19話 ポップコーンを食べよう

「ポップコーンとか、食べたい!」


 およそ迷宮の主に向かって発せられるものではないその言葉は、しかしどういうわけか気を引いたようだった。

 この言葉の真意は唯一つ。

 たまには塩味系のお菓子が食べたい、という瑠璃の希望である。


 そのとき、迷宮の主ことブラッドガルドは指先につまんだチョコチップクッキーを咀嚼していた。時間をかけて低温で焼き上げたクッキーは、外はサックリ、中はしっとりという二層構造。そのしっとりさ加減はクッキーと名付けられるにはいささかソフトな気さえするが、二つの食感の違いが合うのは約束された事実でもある。

 発売以来四十回以上改良が重ねられているという商品は、確実にブラッドガルドの心を捉えていた。


「……ポップコーン?」

「とうもろこしを爆発させたやつ」


 さすがに説明が適当すぎたのか、再び沈黙が下りる。

 個包装になったクッキーの袋をもうひとつ開ける音が、ガサリと響いた。


「……まあ、それが菓子の範疇に入るというのなら構わんが」

「えっ、いいの?」

「菓子の種類は貴様に任せると言っただろう。……なぜダメだと思った」

「……甘いもののほうが好きかなって……」


 また黙った。

 たぶん事実だ。

 あるいは魔力になりやすいとかそういう理由があるのかもしれないが、多分それだけではないと瑠璃は踏んでいた。


 ポップコーンに関しては、れっきとしたスナック菓子だと瑠璃は考えているので、迷いなく菓子であると断言できる。

 「スナック」にはおやつのほかに軽食という意味もあるが、特に定義は存在しない。あえていうなら、ジャガイモやトウモロコシなどを油で揚げたものをスナックと呼んでいる。現代っ子の瑠璃ならスナック菓子と言われただけで例えばどんなものか想像できる。

 そのうちスナック菓子も持ってこよう、と心に誓う。


「しょっぱいものだと、ジュースが甘いほうがいいよね」

「あの甘い紅茶ではダメなのか」


 ブラッドガルドが言っているのは、たまに持ってくるペットボトルの紅茶のことだ。無糖タイプもあるが、たいてい砂糖が入っているので甘い。そもそもお菓子が甘いものが多いので、あまり持ってこないが。


「じゃなくて、せめて炭酸水とかがいいかなあ。コーラとか」

「炭酸水……」


 ひっそりと珈琲に続いて『気になる飲み物』が増える。


「それに、ポップコーンにコーラがあれば後は映画を見るだけ!」

「何の話だ。……というより、なぜ映画が関係ある? あの形態の娯楽ならば何を食おうが自由だろうが」

「む。それはそうなんだけど。でもポップコーンには映画なんだよ」

「……何故だ」


 もっともな疑問だ。

 瑠璃はちょっとだけ考えたあと、ぱっと「いいこと考えた」顔をした。


「それなら今日はちょっと変則的に、クッキー片手だけどポップコーンの話する?」

「……。……まあ、別に構わんが」

「おお、やった!」


 瑠璃はいそいそとスマホに手を伸ばす。

 インターネットに接続して、それらしいページを探す。


「それに、ポップコーン持ってくる時には映画を見るはずだから、話す暇が無いしね」

「それが決定事項になっているのは理解しかねる」


 そしてブラッドガルドの冷静なツッコミは当然無視した。


「まず、トウモロコシっていうのは――こっちの世界だと、三大穀物の一つだよ」

「三大穀物?」

「小麦、米、それからトウモロコシ。この三つはそれぞれ主食なんだよ。小麦はパンやパスタになってヨーロッパで食べられるでしょ。米はアジア。日本もここだね。トウモロコシはアメリカ大陸とか、アフリカの一部」


