挿話18 分かたれた仲間達
息を切らし、シャルロットは廊下を駆け抜ける。
スカートをたくし上げるような真似をしても、すれ違った修道士たちに不可解な表情で振り返られても、それを顧みるような暇はなかった。
「オルギス!」
かつての仲間の名を呼び、扉を勢いよく開ける。
他にはテーブルくらいしかない小さな部屋で、ベッドでちょうど上半身を起こしたオルギスが顔をあげた。
「……シャルロット」
オルギスはやや疲れたように彼女を見た。
シャルロットはその姿を見て一度だけごくりと唾を飲み込んだが、すぐに自分を落ち着かせるように息を吐いた。中に入って扉を閉める。
「……久しぶり、だな」
力無く笑うオルギス。シャルロットは心の底がぎゅうと痛んだ。
調査は失敗に終わったと言っていい。
教会が派遣したオルギスたちによる迷宮探査団は、ある意味で成功ではあったが、やはり失敗だとオルギスは自ら断じた。というのも、ブラッドガルドの復活に立ち会ったこと、そして精神的に疲労しきっていたことが大きい。
その中でもたった一人、戻って来なかった人間がいる。
もちろん迷宮の中で誰かが戻ってこないというのはよくあることだ。今までだって教会の派遣した騎士たちが帰ってこなかったり、遺品だけが帰ってきたこともままある。人員の減少は少ないにこしたことはないが、仕方ないと思われていたふしがある。
だがそれをさしひいても、異様な光景だった。
ほとんどの人間が精神的に疲弊していた。なんとか帰ってきたはいいものの、正気を失いかけている者がひとりに、オドオドと周囲を常に見回すものがひとり。
完全に正気を保っていたのは、オルギスを含めて二、三人、あとは途中で別ルートを行った二人だった。その二人も、一人を亡くして帰ってきたあと、合流時の調査団のありさまを見ると完全に動揺し、戸惑ったのは明白だ。
「来てくれていたのだな」
「当然です! 少し前に教会から連絡が来て……」
「他のみんなは?」
遮るようにオルギスが言うと、シャルロットは力強く頷いた。
「身体的な傷はお任せください! リクのお役にも立った癒やしの術の見せ所ですから!」
だが、すぐに険しい表情になる。
「ですが、心のほうはなんともいえません」
「……そう、か」
「あの、オルギス。迷宮でいったい何があったのですか?」
シャルロットが問うと、オルギスは小さく息を吐いた後にしっかりとした口調で言った。
「ブラッドガルドが復活した」
小さな悲鳴があがった。
シャルロットは教会の癒し手だが、勇者リクにくっついて迷宮踏破に貢献した立役者の一人だった。かつて臆病でろくな癒し術も使えず後ろ指をさされた少女の面影は、もはや遠い過去のことだ。だが、そんな彼女であっても現実をなかなか受け入れられなかった。
「そ、そんな」
「事実だ。ブラッドガルドが封印を破り、迷宮に戻った。……全部、元通りだ」
シャルロットは青ざめた顔で視線を彷徨わせていたが、やがてこらえきれなくなったようにその場に座り込んだ。オルギスはハッとしたように布団から出ると、ベッドに腰掛けた。座り込んだシャルロットを支えて立ち上がらせると、ベッドに座らせてやる。
「だって――そんな――リクも、ナンシーも……オルギスだって、あんなに頑張ったのに……!」
叫ぶように言ってから、自分の手が震えていることに気が付いた。
「ご、ごめんなさいオルギス。でも、だって……そんな」
「信じられないのはわかる」
オルギスは隣に座ると、ため息をつく。
「私もいまだに信じられない」
「みなさん、とてもショックを受けていらして……」
「それだけじゃない――」
シャルロットは隣からオルギスを見上げた。
表情はこわばり、その瞳の奥には動揺がある。
「確かにブラッドガルドの復活は衝撃を受けた。だがそれ以上に、奴の……奴が変えた迷宮が、私たちを追い込んだのだ」
「迷宮……が? どういうことですの?」
「奴は迷宮の一部を、鏡に変えたのだ。狭い通路のすべてを鏡に変えて……お互いを映した鏡がどこまでも続いて……。あれは、体験した者にしかわからないだろう。とにかく我々はそれにすっかり惑わされた。まさに、心に作用する攻撃……。あんな恐ろしいことを……どうやったら……!」
「……とても恐ろしい出来事だったのですね」
「問題は、それをブラッドガルドがやった事だ。我々の知るブラッドガルドとはまったく違うやり方ではないか。だが確かにブラッドガルドだった……魔力も、あの声も、あの存在そのものも――。我々を見逃すような傲慢さも……、だが……」
その違和感の正体を、オルギスは突き止められないでいた。
空虚で己の所在すらはっきりしない反面、圧倒的な力を振える筈の存在が、そんな遠回りな方法を使ったことに強烈な違和感を覚えているのだ。
シャルロットは少しだけ戸惑ったあとに、口を開いた。
「……やはり、あの……、宵闇の魔女……?」
「聞いていたのか」
「はい……」
「宵闇の魔女らしき者は見つけられなかった。こちらではどうだ?」
「いえ、それについてはまったく……。調べている最中らしいですけど、これといった情報はまだ見つかっていないらしくて。……中にはリカこそがブラッドガルド復活に手を貸した人物で、宵闇の魔女をでっち上げたのだという人まで……」
「バカな。あの場にいた騎士たちは、戦う様子まで聞いている!」
「わかってます! リカはそんなかたじゃないです!」
二人は押し黙った。
「アンジェリカは自身の潔白の証明のため、王城に残ったと聞いたが……」
