挿話7 終戦協定

 粛々と進むはずだった協定の場は、重苦しい空気に包まれていた。


 当然だ。


 勇者によって倒され、封じられ、今頃は塵と化しているはずだった迷宮の主。ブラッドガルドは大方の予想を裏切り、まだ生きている。

 女神の加護を持った勇者ですら倒せなかったのだ。

 多くの人間がブラッドガルドに対して抱く畏怖と戦慄。どれほど勇猛な戦士であっても、どれほど所詮は魔物と見下しても、その姿を前にすると躊躇いを覚える。そこにブラッドガルド自身の強大な力が加われば、あっという間に戦線は崩されてしまう。

 それでも勇者は違った。

 リクだけは、ブラッドガルドを恐れなかった。

 勇者リクが真に勇者たりえたのは、その凄まじいまでの魔力でも、魔力で滅茶苦茶に補強された剣の技でもなく、その精神性にあったとアンジェリカは思っている。

 そんな勇者でも駄目だった、というのは、悠然と構えた諸王に衝撃を与えた。


 ――それでも、絶望の色は少ない……。


 アンジェリカは沈痛な面持ちの奥に隠された、各国の思惑を嗅ぎ取った。


 ――それも当然か。


 そもそも現在の休戦状態は、百年前にブラッドガルドの迷宮が拡大したその時から続いている。

 百年前といっても便宜的な表現だが、実際に迷宮の拡大に抗しきれなかった国々は逃走し、土地は浮いた状態になった。バッセンブルグの旧市街まで連なるその肥沃な土地は、周辺諸国からすれば垂涎ものだ。迷宮の踏破という名の下に、浮いた土地の所有権を求めて周辺諸国が集結。小競り合いから――迷宮戦争へと雪崩れ込んだ。

 更にその後に起きた呪いの拡大によって休戦協定が組まれたとはいえ、現在まで続く怨恨は根深い。


 バッセンブルグは当然、旧市街を取り戻すために。

 周辺諸国は、迷宮を踏破し、同時に肥沃な土地を手に入れるために。

 アンジェリカの故郷である島国ドゥーラもまた、大陸へその勢力を伸ばし、教会よりも魔法国家としての威信を示すために。

 滅亡した国の旗も一時期は掲げられたが、王位継承権を持った王子が小競り合いで殺されたのを発端に、次第に衰退した。どこかの国が、今に至るまで血筋を残せているかは怪しい。


 教会は教会で更に複雑だ。

 本来、女神の加護を受けた勇者リクは、そのまま女神聖教会のお抱え騎士になっても良かったはずなのだ。しかしリクはどういうわけかそれをせず、冒険者を推奨・擁護するバッセンブルグの冒険者になった。実際のところ、女神に認められた勇者だなどと吹聴したところで、一度は詐欺師として捕らえられている。直後に教会は掌を返したものの、最初からのこのこと訪ねたところで信用していたとは思えない。

 そのため、教会側は舵取りをバッセンブルグに譲らざるを得なかった。

 多くの人間にとっては、どこが舵取りをしようがどうでも良いことだ。だが、かつては休戦協定を取り持ち、現在に至るまで勢力を伸ばしてきた教会の上層部にとって、これは屈辱どころの話ではなかった。


「勇者殿の御力が足りなかったということですか?」


 円卓を囲んだ王の一人が不安げに口にする。


「口を慎んだほうが良いぞ。実際に勇者リクの評判は悪いものではないし――冒険者としても申し分なかったと聞いている」

「……まあ、冒険者などという野蛮な者に甘んじたのは不可解ですが、勇者としては遜色なかったと思われますな」

「しかし、冒険者のランクとやらも飛び抜けていて、彼のためだけに新たな上位ランクが出来たとか……」


 次々に口にされる意見に、一人が難色を示す。


「ですが、実際にブラッドガルドは死んでいないではないですか。ということは、余力を残していたということ。まさかとは思いますが、勇者殿は本物ではなかったとでも?」

「リク殿は間違いなく本物です!」


 たまりかねたように、白い法衣を着た女性が声を荒げた。

 ほぼ全員がぎくりとして女性を見た。


「……エカテリーナ殿……」


 アンジェリカを除き、この会議の場で彼女だけは王の証をつけていない。

 代わりに、教会でよく見られる法衣の上に、若草色のストールを羽織っていた。女神聖教会において、言葉や文字を司る命を受けた人物の証だ。教会にこもりがちな聖女や聖職者に代わり、こうした教会外での重要な会議において代表者となる人物である。


