13話 水ようかんを食べよう

 初夏、である。

 初夏のはずだ。


 ゴールデンウィークを過ぎ、徐々に強くなってきた日差しを恨んだ。

 太陽にはもう少し落ち着いてもらいたいところだ。既に夏の気配はどこからともなくひたひたとやってきている。


 ――氷菓、って向こうの世界にあるのかなあ。


 現代でも、氷菓の歴史は意外に長い。

 古くは紀元前の中国や古代ギリシャから、すべては「氷を食べる」というところから始まっている。

 それでなくても、ただでさえ魔物や魔法の存在する世界。魔法で氷を作り出せるなら、食べ物を冷やすということも容易なはずだ。


 ただし実際は瑠璃の考えとは違い、魔術師がそんなことのために魔法を使うのは稀だった。

 瑠璃からすれば、どんな状況でも自由に炎や氷を出せれば便利、という程度の認識だ。だが、魔力を持っていることと、魔術として扱えるかどうかは別だ。端的に言えば、常人とアスリートのようなものだ。

 加えて、近年は冒険者として外にも出るようになってきたが、本来、魔術は秘中の技だ。魔術師たちのプライドは高く、たかだか料理に魔術を使うなどもってのほかだった。


 ――向こうにも氷菓はありそう。そもそもお菓子の類は無いわけじゃないし……。


 そうなると、ブラッドガルドを驚かせるような氷菓なんて早々無いのでは、と考える。単に氷菓の種類や、更にそこから枝分かれした味の違いを考えれば結構容易だが、瑠璃はそこまで考えが及ばなかった。


「うーん……」


 とりあえず氷菓は置いておき、瑠璃は「初夏っぽいもの」を探した。

 スーパーや和菓子屋に行けば絶対にそれらしいものがあるという確信だけを胸に、瑠璃はあたりを見回した。


「む。これは……」


 そして瑠璃は竹を模した入れ物に入った黒い液体のようなそれに、目を奪われた。





 瑠璃がブラッドガルドの部屋に入ると、彼は出しっぱなしのテーブルの上に置かれた雑誌に目を通していた。


「それ、飽きないの?」


 興味があるというから、既に用済みとなった前の号を渡しておいたのだが、物珍しさも手伝ってか延々と読み進めていたらしい。しかしいまだに字が読めないのに楽しいのだろうかとも思う。


