8話 きみと食事をしよう(前)

「終わったあー!」


 ガタガタと音を立てて席を立っていくクラスメイトたち。

 そんな中のひとりに瑠璃もいた。


「いえーい」

「うえーい」


 変なテンションになって、友人たちとハイタッチをする。

 行動は違えどみんな似たようなテンションだからか、気にするクラスメイトもいない。テスト終わりの高揚感といえばいいだろう。早く帰りたい人はさっさと教室をあとにしているし、いちいち気にする人もいないだろう。

 こうして仲間内で集まるにしろ、一人ですたすたと帰るにしろ、何らかの感情を抱いていない者はいないのだ。


「ようやく終わったねー」

「おなかすいたー! 早く帰りたいー」


 おのおのが勝手なことを言い合い、廊下を下駄箱に向かっていく人の波が一通りおさまるのを待つ。


「はー、これであとは春休みかあ。もう二年だねえ」

「早いもんだよねー。ついこないだ入学したばっかだったのに。三年生は今度の土曜日に卒業式だっけ?」

「そうだっけ」


 帰宅部の瑠璃たちはいまいちピンとこない。

 けれども、部活に入っている子たちはうなずいた。


「確か野球部に入ってる男子が、全員出席だって言ってたよー? 毎年の恒例行事みたい」

「あー。野球部、力入ってるもんね。うちは卒業式に二年の部長と副部長、あと一年生の子が代表で出るだけだよ」


 そんなことを言いながら、だらだらと一緒に教室を出る。

 集団の後ろにいたのだが、偶然隣にいた友人が瑠璃を見る。


「瑠璃は今日、どうすんの?」

「帰って寝るよ!? ご飯食べて、あとはもうだらだらするって決めてる」

「なに、寝るの!?」


 彼女はそう言って笑った。

 何らかのツボに入ったらしく、明らかに面白がっていた。そんなことで笑っていても、誰も咎める者はいない。ひととおり笑ってから、彼女は今度はふっと笑った。


「でも、良かった。瑠璃があんまり落ち込んでなくて」

「えっ、何が?」

「いや、気にしてないならいいんだよ、最近なんかいいことあった?」

「えー? 特にないけど」


 そりゃまあ、変わったことならあるといえばある。

 でもまさか、自室のドア方の鏡が突然異世界への扉になって、その向こうで封印されてる人とおやつ食べてるなんて言えるはずもない。


 たぶん説明しても一ミリも理解されないと思う。

 万が一前半部分は理解されたとしても、行ける場所が魔王みたいな人が封印されてる場所にしか行けないとか、ずいぶん限定的なのが理解されないと思う。


「だって瑠璃、最近ちょっと楽しそうだよ?」

「……えっ」


 自分でも驚いて、瑠璃は目を瞬かせた。





「ただいまー」


 いつも通りの帰宅。

 誰もいない部屋の中に声が響く。

 こうして声をかけるのは、家の中にまだ誰かいると思わせることができるからだ。小学校の頃から、夕方に親が帰ってくるまで一人だった瑠璃の自衛策でもある。高校生になった今でもその習慣だけは残っている。


 電気をつけるのはまだあとでいいだろう。

 それで昨日もつけ忘れていたのを思い出す。

 自分でも驚くほどまっすぐ家に帰ってきてしまったし、あとでコンビニかどこかで適当にお菓子を買いに行こう。

 そんなことを思いながら、だらだらと短い廊下を歩く。


 そうして奥の居間へと足を踏み入れる。


「遅いぞ小娘」

「なんでいんの!?」


 いつも通りは簡単に崩れた。


 ブラッドガルドは、居間に置かれたソファにふんぞり返っていた。まるで自分の玉座であるかのようだ。ごく一般家庭に存在するソファなのに。


「遅いったって今日は早いよ! っていうか何してんの!? ほんと何してんの!?」

「扉を開けただけだが」

「それはわかるけど!!」


 それはわかるけど、ものすごく腑に落ちない。


「ちょ、ちょっと待って――外には出てないよね?」

「出るわけなかろう」

「当然みたいに言われた!!」


 変に常識的な所を急に出されても混乱する。

 一般家庭の一般マンションにでかくて角の生えた人がいるのもかなりのアンバランスさではあるけど。

 ブラッドガルドはというと、ソファに放置してあった雑誌を手にとって、目の前のテーブルにぽいと放った。ウォーカーなる、この近辺のイベント情報雑誌だ。写真も多い。

 見てたのか。それ。

 見てたの?

