36話 ショートケーキを食べよう(前)

「そういうわけで、おめでとう!」


 瑠璃はカットされたケーキの乗った皿をカインに差し出して、にこにこ笑っていた。

 当のカインは目を丸くしていたが、そんなことはお構いなしだ。


「……ええと、これは……?」

「イチゴのショートケーキ、だよ!」


 見るのは当然初めてで、『ケーキ』という名前から想像するどんなものよりもショートケーキは違っていた。

 きつね色のスポンジケーキを真っ白なクリームで重ね合わせ、クリームの間にも真っ赤に熟れたイチゴが覗いている。外側もすべてクリームがきれいに固められていて、これだけでも作り手の技巧はかなり高いと予想できる。上に乗ったイチゴも綺麗な形だ。


「えっ、ほら。動けるようになってきたっていうから」


 確かにカインはここ数日、部屋から出られるようになっていた。もちろん部屋の中にいた時から少しずつ鍛錬ができるように体を動かしていたから、動けるようになったというのは少し違う。

 腹筋だの屈伸運動だの、体を鍛えるための基本的な動きだけだが、すべて騎士団でやらされた大事な基礎訓練だ。

 今となってはすべて遠い過去のようだ。短くともそこで学んだことは無駄ではなかったが、それでも――思うところはある。


「お祝い的な? 快癒祝いとかいうんだっけ? 全快祝い?」

「ああ……なるほど。ありがとうございます」


 細かなところはともかく、確かに刺された傷も癒えてきた。体の傷は治っても心の奥底はずきりと痛んだが、そんなことはきっと目の前の少女には関係ないだろう。

 ただ、祝いに菓子を出すという文化をちゃんと出してきたところに驚いた。そして、このショートケーキというケーキがどこから持ち込まれたものなのかも。


「しかし、このような……豪華なケーキは見たことがありません」

「ほーん。そっかそっか。じゃあ、口に合うかどうかはわかんないけど!」


 その笑顔に悪意は無い――少なくともこれで裏があると言われれば、相当のものだ。

 瑠璃は確かに、どこから仕入れているのかわからないものを持ち込んでくる。顕著なのは食事だ。

 毒でもいいと思って口にしたものは、確かに毒には違いなかった。もちろん味が合わない――主に味の濃さにおいて――ものもあったが、パンなどは今まで食べたことがないほど柔らかかったし、二等パンらしきものも白パンに負けず劣らずだった。形は丸かったり四角かったりと様々で、それもカインの目を引いた。

 加えて、砂糖をふんだんに使ったジャムや、無造作に置かれた角砂糖は言わずもがな。

 本当にどこから仕入れているのかは疑問が残るが、もはや普通の二等パンを食べられないのではと思うほどだった。

 つまるところ――この毒とは、害があるという意味ではない。舌を肥やすのだ。

 しかも、瑠璃は二等パンも白パンも同様にともかく「パン」として持ってくる。白パンとそれ以外で口にできる者が違わないというのは驚きだった。


「っていうかこれ持ってくる時もブラッド君にめっちゃ睨まれたんだよ。ひどくない?」

「えっ」


 どきりとする。

 ブラッド君、などという敬称なのかあだ名なのかわからない呼び方をしているが、それは間違いなくブラッドガルドのことを指している。


「あの……ブラッドガルドは……何か……?」

「ん? ああ、違う違う。カイン君に対してじゃないよ。『我が復活には何も献上せずにいたのにか……』みたいなこと言っただけ」

「……」


 なんと反応していいかわからない。

 どこから本気でどこから冗談なのだろう。


 カインはそれとなく、以前から気になっていたことを聞き出そうとした。


「あの、ルリさんはブラッドガルドを復活させたかったのですよね?」


 カインは敢えてそういう言い方をした。


「別にそんなことはないけど」

「……違うんですか?」

「それ以前にあんまり復活したって実感が無いかなあ。同じとこに居るし、やることは特に変わってないし。というかブラッド君もあんまり変わってないし」


 首をかしげる様子に、カインは続ける。


「それは、封印されていた頃と? それとも、封印以前からですか?」

「一応、封印されてた時から、かなあ? 確実に元気になってるには違いないけど」

「……なるほど、そうですか。他に気付いたことはありますか?」

「え~……? あっ、あと」


 瑠璃が思い出したように言うので、カインは意識を集中させた。


「変なとこで子供みたいだよね」

「……」


 一瞬、時が止まってしまう。


「…………はい?」

「好奇心の塊みたいな」

「あ、ああ、そういう」


 それにしたって言い方があるだろう、とほんの少し思ってしまう。

 それこそ本人の前で言ったら睨まれるか、睨まれるで済んだら良いほうなのではないかと思う。


「意外です。ブラッドガルドが好奇心の塊というのは」

「カイン君から見てどういうイメージなの?」

「……そうですね。他の方々とほぼ同じです。恐ろしく、強大で、名と同じ……、何を考えているかわからない、最悪の迷宮の奥に座す、最悪の魔物……。勇者殿は、『中身が無い』とか、『空っぽだ』と表現したようですが」

