挿話16 迷宮の研究家たち

 二人組の足音がゲートに近づくと、ゲートの両側を守る兵士が顔をあげた。


「止まれ!」

「冒険者の立ち入りは禁止されている!」


 声をあげると、二人組の足音は止まった。

 二人組のうちのひとりは女で、ショートボブの茶髪の娘だった。目は吊り目で、表情からは意志の強さを感じられる。服装は軽装で、ショートマントの他に防具は胸当てくらいしか無い。だがその背中からは弓が覗いていることから、いかにもハンターといった風貌だ。

 その少し後ろにいる男は、魔術師系の白いローブを着ていた。ややくせっ毛のある長髪の男は、にこやかに立っていた。杖を手にしているにも関わらず、魔術師というよりはどこか研究者のような空気がある。

 冒険者のパーティに文句を言うわけではないし、意見があるわけでもない。だが不安が無いといえば嘘になるような二人組だった。


 娘がポーチに手を突っ込むと、兵士たちは少し警戒したように槍を構え直す。


「私はナンシー。こっちはザカリアスだ。許可は得ている」


 ナンシーと名乗った娘が取り出したのは、王印の押された紙だった。

 兵士たちは小さくも驚いた声をあげて、お互いを見やった。


「これは失礼しました、どうぞ」

「……お気を付けて」

「ああ」


 ナンシーが前を見据えて進んでいく。


「やー、どうもどうも、お疲れ様です!」


 ザカリアスはいえば、人好きのするにこやかな笑みで頭を下げ、通っていく。ナンシーの後を追って中へ入っていくと、暗闇の中に光が灯った。

 そして二人が中へと入っていくのを見届けると、兵士たちはこそこそと声をあげた。


「いいんですか? いくら王印があってもあんな二人じゃあ……」

「シッ。声がでかい」


 兵士の一人はもう一度二人が見えなくなったことを確認してから、視線を戻す。


「……あのナンシーってのは勇者パーティーの一人だぜ」

「えっ。勇者の? それじゃあ、もう一人も仲間の……」

「いや、あいつどこかで……?」


 兵士は首を傾げる。

 だが、ハッと気が付いたように再び入り口の奥を見た。


「そうだあいつ、ザカリアスって言ったか? 知ってるぞ、迷宮専門の学者で……」


 迷宮の向こうからは、嫌な気配が漂っていた。

 兵士たちはそのぽっかりと開いた暗闇の中を、胡乱げに見つめるしかなかった。







「良かったのかい? ナンシー君」

「何が?」


 二人の足音が小さく響く。

 ブラッドガルドの迷宮はひどく静かだった。


「きみ、久々のバッセンブルグだろう? 仲間にも会いたがるかと思ってたんだけどねえ」

「どうせリカもオルギスも忙しい」


 ナンシーはちらりと後ろのザカリアスに視線を送る。


「それより、お前はよく許可が下りたな」

「そうだよねえ~」


 本来、バッセンブルグ王に呼び出しを喰らったのは――もとい召命されたのはナンシーだけだ。


「まあ、僕が思うに!」


 ザカリアスは自慢げににやりと笑う。


「ナンシー君の魔物学の師匠だってところが一番大きいと思うんだよねえ! 一応僕は迷宮学の専門家でもあるわけだしね? ね! 僕がようやく評価されてきたっていうか!」

「静かにしろ」


 それこそ冷たい矢のような視線が飛ぶと、ザカリアスは小さく「はい」とだけ言った。


「魔物に聞かれたら厄介だ」

「その魔物を探しに来たはずなんだけどねえ……」


 再び黙り込んで先を行くナンシー。

 それがしばらく続くと、さすがにザカリアスも無言に耐えられなくなってきた。


「……あの~。ナンシー君?」

「なんだ」

「さすがにちょっと無言はキツイっていうか」

「そうか」


 そのまま無言で進むナンシー。


「ナンシー君、ここビックリするほど風景変わらないけどずっとこれ?」

「そうだ」


 そして再び二人の足音だけが響く。


「……ナンシーくーん? あのさあ~」

「……ザカリアス」

「はいッ!」

「黙ってろ」

「はい……」


 ザカリアスのハートに無慈悲な罅が入ったあと、再び二人の足音だけが響くようになった。何度目かの曲がり角を曲がり、魔物の気配をやり過ごす。迷宮はほとんど石と木だけで作られている簡素なものだった。