 いろんな意味で頭を抱えたくなる。


「……貴様は何をそんなに取り乱しているのだ」

「いや取り乱すよ!! 超取り乱すでしょ!!」


 眠気なんて一瞬のうちに吹っ飛んだ。

 改めてまじまじと相手を見てしまう。

 きしんだような髪の間から、整ってはいるが陰鬱そうな表情がよく見える。


 ローブのような衣服にマントという出で立ちだが、思った以上にあちこちすり切れている。破れているのはまだいいほう。手足の先のほうは完全にボロボロで、ギザギザして見える。靴は履いてないが、日本の一般家庭の室内であるのが救いだ。すらっとした足先が見えているけど、せめて足を洗っていただきたい。赤黒いのついてるけど、血?


「……なんか……思ったより服ボッロボロだね……」

「……おい、これでもどうにかしたほうなのだぞ」

「どうにかしたほうなんだ……」


 どこをどうにかしたんだろう、という疑問すら湧いてくる。

 むしろ最初からこの格好でしたと言われても納得できてしまうのが恐ろしい。


「ああ……もう……なんか急に疲れた……」

「そんなに疲れるようなことがあったのか」

「今まさにね!?」


 ただでさえテスト終わりですべての疲労が集中しているのに、なんてことだ。

 気が抜けた途端に、ぐううう、とお腹の虫が鳴った。


「もー……私はご飯食べてくるから、もうちょっと待っててよ」


 訴えるように言うと、鞄をその辺に置いてキッチンへきびすを返す。

 今の衝撃で、帰ってきてからの習慣がみんな吹き飛んでしまった。とりあえず自分が何をしていないのかを思い出す。そういえば手も洗ってないし、うがいもしてない。

 ほぼ帰ってきた時そのまんまだ。


「……待て、小娘」

「えっ、何?」

「我にも同じものを持ってこい」

「えっ」


 思わず聞き直す。


「なんで? きみも食べるの?」


 長い足を組み直す。

 それが人にものを頼む態度なのか。


「貴様が一人だけで食うのを馬鹿のようにただ見ていろというのか?」

「それが理由!? ええ……ううん、まあ、いいけど……」


 困った。

 今日なんか適当に買い置きのカップラーメンでも食べようかと思っていたくらいなのに。ひとまずキッチンに入ってやる事は済ませた後、何かないかと探し始める。

 あいにくカップラーメンは一個しか見当たらず、どちらにせよ二人分には足りなかった。もう少し買い置きしておかないといけない。


 ――しょーがない。パスタかなんかあったはず。


 乾燥スパゲッティを探すと、ちょうど二束残っていた。ぎりぎりだが、既に封を開けてあるものだし、使い切ってしまえばいいだろう。少し大きめの鍋で水を沸かす傍ら、他のものを探す。

 ソースのほうは混ぜて作るだけのペペロンチーノがあった。パスタソースは他の料理にも使えるし、備蓄にもいいからいくらでもあるのが幸いだ。便利な家庭の味方だ。

 さすがにそれだけではどうかと思って冷蔵庫を開けると、五枚入りベーコンがあったのでそれを拝借しておいた。

 これでいいだろう。

 沸騰して塩を入れた湯にパスタをざらっと入れる傍ら、ベーコンを適当な大きさに切って、熱したフライパンに投げ込んだ。


 絶望のパスタ。


 確かペペロンチーノの別名だ。ペペロンチーノじたいはトウガラシという意味だった。でも、別名のほうは貧しくてもなんとか作れるから、というのが理由だ。本場のイタリアでは表舞台に上がることはほとんどなく、良くても家庭料理のひとつという感じらしい。