「リク殿は我らが女神の加護を受けた唯一のお方なのです! ……問題があったとするなら、リク殿以外の人間が足を引っ張ったに違いありません!」


 エカテリーナはぎろりとアンジェリカを睨んだ。

 教会の代表者たる彼女によって、他ならぬ女神の加護を受けた勇者が非難される今の状況は、憤懣やるかたなかっただろう。


「……アンジェリカ殿、貴女はブラッドガルドの封印をしたのでしょう? その封印は本当に完璧だったのですか? それとも……貴女が手を抜いたのでは?」

「エカテリーナ殿」


 誰かが小さくいさめたが、彼女は止まらない。


「勇者殿は女神様に認められた唯一のお方です。お一人でも問題なかったはずでしょう。だいたい、封印の確認をしたのも貴女という話ではありませんか。……それとも最初から封印に失敗していて、宵闇の魔女なる存在をでっち上げたのではありませんか!?」

「エカテリーナ殿!」


 バッセンブルグ王がたまりかねたように声を荒げた。

 エカテリーナは肩をいからせ、視線だけで周りを見回した。王たちのいささか不躾な、そして不快げな視線を感じると、やがて呼吸を整えた。

 息を吐き、居住まいを正す。


「……失礼致しました。口が過ぎましたわ」


 彼女は顔をこわばらせたまま続けた。

 それでもピリピリとした張り詰めた空気は収まっていない。誰もが気まずい空気を感じた。

 そんな中で、アンジェリカは発言のための許しを得る。


「そのような疑いを持たれるのも、尤もで御座います」


 しんとした会議の場に、声はよく通った。


「我が国は皆様方から比べれば若輩者の小さな島国に過ぎません。ですが、ブラッドガルド討伐に微力ながらもご支援差し上げたかった気持ちに、嘘偽りはありません。それはわたくしとて同じ。姫という立場をいっとき棄て、リク殿、いえ、リク殿だけでなくそのお仲間とも寝食をともにしたのはその証です」


 まっすぐに円卓の面々を眺め、告げた。

 誰もが黙った。

 仮にも一国の王家の者が、下位の者と寝食をともにするのは、それそのものにきちんとした意味がある。


「しかし、封印魔術錬成の段階より不埒な輩が混ざっていなかった可能性はゼロとは言い切れません。早急に調査に当たるよう、我が王へと進言しております。そのような輩には、相応しい代償を払わせましょう」


 エカテリーナが鼻を膨らませた。


「……ええ、そうして頂けると此方も安心です」


 そこでようやく、全員が深いため息を吐いた。

 いささかしらけたような空気となったが、バッセンブルグ王は軽く咳払いをしてから言った。


「……そうだ、問題は『宵闇の魔女』だ」


 宵闇の魔女。

 その名が改めて口にされた途端、全員が口を噤んだ。


 最初こそ何かの間違いかと思われたが、その場にいた兵士たちやオルギスも同じことを証言した。

 しかも、魔女だけではない。封印の中には、剣聖と名乗る者を筆頭に、少なくとも三人程度の人物がいて、戦っていた。むろん、剣聖を名乗る者やその仲間が、魔族やそれに連なる魔物の類である可能性も充分考えられる。しかし彼らが敗れた現状としては、目下、宵闇の魔女とブラッドガルドが何かしらの協力関係にあると考えるほうが自然だった。

 魔女の存在は予想外に過ぎた。

 少なくとも今まで、アンジェリカや、勇者リクからその名が出たことは一度たりとて無い。ブラッドガルドの口からさえもだ。

 ということは――宵闇の魔女なるものは、ブラッドガルドの封印後、ようやく表舞台に上がってきたということだ。少なくとも、アンジェリカや王の知れるところになった、ということだろう。


「宵闇の魔女。今はその名前しかわかりませんな」

「話によると、詠唱を必要としない魔術を操るそうではないですか。それだけでも相当の力の持ち主ですぞ」

「だが、そんな魔物の話は聞いたことがない」

「もしかすると、勇者殿とは反対に、ブラッドガルドによって何らかの力を授けられたのでは?」

「ずっと潜伏していたと?」


 ざわざわと、諸王の声が飛び交う。

 その中で、若く美しい女王がするりとアンジェリカを見つめた。


「アンジェリカ殿。魔術師としての貴女にお聞きしとうございます。詠唱を必要としない魔術というのは、どれほどの脅威なのですか?」


 その声色には不安そうな色が乗っていたが、目線はしっかりとアンジェリカを向いている。


「……詠唱を必要としない魔術は御座いません」


 おお、というため息のような、驚きのような声が場に響いた。


「ある程度実力を持った魔術師は、比較的単純な魔法の詠唱を省略することは御座います。しかしそれはあくまで省略。魔力を望んだ形にするには、音による呼びかけが必要なのです。

 これは教会の癒やし手と呼ばれる方々も同じです。わたくしどもと行動を共にしていた癒やし手と、一度、魔術談義に花を咲かせたことがございますが、やはり詠唱を省略することはあれど、必要としないことはありえません」


