37話 ショートケーキを食べよう(後)

「遅い」


 ブラッドガルドはドアをちらとも見ずに言った。

 目線は下を向いている。一度ここを通って自分の部屋に戻った時は何も言わなかったのに。瑠璃はテーブルにトレイを置くと、隣にしゃがみこんで手元を覗き込んだ。


「それ、こないだからずっとやってるけど何?」


 手元のノートには、それらしい円陣や、おそらく向こうの書き言葉とおぼしき線と記号の群れが書かれている。何となく理解できるのは、それが何かの魔法だということだ。

 ただ、それ以外はさっぱりわからない。


「試作品だ」

「魔術って感覚でできるんじゃなかったの?」

「わかるのか」


 目線がようやく瑠璃を向く。


「見た目が魔術っぽい」

「……。……まだ必要なものが無いからな。無駄に浪費はしたくない」

「ふーん?」


 魔術に長けた人ならわかるのだろうかと首を傾ぐ。

 ひとつ言えることは――ボールペンを使いこなしている異世界人はどうにも光景としてちぐはぐなことだ。


「ま、いいや。ケーキ食べよう!」

「……」


 瑠璃が言うと、ブラッドガルドは小さく息を吐きながらノートを閉じた。

 ノートとペンはあっと言う間に本棚へと押しやられる。


「というわけで、ショートケーキだよ~」

「……」

「なんでちょっと微妙な顔してんの」

「別に」


 皿の上に載せられているのは、カインに持っていったものと同じものだ。まあ同じものを三つ買ってきたから当然なのだが、シンプルにして至高である。


「日本でケーキといったらショートケーキ!」

「そうなのか……?」

「よくわかんないけどそうだよ。だってどこにでもあるし、ケーキといったらイチゴのショートケーキだし。だいたいシンプルにケーキっていったらショートケーキ」

「……なら、特に由来は無いのか」

「え~? 別にショートケーキは普通にショートケーキだと思うよ。ショートって小さいとか短いって意味だし。多分、カットしてあるから小さいケーキ……みたいな?」

「そういうものか?」

「そうそう。絶対そうだって」


 瑠璃とブラッドガルドは無言で見つめ合う。


「……本当にか?」

「……絶対、そう!」


 再び無言の時間が過ぎる。

 瑠璃は微妙な居心地の悪さを気にしないようにしながら、ケーキにフォークを落とした。ぐっ、と押し込まれながら、ケーキはやがてフォークを迎え入れる。スポンジはいつだってそうだ。この小さな抵抗はちょっとした反抗なのだ。

 生クリームと一緒にフォークによってカットされたケーキは、中に挟まれたほんの少しのイチゴを巻き込みながら一緒に口の中に入れられる。

 柔らかなスポンジとしっとりした生クリームに、イチゴの酸っぱさがよく効いている。


 シンプルイズベスト、を体現するかのような味だ。

 スナックやクッキー類とも違う、ちょっと豪華で、いつもと違う感じのお菓子。


「んん~~、やっぱ美味しい!」


 瑠璃は顔をほころばせたが、ブラッドガルドは相変わらず表情があるのか無いのかわからない顔で口にしている。

 ただ、文句が飛んでこないところを見るに、『悪くはない』らしい。

 ふふん、と一人で納得しながら、瑠璃は何となくいつもの感覚でスマホを手にした。もはや癖のようなものだ。由来を調べる――という。ブラッドガルドがフォークを口に挟みながらその様子を眺めた。

 親指で画面をスクロールしながら、瑠璃の目は字を追う。しばらく表情は変わらなかったが、その顔がどんどんと真顔になっていき、やがて無言になった。


「……」


 そんな瑠璃を、ブラッドガルドが無言で見つめる。

 瑠璃はスッとテーブルにスマホを置き、目をそらしながらケーキの続きに手をつけようとした。

 ブラッドガルドはフォークを口から離すと、小さく口の周りを舐めてから言った。


「……おい」


 かけられた声に瑠璃はビクッとしながら、ますます目をそらす。

 目をそらしているというより、既に顔をそらしている。


「言え」

「ううううう」


 フォークをくわえながら呻く瑠璃に、ブラッドガルドは鋭い目線を送った。


「ううううう、うぐぐぐーっ、ううーっ」

「我が聞きたいのは奇声ではない」


 表情をぴくりとも動かさぬまま言う。


「……それで、なんだ」

「うううう」


 ようやくフォークを口から抜き、観念したように瑠璃が続けた。


「こ……『国籍不明』らしいよ」

「は?」

「いや、だってそう書いてあるんだもん!」


 見てみろとばかりに画面を見せる瑠璃。


「読めん」


 冷静なツッコミをしつつ、ブラッドガルドは続きを促した。


「その国籍不明……というのは」

「えっとほら、たとえば杏仁豆腐なら中国とかマドレーヌならフランスとか」

「そうだな」

「うん。日本ではほぼ洋菓子の代表と言っていいのに、何故か日本にしかない」

「……なるほど」


 ブラッドガルドは腕に垂れ下がった布を後ろへと払いのける。


「……では、説明してもらおうか」

「……いい加減、その服なんとかしなよお……」


 瑠璃は言いつつ、再び画面に目を向けた。


「ショートケーキって、さっきも言ったけどケーキの代表格なんだよね」

「それは変わらんのか」

「特に日本だと、十人に聞いたら九人くらいはショートケーキが基本だって返ってくると思う。それくらい洋菓子――つまりは海外から入ってきたケーキの代表格なのに、どういうわけか同じものは海外にはない」

