38話 タピオカミルクを飲もう

「なにこれ!?」


 その日、瑠璃が鏡の向こう側へと赴くと、そこには見慣れないものが置いてあった。


「えっ、何これ。石? 宝石?」


 遠慮のえの字も知らないように、瑠璃は開かれた布袋の上に無造作に置かれた石へと一直線に向かう。

 石といってもみな光沢があり、煌めきがある。普通の石ではない、というのは見ればわかる。六角錐の結晶や手を入れられていないとすぐわかる欠片。真っ黒な光沢を持ったものから、透き通るような色合いまで。

 その中でも不思議なのが、宝石の中できらきらとした光のようなものが緩やかに流動しているものだった。

 いくらなんでも普通の石ではない、というのはすぐにわかる。


「それは魔石だ。見たことは?」

「無い!」


 まず現代に魔石というものが存在しないのだから当たり前だ。


「触っていいやつ?」

「……構わんが」


 許可を取ると同時に、手に取って光に翳してみせる。

 しばらく興味深く観察していたが、隅のほうに追いやられたものがあることに気付いた。


「あそこにあるのは?」


 部屋の隅で真っ黒になった石を指さす。

 黒曜石も黒いことは黒いが、どちらかというと墨か石に近い。扱いも置いてあるというより廃棄のようだ。


「……あれは……」


 ブラッドガルドがやや言いよどんだ気配を見せる。

 眉間に軽く皺が寄っている。

 おそらく――試作品というよりは、純粋な失敗作、と言ったほうが正しいのだ。瑠璃はなんとなくその気配を感じ取る。だが、ブラッドガルドが何も言わないので判断はしないでおいた。


「これがあれ? ブラッド君が今作ってるものの必要なやつ?」

「……そうだな」


 瑠璃の目は興味と好奇心に彩られ、ひとつひとつ、そろそろとつまみあげては光に翳してみている。

 きらきらと反射する光にカメラアイが反応するのを見ると、戯れるように光を動かしてはカメラアイの反応を楽しむ。

 ブラッドガルドはその様子を眺めると、不意に疑問のように口を開いた。


「で、何も無いのか」

「えっ、何が?」

「我が作ったものを壊すのではなかったのか」

「なんで急にサイコ野郎扱いされてんの私!?」


 さすがにその発想はなかった。


「以前言っただろうが」

「え? あー、そりゃー目的によってはね。そうしないとダメかなって。でも、ブラッド君が何か作ろうとしてること自体には興味ある!」


 一瞬、ブラッドガルドは片目を見開く。


「だってほら、たとえば」


 瑠璃は真顔になる。


「水中酸素破壊剤とか作られたら困るじゃん……?」

「何故我がかの王を殺す側になるのだ?」

「……ほら、女神様とか……」

「それなら、血液凝固剤のほうがまだ現実的だな」


 二人の想像の中で炊飯器に似た何かが空を飛んでいく。


「とにかく、大量破壊兵器とかだったらブラッド君が死んでしまう……それは怖い……」

「失敗する前提にするな」

「前提じゃなくて……こう……なんか……人が……、負の連鎖……?」

「貴様の語彙力はどうにかならんのか?」

「それは無理」


 そこだけはきっぱりと答える瑠璃。


「でも、ブラッド君が作るものには興味がある」

「何故だ」

「おもしろそうだから」

「……勝手にしろ」


 ブラッドガルドはとうとう諦めた。

 瑠璃は言質をとったとばかりに部屋へ引き返すと、そのまま飲み物を手に戻ってきた。見学するためだ。

 そして、ブラッドガルドの魔術が始まる――……はずであった。


「おい待て小娘」


 戻ってきた瑠璃の手には無視できないものがあった。


「えっ何?」

「待て。なんだそれは」


 瑠璃の手が持つ――ブラッドガルドにとっての――異様なものを示す。

 持っているのは売り物のカップだ。

 名前以外は透明なカップは、中に入っている液体がちゃんと見える。

 しかし、知らない人間(魔人も含む)が見れば動揺するのも無理はない。なにしろそのカップというのが、薄茶色の液体の下のほうに、黒いぷるぷるとした球体が覗いているのだから。


