挿話8 聖騎士の憂鬱
部屋の中に、エカテリーナの苦悩を含んだため息が響く。
オルギスはその様子を眺めるしかなかった。
護衛の任務を交代させられ、部屋の中に招き入れられたと思ったらこれだ。紅茶はすっかり冷えてしまって、役に立たなくなっていた。
オルギスが王城に連れてこられた理由は様々だ。理由の一つとしては、教会とそれ以外との交渉者の役割を持つエカテリーナの護衛ということだが、それ以上にオルギスがかつて勇者リクと行動を共にしていたというのが大きい。
オルギスがリクと行動を共にしたのは、ほんの偶然からだ。
聖騎士として自分を高める目的で、単身ブラッドガルドの迷宮に挑んだ。ブラッドガルドの眷属たる魔物を仕留めれば、危険も減る。
迷宮の中でリクと何度か顔を合わせ、無茶をする子供だと思っていた。けして侮っていたつもりはないが、実際に助けられたのはオルギスのほうだった。迷宮を徘徊する魔物相手に不覚をとり、息をあげながら死を覚悟した時、信じられないほど強固な結界が自分を護った。
それがリクだった。
彼の実力はオルギスが思っていた以上だったのだ。
オルギスはリクが『ここ』に来た理由を知ると、半信半疑ながらも聖騎士としてその真意を見定めるべく、ともに迷宮に潜ることを決意した。
リクが詐欺師として突き出された後――ほんの少しのドタバタがあってから、本物の勇者とわかり、掌を返した教会側から、護衛として騎士団と交代するよう要請された。だが多くの冒険者が必要最低限のパーティで動くように、ぞろぞろと迷宮に立ち入るのは危険である。結局、オルギスがその役目を改めて仰せつかった形だ。
オルギスはその時、今ばかりは女神ではなく勇者の為にあろうと誓った。
「お茶を淹れ直してもらいましょう、エカテリーナ様」
「オルギス……」
立ち上がった彼をエカテリーナが見上げる。
心労のせいか、目元に刻まれた皺がより深くなったように見える。
扉を開け、外で待機していたメイドに紅茶を淹れ直してもらうように言う。そして再び扉を閉めると、オルギスはエカテリーナの前へ戻った。
彼女はいまだため息をついていた。沈黙が部屋の中に満ちている。
オルギスは不安げな彼女へ向けて、口を開いた。
「……此度の事は、私にとってもアンジェリカ殿にとっても想定外の事態でした」
その名前を出すと、エカテリーナは一瞬ぎくりとした。
しかし、すぐに思い直したように息を吐く。
「そう――そうね。誰にとっても想定外だったのでしょう」
会議の場では取り乱したと聞いたが、無理もない。
エカテリーナは教徒としても、とりわけ信仰心が深いほうだ。もちろん勇者に対する信用も深かった。少なくとも「女神が認めた」という点においては信頼もしていた。
一般の民衆と違って教会の上層部は「冒険者」に嫌悪感を抱くこともあるが、勇者に対しては女神に認められた事そのものを否定してはいない。
自分たちは決して驕っていたわけではない、とオルギスは思う。強大な封印を作り、今でも夢見るほどに醜悪な化け物を閉じ込めた。
だが現実はどうだ。
化け物と化したブラッドガルドは言葉を、思考を取り戻している。狂気は既に取り払われ、封印には風穴が開けられている。
地上からもう一度魔力探査をしようにも、アンジェリカの力でも遠すぎる。補強する水晶が壊された以上、あれと同じ水晶を持ってくるのにも時間が掛かってしまう。待っている間に封印が解かれないとも限らない。
「恐ろしい魔女……。一体、ブラッドガルドに手を貸して何をしようとしているのでしょう……」
宵闇の魔女。
一番の想定外はその存在だ。
ブラッドガルドがまだ生きている可能性は少なからずあった。だがそれは、死にかけという意味でだ。まさか、魔術を扱えるほど回復しているとは思わなかった。封印は中にいる者の魔力を奪い、消耗させる。それを物ともせず、回復しているとは……。
「おそらく、二人は何らかの取引をしているはずでしょう。ブラッドガルドなのか魔女なのか……どちらが優位なのかはわかりません。ブラッドガルドよりも強力な存在がいるとは思えませんが……」
「そ、そんな」
それがいるとしたら唯一人。
勇者リク。
リクは勇者に相応しい人物だった。
彼の桁外れの魔力が本当はどの程度だったのか、ブラッドガルドと直接比べられない以上、どちらが上かはわからない。だが勝利したという点では、時の運も味方につけたという意味で上と考えていい。