 だがそれがどこまでも続いているとなると、最初はともかく途中からは気が滅入ってくる。

 奥のほうへ行けば旧市街と繋がっているらしいが、そこにたどり着くまでにもまだだいぶかかりそうだ。

 そもそも旧市街を抜ければ再び同じような景色が――今度は地下まで延々――続くのだ。

 奥へ進むたびに精神に負担がかかるというのもわからないでもない。


 ――ブラッドガルドの迷宮。なるほど。この景色が延々続くんじゃあなあ。


 階段を下って下におりても、旧市街へはなかなか到達しない。

 そもそもブラッドガルドの迷宮は主が封印されるまでずっと拡大し続けてきたのだ。無理もない。


「……」


 魔物たちの一団を避けていくと、更に時間はかかる。

 見つかる魔物はほとんどがゴブリンや迷宮ネズミといったよく知られたものたちばかりだ。


「う~ん。これといって変わった魔物はいないねえ。上の階層だからかい?」


 ザカリアスが尋ねると、ふと後ろを振り返ったナンシーの手には弓矢が握られていた。


「えっ、ちょっ、ちょっと。いくら僕がうるさいからって弓を向けなくても」


 言葉の途中で、ナンシーは無慈悲に弓を弾く。


「あー!?」


 ザカリアスが叫び声をあげると、ドチャリと奇妙な音がした。

 上から核を射抜かれたスライムがドチャッと音を立てて落ちてくると、ザカリアスはそろそろと溶けてゆくスライムを見る。


「う……うおお。スライム!? な、ナンシー君! 僕は感動したよ、ありが」

「行くぞ」

「あー! 待って行かないで!! せめて最後まで聞いて!?」


 ザカリアスは慌てて後を追った。

 それからしばらくはまた単調な迷宮を進むだけの、単調な旅路が続いた。もちろん魔物はいたのだが、上層ということもあってほとんどは回避できた。

 地図の半分近くが埋まってきたころ、ナンシーは不意に口を開いた。


「ザカリアス」

「はいはいッ!?」


 ややうざったそうな視線を一瞬向けるナンシー。


「お前は本当だと思うか?」

「なにをだい?」

「……ブラッドガルドの復活」


 唐突な問いに、ザカリアスは目を瞬かせた。

 ナンシーの声がややトーンが落ちていたように聞こえたのは、きっと迷宮で余計な声を出さないため――というわけでもないだろう。


「う~ん。ウワサだけはあるからねえ。教会騎士団が挙兵しただの、調査に出ただの。そりゃあ調査にくらい出るだろうって思うけどねえ」

「……」

「でもねえ、ナンシー君――」


 今度はザカリアスが、やや声を潜めた。


「いまだに終戦宣言が出ないことをどう思う?」

「……」

「あれほど鳴り物入りで会議の開催をアピールしておきながら、あれがただただどこかの国のワガママで難航してるだけと思う?」


 なにしろ国の重要人物が一堂に会して行われた会議なのだ。

 ひとめで国賓とわかる馬車があちこちからやって来れば、何も無くても終戦協定はすぐにでも出されると思うのが当然だ。

 ブラッドガルドが勇者リクに倒されたのは公然の事実であり、ブラッドガルドを倒したものが迷宮と『荒れ地』の所有権を得るのは、休戦協定を結んだ国々で交わされた第一にして唯一の絶対項目だ。


「本来は今頃、既に終戦宣言が出されて、迷宮も冒険者に解放されていていいはずだ。早くしないと新たな迷宮の主も出てきてしまうしね。そうなってしまえば――……」


 ザカリアスはあえてその先を言わなかった。


「騎士団の調査とやらも妙に情報統制がされてる。そりゃあもちろん、僕みたいな一般人に流すわけないけど、普段と違って妙にひっそりしてるし、騎士団が無事なのかどうかすらもわからない」


