閑話4
調査団も魔人も逃げ去ってしまうと、広間にはブラッドガルド一人が残された。
音という音が消えた部屋で、自らの衣擦れだけを小さく響かせ、ブラッドガルドはゆっくりと最奥へと歩いていった。
途中に置かれた豪奢なカウチを無表情に見る。片手で無造作に掴むと、進路を阻むそれを放り投げた。信じられないほどの音が響き渡ったあと、無残にも転がったカウチは黒い炎にまみれた。ぱちぱちと炎はカウチを喰らい、やがてその姿は燃え尽きた。
反響した音はやがて遠くのほうで空虚に吸い込まれ、消えていった。再び沈黙が支配した。
更に進む。
陰鬱な広間の最奥に、古く、すり切れて朽ち果てた玉座が見えた。
ブラッドガルドはそこへ腰を下ろすと、前を見据えた。
がらんとした部屋。
静寂に包まれた、自分だけの巨大な空間。
石と木材だけのシンプルな構造は、過去から現在に至るまで、なにひとつとして変わることのない。
再びここに戻ってきたのだ。
それに対して思うことは何もない。
何も変わらない。
変わることはない。
自分だけの場所だ。
迷宮は無造作に増殖していく。
主の瞳の奥で、掠れて砕けきり小さくなってもなお這いずり回る、抗いようのない執着だけに応じて。
ブラッドガルドはぴくりとも動かなかったし、長い間、死んでいるかのようだった。
死体のように動かぬまま、時が過ぎる。
だが不意に――本当に不意に、その指先が何かを探すように動いた。
はたと気が付いたように、衣擦れの音が響く。髪が揺れ、その隙間から赤黒い瞳が自分の指先を見つめた。
「……」
再び玉座に深く腰掛ける。
足を組み替え、両手の指先を絡める。
しんと静まりかえった闇の中に、小さな光が虚しく浮かび上がっている。
けれどもう、そのまま死んだままになってはいなかった。
天井へと視線を向ける。
そして、右へ。
左。
最後にまっすぐに闇の向こうを眺めた。
音という音はなく、自分の布がすれる音だけだ。
指先がお互いから離れ、朽ちた肘掛けに乗せられてからようやく目線が一定を保った。
だが微動だにしないまま、今度は指先だけがゆっくりと玉座の肘掛けを叩く。苛立ちのように時を刻んだ小さな音は、やがてブラッドガルドが勢いよく立ち上がる音によって破られた。
ゆっくりと歩を進めたあと、目線だけで周囲を見る。目的のものは見当たらない。ここにはない。
自分が封印を打ち破った箇所を見ても、「それ」は無い。封印とは、世界より少しずれた場所に無理矢理作られた瘤のようなもの。それが潰れてしまえば、中にあったものは必ずどこかに出現するはず。
――……向こうに放り出されるということは……ありえんな。
なぜなら、扉はぴったり閉まっていたからだ。
――あの扉は奴にしか開けられない。となると……。
あの扉は、何らかの契約状態になっている。
封印魔術とは逆召喚のようなものなのだ。ずれた世界に作った瘤に、無理矢理召喚――というより、この場合は送還させるのだ。
そこに原因不明ながら生じた歪みに、鏡という形と姿が与えられた。
それもただの鏡ではない。
鏡は確かに真実を映し出すが、それはあろうことか扉の形をしていたのだ。
入り口としてもっとも理解しやすい形で、鏡は門になった。
なんという偶然だろう。それとも必然なのか。
そこに魔力が――魔力無しがゆえに、可能性の大きいのは血液だが――与えられ、本人にも知らぬうちに召喚の契約がなされたのだ。
もはやそうとしか考えられない。
であれば、言葉が通じるのは召喚魔法に備わっている機能か。字が読めないのは、魔力が足りないか何かで中途半端にしか起動していないからだ。だが、中途半端でも機能している以上は門として残っている可能性はある。
だがそれはそれとして。
他ならぬ迷宮の主を待たせるなど、人間の小娘にしてはずいぶんと図に乗ったものだ。
空虚なグラスへ一度は液体を注いだ以上、責任は取ってもらわねば困る。
それをなんと呼ぶのか、空腹か、知識欲か、それとも……。
――……腹も減っているしな。
そういうことにした。
だから、仕方のないことだ。
ここを離れるのも、迷宮へと足を踏み入れるのも。
早々に歩き出すと、その背後で黒い炎が上がった。
朽ちかけた玉座が燃えていく。
ブラッドガルドは振り返ることなく、広間をまっすぐに突っ切っていった。
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