挿話3 終わりと始まり

 謁見の間に現れた彼女に、兵士の目は釘付けになった。


 正規の魔導着に身を包んだ彼女は、凜とした一輪の花であった。

 しかしそれは可憐というだけではない。薔薇のごとく豪奢に燃え上がる炎でもある。


 ワインレッドのローブは上品な艶があり、裾に施された金の刺繍は、魔力を通しやすい素材を使った職人の手縫いだ。それが腕の先やケープにまで施されているのだ。周囲からは思わず感嘆の声が漏れたほどである。

 そして、何よりもそのローブを流れる金糸――金色の髪のなんと豊かなことか。


 かつてはその魔力の多さゆえ、魔術が上手く扱えず悩まされたという噂もあったが、その姿からは想像がつかない。

 そんな彼女こそが魔術王国ドゥーラの至宝、女神の加護持つ勇者とともに迷宮の主ブラッドガルドを打ち倒し封印せしめたアンジェリカ・フォン・ハイド・ドゥーラその人である。


 周囲を警護する兵士も、思わず感嘆の声をあげそうになったほどだ。

 アンジェリカは右手を胸に当て、片膝をついた。


「お久しゅう御座います。国王陛下」

「うむ。面を上げよ」


 形式上の挨拶を終えたあとに、アンジェリカが顔をあげる。

 途端に、国王の顔から緊張感が解かれた。


「よくぞおいでになられた……アンジェリカ姫。本来ならばこのような場ではなく、席を設けるべきだったのだが……」

「いいえ、恐れながら陛下。わたくしが望んだことです。わたくしは今日、ドゥーラの姫ではなく、勇者リクの代理であり一介の冒険者として此処にいるのです」


 その言葉に、国王が身を乗り出す。


「すると、やはりリク殿は……」

「はい。多くは語りませんでしたが、かの者の故郷に向けて出立しました。……お怒りはごもっともで御座います。勇者として以上に、責務を放り出す無礼をお許しください。かの者の無礼はわたしの責でもありますゆえ……」

「……そうか……」


 国王の声に籠もったのは、怒りではなかった。

 はたから見れば、感傷のようにも思えただろう。しかしその内面に籠められた感情は、本人しかわからない。アンジェリカは一瞬、再び緊張の糸を張った。


 だが、国王はすぐに顔をあげて続けた。


「……いいのだ。まずはもう一度、改めてきみには感謝を伝えよう。ブラッドガルドから大地を取り戻すだけでなく、迷宮を攻略し、討伐を成し遂げてくれたことを」

「もったいないお言葉でございます」


 アンジェリカは頭を下げた。


「そして、我々はきみたちによって愚かな戦争を終わらせることができる。百年前の祖先たちの過ちを……。今、周辺諸国にも通達を出しておるところだ。みな色よい返事をくれている」

「はい。私たちの世代で、迷宮戦争の終結を宣言できることを誇りに思います」

「重ね重ね、リク殿がいないのは残念だ。だが、そうは言ってもいられまい」


 国王はひとつ息を吐いた。


「我々の祖先は、私を含めみな愚かだった。ともに脅威に立ち向かう事よりも、他国を出し抜くことを優先し、自らの利益に目が眩んだのだ」


 迷宮戦争。


 地下に存在した広大なブラッドガルドの迷宮が拡大し、地上へと手を伸ばしたのを発端に、いくつかの小国が抵抗できずに滅んだ。侵略され空いた土地と潤沢な資源を含む迷宮の所有権を求め、そこに各国が兵を派遣したのが始まりだ。

 迷宮に立ち入った兵士たちは、次第にお互い小競り合いを繰り返すようになった。他国の兵は排除せよ、出し抜いてしまえと内密に通達されたのは、一つ二つではない。やがてそこに継承権の低い王子たちが部隊の長として立つようになると、問題は根深くなる。やがてまで絡み始め、迷宮を舞台にした対国家間の大戦争が巻き起こった。


 その間、ブラッドガルドの迷宮は更に拡大を続けた。

 やがて疲弊した兵には死の呪いが降りかかり、それはあっという間に諸国に蔓延した――。


 争いと呪いの拡大。

 それは女神聖教会の手引きで一旦の休戦協定と迷宮の土地に関する盟約が結ばれるまで続いた。


 これが迷宮戦争の全貌だ。

 ブラッドガルドからの大地の奪還。そして迷宮攻略のための長い大冒険時代の始まりは、女神への信仰が失われた暗黒の時代から始まったのだ。


「だが、もはやブラッドガルドはいない。アンジェリカ姫――否、魔術師アンジェリカ。こたびは良くやってくれた」


 アンジェリカは胸にこみ上げてくるものを感じながら、その言葉を受け取った。


 長いようで短い謁見が終わると、彼女は振り当てられた部屋へと静かに戻った。その間も、城のメイドや召使いたちのちょっとした好奇の目にあてられる。まだ町のほうに泊まったほうが良かった。冒険者登録もあるのだし町に泊まると言ったのだが、それを止めたのは他ならぬバッセンブルグの王だ。