 ちらりと女王の目がエカテリーナを向く。


「……それは、教会として正しいと保証しましょう。教会としては正確な癒やしをなすため、正しい詠唱を推奨しておりますが……危機の迫った状況においては省略せざるを得ない場合がありましょう」


 卑しくも冒険者などに身を落とした経緯については、この際追求は致しませんが――そう小さく続けられたが、その言葉は誰もが聞かなかったことにした。


「……となるとやはり、一筋縄ではいかぬ相手ということか……」


 陰鬱な空気が満ちた。

 誰も彼もが言葉を無くしていた。

 アンジェリカもまた、何も言うべきことができなかった。そんな沈黙が破られたのは、これまた唐突な声だった。


「バッセンブルグ王」


 鋭い目をした王が顔を向ける。


「何かね」

「失礼を承知で申し上げる。改めて言わせていただくと、私は終戦協定を締結させるために此処にやって参った」


 多くの目が彼に注がれる。彼の目は決意に満ちていた。


「しかし、此処に来て私は思った。――これでは、終戦協定にサインさせることはできぬ、と!」


 ざわり、と声がした。他の王はお互いの顔を見合わせる。


「貴殿、正気か?」


 何人かが目を見開く。


「休戦協定では、迷宮の主を倒し、迷宮を踏破した国こそが、迷宮と亡国の大地の所有権を得ることになっております。しかし現実には、ブラッドガルドの領主は――迷宮の主は――まだ生きている! それなのに、終戦協定にサインすることはできません」

「それは――」


 誰もがその言葉を、正確な形で把握していた。


 勇者の存在は教会を含めたすべての国にとって予想外の出来事だった。

 しかも勇者はバッセンブルグで冒険者登録をしている。それ以来、歴史の表舞台の座は一時的にバッセンブルグに譲られた。それは教会だけでなく、他の国々にとっても歓迎されるべき事態ではなかったのだ。


 そもそも、国によって迷宮への考え方も違う。

 なんとしてでも迷宮を潰したい者。

 迷宮を超巨大資源場と考える者。

 迷宮はさておいて、現状『荒野』と呼ばれる、百年前の浸食で所有者不在になった土地を欲する者。

 様々な思惑が絡み合ってはいるものの、その狙いはたったひとつ。


 ブラッドガルドが生きている以上、まだ自分たちにも望みがある。

 バッセンブルグだけに美味しい思いはさせない。


 誰も異論を挟まなかったのが、その証拠だった。


「……良い。こたびの状況は想定外だった。勇者殿によってブラッドガルドが討たれ、封印されたのなら、この事実は確実であると……。そう驕った我らにも非がある。貴殿の言い分ももっともだ。同じように終戦協定に同意できないという者がいれば、この場で申し出てほしい」


 バッセンブルグ王がそう言うと、いくらかの人間がすぐさまに手をあげた。

 最後までちらちらと周囲を気にしていた者ですら、恐る恐るといったように手をあげた。

 結果はこの通りになった。


「わかった。では皆、そういうことでよろしいな?」


 肯定以外の返事はなかった。


「それでは、こたびは終戦協定は先送りにさせてもらおう。その代わり、なんとしてでも宵闇の魔女を見つけ出し、その報いを受けさせよう。そして、再びブラッドガルドの息の根を止めよう」


 バッセンブルグ王の宣言に、諸王は拍手で同意をした。


「まずは宵闇の魔女ですな。魔女さえ叩けば、まだなんとかなるかもしれん」

「おそらくだいぶ頭の切れる輩でしょう。油断は禁物ですぞ」

「一体どこに魔女が潜伏しているかわかりませんからな。各自、調査にあたりましょう」


 ブラッドガルドは無理でも、宵闇の魔女を捕縛・討伐すれば、他国を出し抜くことができる。

 大国であれ小国であれ、そんな思惑が漂っていた。


 バッセンブルグ王は人知れずため息をついてから続けた。


「国民にはまだ宵闇の魔女と、ブラッドガルドの生存はしばらく伏せておこう。それとエカテリーナ殿。勇者リクを呼び戻す準備を」

「……承知致しました。ですが、リク殿の行方は教会側も把握しておりません。最後の記録では、旅に出るとおっしゃっていましたが」

「ふむ……ならアンジェリカ殿は?」

「私も、故郷に帰るとしか聞いておりません。どんなところかと尋ねても、遠い所としかわかりませんでした」

「そうか……」


 王は眉間に皺を寄せたが、反対にエカテリーナは自信たっぷりに言った。


「しかし、もしものことがあったとしても――ブラッドガルドが生きているとなれば、我々の女神は新たな勇者を遣わしてくれることでしょう」


 ――リク以外の勇者、か……。


 アンジェリカはちくりと心の片隅が痛んだ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る