挿話1 少女、絡繰る。

「……あのさ。きみは私がいないとここから出られないんだよね?」


 瑠璃が切り出した一言は、ブラッドガルドの興味を引くのに充分だった。


「……ふん?」


 顔をあげ、目の前に突っ立っている瑠璃をしっかりと見上げる。


 瑠璃は最初のうちは普段通りだった。

 普段通りの時間に扉が開き、普段通りに入ってきた。

 だが、普段通りでなかったのはその反応だ。神妙な面構えで入ってきたかと思うと、あれだけ固執していたテーブルには目もかけず、まっすぐにブラッドガルドのほうへとやってきた。

 目の前で立ち止まっての第一声がそれだった。


「きみが自分からこの扉を出てこないのは、私が扉を開けないと開かないってことじゃない?」

「……」

「だよね。その可能性は高いよね。きみが出てきたのは私が扉を閉め忘れた一度だけで、そのあとはずっと閉じこもったままだもん。もしくは、出られるかもしれないけど、自力で扉を開けられるほど回復してない――とかかな?」

「何が言いたい?」

「つまり、私がお菓子を持ってやって来ないと、きみは回復もできないし、つまるところ……ここで滅びるしかないってこと」


 珍しい、とブラッドガルドは思った。

 基本的に瑠璃は何も考えていない――少なくとも何も考えていないか、気にしていないとブラッドガルドは思っていた。そうでなくても、腹芸のできるタイプではないだろうと。

 それが今、提示できる最大限の優位性を手に、生殺与奪をちらつかせて何かを成そうとしている。


「さあな。貴様が部屋を出ている間に出ているかもしれん、とは考えないのか」

「いくら私でも、自分の部屋に誰か入ったならわかるよ。それで、どう?」


 妙な緊張感が満ちていた。

 知らず、口の端が上がりそうになるのを引き留める。


「正否はともかく、貴様が我の生死を賭けて脅してきた――、いったい我に何をさせようというのだね?」


 微かな笑みを瞳に浮かべ、その目をまっすぐに見つめ返した。





「キャアアアーーッ!」


 旧校舎と化した学校に、死んだはずの女生徒が姿を現わす。

 血まみれのまま、恨めしそうに此方を見つめたかと思うと、一瞬にしてその顔が歪んだ。頭は肥大化し、口は大きく裂けるというより穴のごとく広がり、押し上げられた瞳はもはや人間のそれではない。

 悲鳴をあげて走り出すのを、一声吼えたあとに追いかける。


「……」


 ブラッドガルドはその様子を、若干冷めた目で見ていた。

 居間のソファに深く座り込んで足を組んだまま、隣で腕に隠れながらその様子を見ている――否、見ているのかよくわからない瑠璃を鬱陶しそうに眺めながら。


「……おい。ちゃんと見ているのか?」

「おうっ!? 見てる見てる!」


 そうは言うものの、瑠璃は毛布をかぶったままうっすら目を開けているというていたらく。それどころかブラッドガルドの腕にしがみつき、時に勝手にガードに使いながら見ている。

 意味不明だった。

 テレビ、映画、ホラー、というものの説明はされたので理解はした。ホラーというジャンルが何を楽しむものなのかも理解した。

 だが、見せられた内容に関しては疑問しかなかった。


 「通常とは違う状況になった学校に出る女の亡霊から逃げる話」だというのは見ていればわかったが、それに対する主人公とやらの策がことごとく裏目に出るのがバカバカしい。正体を明かそうとするのはともかく、何の策もなく亡霊を探したり、いざ遭遇したらぎゃあぎゃあ喚いて逃げるだけだったり、冒険者でももっとマシな挙動をするのではないかと思う。

 そもそも主人公の演技が棒読みすぎる。なにゆえ新人らしき娘に任せているのか知れないが、演劇としてはそこそこだろうと自分でもわかる。


 だがそんなことより。

 一番理解できないのは、瑠璃が自分に隠れながらもそれを見ていることである。


 普段は感じられない恐怖を楽しむのがホラーというジャンルだと説明したのはどこのどいつだという気分になる。

 そのくせ、ことある毎に悲鳴をあげたりしがみついたりするのでうるさい。

 最初のうちはその態度を眺めて暇を潰していたが、今度は画面を見ていないと怒る。怖いシーンがあったら困る、というよくわからない論法を振りかざして。


 こうなるともう、終わるのを待つしかなかった。待つのには慣れきっていたつもりだったが、これがなかなかの苦痛だった。その大部分が内容のせいだ。

 やがて終章のあとに、女の亡霊が実は消滅していない――ということが示唆されて、映画は終わった。

 メニュー画面、と瑠璃が呼んだ画面に戻り、瑠璃がのそのそと毛布の中から出てきた。


「やー……怖かった……」


 思わず瑠璃の感性を疑う。


「……本気で言っているのか?」

「えっ!? 怖くなかった!?」


 本気の目だった。


「次に同じものを見せてみろ、殺すぞ」

「ちょっとひどくない!? だいたい映画とか初めて見るでしょ!?」


 映画を初めて見るのと、物語を初めて見るのはイコールではない。

 それはそれとして、なぜわざわざ夜に見るのか。

 そしてなぜわざわざ隠れながら見るのか。


「少なくとも次もこんな内容であったなら殺す」

「なんで同じこと言ったの!? えええ……友達が面白いから見ろっていったのに……」

「……我が言うのもどうかと思うが、友は選べ」

「そこまで!?」


 最初に少し見たら思いの他怖かった、というのが理由らしいが、正直こんなことのために脅されたのかと思うと頭痛も酷くなる。


「……で、でも、この時間におやつずらしたのはそれだけじゃないし。今日からお母さんが夜勤だから、夕方までいたし……私がずっと部屋から消えてたら不審がられるでしょ」

「それは理解している」


 瑠璃は大体、「学校が終わったあとの四時半から五時の間」にやってきていた。それをずらす時も律儀に報告してきたし、おかげで時間も定まった。

 二つの世界でまったく同じ時刻かはさておき、一日の時間が同じなのは運が良かった。非常に忌々しいことに、瑠璃の妙な律儀さのおかげで失われた時間感覚が順調に取り戻されたと言ってもいい。

 この屈辱をどう返してやろうか迷うが、今はまだその時ではないし、借りがあるのも事実だ。


「……が、そもそもあんな内容で生殺与奪をちらつかせたなど、貴様……、誰を相手にしていると思っている?」

「ブラッドガルドだと思ってるけど、そうでもしないと付き合ってくれないかなって……」

「……」


 ブラッドガルドは再び頭を抱えそうになる。

 本当に何も考えていないのではないか。


「……まあ、いい。それで」

「んえ?」

「菓子はあるんだろうな。ここまで待たせた価値のあるものが」

「あるある! とりあえず三十分くらい待ってて!」

「……」


 盛大に舌打ちをしてやったが、瑠璃には通じなかった。

 仕方なしにソファに身を預けると、目を閉じた。

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