 扉を閉め、外に誰もいないことを確認してから、ベッドへ直行する。


 その途端。


「はーっ! 疲れた~~っ!」


 ベッドに勢いよく倒れこみ、放り投げるように腕を広げた。


「なによも~~っ、リクのばか! ばかばか! 面倒なことぜーんぶあたしに押しつけてえー!」


 ばたばたと両足が空を泳ぐ。

 それからぱったりと動きが止まる。


「……あたしが引き受けたんだったわ」


 ぱたんと両足がベッドに落ちる。急に静かになった。

 隣からばたばたいう音も聞こえてこないし、廊下の向こうから喧嘩の音もしない。ベッドの譲り合いもなければ、取り合う事もない。

 妙に静かだと思った。


「もう。今頃どこにいるんだか……」

「手紙でも書けば良いではないですか」

「ギャーッ!?」


 突然の声に飛び起きる。


「るるるルーシー! ノックくらいしなさいよ!」

「ノックはしました」


 ルーシーと呼ばれたメイドはぴくりとも表情を動かさぬまま言った。

 その証拠に、隣室のメイド部屋に通じる扉は既に閉じているし、既にベッドのそばにいた。

 ぼすんとベッドにもう一度横になる。


「どうせ手紙なんか届かないわよ」


 文句を垂れる姿を、ルーシーは真顔で見つめた。


「はしたないですよ。ただでさえここはドゥーラではないのですから、もう少し姫としての自覚をお願いします」

「わ、わかってるわよ。アンタ、あたしの専属メイドなのに辛辣よね……」

「十七年もご一緒しているのですから、慣れてください」


 思わず耳が痛くなる。

 とはいえ、アンジェリカがドゥーラの国を飛び出してからずいぶんと心配をかけたはずなのだが、そんなことはみじんも感じさせなかった。だからドゥーラからルーシーが正規の衣服を持ってやって来たとき、どうにも声がかけられなかった。

 だがルーシーはただひとつ頷いただけで、それだけで感傷は終わりになった。


「それにこの国は危険です。気を緩めないよう」

「大丈夫よ、ここは城の中だし。兵士はいっぱいいるし、あたしだって自分の身くらいは守れるわ」

「そういうことではありません。我が王もおっしゃっていました、ここは冒険者などに頼ったならず者の国だと」

「……パパは悔しいだけよ」


 アンジェリカは肩をすくめた。


「この国に勇者が現れたことも、迷宮の所有権をこの国が持ったこともね」

「そうはおっしゃられますが、私は納得がいきません」


 僅かに眉をひそめながら言う。


「アンジェリカ様もブラッドガルド封印の功労者であるはずです。それなのに、迷宮がこの国の所有物となるとは」


 アンジェリカは片手をあげ、言葉を止めさせた。

 それから、教師のように指先を振る。


「いい? どんな理由があろうと、地上にまで侵出したブラッドガルドの迷宮から、大地を取り戻したのはこの国の冒険者であり、女神の加護を受けたリク……勇者なのよ」

「私はよく存じ上げない勇者殿より、アンジェリカ様のお力添えあっての事だと信じておりますので」

「それはありがと。でもね、事実は事実なの。それに、休戦協定で決まってたことでしょ。『大地を取り戻したところが所有権を得る』ってね。……リクは偶然か必然か、この国の冒険者の登録をした。その時点でもう決まってたようなものよ」

「せめてドゥーラに現れていれば、また違ったのでしょうね」

「そうね、勇者だっていうのを信じていればの話だけど」


 ちくりと痛いところを突く。

 勇者はかつて、この国であっても稀代の詐欺師として国王の前に突き出されたのだ。

 その話は有名すぎるほど有名だ。断罪の直前に出現した女神のことも、あっという間に大陸どころか島国であるドゥーラにも伝わった。


「この国の人たちだって、最初は信じなかったんだもの。でも……実際に女神は現れた」

「……それは、そうですが」

「パパがブラッドガルドの封印を急いだのだって、なんとか教会より早く魔術国家の威厳を示したかったからよ。だからドゥーラに現れていたら、もっと違った結末になったかも」

「……」

「でももう、元凶のブラッドガルドは討伐されて封印された。それでいいじゃない。迷宮戦争だって、休戦状態からようやく終戦宣言ができるんだから、ごちゃごちゃ言うのが間違いなのよ。これからは次のことを考えていかないと」


 ひらひらと片手を振ったあと、アンジェリカはふっと表情を曇らせる。


「エルフ族なんかはいまだにあたしたち人間を憎んでる……。特にドゥーラの人間は顕著でしょうね」


 ルーシーはその表情を見下ろし、それ以上何か言うのをやめた。


「これから忙しくなるわ。リクもいないんだから……あたしがしっかりしないと」

「……」


 ルーシーは、アンジェリカの心にこれほど強く住まう勇者リクという人間に、小さく嫉妬した。

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