12話 ロールケーキを食べよう
「おまたせえー」
瑠璃がわざとらしい気の抜ける声をあげながら、結界の中に入った。両手で持ったトレイの上には、箱と皿が二つ、それから紅茶が載せてある。しゃがみながらテーブルにトレイを置いても、ブラッドガルドはじっとスマホを眺めたままだった。
「何見てんの?」
ひょいと覗き込むと、ソリティアの画面になっていた。
しかもゲームが始まって試行錯誤した跡がある。
――……なんでソリティア?
瑠璃は頭の上にハテナマークを浮かべた。
今から十分ほど前。瑠璃は箱を持って自分の部屋に戻った。理由は明白で、今日のおやつをそのまま出すと、一も二もなくそのままかっ攫われるからだ。まあ要するに、先に包丁でカットする必要があった。
瑠璃はスマホを置いて出て行った。
その間の出来事である。
「この……アイコン、というのが剣だったからな」
意外に明確な理由があった。
「あー。これトランプゲームだよ」
もとはカードを使ったゲームであることと、ソリティアの説明を軽くする。
トランプゲームのアイコンに、トランプとともに剣が入っているのは、魔物を倒すというストーリーが添付されているからだ。下半分に表示されたゲームをプレイすることで、上半分では勇者のキャラクターが敵を倒し、連勝数などで攻撃力が上がる仕組みだ。
といっても瑠璃にとっては暇つぶし程度に入れたもので、他に比べれば使用頻度は低い。
「他のゲームも見る? 対戦できるのとかあるけど」
「いや。後にしておこう」
「そう?」
使い方は見て覚えたようだし、単純に興味があったんだろう。瑠璃の手から離れる機会も少ないから、手に取る機会が無かっただけで。加えて、文字が読めないせいもあるかもしれない。
皿をテーブルに並べると、既にブラッドガルドの興味はお菓子に移っていた。
「と、いうわけで今日はロールケーキ~」
でもお菓子に興味が移ってもらわないと、買ってきた甲斐がないというもの。特に今日は豪華だ。
瑠璃が横から開けた箱の中からカットしたロールケーキを出すと、ブラッドガルドの片眉が上がった。
クリームがたっぷり入って巻かれたスポンジの上には、生クリームのクッションにカットされたイチゴと、ラズベリーとブルーベリー。それからワンポイントでミントが一枚のせてある。それが均等に並べられ、ちゃんと上の装飾にあわせてカットしてある。
これだけ派手なのはまだ持ってきたことがない。
さすがに目を引いたようで、皿に盛る間も目線が動かなかった。
一応皿にフォークもつけておいたのだが、ブラッドガルドはしばらく眺めた末に指先でつまもうとした。だが予想外の柔らかさだったのか、一度断念した。
普通なら行儀が悪いと思うが、元から指先で食べる文化の人なので特に問題視はしなかった。
瑠璃も特に気にせず、フォークを入れる前に指先でイチゴをつまんだ。
かじると、少し酸っぱい味が広がる。
瑠璃は瑠璃でぺたんと横に倒してからフォークでつつく。
フォークを入れると、ほんの少しの抵抗をされながらも切り離す。そこに生クリームを少しすくってのせたあと、一緒に口の中に入れた。
柔らかなスポンジはあっさりした甘さという点では、美味しいけれど少し物足りない。でも足りない分は、濃厚な生クリームがちゃんと埋めてくれている。
反対に生クリームだけだと濃厚すぎるし、食感が足りない。
それから横に倒してしまった時に落ちたラズベリーをぷちりと突く。今度は甘くなりすぎた口の中に、酸っぱさがいいアクセントになってくれた。
――んんん。おいしい!
スーパーに期間限定で来ていたお店のものだ。ハーフサイズがお手頃で売られていたので、ついつい買ってしまった。この時期だと抹茶や伊勢茶なんかを使ったロールケーキのほうが「時期」という感じもしたが、あえてシンプルなのを選んだ。
ブラッドガルドはといえば、結局フォークは使わずに指でつまみあげてかじりついた。クリームも器用に口の中に収めていく。口の端についたクリームを指で取った後に、もう一つ寄越せと要求してきた。
美味しいかどうかを聞く必要は無いだろう。
もう一つを皿に載せると、今度は上に乗っていたイチゴやブルーベリーを興味深げに見ていた。
野菜やパンの例を見るに、おそらく此方と向こうでも同じような食べ物があったりなかったりするだろう。どの程度かぶっているのかわからないが、興味がお菓子以外に広がると瑠璃の説明は大幅に増えることになる。
――まあ、そのときはそのときでいっか。
瑠璃はその間にスマホを弄ってロールケーキを調べた。
お茶を飲んで一息ついたあと、二人の間にはぼんやりした空気が流れた。
「……しかし、変わった菓子だな」
「え、見たことない?」
「そういう意味ではない。此方でいうケーキが大体このようなものだが」
――あー。似てるけど装飾とかが変わってるってことかな?