「まあな」


 ブラッドガルドはというと、短く返事をしてから雑誌を横に除けた。

 瑠璃は首をかしげそうになったが、言っても無駄だと思った。


「まあいっか。そういうわけで、今日は水ようかん!」


 瑠璃は冷蔵庫で冷やした水ようかんを笑顔で差し出した。


 瑠璃が持ってきたのは、作り物の竹に入ったものだ。細長い竹筒ではなく、カップのように作ってあるものなので、取り出す必要はない。

 ひやりとした手応えに一度ブラッドガルドの手が固まったが、そのまますぐに自分のほうへ引き寄せた。


 上のビニールを剥がすと、水ようかんのつるりと濡れた表面が明らかになる。


 瑠璃は迷い無くスプーンですくいあげると、手にさらりとした手応えが伝わってきた。

 そのまま口の中に入れると、ほどよく冷えた感触が心地いい。変に型崩れせず、さらっとした滑らかな喉ごしのまま落ちていく。

 そのくせ甘さは控えめで、小豆の味もしつこくない。上品、と言えばそれまでだが、優しい味に仕上がっていた。

 さっぱりとした味わいも、涼しげで気持ちが良い。


 さすがに本物の竹ではないので竹の香りはしないが、それでも雰囲気だけは充分だった。


「ん~~っ、美味しい……!」


 夏を感じさせる。

 鮮やかな緑と、流れる川のイメージだ。暑さの中にある涼しさ。

 瑠璃は完全に夏を思い浮かべていた。


 惜しむらくは此処が清流の近くでも日陰でもなんでもなく、暗い牢獄であることだろう。

 そこに投獄されているブラッドガルドはというと、うきうきとした瑠璃を無言で見ながら水ようかんを口に運んでいた。

 なんだかんだ言いつつこうして食べているのだから、まあ、彼の言葉でいうなら「悪くはない」のだろう。


「味はこしあんを彷彿とさせるが。何の細工だ?」

「あ、わかった? あんこを寒天で固めたお菓子だよ。和菓子!」


 瑠璃はスマホを引っ張ってくる。


「まず、もともとはようかんっていうお菓子があるのね。そっちのようかんはこれとは違ってもう少し弾力があるかな」

「説明だけで終わらせる気ではなかろうな」

「……まあ、そのうち持ってくるよ」


 大体いつものやりとりを終えてから、話を進める。


 ようかんが日本に伝わったのは鎌倉時代。

 中国から伝えられたもので、当時の点心の一つだ。

 点心とは一日二食だった時代、お昼頃におやつ感覚で食べていたもので、それこそ今でいうおやつやアフタヌーンティーのようなものだ。

 「羊羹」と書き、字だけで見るなら羊の羹(あつもの)。

 羹はスープのことであり、とろみのある汁物。つまり、羊羹は羊の肉を使ったスープということになる。

 だが当時の日本人、特に中国でこの羊羹と遭遇した禅僧は、本来、肉食は禁じられている人々だった。


「っていっても、僧侶の人たちは施されたものは食べないといけない、っていう決まりがあったみたいでね。中国ではそのまま食べたんだろうけど、日本に帰ってきたらそうはいかなかったんじゃないかな。それで、肉によく煮た小豆を入れようってことになったんだけど」

「……」


 ブラッドガルドは微妙な表情をしていた。

 宗教上の理由から肉を食べないまでは理解できるが、そこで何故小豆を入れるのかが理解できないようだった。


 そもそもブラッドガルドの知るところの「宗教」――つまり女神信仰では、女神の化身である鳥、特に白い鳥が捕れなくなったからと、普通の鳥でなく魔物である魔鳥ならオーケーということになった、という疑惑がある。

 だからこそ余計にわけがわからないのだろう。


「うーん……仏教が肉食禁止だからこそ……じゃないかな。今でも精進料理っていう料理があるんだけど、これは肉や魚を使わないまま、肉や魚みたいに形成するもどき料理でもあるんだよ。それっぽく作ったものを食べることで我慢する、みたいな」


 おまけに日本に羊はいない。どんな変遷を辿ったかは想像に難くない。

 今ではごく普通の食材であるがんもどきも、実は肉を模したもどき料理の一つだ。


「余計に意味がわからん……。そこまでするのならば解禁すればいいものを」

「さあ……なんか、どこまで厳守できるか競い合ってたみたいだし」

「……」


 ブラッドガルドの目に呆れの色が浮かんだ。


「……まあ、良い。続けろ」


 どうもツッコミを諦めたようだった。


「最初期の頃は、そこからできあがった蒸し羊羹が主流だったみたいだね。蒸し羊羹からも色々と系統が派生してるよ」


 ういろうなんかも蒸し羊羹の流れを汲んでいる。


「次に登場するのが煉羊羹。それまでの蒸し羊羹は葛を使ってたんだけど、それ以降に発見された寒天を混ぜたのが煉羊羹のはじまりだよ。御用菓子屋の喜太郎……、まあ、王様とか貴族に献上するお菓子を作っていた人が作ったって言われてるね」


 紅谷志津摩という人物が作ったという話もあるが、二人は同一人物説もある。どうも住んでいるところが似通っているらしい。

 今でも噺家や落語家は師匠の名前を継ぐことがあるし、昔は商売と一緒に名前を継ぐことも珍しくなかった。功績をあげた人が新しい名前を貰うこともあったし、そういうことかもしれないと瑠璃は思った。