 ただ、トウモロコシのほとんどは飼料用かコーンスターチの原料になっている。

 実は食用として流通しているのはほんの僅かだ。


「同じ物かはわからんが、世界が違うだけでずいぶんと扱いが変わるものだ」

「まあ、こっちは人間しかいないし……」


 少なくとも現代日本の感覚では、一級品だろうが二級品だろうがきちんと対価を支払えば手に入る。稀少なものや金銭的に手に入らないことはあるかもしれないが、職種や血筋による制限は特に無い。


「まずはトウモロコシには色々と品種があるのね。一般的にトウモロコシって呼ばれて多くの人が思い浮かべるのが、スイートコーンかな」


 とうもろこしはその特徴によって分類される。


 一般的に食用にされているのが甘味種と呼ばれるスイートコーンだ。

 スイートコーンは更に三種類に分けられる。

 粒の黄色いゴールデンコーン。

 白い粒のシルバーコーン、

 その両方が入ったのがバイカラーコーン。日本の主流はこれだ。


 他にもコーンスターチやエタノールの原料となるデントコーン。

 加えて加工用や飼料、工業用、さらにはタコス用の「トルティーヤ」にもなるのがフリントコーン。

 日本にも在来種のある、白や黄の他に黒や紫があるのが「もちとうもろこし」とも呼ばれるワキシーコーン。


「で、ポップコーンを作る時に使うのが爆裂種って言われる……そのまま種類の名前もポップコーンって言われる種類。これの粒の皮ってか外側がめちゃくちゃ堅くてね。この粒を乾燥させたものをフライパンとかで熱すると、粒の中の水分が水蒸気になって膨張すんの。そうすると……」

「皮のほうが耐えきれなくなる?」

「そう! それで弾けて爆発する!」


 瑠璃は検索したポップコーンの画像を見せる。

 爆発の仕方も二種類あり、そのまま粒が弾けたようなバタフライ型と、丸い形になったマッシュルーム型がある。

 普段トウモロコシと言われて想像するものよりも白くて奇妙な形のそれに、ブラッドガルドは一瞬だけ目を細めた。


 他の種類のとうもろこしを乾燥しても爆裂種ほど堅くならないので、ポップコーンにはならない。

 名前の似たポリコーン、あるいはジャンボコーンとも呼ばれる菓子もあるが、そちらはジャイアントコーンという別の品種に圧力をかけて膨張させて作るものだ。


 スマホを自分のところに戻して続ける。


「つまり、その……、ポップコーンになるのは、外側が堅いからなんだよ。スイートコーンを同じように乾燥させても……」

「弾けない」


 瑠璃は頷いた。


「あと、ポップコーンは世界で一番古いスナック菓子とも言われてるね。起源自体は不明だけど、紀元前の遺跡から痕跡が見つかってるみたいよ」


 その当時は火の中に放り込んで、火から飛び出て弾けたものを食べていたと言われている。


 ただ、ポップコーンが今のように広まったのはそれからずっと後のことだ。

 感謝祭の七面鳥と同じく、移住したヨーロッパ人が飢饉に見舞われた時に原住民から貰った説もあるが、一八二○年ごろに南米チリから北米にバルパライソコーンが持ち込まれたことがきっかけだと考えられている。


「で、それからアメリカに急激に広まったのはやっぱりポップコーンの製造マシンが発明されたことかな」

「ふむ。アイスクリームと似たような広がり方だな」

「やっぱり誰でも手軽に大量生産できるって強いんじゃないかなあ」


 瑠璃は首を傾ぐ。


「ほら、武器とかでもめちゃくちゃ強い剣が作れる職人がいたとしても、一ヶ月で一本しか作れないと勇者みたいな人しか持てないじゃん」

「その例えは非常に腹が立つが、そうだな」

「それにそこそこの性能であっても、楽に作ることができればそのへんの人でもすぐに武具職人になれるわけでしょ。そうなると大量に作ることができる。そうすると値段も下がるしたくさんの冒険者が持てる」