そう考えると今のブラッドガルドの発言にも納得がいく。
「うん。そうかも。スポンジはこっちでもケーキの土台にも使われるね」
スポンジを使ったお菓子は多い。
スポンジと生クリームを使ったお菓子というだけでも、ロールケーキのように巻いたり、ブーケのように生クリームを包んだり、ショートケーキのように重ねたりと色々だ。
瑠璃はケーキというと、どうしてもショートケーキを連想してしまう。
そもそも現代でいう「ケーキ」はとても意味が広い。
スポンジと生クリームが中心となったケーキはもとより、チーズケーキ、ムースケーキ、果てはアイスケーキまでがケーキと呼ばれているし、それに疑問を持つ人間もほとんどいないだろう。
だがもともとケーキは英国、つまりイギリスの伝統的な菓子の一つだ。小麦粉、砂糖、バター、卵という基本的な材料を使って作られるパウンドケーキを中心に、マフィンなどに枝分かれしたものをケーキといったのだ。
それがアメリカに渡って様々な手を加えられ、今日に至った結果、本来の意味とはかけ離れたケーキもたくさん登場した。
「材料は似たようなものを使うけど――その中でも、こうしてぐるっと巻いてロール型にしてあるのがロールケーキだよ」
瑠璃はフォークの先で円を描く。
「スポンジはビスケットとも関連があるみたい」
「あの携帯食料か」
「携帯食料って言いつつ普通に食べてるじゃん……」
「そんなことはどうでもいい」
続けろ、と無言の圧力が来る。
「保存性を高めるために二度焼きしたパンをビスケットとかビスキュイとか呼ぶって話はしたよね? それがだんだん、パンの工程を経ずにそのまま作られるようになった。その中で色々と試行錯誤されてできたのがスポンジって言われてる」
「はっきりとはせんのか」
「んーまあ、これはお菓子全般に言えることだと思うんだけど……やっぱりその当時ってはっきりと『こう』っていうのが定まってないからか、おぼろげなんだよ。レシピの混同みたいなのも起こってそうだし……。実際、フランスだと不思議なことに、このスポンジって意味でビスキュイって単語が使われてたりするんだよ」
「……曖昧だな」
「まあねえ」
瑠璃は特に気にした風もなく答える。
「そもそも日本に伝来した後もそうだよ。スポンジは十六世紀にカスティーリャ・ボーロ……つまりカスティーリャ王国のお菓子、みたいな名前で伝わったんだけど、そこでカステラ、っていうスポンジみたいなお菓子と、ボーロっていう小さなクッキーみたいなお菓子に分かれちゃった」
「何が起きればそうなるんだ」
「このときロールケーキの原型になるお菓子も持ち込まれたみたいなんだけど、日本で有名になったのはもっとあと」
だが原型になったお菓子のほうも、日本風にアレンジされたものが今も郷土菓子として売られていたり、伊達巻きのルーツになったとも言われている。
「昭和の時代になってから、山崎製パンってパンメーカーが『スイスロール』って名前で売り出したことで広まったって言われてるよ。イギリスでも同じ名前で呼ばれてて、女王様が旅行先のスイスから持ち帰ったからそう名付けたって言われてるよ」
「……スイス?」
「んー。パンメーカーのほうは、スイスにある『ルーラード』ってお菓子をもとにしたみたいだね。ただ、ロールケーキそのものがスイス生まれかっていうとどうなんだろう……」
その辺がどうにもはっきりしない。
ネットの情報も、スイス生まれらしいと書いている人もいれば、そうではないと書いている人もいる。個人ページやブログになっていくほどそれも顕著だ。
瑠璃はそれ以上は無理と判断して、もう一つの説を説明することにした。
「もう一つ説があって、こっちはブッシュ・ド・ノエルっていう薪、というか丸太型のケーキが元だって説だね。ただ、こっちもちょっと眉唾かなあ」
「それはどういう菓子なんだ」
「きみは嫌いそうだけど、クリスマスっていうキリスト教のイベントの時に食べるお菓子だよ。クリスマスは神の子の誕生日ね」
「……ああ……」
思った通り、ブラッドガルドは微妙な顔をした。
「しかし、薪を食う……? どういうことだ」
「うーんと、そもそもクリスマスって、当時の太陽の復活祭と結びついてるらしいんだよね」
日本では「キリストの誕生日」というざっくりした考えが多いが、そもそもこの時期にあったのは冬至の祝祭だ。