危なっかしいところもあったが、それは彼に惹かれて集まった仲間がフォローした。そんなところも彼の魅力だった。
だが今はリクはいない。
彼が帰還した場所について、仲間の全員が口を閉ざすことを決めたのだから。
「何をしようとしていても同じです。……我々は、女神のために今度こそブラッドガルドを仕留める義務があります」
失敗したにせよ、一度は倒されたブラッドガルドが、今度はどんな手をうってくるのか。
「オルギス……あなたは」
「再びあの地へ向かうのが誰であれ、それは変わりません。今ならまだ、我々が探索していた時の地図や記録があります。危険地帯だけでなく、キャンプ用の小部屋、比較的友好な魔物の住処――それらの知識は私だけのものではありませんが、迷宮がまだ現状を保っているなら必要になるはず」
「……」
「今ならきっとまだ間に合います。奴が自ら封印を破る前に、魔女の正体を突き止め――場合によっては、もう一度ブラッドガルドを倒す。それだけです」
オルギスは言い切った。
エカテリーナは長いため息をついた。
「……ええ、そうね……」
彼女が決定することではない。
しかし、他国との協議に直接参加した彼女の進言は、貴重な意見として取り入られることになる。
「あなたの知恵は、私達にとって大事な……」
そのとき、ノックの音が聞こえた。
外にいる護衛の声がする。
「先ほどのメイドです。紅茶をお持ちしたそうで」
「ありがとう、通してくれ」
「わかりました」
扉が開き、メイドが持ってきた紅茶を受け取る。
メイドを下がらせ、カップを用意しながら、オルギスは考えた。
――あの裏側の大地……。
ブラッドガルドの迷宮は、ただの迷宮ではない――そう気付いたのは、巨大な迷宮を半分も下ったころだった。
もともと迷宮とは、ダンジョンよりも巨大で複雑な構造を持ったものを言う。ダンジョンは魔物の巣そのものだけでなく、放棄された砦に魔物が住み着いたような場所なども含まれる。言葉としての意味は広い。
迷宮はそのダンジョンより巨大なものだ。複数の魔物が共存するように住み着いていることや、迷宮の主によっては直接的な眷属が存在している。
だがブラッドガルドの迷宮が他と一線を画しているのは、単に他の迷宮より巨大というだけではない。
あれは――世界の裏側にまで到達している。
朝と夜の概念の無い、薄暗がりの世界シバルバー。遠くに岩山を臨みながら、どこまでも続く荒野の世界にブラッドガルドの館は建っている。
まるで、そう、迷宮の主というだけでなく、あの荒れ果てた世界の王であると言いたげに。
それほどまでに巨大な迷宮なのだ。
女神がブラッドガルドを危険視し、勇者を送り込んだのも、おそらくそれが要因だろう。
このまま拡大を続ければ、やがて他の迷宮やダンジョンを取り込んでしまう。そうなれば――いったい何が起こるのか見当もつかない。そうなる前に。最悪の迷宮の主を倒すために。
だがそんな女神ですら、魔女の存在は感知できなかったのだろうか。
いずれにしろ、もう事は走り始めている。
各国はすぐにでも、魔女捜索に乗り出すだろう。
勇者の存在によって増えているという冒険者に協力を依頼する国もあるだろう。
教会も今すぐに何らかの対策を取るだろう。
終戦協定が先延ばしになったことだけが不安だが、ブラッドガルドが完全に封印から出てくる前に知れたのは僥倖だ。そう思うことにしようと決めた。
いまだ沈黙を守る女神がどうするのか、自分たちにはその心はわからない。
もし女神によって送り込まれたのがリクでなかったら――教会は今度こそ『きちんとした形で』教会に取り込もうと考えるだろう。勿論、オルギスは以前の勇者の仲間としての地位がある。なにがしかの手助けの為に駆り出されることもあるだろう。そして自分はそれに逆らえない。
だがどんな形であれ、補佐していこう。
女神の為に、その加護を持った勇者の力になろう。
オルギスはそう決めていた。
その決意を見抜かれたかのように、教会へ戻ったオルギスへ一つの命令が下る。
それは、騎士団によるブラッドガルドの迷宮探査に同行すること。
その目的は封印の直接の確認。加えて、宵闇の魔女がいた場合の排除。
オルギスは了解し、騎士団とともに迷宮へ向かうことになる。
彼には伝えられなかった、隠れた目的とともに。
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