 迷宮の中に足音が響く。


「これだけでバラバラすぎるんだよ。教会は独自の斥候を送り込んで、バッセンブルグ王はナンシー君に依頼をした。それも、入り口の兵士が見たっていう妙な魔物を調査させるためだけに」

「……ブラッドガルドが復活した可能性はあると?」

「その可能性はおおいにあるね~! ま、今はまだ可能性のハナシ! 王や教会が口を噤んでいることからも、なんらかのトラブルが起こったのは明白だよ~。ここまでくればね!」


 にっこりと笑って続ける。


「ナンシー君にとってはちょっと受け入れがたいハナシかな?」

「……当たり前だ」

「……。そうか~」


 ザカリアスはそれ以上何も言わなかった。

 封印に失敗した――という事実には変わらないのだ。

 だがザカリアスは、ナンシーがまだ何か隠しているような気がしてならなかった。王からの書簡を受け取ってきたナンシーは、あきらかに表情が優れなかったのだ。


 それからしばらく進んでも、それらしい奇妙な魔物は姿を現わさなかった。


「いないねえ。上層にはいないのかな」

「わからんな。今のところは迷宮本来の住人しかいないようだが――」


 ナンシーはあたりを注意深く見回す。


「だが、さきほどから……。何か……」

「えっ、何。なにかいるの? 怖いんだけど。なんかあった時にはナンシー君、頼りにし」

「黙ってろ」

「はい」


 ナンシーが鋭い目で周囲に視線を巡らす。

 何度か暗闇の中を探り見ると、突然のように一点へと視線をやった。


「そこだっ!」


 素早く腰に手を当て、ナイフを投げる。

 天井の片隅にナイフが当たると、そこから虫のようにわらわらとそいつらは飛び出してきた。一つ目の眼球を覆う肉だけの魔物だった。蜘蛛の足のように細い足で、あたりに散らばった。

 ナンシーはすぐさま弓矢を構え、ザカリアスはその後ろに怯え隠れながら杖を構えた。だがそいつらは向かってくることなく闇の中に再び消えていった。

 それどころか、いくつかの個体は地面に落ちたあとに混乱したようにぐるぐると回ったかと思うと、お互いにぶつかりあって倒れたり、逃げるところを見失ったり、気絶したように倒れたままだったりと、まるで魔物としての意義を問うような醜態をさらしたのだ。


「……これが……魔物?」

「……みたいだねぇ……!」

「油断するなよ、襲ってくるかもしれん!」


 だがナンシーは、その後ろでザカリアスの目がキラキラと光り輝くのに気が付かなかった。


「い、いや、だけどねナンシー君。これは、あきらかにっ……、見たことのないっ、魔物……!」


 ほとんどナンシーのことは視界から外れたまま、前に飛び出した。


「おいバカ!」

「なんなんだきみたちは! その丸いフォルム! いい! いいぞ! というか目しか無いのか!? どういう生き物なんだきみたち! 本当に見えてるのか!? ちょっと魔力を見せてく……うおおーっ! 本当に魔力が少ない! よく生きてるな! というかなんだ繋がってるのか? も、もっとよく調査させてくれたのむ!!」

