挿話2 大団円の後

 街に鐘の音が響くと、真新しい白亜の教会からぞろぞろと人が出てきた。


 老若男女問わずといった風で、中には長い耳を隠した者や妙に背の低い者もいるが、ほとんどの人々は気にしていなかった。皆、朝の光の中をおのおのの生活に向けて歩き出していたが、子供たちだけが途中で立ち止まり、期待に目を輝かせた。誰かを待っているようだ。


 やがて、がしゃり、がしゃりと微かな金属音を響かせ、優雅な青色のマントを翻しながら銀色の甲冑を纏った騎士が中から現れた。まだ若い青年といった風の男だが、甲冑は聖騎士の中でも位の高いものだ。本来、市井の教会などにはいない。金色の髪は朝日に照らされて、きらきらと輝いている。

 大人たちが彼に頭を下げて出て行くのに対し、子供たちはわっと騎士のもとへと集った。

 大人たちへと軽く片手をあげたあと、目線をあわせるようにしゃがみこむ。


「どうした、お前たち?」

「ねえ、騎士様は勇者様と旅をしていたって本当!?」


 子供特有の不躾な質問だったが、騎士は少し目を丸くしただけだ。


「いったい誰がそんなことを?」

「父ちゃんが言ってた!」


 騎士は困ったように微笑した。


「勇者様とその仲間が互いを支え、偉業を成し遂げたのは事実だよ。すべては女神様のお導きだ」

「じゃあ、騎士様はどうなの?」


 子供たちは食ってかかる。


「私はしがない騎士だよ。ただの女神様にお仕えする聖騎士さ。そういう意味では、勇者様は女神様のご加護を受けていたから、私もそうかもしれないね」

「そうじゃなくてさー……」


 遠回しな物言いに子供たちが抗議をしかけたが、騎士は代わりに往来を指さした。


「ほら、あまり遅いとどやされるぞ。その父ちゃんや母ちゃんはきっと私より恐ろしいんだろう?」


 茶化して脅すように言うと、戸惑いと動揺が広がった。


「さ、気をつけて。良い一日になりますように」


 僅かな抵抗も虚しく、騎士は子供たちの背を軽く叩いて送り出した。後ろ髪引かれるように、子供たちは町の中へと散っていく。

 その背が人混みにまぎれてから、騎士は小さな息を吐いた。徐々に人が増えていく往来を見回し、その様子を見守る瞳はひどく優しい。


「盛況だねえ」


 木陰から不意に響いた声に、騎士は目を見開いた。

 まだ若い男の声だ。夜の残り香のように、そこだけ影が濃くなる。


「お前も祈っていったらどうだ」


 騎士がそれとなく尋ねると、男はおかしそうに笑ってから首を振った。

 周りから見れば、騎士が往来を眺めているだけにしか見えない。


「しがない盗賊風情にお祈りなんざ、足を洗えとでも言うつもりか?」

「あいつに従っていたというのに、なんという言い草だ」

「俺は女神に信仰を捧げたつもりはねえよ。……ま、あのバカ勇者にこの身を預けたんだから、同じようなもんかもしれんがな」


 男はバンダナ越しに頭を掻く。

 そして、視線を往来に向けた。


「街は変わらんなあ。何かが劇的に変わったわけでもなし」

「当然だ、変わってもらっては困る。我々は彼らのささやかな生活を守ったのだ。それだけでも充分に価値はある」

「他の奴らはすっかり変わっちまったっていうのになあ。知ってるか、あの魔術師の姫さんは国で担がれて忙殺されてるし、癒やし手の嬢ちゃんは報奨金で孤児院建設に勤しんでる。狩人の姉ちゃんは、最近じゃあ魔物研究に乗り出したそうだ」