「それは先程も聞いた」

「というか、日本人の好きなもの全部乗せだからね。しっとりふわっとクリーミー」

「……まあ……、貴様たちの好むものに堅いものはあまり無いな」


 これは外国人からも同じ感想を抱かれることが多いらしい。

 日本人が「柔らかなものを美味しいというのはなぜか」と。


「つまるとこ、洋菓子でありながら日本で出来た、ってのは間違いない」

「……ふむ」

「じゃあどこで出来たのかっていうと、まあ当然スポンジの元祖が日本に伝来してから。これはカステラとして日本で独自路線を歩んだけど、スポンジはスポンジとして存在してるしね。

 イチゴもそう。イチゴってもともとは木苺が使われてて、このイチゴはオランダイチゴって呼ばれてたらしいよ。

 で、一番大事なのが生クリーム。それまでも入ってはきてたけど、大正十三年くらい――、一九二四年あたりに遠心分離式の生クリーム製造機がようやく入ってきて、そこから生クリームを製造できるようになった、って話があるみたい」

「……やはり大量生産が出来るようになると一気に広がるな」

「生クリームは保存がきかないから、一般大衆にまで広まったのは冷蔵庫の普及もあると思うけどね」


 なお、冷蔵庫が広まったのは昭和三十年頃。西暦でいうと一九五五年。

 たった三十数年くらいの間に、金融恐慌も日中戦争も第二次世界大戦も、更にそれが終わった戦後の混乱期を越え、ようやく高度経済成長が始まったくらいだ。


「で、話を戻すとね。製造機が入ってきたと同時に、その頃は多くの人たちが海外に行って修行してたんだ。

 そのなかのひとりが、門倉國輝。

 この人はフランスに修行に行って、大正十三年にコロンバンっていう東京のフランス菓子製菓会社の創始者になった人。そして、ショートケーキ由来説のひとつである、フランスのケーキアレンジ説の人だよ」

「フランスの……ケーキ?」

「ただ、フランス菓子にもスポンジと生クリームの組み合わせはあんまり無いみたい。

 フランスには『フレジェ(イチゴ)』っていう名前のイチゴのショートケーキ風のものがあるけど、日本のとはやっぱ違う。スポンジとイチゴは使ってるけど、バタークリームとカスタードを混ぜ合わせたクリーム・ムースリーヌっていうのを挟むだけ。外側に塗ったりもしないし」


 瑠璃はショートケーキの外側に塗られた生クリームをフォークでつつく。


「最初のほうはフランス流の作り方をしていたけど、おそらく日本人の好みに合うように改良していった結果、昭和初期くらいにはいまのショートケーキの元祖が作り上げられたんじゃないか……ってのがひとつの推測だね」

「……結局好みに合わせた結果か」

「うん。それもあってかわかんないけど、フランス菓子を掲げる店はショートケーキを置かないところもあるみたい。といってもケーキの範囲は広いし、色々改良して置いてはいるみたいだけど」

「ふん」


 ブラッドガルドは残っていたショートケーキを一口、口の中に放り込む。


「……さて……、その言い方だともうひとつふたつ説はありそうだが」

「ううう」

「呻くな」

「ま、まあ、そうだよ。今の説より有力とされてるのが、アメリカのケーキアレンジ説だよ」


 瑠璃は画面をスクロールさせながら続けた。


「実はアメリカとイギリスには同じ『ショートケーキ』の名前を冠するケーキがあってね」

「なんだ、あるのか」

「でも、これはスポンジと生クリームの組み合わせじゃない。生クリームをビスケットで挟んでイチゴを乗せたような見た目なんだ」

「……ビスケット、という時点でだいぶ違うな」

「昔、ビスケットを重ね合わせてミニケーキ作ったことがあるけど……そんな感じ?」

「そうか。それは別に持ってこなくても良い」

「は!?」


 本気なのかおちょくられているのかわからない発言に、思わず反応してしまう瑠璃。

 ブラッドガルドがしれっと視線を逸らしたので、おそらく後者だ。じとりとした抗議の目線は、あっけなく受け流される。


「で、続きはなんだ」

「覚えてろよブラッドガルド……絶対持ってくるからな」

「……わかったわかった」


 表情はあまり変わらなかったが、面倒くさい奴め、と言いたげな感情だけはしっかり声に出ていた。


「これは一応アメリカのケーキアレンジ説……ってことにしておくけど、もともとイギリスで作られてた『ショートケーキ』がアメリカに渡って更に洗練された感じだね。この『ショートケーキ』のショートが語源とも言われてる。この場合のショートは『サクサク』感とかそういうやつ」