冬至は一番日照時間が短い日だが、その日を境に今度は昼が長くなる。つまり太陽の死と復活を象徴する日なのだ。
もとはペルシャから入ってきた太陽神の誕生を祝うミトラ教に対抗して、旧約聖書の「義の太陽」、つまりキリストの出現を祝うという名目でローマから広がったと言われている。
しかし教会での静粛で荘厳な雰囲気と違い、一般信徒の酒宴的な祝い方に関しては、各地の祝祭と結びつく形で広まったようだ。祭儀の乗っ取りは当時よくあった事らしく、ローマのサトゥルナリアやクリスマスツリーなどがそれにあたる。
北欧も少し遅れて混交が行われたようだが、大体は融合だ。
「この時期の冬至のお祭りとほとんど融合してるみたいだね。だからヨーロッパだと各地で祝い方が違うみたい。日本に入ってるのは……アメリカで緩やかに統合したもの、なのかな」
「……つまり、誕生日ではないではないか」
おかげで本来のイエス・キリストの誕生日は全然違う日であるという研究結果がある。
そして今これを知った瑠璃も若干ショックに包まれていた。
「でまあ、そういうもともとの文化の一つに、ユール・ログっていう大きな丸太をくべるっていうのがあるのね。これを燃やし続けると豊作になるとか、無病息災とか……反対に消えてしまうと不幸があるとか。でも、そんな暖炉があるのは限られてた」
「金持ちか王族か……まあ、そのあたりか」
「時代が進むにつれて、だんだんとそこそこのお金持ちも増えてきたんだけど、今度は反対に家で暖炉を使わなくなったりしたんだよ。で、その代わりに丸太を模したお菓子を食べませんかっていうお店がでてきた。それがブッシュ・ド・ノエル、クリスマスの丸太」
今の日本でも、鯉のぼりを設置できない代わりに鯉のぼりを模したケーキを食べる、という人がいたりするから、そういうものだろうと瑠璃は理解した。
「ふむ。そして菓子を食う習慣だけが残った……と。まあ神云々は気に食わないが、それで菓子を作ったのは評価できる」
「そう……」
やっぱりそういう評価に行き着くんだ、という呆れが半分混じる。
「それともうひとつ聞くが、丸太の色は何とする?」
「主流はチョコかな……」
「そうか」
チョコの存在で更にあっさり許された感があった。
「しかし、その考えでは今度は……夏至から冬至では逆に太陽は死んでいくことにならないのか」
「それはそれじゃない? 復活するには死ぬ必要があるし、朝と夜は必ず訪れるものだし。中国でも光と闇は両方あって成立するっていう、陰陽って考え方があるし。バランスがとれてるんじゃないかなあ」
「……バランス?」
何か物言いたげな表情になる。
「そういうの無いの? ほら……火と水とか」
「ふむ。女神の話は光が闇を照らすとか、奪われた光を取り戻すとか……そういうくだらんものばかりだからな。だが、信仰でなく魔術に通じる話なら……」
「ある!? どんな!?」
「大地、水、風、火――その四つの神々だか精霊だかによって世界が作られた、というものだ」
「ファンタジーだ!!」
瑠璃は思わず叫んだ。
四大元素とか四大精霊とかの話が急に出てくると感動してしまう。
そういえば魔法があったということを思い出す。
「貴様がたまに言うそのファンタジーとは一体なんなんだ……」
ブラッドガルドが呆れたように言ったが、瑠璃は気にしないでとだけ言った。
「はじめに大地の巨人が死んで横たわり、今の大陸となった。その周辺を水の魚が覆って海となった。残った風の鳥は地上の世界を作り、火の龍は地下で永遠に燃え続ける……。そして風と火の神は、お互いにバランスを取り合うことで世界を支えている、と」
「おお……なんか……すごい」
「なんだその気の抜ける感想は……。……まあ、四大精霊の話はこういうものだとは言われている。精霊の姿に関しては、今言ったものとも全員が龍とも言われているが、はっきりとはせんな」
「でもそれ、女神様が世界を作ったってのとは矛盾しそうだけど」
「そうだな」
首をかしげる瑠璃とは対照的に、ブラッドガルドの声はどこか含みを持っていた。
「女神の事は気に入らんが――奴のお陰で一つだけ、人間どもは至極愉快な事をしたのだ」
そう言う彼の表情は、ぞっとするほど暗い喜びに満ちていた。
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