 つらつらと男の口から出てくる言葉に、騎士は少しだけ驚いた。

 あの日以来、別々の道を歩んでいる仲間を気に掛けてはいたのは事実だ。だが、その情報を目の前の男が持ってくるとは思わなかった。


「何驚いてんだ」

「いや……」

「……ま、俺だって勇者がいなけりゃ、アンタみたいな頭でっかちなんざ死んでも御免だったんだがなあ」


 へらへらと茶化すように言う男に、騎士は少しだけムッとする。


「……そこは気が合うな、同意しよう。お前は頭が小さいようだが……」

「へえ! 驚いた。そんな冗談も言えるようになったとは」


 男は感心したように言う。

 そこでようやく、騎士は以前を懐かしむように目を細めた。


「……だが、そうだな。私も……何かが変わったのかもしれない」

「ふうん?」

「女神の加護を持つ勇者が現れ、七つの迷宮の中でも最悪の迷宮主、ブラッドガルドは封じられた。そんなこと、二年前には考えもしなかったことだ」


 遠いところを見るように、ぼんやりと呟く。


「私はまだ夢に見るよ。ブラッドガルドの最期を」

「そりゃお前……」

「お前だって見ただろう、再生を繰り返したあの浅ましい姿を。あれはもう魔物ですらなく、ただの化け物だった。病毒と死を迷宮じゅうにまき散らし、勇者を殺す為だけに継ぎ接ぎした化け物――あんな執念は見たことが無い。初めて何かを恐ろしいと思った」


 その光景を思い出そうとするのを拒否するように、騎士は拳を握った。

 暗く淀み、もはや竜なのか、蛇なのか、蛙なのかすらもわからぬ、そのすべてが混ざり合ったような異形の怪物。怨嗟の声を吐き、目に狂気の光だけを宿し、這いずり回る化け物。

 醜悪な姿に堕ちた敵に、誰もが息を呑んだ。


「だが――我々は、勝った」


 握られた拳と確かな自分の声は、過去の恐怖を屈服させた。

 爽やかな風が抜けていく。

 女神の加護を受けた眩しい日差しの下、灰のように浄化されていく。


「闇に女神の光を灯したのだ」


 商店街の賑わいが、風に乗って教会まで届いてくる。

 人々の喧噪は変わらずそこにあり、笑顔がある。


「まったく、騎士ってやつはいちいち言うことが仰々しくてたまらん」


 男はようやく茶化すように言った。


「ブラッドガルドの野郎をぶっ潰して倒して封じて。それでいいじゃねえか」

「そうはいかん。大体、まだ事後処理が残っている。封印の確認一つするにも、塞がれた地層の掘り出しと調査、新たな迷宮の主が生まれている可能性だってある。そろそろ冒険者どももうずうずしているだろうし、本格的に迷宮の危険地区を設定し、探査を再開しなければ……」

「あーあーあーあー、はいはいはいはい。わかったわかった」


 慌てたように言葉を止める。

 ここで止められなければ、永遠に喋り続けそうな勢いだった。


「脅威は去ったわけじゃねえ、ってことだろ。安心しろ、あのバカみてぇに強固な封印が破れるわけねえ。魔術国家の顔を立てる為とはいえ、姫さんと勇者サマが二人がかりで施した封印だ……そうそう破れはしない」

「それだけじゃない。まだまだ問題は山積みだ。何より……」

「かーっ、わかったわかったって! これ以上は任せる!」


 付き合ってられん、というように大げさに頭を抱える。


「事が終われば飲んで食って終わりのお前とは違うのだ」

「へいへい。……まあ、何かあれば今度こそ自分たちでなんとかしねえとな。お前だってわかってるだろう?」


 盗賊の男はそこまで言ってから急に口を噤んだ。

 どこかで聞かれているとばかりに。

 騎士は何かを悟ったように頷くと、慎重に言葉を選ぼうとした。


「そうだな。勇者殿は元の……いや、再び旅に出られた――ただでさえブラッドガルド討伐という偉業中の偉業を成し遂げた彼に、これ以上の負担はかけられぬ。そうだろう、盗賊」

「……ああ。それが一番だぜ」


 それだけ言うと、朝の光から逃れるように盗賊は姿を消した。

 二人は秘密を胸に、そっと口を閉じ、日常へと戻った。

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