「はい。リカを疑う声もありましたし……でもそれで、ドゥーラから抗議が入ったらしく……今はなんだかピリピリしています」
「……そうか」
リクだってアンジェリカの思いや、その後ろにあるドゥーラの意図も汲む形で封印という現状を選んだこと。それをオルギスもシャルロットも知っている。しかしそれは仲間にしかわからないことだ。加えて、下手にアンジェリカを疑えば、ドゥーラから姫の風評をわざと落とされたと言われかねないのだが、一般の者たちにそれがわかるはずもない。
更によくよくシャルロットの話を聞くと、バッセンブルグ王はナンシーを呼び出し、勅命を授けて独自の調査をさせているという話まであった。
たった半年前はあれほど協力関係にあったというのに、これも頭の痛くなる事態だった。
更に、あの盗賊の姿もしばらく見ていない。本人は裏方を気取っているから当然と言えば当然だが、それも不穏だった。町では警備が強化され、ほんの少しでも不審に見えたり、軽微な罪さえ見逃されずに取り締まられているという。リクのおかげで改心しているとはいえ、なんとも言いがたい。
宵闇の魔女の出現という想定外の事態が、何もかもをぶち壊してしまったように思える。
逆に言えば、ブラッドガルドという共通の敵がいたからこそ結束できたのではないか――そんなことすら思ってしまう。
「とにかく、魔女がブラッドガルドに何か吹き込んだには違いない」
「……こんな時に……リクがいてくれたら……」
シャルロットのつぶやきに、オルギスは何も返すことができなかった。
「でも、もし次があるとしても、別の勇者様の可能性もあるのですよね……」
「……」
女神が再び勇者を遣わしたとして、それはリクかどうかはわからない。それを本当の意味で一番理解しているのは、かつての仲間たちだけだ。
何しろ。
――リクが別の世界からやってきたなど……。
誰が信じられるものか。
「その様子だと、まだリクも次期勇者も見つかっていない……?」
「はい……。勇者だと言ってやってくる人たちはいるようですが、たいていは詐欺目的か、女神様の様子がちぐはぐです」
「まだその程度ということか……」
女神が今回のことは自分たちで解決するように、との考えなのか。
再び勇者が来るとして、それはリクなのか、それとも別の勇者がやってくるのか。だがそれ以上に、状況が混乱したままなのがいっそう頭を悩ませる種となった。
再び沈黙が降りたところで、突然のように扉がノックされた。
二人は顔を見合わせ、シャルロットが立ち上がって扉を開けた。
「……はい?」
目の前には騎士が数人立っていた。
シャルロットは思わず圧倒されたように目線を泳がせた。
「シャルロット嬢?」
「……は、はい。そうですが」
「忙しい中、ご足労感謝します。あなたのおかげで治療が早まりました」
「い、いえ。私なんか何も……結局、心のほうはどうにもなりませんでしたし……」
「ご謙遜を。みな、勇者とともにあった貴女のことは尊敬しておるのです」
騎士が一礼をする。
「は、はあ……」
「ああ、それでですね。ニコラオス司教から少しお話があるそうです。申し訳ありませんがついてきてはいただけませんでしょうか」
「はあ……わかりました」
シャルロットは後ろをちらりと振り返る。
「それじゃあオルギス。私はこれで……」
シャルロットは困惑した表情のまま、促されて部屋を出て行った。だが、案内するように動き出した騎士は一人だけで、残りはすべて部屋の前に残ったままだった。
「……私に御用ですか?」
オルギスはようやく口を開いた。
「……オルギス」
騎士の一人は厳しい声をあげると、部屋の中に一歩踏み入った。
「こたびの任務は失敗だった。一人の同胞が死んだのだ。その責をとり、貴殿を無期限の謹慎処分とする旨が言い渡された」
「……そうですか」
危険な迷宮の奥地へ赴き、ブラッドガルド復活の報をもたらしただけでも成功と言えるはずだ。だが、それを差し置いても重いとしか言い切れない処分だ。
――うまく利用されたか。
まさかそれ目的ということはないだろう。いずれにしろ一人の命を守れなかったという事実を利用されたのだ。
「死んだ一人というのが――王の遠い血を引く、田舎貴族の末子だったという話でな」
「知っていますよ。だからあの髪色だったと聞きました」
こめかみを軽く掻く。
だがそれなら、最初から加えなければよかったのだ。今更だろう。
「迷宮では死は近いとはいえ――それは私の責でしょう。それは覆らない」
だが、騎士はそこまで言ってから急にオルギスの肩を叩いた。
「……彼のことは、残念だった」
仲間の一人を失ったことに対する言葉だった。
ちらりと騎士が扉の向こうへ視線を送ると、そこにいた騎士たちは無言のまま立ち去っていった。
騎士はもう一度オルギスの肩を叩く。他の騎士たちと同じようにきびすを返してから、ふと立ち止まった。
「ああ、そうだ。オルギス殿」
「なんでしょう?」
「これを貴殿に渡してくれと頼まれた」
騎士は懐から封筒を一枚取り出した。
「わかりました」
オルギスが封筒を手にすると、騎士は息を吐いてから改めてきびすを返した。そして扉を閉めると、その向こうから足音が次第に遠ざかっていく。
しばらくその足音を聞いてから、やがて自分の手の中の封筒へと視線を落とした。
「……これは……。ヒエロニム司教の魔血印……?」
確かに本人であるという魔力を示す印がきらりと光った。
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