11話 シュークリームを食べよう
「飽きた」
ブラッドガルドは入ってきた瑠璃を見るなりそう言った。
理由はなんとなくわかる。
まず大きな理由は、瑠璃が二日間ここに来なかったから。
つまりからかう相手がいなかったのと、新しいお菓子がなかったから。
「置いといたクッキー全部食べておいて飽きたってどういうことなの?」
「貴様の言い分はどうでもいい、飽きた」
「ええ……」
瑠璃がお茶会に来なかったのは、単に友人たちと遊びに行っていたからだ。せっかくのゴールデンウィークなのだからと、東京のキングダムランドに隣接する海をモチーフとした遊園地へ行った。
その間のお菓子として置いていったクッキーは、すっかり空になっている。
「まあ機嫌直してよ、他にもお菓子持ってきたんだからさ」
瑠璃は薄暗い部屋の入り口付近に立てかけた猫脚テーブルを手にとる。
畳まれた脚を広げてテーブルとして設置する。地面がガタつかないかをしばらく調べたあと、よし、と小さく呟いた。
テーブルの上に箱とスマホを置くと、座布団に座る。そこまでして、歌膝を立てていたブラッドガルドはようやく膝を下ろして胡座をかいた。
それから木製扉の向こうへと手を伸ばす。世界の境界をライトに越えながら、戻した腕には白い箱が握られていた。
テーブルの上に箱が乗せられると、さっそく中身の検分に入った。
中には茶色いもっさりとしたボールのような塊が四つ入っている。見た目だけは妙にごつごつとしていて、上のほうには粉砂糖が振りかけられている。
当然、瑠璃はこれが何なのかを知っているが、ブラッドガルドは真顔のままそれを覗き込んでいる。
「パンか?」
「パンではないなあ」
瑠璃はそのうちのひとつをそっと手で取ると、ブラッドガルドへと差し出した。
「中、クリームだから気をつけてね」
「……」
そのままだとぐしゃっとやってしまいそうなので、一応言っておく。
一応クリームで通じたようだ。
「というわけで、今日はシュークリーム!」
掌に乗せたまま固まっているブラッドガルドをさておいて、瑠璃はさっさと口に入れた。
直前まで冷蔵庫に入れていた生地は、微かな冷気を感じる。冷えすぎないくらいで、ちょうどいい。
香ばしい食感のあるシュー生地をかじると、粉雪のような砂糖が小さく舌の上を転がる。
奥からは、たっぷりのカスタードクリームが姿を現わした。ほどよく冷えた、蕩けるようなクリームが、口の端からこぼれそうになる。
滑らかなバニラの香りがかすめていった。
ざくざくとしたシンプルな味のシュー生地に、とろりとしたカスタードクリームがよく合う。
口を離すと開いた穴を上に向けた。中のクリームがあふれ出てこないように、行儀は悪いが少しだけ舌で舐め取った。
それでも二口目をかじりとると、横からクリームがあふれ出た。
ちらっと前を見ると、ブラッドガルドは口の端についたクリームを中指で器用に拭き取り、眺めているところだった。
一つ食べ終わったところで、ブラッドガルドが一言、「それで」と言った。
「これが何なのかは当然喋るんだろうな」
もはや恒例だ。
瑠璃はスマホを手に取った。
「シュークリームはシューとクリームの造語で、シューはフランス語。クリームは英語。和製外来語って言われてるやつだよ」
ちなみにフランス語でシュークリームは、シュー・ア・ラ・クレームだ。
それぞれの国でシュークリームと言ってしまうとぜんぜん通じないらしい。
「クリーム、はわかるよね、たぶん」
「まあな」
「うん、じゃあ、カスタードを使ったクリームがカスタードクリーム。カスタードは元々料理用のソースに砂糖や香料を入れたモノだよ。『プリン』ってお菓子も、日本でいうプリンはみんなカスタードプリンのことをいうよ」
ブラッドガルドが眉を寄せた。
そのうち持って来たほうが早いなと思う。
「前にも言った、コーンスターチから作れるのがこれ! ……ただやっぱり、代用して作れるってだけで、小麦粉とか薄力粉とかを使う場合が多いみたいだけど。で、外側の生地が……」