「貴様の当初の説明とまったく違うではないか」

「……」

「わかりやすく目を逸らすな」


 それほどツッコミを入れる気も無かったのか、ブラッドガルドはショートケーキの残りを食べ尽くす。

 軽く咀嚼したあとに、きちんと飲み下してから続けた。


「……要はビスケットだのクッキーだのの食感のことだろう」


 このショートケーキの食感はあきらかに「サクサク」ではないのは確かだ。


「まあね。うん。そうだよ」


 瑠璃は認める。


「こっちは『不二家』っていうお店が紹介した説。藤井林右衛門って人が創業したお店で考案したことになってるね。不二家はアメリカのお菓子研究が専門みたいな感じで、その流れでショートケーキも考案されたみたい。

 で、アメリカにはストロベリーショートケーキっていう、これまたイチゴのショートケーキが存在するんだけど、これもイギリスベースだから使ってあるのはビスケット。

 そしてやっぱり日本風にアレンジした結果、ビスケットからスポンジになった。

 ただ、不二家のショートケーキはイギリス・アメリカ風で、外側の側面には生クリームを塗らないっていう手法みたいだね。

 一応、このスポンジとクリームとイチゴの取り合わせのケーキを広めたのは不二家ってことになってるよ」

「いずれにしろアレンジしたのは違いない、と」

「うん。だから、語源が飛んじゃったんだよ」


 瑠璃の視線が下を向いて画面を進める間に、ブラッドガルドの目線だけが瑠璃の前のショートケーキに向けられた。


「もともと『サクサク』って意味のショートを名前だけ残しちゃったものだから、私みたいに『ショートサイズにカットされたケーキ』とか、あと多いのは『ショートタイム』、つまり簡単で短い時間で出来るケーキ、みたいに解釈された可能性があってね」


 他にも、「ショートニングを使っているから」とか、「生ものなので短い時間(ショートタイム)で食べないといけないから」などが出てきてしまったのだ。

 本来の意味がすっかり忘れ去られながら、ショートケーキは広まっていくことになる。


「バカなのか?」

「バカって言うなよ! それに、日本人の持つ『洋菓子=高級』感とうまくマッチしたんだと思うよ」

「貴様たちの感覚はどうなっているんだ」

「海外にあるものって何故か高級なイメージ持ってる人っているんだよねえ……今でも、ヨーロッパイコール先進国というか、高級ってイメージ持ってる人はいそう」

「わけがわからん」


 ブラッドガルドは自分の分は食べ尽くしたはずのショートケーキを再び口の中に入れた。


「とはいえ、私としてはショートケーキの真相よりブラッド君が最近何を作ってるのか気になるんだけど」

「突然話が戻ったな……どういう風の吹き回しだ」

「え、だって変なものだったら私が壊したほうがいいかなって」


 瑠璃が言うと、ブラッドガルドはすべての動きを止めた。

 それから僅かに目が見開かれ、何か珍妙なものでも見るかのような目線になる。


「……貴様が?」

「うん」

「あれを?」

「うん。……っていうか私なんか変な事言った!?」

「……ふっ……」


 思わず、と言ったように鼻で笑われた。


「……く、く……ふ、く……、く、くくくくっ……」

「なに笑ってんの!?」


 肩をふるわせる程度だが、現状、類を見ないほどの爆笑と言っていい。


「……なるほどそうか。しかし……、それならそれで面白そうではある」

「なに面白がってんの!? というか笑い事じゃないんだけど!」

「何故だ。貴様は我を倒したくは無いのか」

「なんで!? 壊すのは魔術であって倒すとかじゃないけど!?」

「違う。……そういう意味では無い」


 どういう意味か説明がなされる前に、瑠璃はハッとする。


「いや待って。私には今明確にブラッド君をボコボコにする理由がある」

「なんだ」

「私のショートケーキの残り食べたでしょ!? なんで気が付かないと思ったの!?」

「……ああ」


 ブラッドガルドはわざとらしく視線を逸らす。


「いや、ああじゃなくて!」


 それどころか素知らぬ表情で顔を逸らす。

 ぎゃあぎゃあと喚く瑠璃の頭を片手で軽々と押さえ込みながら、その目線の先にふと目が奪われる。


「……」


 カメラアイ――球体の肉塊に細い足が生えただけの、眼球生物――が映し出したもののひとつに、どこかで見たゴブリンが映っているのに気付いたのだ。そいつは大荷物を抱えて、ひいひいと迷宮を奥へと下ってくる。

 それを見つけた瞬間、ブラッドガルドは口の端をあげようとしたが――その前に腕を突破してきた瑠璃にとっ捕まった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る