33話 クイニー・アマンを食べよう

 勝負は大詰めに来ていた。

 ひとつでも間違えたら、何かが変わってしまう。けれど瑠璃はまだ余裕だった。むしろ追い詰められているのはブラッドガルドのほうだ。瑠璃が手を離すと、ブラッドガルドの目線が瑠璃を射抜いた。


「……小娘……」


 彼は表情を変えなかった。

 しかし、どこか哀れみが入り交じった声が響く。

 その指先がとある場所へと向けられると、状況は一変した。


「……あっ」


 瑠璃が、しまった、という声を出した。

 ぱちん、という石のぶつかる音とともに、続けてぱちん、ぱちん、と黒い石がひっくり返されていく。白に変わった石は増え続け、ブラッドガルドの指先が最後の一枚を返し終えた時には、完全に優劣が逆転していた。


「うええん失敗した!」


 瑠璃の泣き言など気にもとめず、ブラッドガルドは続けて次の石を置いた。瑠璃が自分の石をどこにも置けないことを見抜いたのだ。


「いちいちぼやくな」


 呆れと冷静さを含んだ声が落ちる。


「選択を間違えれば当然だろう。貴様がこの間作ったパンケーキなのか石なのかよくわからんもののように」

「それは焼加減を間違えただけだよっ! プラリネとかもそうだったけど、失敗から生まれたお菓子とかも結構あるし!」


 言い訳のように言う。

 それでも憮然とした表情をしていると、ふと石の音が聞こえなくなったことに気が付いた。つい、と顔をあげると、自分の置ける場所に石を置く。それでも一枚か二枚ひっくり返しただけで、置いた石ごと再びひっくり返っていく。


「んあー! 負けた!」


 オセロをひっくり返さんばかりの勢いで、瑠璃は体を伸ばした。


「……では、此度の勝負はついたな」

「うあー」


 もはや石の色を数える間もなく、勝負の行方は明白だ。同じ石を重ね合わせながら、オセロを片付けていく。


「……それで?」

「えっ? ああ、もう一戦ってこと?」

「違う。その先が無いわけではあるまい」

「……うん?」


 沈黙が流れる。


「……言っただろうが」とブラッドガルドは続ける。「失敗から生まれた菓子もある、と」





「……それで、まあ。とりあえず今日はクイニー・アマンを買ってみたけど」


 言ってしまったからには後には引けなかった。


 クイニー・アマン。

 フランス系のパン屋では比較的よく見る菓子パンの一種だ。


 円柱型で、形だけ見ればオセロの石の形といえばわかるだろう。もちろん、パンだから石よりは大きいけれど。

 クロワッサン風の生地を平たく伸ばして作る物で、中の生地のサクサク感とは違い、表面は砂糖を焦がしカラメル状にしてある。そのため表面は堅い。


「堅いから切ったほうがいいと思って、調理バサミ――」


 ハサミを構える前に、横でバキバキと小さな音がした。

 ブラッドガルドはクイニー・アマンにかぶりつき、気が付いたときには半分近くが消えていた。

 もしゃもしゃと口の中が動いているのが見える。


「なんで食べれるの……?」

「貴様との差だな」


 きっちり咀嚼して喉に通した後、ブラッドガルドは言った。

 微妙に納得がいかなかったが、目の前で見せつけられたら納得するしかなかった。


 瑠璃は自分の分だけ四等分に切ると、欠片を口に入れた。

 カラメルの固まった甘みに加えて、噛みしめるごとに塩気のあるバターの風味が口の中に広がる。


「んんん、美味しい……!」


 瑠璃はじわりと口の中に広がったバターを楽しむ。

 クロワッサン生地も、味がしっかりと染みこんでいる。


「これはちょっと癖になりそう……」


 こういうものはパン屋によって味が違うが、少なくとも今日の成果は瑠璃にとって「当たり」だった。

 ブラッドガルドはといえば、相変わらず美味いのかまずいのかよくわからないがひたすら咀嚼していた。


 やがて瑠璃が半分ほど食べ終えたところで、スマホを手にとった。それとなくクイニー・アマンを調べ始めたのを見ながら、ブラッドガルドは二個目に手を伸ばした。


「元はフランスの地方菓子ってやつだね」

「地方菓子?」

「全国区じゃなくてその地方では有名、みたいな。地方出身のパティシエさんなら作れるけど、全員が作れるわけじゃないってカンジかな。クイニー・アマンもブルターニュ地方ってところのお菓子だよ」


