閑話3 side:A

 儀式の間はやや楽観的な空気に包まれていた。

 そんな空気を戒めるように、ただ一人、銀色の甲冑に青色のマントを羽織った騎士が、ぎろりと護衛の兵士達を睨んだ。


 ――相変わらず固いわねえ、オルギス。


 アンジェリカは笑いそうになったが、この場での彼と彼女は護衛の聖騎士と勇者代理だ。一応それなりに振る舞わなければならない。

 かつてはともに勇者リクの仲間として迷宮の奥底に挑んだ身であったとしても、それは変わらない。それでも、仲間としての彼がいてくれることは心強かった。

 気を取り直して、緩みそうになった表情を引き締める。


「では、始めましょう」


 何しろこれから始まるのは間違いなく重要な案件だからだ。

 アンジェリカの一言で、緊張感がより一層張り詰めた。


 重要な案件とは、遙か迷宮の奥底に張られた結界の調査だ。

 結界の確認は、いくつかの方法がある。直接見る方法が一般的だが、仕掛けた本人であるなら、ある程度の距離からでも調査できる。

 表向きは結界がきちんと機能しているかを見るものだが、実際にはブラッドガルドが確実に息絶えているかどうかの調査だ。

 状況によっては今後も定期的に行われるが、今回の結果をもって、正式に国同士での和議が結ばれる。同様に、ブラッドガルドの迷宮も正式にバッセンブルグ預かりとなる。現状で既にそうなってはいるものの、暗黙の了解ではなく書面上でのやりとりでも正式に決められるのだ。


 おそらくは死んでいるだろうと、皆確信していた。むしろ生きているほうがおかしいし、まだ生きているとしても碌な状況ではないだろう……というのがおおかたの予想だった。


 用意された水晶球へ片手を乗せると、アンジェリカの表情が一変した。膨大な魔力が膨れ上がる。


 兵士の中には思わず声が漏れそうになった者までいた。

 アンジェリカ姫の底無しのような魔力も勇者リクには適わなかったというが、初めて見る兵士達はさすがに目を丸くしていた。しかし、オルギスの殺気を感じ取ると、なんとか自分を抑えた。


 反対にアンジェリカはそんな周囲にかまっている暇はなかった。

 意識が自分の魔力を辿るように、迷宮の奥地へと落ちていく。

 深い海の中をどこまでも潜っていくような感覚になる。


 ――あった。


 海の水底にある自分と同じ魔力を見つけると、そこまで更に潜っていった。

 結界がまだちゃんと機能していることはひとめでわかった。それに関しては少しだけホッとする。

 近くまでたどり着くと、その中を覗き込もうとした。


「……?」


 アンジェリカは妙な違和感を覚える。

 不意に光が途切れたように、前が見えない。一瞬、嫌な予感がした。

 しかしもし何かあるとするなら、ここまでたどり着けないはずだ。中に閉じ込められている者に邪魔されるなんてことは……そんなことは、あるはずがない。それでもアンジェリカには、奇妙に感知を邪魔されているような感覚に陥った。

 まるで、視界だけを鎖されているような――。


「……どうしました?」


 オルギスが尋ねる。


「……視界が? いえ、何か……魔力が混ざって……?」


 彼女の明らかな困惑と狼狽に、周囲が微かにざわつき始める。

 微かな音が聞こえたような気がする。


 ――まだ、生きてるの?


 生きているなら、相当の生命力だ。その生命力も尽きようとしているならまだしも――邪魔をするほどの魔力が果たして存在するのか?

 視界が塞がれてうまく見えない代わりに、音だけでも聞き取ろうとした。


「……音を拾い上げます。皆さん、お静かに――」


 言いかけたその時だった。


『……剣聖ヴェイン、参る!』――ジャキン!


 ――え?


 アンジェリカだけではない。皆、自分の耳を疑った。


『ハァッ!』

 ヒュッ、ドスッ、ヒュカッ、ドスッ――バサァッ!

 ザシッ!


 突然、水晶球から聞こえてきたのはそんな音だった。

 映像がないため、何が起こっているのかわからない。

 音だけだ。

 だが確実に向こうからは――戦闘のような音が聞こえてきている。

 兵士の一人が思わずというように口を開いた。


「誰かが戦っている……」

「静かにっ」


 愚かにも開きかけた兵士たちの口が、オルギスの一喝で閉じる。


『たあっ!』バシュッ! ガッガッ、ゴンッ、バシッ! シュシュシュシュシュッ!