「……」


 ナンシーは諦めの境地のような目をしながら、地面を走り回るザカリアスを見た。

 弓の代わりに拳を握り、その背にそっと近寄る。


 数秒後には、そこには頭を抱えたザカリアスと、目玉の一匹を捕まえたナンシーがいた。


「ずいまぜんでじだ……」

「わかればいい」


 ナンシーは目線を目玉の一匹に向ける。


「……」


 その目線が鋭くなる。


「……どう思う」

「どう思うも何も……、魔力に覚えがあるのならナンシー君のほうが詳しいんじゃないかい?」

「……それは」

「で、どう思った? そいつは新種かい? それとも迷宮産の魔物? あるいは……」

「……ブラッドガルドの……魔力を、感じる」


 ナンシーはどこか泳いだ目で言った。


「そう」


 ザカリアスはその意見をあっさりと呑んだ。


「けどねえ。それにしたって弱すぎないかい?」

「……そうだな。それは思う」


 ナンシーは妙な顔をして言った。

 ナンシーはザカリアスに突撃するにいたって何匹か踏み潰したが、そこで霧散した魔力は魔石にすらならないほど小さなものだった。

 この分ならば数匹どころか数十匹倒しても、やっと小さな塩粒のような魔石が手に入るかどうかという分量だろう。それも一匹ずつでは意味がない。


「ブラッドガルドの眷属にしては弱すぎる」

「ってことは、迷宮が作ったと思うかい?」

「……それは……」


 ナンシーはぐっと言葉に詰まった。

 迷宮とは、肥大化した魔力の塊のようなものでもある。その中心にいる主に反応し、迷宮は作り替えられる。迷宮の壁が固着化するのもそうだ。だからこそ迷宮は危険でありながら資源でもある。


「それは……無い、と、思う」

「どうして」

「……空虚、だから」

「空虚?」

「そう、何もない。空っぽだ。もちろんそれは、魔力が、じゃなくて――」

「ブラッドガルド自身が?」


 ナンシーは頷く。 


「リクは、ブラッドガルドには何も無いと言っていた。理想や願いの次元から逸脱して、ただ存在しているだけの存在。だからこそ、迷宮もこんな形になるのかと」

「そうなんだよナンシー君!!」


 突如叫んだザカリアスに、ナンシーがゴミクズでも見るかのような目で見返す。

 ザカリアスはスイッチが入ったように早口になる。


「迷宮は主の欲望によってその姿を変えるなら、ブラッドガルドの迷宮が伸び続けているのはどういうわけだと思う!? そりゃね、中身がこんなんなんだから空虚だというのもひとつはあるだろう、でももし、もしだよ、ブラッドガルドが空虚であるがゆえに迷宮そのものが主の腕のようなものじゃないかと思っていてね! そう、腕! 地上に向けた腕だよ! わかるかいナンシー君!? 何しろブラッドガルドの迷宮は百年前からずっと、地上に向かって伸びてきてたんだからね!? でも地上を覆い尽くすわけでもなく、更に上に伸び続けている。つまりこれは大地ではなく空に向かっているんじゃないか? その先にあるのは即ちたいよ」

「うるさい」

「はい」


 途中で強制終了させられたザカリアスに、ナンシーは指先で捕まえた目玉を握り潰そうとしながら言う。


「いずれにしろ、私は……、失敗作だと思う」

「失敗作?」

「そうだ。おそらくは何らかの軍隊を作ろうとしたのだろう。試作品――といえばいいか」


 ナンシーは地面に目玉を落とした。

 そして素早く足で踏みつけると、なんとも言えぬ音がして魔力が霧散した。


「リクに一度はやられたから何かを作ろうとしたんだろう」

「なるほどねえ」

「いずれにしろもっと調査が必要だが……こいつらに関してはあまり、意味は無い気がする。それよりも、これから出てくるものを警戒したほうがいい」


 そしてショートマントを翻すと、歩き出した。

 ザカリアスはその背を見ながら、しばし考えた。


 ――そうかな?


 少なくともこれまで眷属を必要としなかったものが、復活を機にそれに乗り出す。それは勇者にやられたからである。

 一理ある考え方だ。


 ――勇者にやられたから護衛を? その失敗作?

 ――……本当にそうかな?

 ――『見る』ことしかできない眷属……。一匹一匹が独立しながら、魔力で網の目のごとく繋がっている眷属……。

 ――失敗作だとしても、あきらかに何かを意図したものだ。

 ――いや、それ以上に……!


 ザカリアスはぞくぞくと好奇心が湧き上がってくるのを感じた。


 ――いったいブラッドガルドは何を考えて、そんなものを作り上げたのか……!


 ようやくナンシーの後を追いながらも、口の端は上がっていた。

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