 続く感想混じりの言葉に、非常に面倒臭そうな顔をするブラッドガルド。


「でもまあ、売れるからってどんどん作っても、消費しきれずに過剰生産とかに陥る可能性もあるから……」


 単純に作りすぎたものは棄てればいいという話ではない。作ったものが売れなくては利益が得られない。どんな品であれ、タダで生まれてくるものはない。

 画面をスクロールすると、それらの過剰生産の余波はこの先に訪れる世界恐慌にも影響してくる。


「どっちが優れてるとかじゃなくて、たぶん……状況に合わせてって感じ?」

「……一気になぎ払うしかないな……」

「どういう状況を想定してんの!?」


 どう考えても本人に向かってくる冒険者をなぎ払う様子しか考えられない。

 ブラッドガルドが軽く手を上下させたので、それ以上ツッコミもできずに先に進むことにした。


「……いや、うん、話を戻すとさ。当時はそれで色んな場所で食べられてたんだけど、唯一映画館では食べられなかったんだよ」

「貴様は何度前提を覆せば気が済むんだ?」

「不穏な手の動きやめて!? こっからだから! 昔の映画館は高級感がウリだったんだよ。ゴージャスな内装に、床に散らばったり匂いが漂ったりするのはちょっとどうかって思うでしょ」


 瑠璃はそこまで言ってから、いい例えが無いかを考える。


「……、謁見の間でお菓子を食べるみたいな?」

「それは別の意味で無礼だろうが。……基本的に客は上流階級であり、大衆向けや気楽なものではなかった、というところか」

「お、おう」


 説明される側のほうが理解が早いとそれはそれで助かる。

 瑠璃はごほんとそれらしく咳払いしてから続けた。


「でもそれが一九三○年の世界恐慌で大きくひっくり返る」

「また愉快そうな単語が出てきたな」

「全然愉快じゃないんだけど、なんだろう……アメリカで株が下落して……世界に波及して、経済が大変で……不景気になって大混乱……」

「……。貴様の説明のほうが大混乱だが……、意味は今度しっかりと聞かせてもらうからな。それで?」


 後で世界史の本を読もうと誓った瑠璃は、そのまま続きに入る。


「それ以前からもトーキー、つまり今みたいな音声つきの映画ね。その登場とかで、映画は次第に大衆向けになっていったんだけど……、やっぱり世界恐慌のほうが大変だったんだよ」


 倒産や閉鎖が決まっていく中、人々に残されたのは、ポップコーンスタンドで買ったポップコーンを隠し持って映画を見ることだったという。


「それで、ポップコーンスタンドを建物の中に作って販売するって形式ができたのね。これが大成功! 逆に今までの高級志向のところは赤字になったりしたんだよ。……まあ、不景気だからね」


 ブラッドガルドはどうでも良さそうに、目の前のチョコチップクッキーに手を伸ばした。包装を破り、中から出てきた美味しそうな焼き色のそれをつまむ。


「この世界恐慌から第二次世界大戦が始まるんだけど」

「そんな戦まであったのか。魔物もいないくせに」

「ブラッド君が言うとすごく辛辣に聞こえる」


 完全に悪魔が人間の興亡と争いを面白がっている図式に聞こえるが、ほぼそれが事実なのでどうにもできない。


「そこから砂糖の制限が始まってもポップコーン人気は衰えないんだけど、そっから更に進むと、とうとう家庭用テレビの登場で下火になったんだよ」

「ああ……ここでテレビが登場するのか」

「あんまりテレビに驚かなかったよねブラッド君……」

「驚きはしたが、驚く前にあんな映画を見させられたら言葉も無いわ」

「えっ」


 ちなみに瑠璃は、通常、映画を見慣れている人が「B級」、初めて映画を見たブラッドガルドでさえ「三流どころかそれ以下」とこき下ろしたホラー映画を「物凄く怖かった」と評している。

 とはいえそれは、子供の頃には面白かった映画が、大人になって見ると案外粗が目立つような現象だ。意外に登場人物が棒読みだったり、演技が微妙だったりするのに気付くのはおそらくずっと後のころだろう。