「シューか」
「うん。このシュー生地で作るお菓子は結構いっぱいあって、この生地が一応基本みたい。日本だとシュークリームが基本ぽいから選びました」
「と、いうと本場は違うパターンか……」
「うん。フランスだと『シュー・ア・ランシエンヌ』、つまり『昔風のシュークリーム』って感じで、あんまりお店には並ばないみたい。
むしろフランスだと、代表格は『エクレア』かな。シュークリームとは違って、細長い形だよ。エクレアの名前の由来のエクレールは雷とか稲妻って意味で、中身がこぼれたり溶けないうちに素早く食べろって意味だって言われてるね」
ただしこれは俗説。
もとはパン・ア・ラ・デュッシェスという、中にクリーム、表面に糖衣をかけるお菓子群のうち、カラメルを塗って光が反射するものを、稲妻のよう、つまりエクレアと別名をつけた。やがて他のパン・ア・ラ・デュッシェスもエクレアと呼ばれ始めたのではないか――としている説もある。
「エクレアは日本でも普通に売ってるけど、逆にフランスではよく見るのに日本ではあんまり見かけないお菓子で『ルリジューズ』っていうお菓子もあるよ」
ブラッドガルドが急に手を差し出し、テーブルに置かれたスマホを見る。
瑠璃が使うのである程度の使い方は推測できたのか、指先で器用にスクロールしはじめた。
「……おい、これは……」
「よしじゃあどんどん行こう!」
そっと瑠璃はそれを奪い返す。
スクロールさせる指先の間からめざとくエクレアを見つけ出したらしい。
チョコレートを使ってあるエクレアとルリジューズの真相に触れられないうちに、次に進むことにした。
「貴様」
「エクレアもそのうち持ってくるから」
若干真相に気付かれたけれど、それはそれだ。
「シュークリームも、前に話したカトリーヌ・ド・メディチが絡んでくるよ。そのお抱えパティシエだったパンテレッリっていう人が作ったと言われてるよ。これも資料がないから伝説の域みたいだけど……」
「貴様らには起源がわからなかったらとりあえずその辺りの人間が作ったことにしておこうという算段でもあるのか?」
「ど、どうだろ……」
その説は微妙に否定できない。
そもそも、パンテレッリはププランというお菓子作りが得意だったので、ポプリーニとも呼ばれていたらしいが、そのププランが今のシューの元祖という話もあるらしい。
かと思えば、「ベニエ・スフレ」という揚げシューが最初だったとか。
それらを改良して現在のようなシュー生地を作ったのは再びの登場となるジャン・アヴィスだとか。
瑠璃は頭を抱えたくなる。
菓子レシピの中で似たような材料で作る菓子やその製法が、混同や枝分かれ、別名などを経て現在の形となった、と言われたほうがまだましだ。
もはや「日本で一般に広まったのは冷蔵庫が普及してから」とだけ説明しておきたい。
瑠璃はすっぱりと諸々を諦めた。
「ん、まあ、それでね」と、話を戻す。
「シュー、の意味はフランス語でキャベツ。シュークリームの形を見ると、キャベツそっくりだからそう呼ばれてるって言われても納得しちゃうんだけど――」
視線を落として、残りのシュークリームを手に取る。
目の前にぬっと現れた手が、そのシュークリームをかっさらって行った。目線を落としたあとに口の中に入れた。牙がかぶりついた後、端にクリームがついたまま咀嚼するのを見る。だから何故、いつも自分が持ち上げたものを奪うのだろう。
「……シュークリームが出来る前にもシュー生地を使ったお菓子はあったみたいだし……。さっき言ったパン・ア・ラ・デュッシェスも、キャベツとはかけ離れた形だから、実は根拠としては弱いみたいだね。でも、シュークリームの形を見れば大体納得しちゃうから、こっちのほうが広まってるみたい」
「なんだ、結局わからんのか」