「えっ。なんか飲んじゃダメなの」

「違うそうじゃない。なんだそれは」

「タピオカミルク」


 聞き慣れない単語に、ブラッドガルド――と、瑠璃の動きも止まる。


「……何が生まれるんだ……?」

「カエルの卵みたいに言わないでくれる!?」


 確かに見る人が見ればそうかもしれないが、敢えて誰も言わないことだ。


「あとそれで言うならチアシードとかバジルシードのほうがそれっぽいよ。これは種だけど」


 スマホでそれぞれを検索して画像を見せる。


「……これは本当に種か? 卵ではなく?」

「種だよ……。水に浸すと種が吸収して、周りがゼリー状になるの」

「で、タピオカは」

「えっ。タピオカは……」


 瑠璃は言いながら止まった。

 お互いに顔を見合わせたまま停止する。

 瑠璃は、……なんだろう、という顔が如実に表れていたし、ブラッドガルドはその瑠璃を見下ろしたままだった。


 それからしばらくして、瑠璃は買ってあったタピオカミルクのカップを持って戻ってきた。


「せっかく二個買ってきてあったのに~」


 文句を言いつつ、ブラッドガルドに手渡す前に付属品のストローを取る。


「我の前で飲むのが悪い」

「いいけどね。ストロー太いでしょ、これだと沈んでるタピオカも吸って食べれる」


 付属品であるストローを見せて、カップ上部に突き刺してから差し出した。


「タピオカミルクは呼び方もタピオカティーとか、パールミルクティーとか。これはタピオカがタピオカパールって呼ばれてることに由来するね。ミルクティーは紅茶とか中国茶にミルクを入れたものだからわかるよね」

「一応はな。で、タピオカは」


 ストローに口をつけると、白いストローの中を黒い塊が移動していった。ブラッドガルドの表情がぴくりと動く。


「タピオカは、キャッサバってのから出来てるよ。えーと、イモの一種?」

「イモ」


 あまりに意外だったのか、オウム返しに返答が返ってきた。


「キャッサバ自体は茎を切って地面に挿すだけで育つめっちゃ簡単なイモだよ。乾燥にも強くて、枯れた地とか痩せた地でも栽培できる上に手入れも簡単っていうめちゃくちゃ効率のいいイモだよ。貧困問題解決の切り札とも言われてるね」

「万能イモか何かか?」

「イモだけじゃなくて葉から茎から捨てるところ無いらしいからね……」


 思わず真顔になる瑠璃。

 スマホの画面をスクロールさせながら、自分もタピオカミルクを一口飲む。


「ただ、キャッサバにはその分、シアン化水素……青酸って呼ばれる毒があるんだ。だから毒抜きが必要で、しかもそのために処理したその場で加工しないとすぐ腐っちゃう」

「……しわ寄せが一気に来ているな。確かに加工は面倒だ」

「それ違うもの考えながら言ってない?」


 部屋の隅に散らばる石炭のようなものを見て言う瑠璃。

 ブラッドガルドはそっと目をそらした。


「でもジャガイモとかでも芽には毒があるっていうし……、安全に食べるための毒抜きの方法は確立されてるからね」

「そもそも毒があるものを食おうというのもわけがわからんが」

「日本人はフグとかも食べてるから本当にそのあたりよくわかんないよね」

「貴様が言うな」


 的確なツッコミを喰らい、考えないことにした。

 ストローの先から、つるんとした感触の球体が口の中に入ってくる。ぷよぷよもちもちとした感触は、知らなければほとんど正体不明の物体だ。


「食用以外にも、エタノールなんかの利用範囲も結構あるよ。あと、苦味種と甘味種で用途は微妙に違ったりね」

「では、普段も喰ったりしていないのか?」

「日本だと家庭の中で普通に料理……とかはしないかなあ。イモ類ってただでさえ種類多いけど、日本でイモっていうとジャガイモとかサツマイモのイメージだし」

「それらは?」


 何故か射抜くような視線を向けてくるブラッドガルド。


「……。そうだね……。煮たりとか……料理とか……お菓子とかに……」


 耐えきれなくなった瑠璃が言うと、ブラッドガルドの目が細くなった。


「キャッサバが主食だったのはアメリカ大陸の真ん中あたりというか、西インド諸島とかのあたりだよ。原型になったイモはブラジルあたりで栽培が始まったっぽくて、植民地化されるまで主食になってたんだ。その簡単さから奴隷用の食料としても栽培されてた。そこから持ち込まれたアフリカでも栽培されて広まったんだって」