 けれどもブラッドガルドは、名前よりも別のことを指摘した。


「寒天……最初に言っていたものか」

「うん。今はお菓子の一種って思ってくれればいいよ。これも面白いものがあるから今度持ってくるよー。とにかくその寒天で固めたのができたの。今、ようかんっていうとこの煉羊羹のことじゃないかな」

「……それなのに水ようかんを持ってきたのか」

「だって夏っていったら水ようかんじゃない……?」

「知らん」


 知らない人に同意を求めたのがそもそもの間違いだ。


 水ようかんはかつては柔らかい食感を楽しむのが主で、今のように冷やして食べる習慣はなかった。だが瑠璃にとっては水ようかんは夏になると売り出されるものだし、夏の季語でもある。夏のものであることになんの疑問もない。


「で、この普通の羊羹と水ようかんの違いが、寒天の量。寒天を多くしてしっかり固めると羊羹で、寒天の量が少ないと水ようかん」


 ただし、水ようかんは元々正月のおせち料理として作られたという説がある。

 一部の地域では今も水ようかんは冬のものという発想があるらしく、福井県などでは「冬の水ようかん」を売りにしている

 他にも栃木県の日光などでは、今でもおせち料理に水ようかんを入れるという話があるくらいだ。


 瑠璃が若干前言撤回気味なことを言うと、ブラッドガルドは二度ほど瞬きをしてから言った。


「……冬の菓子ではないか」

「いいのっ! 今はほとんど夏に出てくるし!」


 実際のところは一年中出ているが、そういうことにしておく。


「ところでその反応を見ると、こしあんには慣れた?」

「……まあ、一応はな」

「じゃあ、つぶあんとかはどう? こしあんと違って豆の形が残ってる餡子なんだけど」


 瑠璃がそう言った途端、ブラッドガルドは微妙な顔をした。


「……何その顔?」

「……いや。とりあえずつぶあんとやらは遠慮しておこう」


 ブラッドガルドがあまりにはっきり言うので、瑠璃のほうが驚いた。


「豆が甘いという現実をいまだどう受け止めれば良いかわからん……」

「……」


 ――なにそれ?


 しかしそうは言いながら、豆がどうとかいう割に、こしあんは真顔のまま平らげるので、それに関しては首をかしげるしかない。

 とはいえ外国人も甘い豆という現実を受け止めきれないことがあるらしいので、ブラッドガルドもそんなものだろう。

 ”こしあん派かつぶあん派か”という、瑠璃にとって更によくわからない問題で文句を言われるよりはだいぶいい。


 ――いやまあ、それで言えばこしあん派なのかなあ……。


 ついでに、勇者や女神がつぶあん派だったらどうしよう、とどうでもいい事を思う瑠璃。


「そんなことはいい……ところで小娘」


 新しい水ようかんを引き寄せながら、ついっと瑠璃を見る。


「話は変わるが、雑誌とやらはもう無いのか」

「え、雑誌? あるけど……、字を読むならもっと難易度の低いものからのほうが良くない?」


 なんらかの好奇心に火が付いたのか、この間から雑誌を強請るようになった。

 カードゲームに興味を示したことといい、少しずつ他の事にも目を向ける余裕が出てきたのかもしれない。

 と、いうことは回復傾向にあるということだ。


「いい。それとも貴様が読み上げるというのなら聞くが」

「いやそれは無理」


 そこはばっさりと拒否させていただく。

 さすがに瑠璃がたまに買っている女子中高生向けのファッション雑誌は気が引けたので、父親が買っている地域情報誌と、男性向けのポップカルチャー雑誌、それから適当に見繕った雑誌のバックナンバーを渡すことにした。どうせ放っておけばリサイクルの回収にまわすものだし、最新号さえあれば用途は無いものだ。


 ――何に興味が向いてんだろ……。さすがに本そのもの、ではないよね?


 ブラッドガルドの興味は多岐に渡るようなので、何がキッカケになるのかわからない。

 ことこれに関しては、ブラッドガルドが何を考えているのかついぞ瑠璃が気付くことはなかった。

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