ブラッドガルド生存の一報があった以上、会議の破綻や延期の可能性は充分ありえます」
他ならぬ本人、もとい本魔人の前で言うのも奇妙な感覚だ。
「うぐぐ。カイン君もそれに加わってるわけでしょ……」
「あ、いえ。僕たちは参加していなかったようです。その頃には王族など……あって無いようなものでしたから……」
「……ほーん?」
カインの声が小さくなったのに対し、瑠璃は気の抜けた声をあげた。
「ほー。へー……。……ふーん?」
ブラッドガルドは瑠璃を見たが、何も言わない。
ただ目だけが細まり、瑠璃がどう処理するのかを見極めているようだった。
「……よしっ。じゃあ、……えー、ぶっちゃけカイン君は『荒れ地』をどうしたいの?」
「ど、どうと言われても。荒れ地を取り戻すのは僕の……いえ、人類にとっての悲願で……」
「いや悲願とかはいいから、カイン君自身は? ってハナシだよ」
「……え……」
カインは面食らった。
咄嗟に口から出てこなかった。
だが、瑠璃とブラッドガルドからそれとなく向けられている視線に気が付くと、はたと自分のおかれている状況に気が付いた。
ここまでわけもわからず参加させられたこの会議だが、もしかして事態はもっと真剣で深刻なのではないか――そう思うと、途端に背中に冷たいものが走った。これは瑠璃の持つ空気に緩和されているだけなのだ。
そもそもブラッドガルドがいて、荒れ地の事を聞かれている。それだけで気が付くべきだったのだ。
そのことを自覚した瞬間、カインは我知らず姿勢を正した。
「ぼ……ぼくは……」
まさかこんなことになるとは思ってもみなかった。
「うんうん。とりあえず甘いものでも食べなよ」
チョコチップクッキーを差し出す瑠璃に、ブラッドガルドの非難の視線が飛ぶ。
クッキーに混じる黒いものの正体も、今のカインはそれどころではなかった。
「そもそもブラッド君が速攻で返してくれれば話はめっちゃ早いんだけど」
「何故我になんの利益も無いまま返さねばならんのだ。我を巻き込むのならそこははっきりさせろ」
「そこ言われるとめっちゃ痛いなー」
瑠璃はチョコチップクッキーを口に運びつつ、カインを見る。
「……僕は……。僕はやはり、荒れ地を取り戻したいと……思っています」
瑠璃は一瞬ぴたりと動きを止めてから、また口を動かした。
「確かにそれは……人に言われたことではあります。しかし僕は、この髪の持ち主。そしてヴァルカニアの名を継いだ末裔でもある。今度こそ、自分の意志で責任は果たしたい」
「おう、そっか!」
笑う瑠璃の反応はあっけらかんとしたものだった。
やはりこの空気は独特だ、とカインは思った。
「と言っても僕は一度失敗しているわけですし、そんな筋合いは無いと思うんですが」
「ちょっとおお、そこで落ち込まないで! っていうか多分ね、穴がある……はずなんだよ!」
「……穴、とは?」
「うん。カイン君は荒れ地の本来の末裔なんでしょ。少なくとも教会が保護してくれた時点で、多分他の人より有利……だと……思う!」
「何故そこで我を見る」
「ってことは、カイン君がブラッド君から荒れ地を取り戻せれば、ひとまず荒れ地問題は何とかなる!!」
瑠璃の叫びに、カインは一瞬呆気にとられた。
「……簡単に言いますね」
苦笑するカイン。
「せめて我のいない所でやれ」
妥当なツッコミまで飛んでくる。
「ブラッド君は元凶なんだから一緒に考えてよ」
「……貴様、我をなんだと思っているのだ?」
「ブラッド君はブラッド君でしょ」
「……」
ブラッドガルドは深いため息をついていた。
相変わらずこの二人の関係はよくわからない、とカインは思う。他者から見ればブラッドガルドが瑠璃を試しているように見えるが、そうかと思えば瑠璃のほうがブラッドガルドを振り回しているようにも見えるのだ。
「……まあ、貴様の言い分は解る。そも、正当な末裔が邪魔だと思っている勢力がいるのも事実だろう。……であれば、今この状況で我を倒さずとも荒れ地を手に入れ正当な支配者として君臨すれば……。小僧はこれ以上無い逸材だ、と」
「いやまあ、ちょっとその……うん……だから、カイン君がどう思ってるかなってとこが大事だったわけで……」
瑠璃は少しだけ言いにくそうにしながら言う。
「でも荒れ地が解放されて、正当な王様がいて、あとはブラッド君から取り戻したってのが外にもわかればいいだけの話だからね! そうなればブラッド君が倒される理由のひとつは減る! そしてカイン君は国を取り戻せる! 解決!!」
「敵など薙ぎ払えば良かろう」
「そういうところだぞ脳筋」
言い合いながらクッキーを食べる二人を見ながら、カインは思わず声をあげた。
「……あの。瑠璃さん」
「なーに?」
「どうして……あなたはそこまで……」
さすがに瞬きをしながら珍妙な顔をする瑠璃。
「何故ブラッドガルドをそこまでして……生かしたいのですか? あなたは――」
――宵闇の魔女ではないのか。
「いったい、ブラッドガルドを使って、何をしようと――」
「いや死んでほしくないからだけど」
「し……」
カインはオウム返しにすることすらできなかった。
「使うとか使わないとかじゃなくて、ブラッド君にもカイン君にも死んでほしくないんだよ、私は。というか私は、そこまで強くないからね!?」
その答えに、カインは目を見開く。
「強くない?」
「そりゃね、ブラッド君はそっちの人たちにとっては倒さないといけない存在なんだろうけど。でも、それを黙って受け入れられるほど強くないだけだよ。回避できそうなら回避したいのは当然というか……」
「……」
「少なからず一緒にいたわけだし、私はその、甘いのかもしれないけど」
カインの手の中に、あのとき滑り込まされた堅い瓶の感触が蘇る。解毒剤は、確かに毒を中和した。
何故解毒剤など渡されたのか。
それも、支給品ではないものを。
――『もし生きていたら……誰も知らないところで……』
あの時かすかに聞こえた言葉は、そう言っていなかったか。それでなくても、解毒剤など渡すわけがないのだ。あの状況で。
――……セスも……。
――せめて、命だけは惜しいと思ってくれてたんだろうか。
――……。
――……ごめんな、セス。僕は……。
カインは紅茶を飲む瑠璃を見ながら、ひとつ頷いた。
「瑠璃さん」
「ん?」
「わかりました。どこまで出来るかはわかりませんが、倒す以外でブラッドガルドから荒れ地を取り戻してみせます」
「お、おお?」
「ただ、本当にどうにもできなかったら、その時はわかりませんけど」
「よっしゃ! ありがとカイン君!」
盛り上がる二人を前に、しれっと冷たい視線を向けるブラッドガルド。
「……だから、我の前でやるな」
「え、いいじゃん別に」
脳天気に反応する瑠璃に対して、カインはぞわりと鳥肌を立てた。
「じゃあ、決まりだね。カイン君にはもうひとつやってもらうことがあります!」
「なんですか?」
もはやちょっとやそっとのことでは驚かない、とカインは思っていた。
「うん。私と一緒に『荒れ地』に行くことだよ」
だが瑠璃が発した一言に、すぐに返す言葉を見つけられなかった。
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