 でも、瑠璃は好きだった。

 何の前情報も先入観もないから、シンプルでいいとすら思っていた。

 だからむしろ本場での扱いを聞いたときは驚きすら感じた。


 対面式キッチンの向こうに見える姿にちらっと視線をやると、ブラッドガルドはじっと動かずにどこかを見つめているようだった。


 皿に載せたパスタに包装をやぶってソースを引っかけつつ、ベーコンも落としてから一緒に混ぜる。簡単にできるのがいいところだ。

 水を用意して食卓を準備したところで、瑠璃はブラッドガルドに近づいた。近づいても何の音沙汰もない。


 ん? と思って覗き込む。


「起きてる?」


 目は閉じられ、反応は無い。

 若干起きるのかどうか心配になり、そっと手を伸ばす。一瞬躊躇したものの、意を決してその肩をつかんだ。

 その途端、目が開いたかと思うと、まるで自然の成り行きのようにこっちを見た。


「……なんだ、小娘」

「……今、絶対寝てたでしょ?」

「寝ていない」


 即刻否定されたが絶対嘘だ。

 絶対寝てた。


「ご飯できたから、食べよう」


 それにしても、パスタだけというのも味気ない。

 先にキッチンテーブルのほうへと向かうと、隅に置いてあったパンの袋が目に入る。がさっと持ち上げてみると、クロワッサンの袋だった。数を見る。


「クロワッサンが二個残ってた! これも食べよう!」


 袋を持ち上げて言ったが、微妙な表情をされる。


「パンの一種だよ」

「そうか」


 ただ、それから食べるまでにもいろいろと疑問が飛んできた。

 誰に対しての祈りなのか。(「いただきます!」と言ったことだ)フォークはどう使うのか。箸との違いは。さすがに歴史的な意味だのは尋ねてこなかったのは、それ以上に知ることが多かったからだろう。

 瑠璃も別に聞かれて困ることではないし、それほどかしこまった席でもないのでわかることだけ言った。


「他の命への感謝かな。さすがに毎回それを思い浮かべている人なんて少数だと思うし、挨拶のようなものだけど……こんにちは、みたいな挨拶も、するのとしないのとじゃだいぶ印象が違うじゃない?」とか。

「箸は日本とかアジア圏のもので、フォークはヨーロッパ圏」とか。


 フォークについては、見せたほうが早かった。

 皿に盛られて絡まりあうスパゲッティに遠慮無くフォークをさす。すくいとったものをくるくると回して歯に絡めてみせる。瑠璃は本来のマナーなど知らなかったが、どうせ家の中で友人と食べているだけだ、相手を不快にしないぐらいでちょうどいい。

 ついでにほかほかと香ばしいにおいがしているのに、話ばかりもしていられない。


 フォークに絡んだ塊を口に運び入れると、オリーブオイルの柔らかな辛みが広がった。

 輪切りにされたトウガラシがぴりりと舌をつく。

 少しだけお行儀の悪さを感じつつも、麺の中で泳いでいるベーコンだけをフォークですくいとって運ぶ。カリカリに焼き上げたベーコンの食感が、いっそ単調なほどのシンプルさにちょっとした楽しさを添えてくれるのだ。


 フォークの使い方を模索しているのを見ながら、「試しに指先使ってみて」と瑠璃は言ってみたが、指の使い方が独特で上手かった。適当な分量を持ち上げてそれを小さくまとめるまで見ていたが、その手先は優雅ですらあったのだ。

 これは驚きだった。

 ただ、いわゆるフィンガーボールが無いので手拭きを渡した。


 瑠璃も試しに(若干の後ろめたさよりも好奇心を優先させて)指でスパゲッティを絡め取ろうとしたが、まず何よりも熱い。さらに、つかみあげてからは次の行動にうめいた。持ち上げたそれを大きく開けた口に入れようとしても、ソースが落ちそうでどうにもならない。

 結局少しずつ片付けたあと、手を拭いてフォークに落ち着いた。


「我が手を使うのは単にそれ以外に道具が必要無いからなんだが」

「まあ……そうだよね」

「人間どももそうだな。村や国の違いはともかく、たいていは指だ。今現在までに特にそれで不自由はないからだろう。特に船乗りや戦士の中には――豪快さや力を好み、肉にかぶりつくさまを好む者もいる。スプーンはあるが、スープを飲むのにスプーンを使うのは気取った奴だ、という考えもある」


 巨大な肉をつかんで大きな口に入れる、というのは考えただけでも豪快だ。

 あごひげを蓄えた巨漢の海賊や山賊、冒険者たちが大きな木杯でビールを一気飲みするのは、(自分ができるかどうかはさておき)見ていて気持ちがいい。


「――女神信仰者はさらに理由を与えているがな」

「理由?」

「女神の与えたもうた糧は、その手で受け取るのが良いことだと」

「あ、そういう? というか、女神様って……あれ? 世界を作ったとかそういう神様じゃないの?」

「……まあ、そういう話はあるが……そうだな……他に信仰対象を持つ者たちもいるからな。一枚岩とも言いがたい。現状は王都が聖教として認めているゆえに、でかいツラをしているが」