「……」


 瑠璃は珍妙な表情をした。


「見方によって色々あるよね、うん。話してみないとわかんないこともあるからね」

「ルリさんはどんな印象なんですか」

「少なくとも、空っぽではないかな。ブラッド君はブラッド君だよ」


 どうにも印象はちぐはぐらしい。


「知らないから、怖いんだと思うよ。たぶんね」

「……そう、でしょうか」


 だが、確かにそうかもしれない。

 あの小さな部屋でブラッドガルドに会うまで、カインはすぐさま殺されると思っていた。しかし実際は――このありさまだ。

 少なくとも言葉が、話が通じた、という点においては予想の範囲外だった。聞かされていたこととずいぶん違う。


「そういえばカイン君さあ」

「はいっ?」


 突然話を振られて、声がうわずった。


「聞いたけど、カイン君てなんか……あの……迷宮が乗っ取った土地? の王子様? なの?」

「えっ……ええ、まあ」


 ヴァルカニアの名を出したのだからもう周知の事実かと思っていたが、そうではないらしい。よくよく考えればヴァルカニアは百年前――実際には防衛に失敗した王家が脱出したのはもっとずっと後だが――には『荒れ地』になっているから、知らない人間がいたとしてもおかしくはない。


「『荒れ地』としか知らないかもしれませんが、あそこには僕の先祖の土地がありました。僕も話でだけしか聞いたことはありませんが、そこには確かに国があったのです」

「おう……そっか」


 瑠璃はそう言ったあと、視線が泳いだ。

 適切な言葉を探しているようだった。


「じゃあ、えーと……なんか復讐的な感じ?」

「復讐?」

「ブラッド君に」


 カインはしばらくその言葉の意味を探った。

 土地を奪ったブラッドガルドに復讐しようと思うのか――という意味だと何となく察する。


「復讐……というより、そういう取り決めですから。ブラッドガルドを倒したところがあの土地を手に入れられる、という。ですから、僕が土地を取り返すには、ブラッドガルドを倒すしかなかった……。……もっともそれは、僕の……父や祖父たちの範囲外で話し合われたことのようですが」


 カインは我知らず、ぐっと拳を握った。


「えっ。そういう感じなの」

「それに、ブラッドガルドを倒せば『荒れ地』の魔力をどうにかすることもできるでしょうから。本当は、ブラッドガルドが封印の中で消滅したのを確認次第、すぐに……という流れだったんですが」


 説明しているうちに、瑠璃の顔を見る。

 復讐と言った時よりは真面目というか、眉を寄せていた。


 今度は何を考えているのかわからなかった。


「それじゃ、『荒れ地』がどうなってるかとかってわからない?」

「誰にもわかりませんよ」

「……じゃあ、やっぱりカイン君はブラッド君に一度話しに行ったほうがいいよ」


 瑠璃はそう言うと、きびすを返した。


「あんまり遅いとまーたワヤワヤ言われるから行くね」

「ま、待ってください。話しにって……何を」

「自分が何をしたいのかとか」


 カインはたった一言で打ちのめされた。

 散々言葉を交わして、さらりと言われたたった一言が一番難しいとは。ひどい課題を出されたものだ。


「……ルリさん」

「うん?」

「……あなたは、何者なんですか」


 やっとのことで形にしたその問いに、瑠璃はしばらくぽかんとしていた。

 だが、急にプッと噴き出すと、大いに笑った。


「ただの人間だよ!」


 そうおかしそうに笑う様子は、本当にただの人間のようだった。

 ばたんと扉が閉じられて、その姿が見えなくなる。


 扉の向こうの靴音が完全に聞こえなくなってから、カインは目の前のケーキに視線を落とした。添えられたフォークを手に取る。まるで別世界にいる気分だ。迷宮の奥底、という意味ではそうだが、それ以上に根本的なところが違うような気がした。

 ケーキはくにゃりと押しつぶされながらも、フォークを柔らかく迎え入れる。切り取った欠片をフォークで突き刺すと、何を考えることもなく口の中に入れた。


 ――……これも、確かに毒だ……。


 カインは甘い味を転がしながら、そうごちた。

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