 ブルターニュはフランスの北西部の突き出た半島のようなところにある。

 有名なアーサー王物語とも繋がりがあり、魔術師マーリンの墓や、ブロセリアントの森であると言われている場所や、湖の乙女とも関係のある地域が存在しているという話だ。

 かつてはブルターニュ王国(またはブルターニュ公国)という国だったが、フランスに併合されたのだ。

 現在では危機に瀕している言語として、ブルトン語(ブルターニュ語)という言語があり、クイニー・アマンもこの古語ブルトン語である。


「クイニーは菓子、アマンはバター。そのままバターのお菓子って意味だね。もとはブルターニュ特産の有塩バターを使って作るみたいだよ」


 特にフィニステール県ドゥアルヌネの名物とされている。


「一八六五年のことね。とあるパン屋のおかみさんが、パン生地の上にうっかりバターの塊を置いたまま放置しちゃったんだよ。当然、溶けたバターは生地の中に浸透してしまった。だけどそれがもったいなくて、焼いてみたら美味しく仕上がったから売り出すことにした――っていうのが大体の流れだね」


 スマホをスクロールしながら、続く文章に目を通す。


「こういう失敗から生まれたお菓子っていうのは結構伝説として残っててね。プラリネもそうだけど、他にもタルト・タタンっていうお菓子が有名だね。……今度持ってくるよ」

「そうしろ」


 いつの間にか二個目のクイニー・アマンを平らげたブラッドガルドは、袋の中から三個目を取り出して口に放り込む。


「それと、この話とは別にイヴ=ルネ・スコルディアっていうパン職人さんが作ったっていう話があってね」

「そちらは――名前までわかってるのか」

「ここまでくるとこっちのほうが信憑性が高そうだけど」と言いながら、指を一本立てる。「ひとつは、お店にお客さんがひっきりなしに来るおかげで、売る物がなくなったおかみさんが、旦那さんのスコルディアに『何でもいいから作って!』って言って即興で作った――っていう説」


 そして、次に中指を立てて二本にする。


「もうひとつはこの頃。さっきと同じ、一八六〇年頃のブルターニュっていうのが、小麦粉が不足して、代わりにバターが豊富っていう状況があったみたいだね」


 瑠璃はスマホをスクロールさせる。

 読み込んだ文章をなんとなく砕く。


「それで、『小麦粉400g、バター300g、砂糖300g』……っていうちょっとおかしい配分のパン生地が作られたんだけど、そのまま焼いてみたら、しっかりしたケーキになって美味しかった、って」

「……どの程度なのか全然わからんが」

「パン作りには詳しくないけど、少なくとも小麦粉四百に対してバター三百はおかしいと思う」

「そうか」


 ブラッドガルドは袋から四つ目のクイニー・アマンを取り出した。


「日本で広まったのは、当時のパリの人気店の『フォション』でパティシエをしていたピエール・エルメって人が発端だったらしいよ。一九九二年から九三年くらいにかけて、地方菓子をアレンジして販売するってことをしてたみたい。それに日本人パティシエの人たちが触発されたみたいだね」

「ほう」


 かじりながら続きを促す。


「そこから九七年くらいになると、東京でもクイニー・アマンを売る店が増えてきて、数ヶ月もしないうちに全国に広まったらしいよ。九八年くらいにはコンビニやパンメーカーなんかも作り始めたみたいだね。