 ブラッドガルドは鋭い目をした。


「だが、そんな教会も国も信じてはいなかった……女神に認められた勇者がいるなど。事実、救われた一部の人間はいたようだが、稀代の詐欺師として国王の眼前に引き出された。その瞬間、まさにそれこそ救いの女神のように現れた――この者は真の勇者だとのたまう光り輝く女神が……という話だが」

「おおおっ! ほ、ほんとにすごい話だ! 伝説のはじまりみたいじゃない」


 のたまう、とか入っているのはこの際無視する。


「結果的に女神の実在と存在を知らしめた……面白くない話だ。それ以降は信者が……いや、奴らに言わせると、信仰が戻ってきた、とのことだが」

「で、その続きは!?」

「飯が汚泥のごとく不味くなるからこの話は無しだ」

「そんな理由!?」


 もう何回言ったんだ、この台詞。

 とはいえ、明らかに不機嫌な顔をしているのでやめておくことにした。


「それにしても、食事中ってこんなしゃべりながらでもいいわけ?」

「別にいいだろう、貴様だから」


 どういう意味だこのやろう。その苦言はそっと心の中にしまって言わないでおいた。

 ただ、まあ、まったく違う文化圏の人と食事をする、というのはなかなか大変だろう。お互いにマナーも違うし、食べ方も違う。一方にとっては何気ないことが、もう一方にとっては侮辱や失礼になる。それを思えば、こうしてああだこうだと違いを楽しむのはまだ恵まれたほうだろう。


「そういえばマナーの話ばっかしてたけど、味は大丈夫?」

「ん? ……悪くないな」


 自分が味付けしたものではないけれど、少しばかり嬉しくなる。

 その理由を特に深く考えもせず、瑠璃は笑った。


「それはよかった! その赤いのとか辛いけど大丈夫かなって……言うの忘れてたね!?」

「赤いの? ……これか」


 すっかりある程度なじんだようなフォークの歯で、赤いわっかを持ち上げる。

 トウガラシだ。


「魔獣の爪だろう。こちらにも生えているのだな」

「魔獣の爪って何!?」


 そりゃ確かにこっちでも鷹の爪とか呼ばれてるけど。


「我の迷宮に生えている。魔獣の爪のような形の辛い果実だ」


 場所が違えば魔獣の爪になるのか……。瑠璃は軽くショックを受ける。

 目の前にいる男の頭になんか角があるくらいだし、魔獣くらいいるだろうけれど。


「しかしこうして人間が使うのを見るのは初めてだが。見た目と、特に女神信仰の奴らには迷宮産だからという理由で敬遠されているのでな」

「それはそれでもったいなくない!?」


 迷宮産の食べ物も食べたほうがいいよ、ブラッドガルドの世界の人たち!

 そりゃまあある程度こっちの世界にもあるものを紹介されてるけど、今後見た事も聞いた事もないような名前の植物が出てくる可能性はあるわけで。その中で食べられるもの……というとやっぱりみんな一緒くたにされるのは仕方ないかもしれない。

 瑠璃がしばらく考えていると、ふとブラッドガルドがこっちを見ているのに気が付いた。


「……どしたの?」


 じっと瑠璃を見てくるので、尋ねる。


「……便利だな、フォーク」

「え……あ、そう……」


 どうも、ずっとフォークにトウガラシをひっかけたままだったようだ。

 そのままぱくりと口の中に入れると、しれりとした顔で残りのパスタを片付け始めた。

 フォークで。


 現実世界の中世。

 それまで指先で食事をするのがマナーであった中世において、真っ先にフォークが広まったのはイタリアだったという。

 貴賤を問わず、「神の授けた指先」で食事をするのが良しとされ、フォークは悪魔の三つ叉を想起するからと忌避された時代のことである。


 イタリアに広まったその理由が、「スパゲッティを食べるのにめちゃくちゃ便利で、次第に他の料理を食べる時にも使うようになったから」だというのをまだ瑠璃は知らない。

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