「イメージに無いというわりには予想外に広まっているな」

「うん。実際めちゃくちゃ便利だけど、アフリカだと有害なウィルスの発生が確認されてるし、品種改良が進められているよ。ただ、種が出来にくいらしくて。そのくせ品種改良には種が必要だから、今も研究が続いてるかな」


 挿し木というのはクローン技術に近いという。というより、元祖といっていい。バナナやサツマイモなども様々な理由があって現在までそのやり方が続けられている。

 だがクローンだからこそ、病気などが広がってしまった場合に対処が出来にくくなる。


 キャッサバの場合は種が出来にくく、挿し木で増やしたほうが簡単という理由がある。多くのイモ類は種で育成した場合も一年以内に育たないという特徴があるようで、まだ研究は充分とは言えない。


「で、そんなキャッサバの根茎から作られるデンプンがタピオカ」

「ようやくここまで来たな」

「タピオカって呼ぶのはブラジル先住民の言葉で、デンプン製造法をそんな感じの言葉で呼ぶからだって。利用方法は食品のつなぎとか。ミスドのポン・デ・リングとかにも入ってる。もちもち感が出るから。というか、モチモチとかプヨプヨした食感の改良ができるみたいなんだよね……」


 タピオカはタピオカとしてではなく今までも使われていた。

 そもそも加工されたデンプンの用途がかなり広いのだ。


 ズー、とブラッドガルドのカップから音がし始める。


「タピオカティーの発祥は台湾だよ。

 どこが作ったか、の説は二つあるけど、どちらも喫茶店のオーナーが誕生させた説だよ。 そのうちのひとつである「春水堂」によると、一九八三年くらいにできた。理由は中国茶の新たな飲み方の模索的な感じね。ただ、当時はあんまり話題にならなかったけど、日本の番組で取り上げたあとにだんだんブームがきた。

 店や地域によっては緑茶とか烏龍茶でミルクティーを作ったり、いろんなバリエーションが増えてきてるよ。日本だと桜とかね。

 キャッサバとかタピオカって今までも存在はしてたんだろうけど。中華街とかにもあっただろうし……ここまで全国区になったのは……いつだろ、私が気が付いた時にはもうあったからなあ」

「種類はともかく、ブームになった、ということだろう?」

「そうそう!」


 瑠璃は頷く。


「だけど、タピオカがイモから出来てるってことは……。コンニャクみたいな感じで私カロリー無いですよみたいな顔してるくせに、だいぶカロリーはあるんだよね……怖い」

「怖がるくらいなら貴様のも寄越せ」

「確かにブラッド君はもうちょっと肉をつけたほうがいいかな……」

「……おい、複雑な目で見るな」


 さすがにツッコミを入れるブラッドガルド。


「あとタピオカの名前がカワイイ」

「貴様のその感覚だけはわからん」

「そうかなあ!? カワイイでしょ!?」

「……我を妙な呼び方をするところからして、感覚はわからんと思っていた」

「それ自分で変だと思ってたの!?」


 ほぼ今更に近い事を言われても困る。


「変えたほうがいいの?」

「もう言っても無理だろう」

「そっか。じゃあこれからもブラッド君て呼ぶね!!」


 瑠璃が顔を輝かせたのと対称的に、ブラッドガルドは無言のままだった。何を思ったのか長い息を吐き出したあとに、空になったカップをテーブルに置いた。


「ところで、話はこれで終わりだけど。やんないの?」


 瑠璃はテーブルに置かれたままのノートを手にとる。


「ブラッド君て、今までこういうの作ったことある?」

「無い」

「そっか。じゃあ仕方ないな」

「……」

「トライ&エラー!」


 瑠璃は開かれたノートを見せつけた。


「赤ペンとか色ペンあげるから、修正できそうなとこ目立たせようよ。そうすれば改良しやすい!」

「……我としては糖分が欲しい」

「糖分は今飲んだろ!?」

「食うほうが足りんわ、馬鹿者」


 ブラッドガルドは瑠璃の額を軽く指先でつつく。


「あー」


 瑠璃はわざとらしく頭を後ろに反らせると、ブラッドガルドの口の端が小さく上がったのを見逃した。

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