「でも、このキャベツ説はいい意味でも使われてると思うよ。『クロカンブッシュ』っていう、小さいシュークリームを重ねて塔みたいに積み上げて飴で固めたケーキがあるんだけどね。向こうのほうだとキャベツ畑から赤ちゃんが産まれるっていう話から、子孫繁栄とか豊穣を願ってウェディングケーキにする人たちが多いみたい」
それはそれで、ロマンだ。
だからいいと思う、と言おうとしたが、その前に。
目の前でブラッドガルドが意外そうな表情でこっちを見ているのに気付いた。
「……貴様ら、キャベツ畑から産まれるのか?」
「違うけど!?」
さすがに意外すぎてツッコミが先走ってしまった。
「冗談だ。それくらいわかる」
「えっ、じょうだ……冗談!?」
冗談を言い出したことのほうが驚きだが、ブラッドガルドは表情を動かさなかった。普通にからかったのだ。
「……とはいえ、我ら――魔物と呼ばれる種は、形の無いものから生まれ落ちることもあるしな。スライムの分裂、暗殺蔦は植物そのもの、屍に無の魂が宿るもの。迷宮内の火や水に濃い魔力が溜まって魔物化することもあるしな」
「お、おお……。きみもそういう感じ?」
「知らん。意識が浮上して目が覚めたら迷宮の奥だったから、たぶんそうだろう」
「うわー急にすごいざっくり」
……とはいえ、親がいると言われてもそれはそれで困惑する。
迷宮やダンジョンの主は、その中で一番強いものや、魔物の群れのボスがなる、という話は聞いたような気がするが。
本当にブラッドガルドは唯一人の存在らしい。
「自分が何から出来ているかなどそれほど重要でもあるまい。我はこの迷宮の主なのだから」
「そういえば主がいなくて大丈夫なの? 新しい人がなるんだっけ。あとは崩れたりとか……」
「この隙に地位を狙う者はいようが、この程度で崩れはせん。勇者との戦いで多少は痛んだが、それだけだ」
ブラッドガルドは鼻で笑う。
「……何しろ我が迷宮は広大。大地の上にさえ浸食し、それだけでヒトの国すら滅ぼしたのだからな」
「流れるようにここ一番の衝撃発言しないでくれる?」
スッと真顔になりながら、瑠璃は真ん中に置かれたシュークリームの箱とスマホを引き寄せて帰ろうとする。
その箱を反対側からブラッドガルドの手が掴んだ。
ぐぐっとお互いが拮抗する。
「……おい待て小娘。そうは言ったが我の責任ではないぞ。そもそも我が迷宮の浸食を食い止められなかった人間どもが悪い」
「それ言っちゃう!?」
「大体、その滅んだ土地の奪取と我が迷宮の所有権だか管理権だかを巡って、あろうことか迷宮内でお互いに戦争を始めたのは人間どもだぞ。その間に浸食が更に進むのは当然だろうが」
「わー人間もバカだった」
せめてそこは力を合わせてほしい。
詳しく聞くと、迷宮というのは拡大や縮小を繰り返すものらしい。中に住んでいる魔物が自分達の領地を広げるのもあるし、迷宮そのものが拡大することもある。
そんな拡大を抑えきれず、放棄された元他国の領土に目が眩んで、浸食を止めるという名目で各国が挙兵。その隙に領土ごと頂こうという魂胆から、邪魔者である他国を排除、小競り合いから戦争になったらしい。
もう一度言うが、せめてそこは力を合わせてほしい。
瑠璃がそう言うと、ブラッドガルドは愉快そうに笑んだ。
「ていうか、管理ってどゆこと?」
「迷宮は人間どもにとって一応は資産扱いのようだからな。それに、迷宮を手に入れれば、自動的に周囲の土地も手に入れることになる。そういうことだ」
言っていることはわかるが、瑠璃は事態を呑み込むのに少しかかった。
その隙をついて、ブラッドガルドはシュークリームの箱をかっさらった。
「それより――」
箱の中身を見たあと、顔をあげる。
「何故キャベツ畑からなんて広まってるんだ」
「その話続いてたの!? ……えっ……な、なんでだろう?」
急に話題を元に戻されたのも困るが、今まで特に疑問にも思わなかったことを一旦「なぜ」と聞かれると、そういえば何でだ、という疑問が湧く。
一応スマホで調べてみると、それらしい理由はあった。