 パリ風の都会的な味じゃなくて、昔ながらの濃厚な味を再現しようって人もいるくらい」


 そこまでになると、ブラッドガルドは瑠璃へ手を伸ばした。

 ハサミで切られたクイニー・アマンの欠片をかっ攫っていく。


「それ私のなんだけど!?」

「知らん」


 瑠璃が止める前に、クイニー・アマンはブラッドガルドの口の中へと消えていった。

 ハッと気付いて袋の中を見る瑠璃。

 袋の中身であるクイニー・アマンは全て無くなっていた。


「っていうか全部無いし!?」


 いつの間にか全部食べ尽くされていたらしい。

 スマホに気を取られていた瑠璃も瑠璃だが、全部平らげるブラッドガルドもブラッドガルドだ。


「なんだよもーっ、カイン君にも持ってこうと思ったのに~~」

「貴様はあの小僧を癒したいのか卒倒させたいのかどちらなんだ」


 作ったロックキャンディを持っていって遠い目にさせたのは他ならぬ瑠璃だ。少なくとも堅さを楽しむ菓子パンなど、卒倒するに決まっている。


「もしかしてお腹空いてた?」

「まあ、否定はせん」

「……そっか。それじゃ、しょうがな――」

「少々魔力が必要だったのでな。貴様の言うところのリソースを全て魔力に突っ込んだだけだ」

「なんでブラッド君てたまに後先考えないの?」


 自分のことは棚にあげ、思わず真顔で言う瑠璃。


「考えていないわけではない。この程度の魔力であれば、以前ならば気にせず使えていたほどだ。だが、思ったよりも消費分が戻っていなかった」

「え? なんかあったっけ?」


 ブラッドガルドが封印を打ち破った際、何が起きたか、どれほど魔力が使われたかを瑠璃は知らない。

 ここに現地の人間がいたなら――ほぼ無尽蔵に近い魔力を操るブラッドガルドが、ただそれだけのことで魔力が尽きるほど弱体化してしまった、という事実に震えたことだろう。

 何しろそれは勇者との戦いの凄まじさに通じるからだ。


「今回は……小さいが、眷属を作り出したからな」

「おお? 眷属って使い魔みたいなやつでしょ。ブラッド君はいないんじゃなかった?」

「気が向いただけだ、試作品と思えばいい。とはいえ、意外に魔力を食ったが」

「眷属の試作品ってむちゃくちゃなパワーワードすぎるんだけど……。それはそれとして、どんなの?」


 瑠璃が尋ねると、ブラッドガルドは指先についたカラメルを舐め取った。

 今日のお菓子はもう無くなってしまっている。


「……足りぬ分を貴様が補うというのなら……、見せてやらんこともない」

「あっ、そうくるか……。冷凍食品で良いならいいけど。それで、どこにいるの?」

「そこにいる」

「えっ、どこ?」

「そこだ」


 ブラッドガルドが指さした辺りを見る。

 すぐには解らず、目を凝らしてよく見る。

 部屋の隅の闇の中で、きらりと何かが光ったかと思うと、ざわざわとざわめいた。





 カインは右の掌をじっと見つめると、何度か握って開いてを繰り返した。

 ようやく回復してきた――ように思う。


 ここで囚われの客人として過ごすことには慣れてきたものの、いい加減自分の身の振り方を考えねばならなかった。情報収集という面においてはこの状況は願ったり叶ったりだが、ブラッドガルドにしろ、あのルリという少女にしろ、まったくカインの常識が通用しない。

 この間持ってこられたロックキャンディにはくらくらした。

 砂糖を使って何をしているというのだ。


 さすがに頭痛がしてきたとき、ふと部屋の片隅でざわざわと何かが蠢いた気がした。ハッとして辺りを見回す。

 部屋の片隅の小さな穴から、カサコソと何かが溢れてきた。


「な、……なんだ? 魔物……?」


 ――いや違う、これは……。


 僅かだが魔力を感じる。眷属だ。


 ――ブラッドガルドの眷属? でも、それにしては……。


 弱すぎる。

 掌サイズの丸い肉塊、というより目玉に、蜘蛛のような細い手足が生えただけという、ひどく意味の無いものに見えた。

 数だけは多いが、足で潰してしまえば簡単に倒せてしまいそうなほどだし、魔力もその形に見合ったくらいしかない。毒か何かを持っているのかもしれないが、カインが見ていることに気付いた瞬間、怯えたように慌てて闇の中へ戻っていった。

 そんな魔物など――眷属など、見たことがない。


 ――な、なんなんだ、あれは?


 まるで遊びで作ったようにしか見えない。

 それとも遊びなのか。

 カインにはブラッドガルドの考えがまったくもって見えてこず、困惑だけを残した。

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