「そ……そうかなあ……!? 友達は映画好きって自称してるんだけど……」

「そいつの感性が普通かどうかは判断しかねるな」

「……でも確かにこの間、ネットで凄く人気のクソ映画見るって嬉々として帰ってったような……」

「そうか。二度とそいつの薦めるものは持ってくるな」


 ブラッドガルドは真顔で言い放った。

 嫌な予感を感じ取ったのは、魔力や生まれ持った能力ではなく勘である。


 そしてそれは間違いなく的確だ。


「……ひとまず話を戻すとね」


 瑠璃はそう前置きしてから続ける。


「ポップコーンはそれまで家庭で作るのは難しかった。それもあって、映画と一緒にポップコーンも下火になりかけたんだけど、そこからも簡単に作れる手鍋タイプとか、そのあたりで普及してきた電子レンジでも作れるタイプが登場して、また返り咲いたんだって。電子レンジは見たことあるよね?」

「ああ。あの箱のようなものだろう、食べ物を温めるという。直前まで戦をやっていた癖に、よくもまあそんなものができたな」

「うーん。よくわかんないけど、軍事レーダー? の開発中に偶然発見されたみたいだよ」

「軍事レーダー?」

「特定の範囲を感知すると、飛んでる飛行機とかがわかるようになる……みたいな? ……あとでゲームかそういう動画でも見せるよ……」


 早々に説明を諦め、FPSあたりのミニマップと敵の光点を見せたほうが早いという結論に達する。


「マイクロ波とかいうのの実験中に、持ってたチョコバーが溶けちゃって。それで温める効果があるってわかったとか」

「…………なるほど」

「今食べてるクッキーも電子レンジであっためると美味しいらしいから、……もしかしてもう無い?」

「まだある」


 即答だった。


「で、まあ、ポップコーン片手に映画っていうスタイルが定着したのはわかってもらえた?」

「一応は理解したが、別にポップコーンに限った話ではないだろう」


 確かに前回も前々回も別にポップコーンは無かった。

 映画を見ながらというなら、それがピザだろうがチョコレートだろうが、むしろ何も口にしなくても全然構わない。それは事実だ。家で見るのだから余計に好きなように見ればいい。

 しかし映画にポップコーンはあまりにポピュラーすぎて、瑠璃にとっては一種の憧れに近かった。


 スマホを横に置くと、クッキーに手を伸ばす。包装を剥がし、電子レンジで温める分として、紙皿の上にひとつひとつ乗せていく。

 テーブルの上には破られた包装だけが山のようになった。


「しかしまあ、貴様らがあの植物をどう扱っているのかは気になっていたからな。ポップコーンとやらもそのうち持ってこい」

「……それじゃあ映画は何見る!? シャーロック・ホームズ!? マジック・ビースト!? あと最近ヒーロー物のスピンオフでなんとかっていう映画が」

「映画の話ではないが」


 言葉を遮ったツッコミは当然無視した。





 後日――。


「大変だブラッド君!!!」


 ドバーンと古臭い扉が開く。


「なんだうるさい」

「大変なことがわかった……」


 瑠璃は神妙に手に持った袋を掲げた。


 かつてポップコーンがアメリカで広まった十九世紀。ポップコーンとは、コーンシロップで作った糖蜜をかけられた甘い味のものだった。

 瑠璃の考えていた塩味のポップコーンは世界恐慌で砂糖が制限されて以降に、安価で作られたものである。


 そして現代では、グルメポップコーンと呼ばれるフレイバーつきのポップコーンが人気を博している。

 かつては安価なお菓子というイメージだったポップコーンは、カラフルでお洒落なお菓子としても売られているのだ。それこそソルトペッパーやチーズだけでなく、当然チョコレートやラズベリー、キャラメルといった甘味が存在する。

 そして瑠璃が仕入れてきたそれは――。


「というわけで、甘いポップコーンが食べたければ私とこっちの部屋で一緒に映画を見るのだ」

「……もっとマシな脅し方は思いつかなかったのか?」


 ブラッドガルドは心から深いため息をついたあと――しかし、重い腰をあげて立ち上がった。

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