テーブルの真ん中にスマホを置いて見せる。
「スコットランドで恋占いに使われたらしいよ。目を隠してキャベツを引き抜いて、土がついてるかどうかとか、味を見るとか。それが元になってるみたい」
「……ふうん?」
ブラッドガルドは乗り出した身を元に戻す。
そういえばこっちの字は読めなかったっけ、と思い出したのはその後だった。
「……キャベツよりはシューのほうがまあ……マシだな」
つまりは美味しいってことか。
「そういえば野菜は土に生えるから人間から下に見られてる、とかだっけ? キャベツは存在するのに?」
「それは半分は正確だが半分は間違いだ」
瑠璃は首を傾ぐ。
「それらの主張は基本的には王族や貴族連中だ。特に女神狂いの狂信者を聖教などと擁護する奴らはな。無論、その狂信者の一部もそうだ」
「説明にすごい悪意がある」
「しかし逆に、それらから外れた下位の農民、それから冒険者といった奴らはそんなことにはまったく頓着しない。小国の奴らも個人的な信仰者以外は気にしないだろうな」
つまりは選択してる余裕がない人たちは食べるってことだ。
昔のヨーロッパと同じだなと瑠璃は思う。野菜はもともと地位が下の人が食べるものだった、という話がある。
「が、まあ――それでも、土の中に生えるものは嫌がる傾向にあるようだがな」
「ふうん?」
なんで土の中なんだろう。今いちぴんとこない。
要は土の中、というのが土の下にあるブラッドガルドの迷宮を連想させるから嫌……ということなんだろうか。
とはいえ瑠璃はニンジンもジャガイモも普通に口にするわけで、ますますぴんとこなかった。
「まあ、そうは言いつつ奴らは魔鳥の類は食うがな」
「どういうこと!?」
「鳥は女神の遣いだから食べられない。だから代わりに魔物とされている鳥を、ということだ」
「……それ、昔は普通に食べてたのに、教えに反するからって無理矢理でっちあげた感がすごいというか」
「ふむ。貴様にしては的確だな」
褒められているのかどうなのかよくわからない。
「……ま、いいか。ちょっと色々ツッコミ所はあったけど……これで機嫌は直ったよね?」
瑠璃が言うと、ブラッドガルドの目線が鋭く瑠璃を射抜いた。
「……何を企んでいる……?」
「企んでるってほどでもないんだけど……」
横着して、四つん這いのまま鏡を通り抜けると、その手にもう一つ箱を持って戻った。箱にはキングダムランドのキャラクターが印刷されている。
「はい、お土産のラングドシャ」
「……またクッキーではないか」
ラングドシャは猫の舌と言う名のクッキーだ。
細長い楕円形に似たクッキーで、猫の舌に似ていることからそう名付けられた。
日本では猫の舌の名前に反して、正方形型のものをよく見る。そういうのはたいてい、二枚のラングドシャでチョコレートを挟んである。有名なのは北海道の「白い恋人」だ。
「白い恋人」はパロディ商品が色んな所で作られているが、そちらのほうの中身は必ずしもラングドシャとは限らない。
早速のように箱を開けると、ブラッドガルドの目線が動いた。
「何故貴様が開ける」
手が伸ばされる。飽きたと言いながらの文句を、瑠璃は気にしなかった。伸ばされた手は、横に置いた蓋をひょいと手に取った。
ブラッドガルドが眉間に皺を寄せ、理解に苦しむ顔で笑顔のネズミのキャラクターを眺めている。何を思っているのか定かではないが、絶対に可愛いとだけは思ってないのは確かだ。
「だけどこれは……ドイツ語の『猫の舌』、カッツェンツンゲン……!」
ドイツ語での「猫の舌」、カッツェンツンゲンの名前を持つのは、クッキーじゃなくてチョコレートだ。
「せっかくだから、キングダムランドの話も聞いてよ!」
「……」
瑠璃は顔を輝かせながら言った。
ブラッドガルドの目線が嫌そうにするりと逸れたが、数秒後に瑠璃が見せびらかしたチョコレートに戻った。
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