『ぐっ……』バシュン!

 ドッ。

『これでいかが?』パンッ! パンッ! ゴッ! バシュウウン!

『うわああーっ!』


 悲痛な叫び声にドキリとする。

 全員の目が見開いた。


『いっくよお!』

『まだまだだぜ!』


 おそらく一人で戦っているのではないのだ。

 先ほど敵であろう人物にやられたのであろう人物の声もする。


『まだまだぁっ!』ドン。ジャキィッ!


 自称剣聖も立ち上がったように思える。


 シュン。ジャッジャッ、ドカバキッ、ゴゥッ! バサァッ!

 シュウウン――。


『来い! フェニックス!』

『フローズンフラワーッ!』


 人数は決して多くはない。魔術式や召喚も聞いたことがないものだ。しかし、数名の人物が入り乱れて戦っているのは理解できた。

 音だけだからなのか、鮮明だがどこか現実味に欠ける戦闘の音が広間に響く。


 ――これは、一体……、誰と。そんな、まさか……。


『剣聖の名の下に――断ち切る! 炎陽ッ!』 ズジャァアアッ! ゴオオオオッ!


 ――今のは!?


 おそらく剣と魔法の両立。

 それとも何らかの魔法剣の類なのか。いずれにせよ自称剣聖の名は伊達ではないのだ。そんな人物に僅かに期待してしまう。


 ドン。シュシュシュシュッ! ガキン、ガキン!


 相変わらず、何の音なのかの判別がつかない。ただ激しい戦いが繰り広げられているのがわかるのみだ。

 だが、続いて聞こえてきた声にぎくりとした。


『遊びの時間は終わり――』シュウウウン……


 妖しく、艶やかな声が響く。


『お仕置きは、たっぷりね』ガォオオオオンッ!

『きゃあああーっ!』

『ぐああああーーっ!』


 聞こえた悲鳴に、アンジェリカは口元を抑える。いったいなにが起こったというのか。何かが召喚されたようだが、呪文にも詠唱にも思えなかった。アンジェリカは背中に冷たいものを感じる。

 そして静寂が訪れた。


 ――や、やられてしまったの?


 魔力を動かそうとしたそのときだ。


『――見事だ、宵闇の魔女』

『うふふ。遊び足りなかった?』


 アンジェリカは今度こそ戦慄した。


「今の声は!」


 オルギスもまた驚愕に瞳を見開く。信じられない、という思いが渦巻いていた。


「そんな――そんな」

「ブラッドガルド――!」


 ブラッドガルドは生きている。

 その事実はアンジェリカにも騎士にも衝撃となった。衝撃は兵士達の中に伝搬し、今度こそ困惑の声を抑えきることはできなかった。

 アンジェリカは何とか自分を奮い立たせなければならなかった。


「お静かに! いますぐ魔力探査を広げて――」


 アンジェリカが叫んだ時には遅かった。


『……ネズミがいるようだな?』


 冷えた手に心臓を鷲づかみにされたような気がした。

 だが幸運なことに、手はアンジェリカの心臓ではなく、水晶球にかけられた。途端に、まるで握り潰されたように爆発する。不快な音が響き渡り、飛び散った破片から体を守るために、とっさにマントで身を覆った。


「あ、アンジェリカ様! ご無事ですか!」


 兵士の声に目を開けると、目の前にオルギスが立っていた。

 守ってくれたのだ。


「あ、ありがとう」


 ほっとしたのもつかの間、アンジェリカの脳内では恐ろしい現実がようやく事実となって落ちていく。

 あれだけの戦闘をこなしていながら――いや、ひょっとするとブラッドガルド自身は、新たな配下、もしくは同等の人物の戦いぶりを見学していたのか。


 次第に兵士達に動揺と混乱が広がったが、思案するアンジェリカを一瞥してからオルギスが彼らをまとめ上げた。

 アンジェリカには実際、彼らをかまっている余裕などなかった。


 ――宵闇の魔女……。


 ブラッドガルドの声がしたこと。

 そしてこの奇妙な戦いに、宵闇の魔女と呼ばれる人物が勝ったこと。

 おそらく――おそらくだが、この宵闇の魔女と呼ばれる人物こそが、ブラッドガルドに手を貸したのだと確信した。


 ――でも、一体……。この堅牢な結界に、どうやって……。


 この覆しようもない現実は、アンジェリカやオルギスだけでなく、この場にいた全員の心に暗い影を落とした。

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