7話 桜餅を食べよう
――最近、陽が長くなったなあ。
二月の終わり。
冬もそろそろ終わるという感じがする。
前なんか三時を過ぎるともう既にどこか暗くなる気配があるというか、四時を過ぎるとあっという間に暗くなったものだが。少しずつ明るくなっていくような気がした。
まだ寒くてそんな気はしないものの、春が近づいてるんだな、とすら思う。
――今日のおやつは何にしよっか。
テストも目前に迫っているし、あんまり説明の必要がないもの。
とはいえ気晴らしになっているのは事実だから、そうは言えないけど。適当に選ぼうと、近所のスーパーマーケットまで足を伸ばした。
今日は野菜に用はないから、レジを挟んだ反対側のパンコーナーのあたりから売り場に入る。それからお菓子売り場に直行しようとして、ふと足を止めた。
「ん?」
おそらく一年ぶりくらいに見たからだろう。
視界に入ってきた淡いピンク色に、ついつい惹かれてしまったのだ。
*
「そういうわけで、今日のおやつは桜餅!」
パックに詰められた桜餅を見せると、ブラッドガルドはおもむろに手を伸ばした。
「これは……、また今までとは違うものを持ってきたな?」
見た目がクッキーやドーナツとは全然違うものだからだろうか。久しぶりに物珍しそうな視線で、まじまじと見つめたあとに返してきた。
パックにつけられたセロテープを取り払い、透明な蓋を開ける。
中には桜餅が四つばかりちょこんと乗っていた。
関西風の桜餅で、淡いピンク色の餅を桜の葉がくるりと巻いたものだ。スーパーの売り物とはいえ、作っているところは名前もよく聞く所のものだ。おそらく一般用に卸しているものなのだろう。
小さくて、見ているだけでかわいい。
「これは……中は米か? 米を葉で包んだ料理は聞いたことがあるが」
「そうそう、お餅っていうのはお米の一種を加工したやつだよ。お餅は今の和菓子の原型! 基本!」
稲作以前の縄文クッキーが初の菓子と言われることもあるらしいが、和菓子の直接の原型は餅のようだ。ちらっとスマホを見ると、最古の加工食品として紹介しているページもある。
だから間違ってないはずだ、たぶん。と瑠璃はうんうん頷く。
「これに使われてるのは道明寺粉っていって、もち米を二日くらい水に漬けて蒸したあとに干して作った糒……えーと、当時の保存食の一種かな。今は保存食より和菓子の材料って感じ」
「……なるほど。では、サクラ、の意味は?」
「桜は春になると花の咲く木だよ。日本だと各地に植えられてて、南から順に咲いていくから桜前線なんて言葉もあるくらい」
別のページを開くと、桜の画像を見せる。
画像一覧はちょうど満開の桜が並んでいて、色のそれぞれ違うピンク色や白が並んでいる。
「これが咲くと春だなーって感じのする春の象徴だよ。ほら、こんなやつ」
「……ああ、なんだ。チェリーの花か」
「日本のはほぼ観賞用だけどね。桜が咲くと寒い間籠もってた人たちもいろんなところから出てきて、お花見シーズン到来って感じかな~」
「……いろんなところから……」
「そんな顔しなくても、穴蔵とか地中から虫みたいに湧き出てくるわけじゃないからね?」
一応そこはツッコミを入れておく。
「で、この葉っぱが桜の葉っぱの塩漬け」
桜餅をひとつ手にとって渡す。
ぺたぺたと指にくっつく桜餅にほんの少し微妙な顔をした。
「これが餅か……」
思わず出たのだろう台詞に、瑠璃は吹き出しそうになった。
「あ、そうそう、その葉っぱも食べられるから、剥がしてもいいし剥がさなくてもいいよ。そのままいくもよし、剥がしておいてちびちび食べるのもよし! ただ、剥がして食べたほうが、桜の葉っぱの香りが感じられるみたい」
「……ふん、そうか」
ブラッドガルドは小さな桜餅の葉をめくろうとして健闘していたが、最終的に諦めたようだ。まあ、とったらとったで餅がぺたぺたとひっつくのが予想されるので、もうちょっと準備が必要だろう。せめてお手拭きでももってきたら良かったかな、と瑠璃は思う。
瑠璃もそのまま食べることにした。
まずは桜餅だけ。
もちもちとした食感が、その先にあった。とろけるような舌触りのこしあんが、甘いひとときを残して消えていく。しかしそれは残り香のように、あるいはほんのひととき咲き誇っては散る桜のように、余韻を残していくのだ。
ほんの少し感じる桜の香りがかぐわしい。
そして二口目は、ぷちりと音をさせながら葉ごとかじる。
先ほどのように甘い味わいのなかに混じる塩気は、あんこの甘さを引き立てながらもちょうど良い辛みが口の中を刺激する。
葉の好き嫌いはあれど、葉があってもなくてもそれぞれ楽しめるとは天才じゃあないだろうか? 和菓子だというのもあるが、とてもいいお菓子だ。おまけにおいしい。しかもつぶあんのものもあるらしいので、さらに楽しめる。瑠璃は知らずほころんだ。
甘いものを食べたあとは、お茶に限る。
和菓子には意外と紅茶やコーヒーもあうらしいから、そのうちやってみたいとも思うけれど、今日のところはお茶だ。
ペットボトルとはいえお茶を持ってきてよかった。
ブラッドガルドは珍しくじっと瑠璃が食べ始めるのを眺めてから口に入れた。
しばらく口を動かしてから言う。
「おい……まったく保存食ではないのだが……?」
「そんなキレ気味に睨まれても困るんだけど」
何回やったんだこのやりとり、というのは心の中だけにしまっておいた。
つまり美味しいってことだよね、と前向きにとらえておく。
「しかしチェリーの味とはまったく違うな」
「そりゃあね……。あ、そうそう!」
瑠璃は思い出したように続ける。
「お菓子によっては桜の花びらを使ったりもするんだよ! 昔は花びらの塩漬けって定番だったけど、最近は砂糖漬けもよく見るようになったね。それで作ったムースケーキとかもあってすごい可愛かったんだよ~」
「ではなぜ持ってこない?」
「いや……ほら……テーブルが……」
ほしいです、と瑠璃は目で訴える。
ふいっとブラッドガルドは目をそらした。
絶対悪いとも思ってないし、絶対わざとだ。
そもそもテーブルがここに出現したとして、その頃まで桜を使ったケーキが売られているかも疑問だ。
ともすれば来年以降だとか、そういうこともありえる。
……来年以降も私はこの人とおやつを食べてるんだろうか、と少しだけ頭に過る。
残りを口にしながら、思わず相手を見てしまった。
「しかし、これを見るとわざわざ花も食うほど困窮しているわけではあるまいに。それとも花見用にわざわざ作ったとでもいうのか」
「ん。それはいろいろあるんだよ」
ごほんと咳き込んでから続ける。
「江戸時代に統治してた八代将軍吉宗って人がいろいろと都市計画を建てたうちに、植樹も入っててね。そのうちのひとつが隅田川の桜の植樹。川沿いの両側に一定間隔で桜を植えさせたの」
「そんなにか」
「桜はきれいだからいいけど、落ちてくる葉っぱが問題で。長命寺ってお寺の門番だった新六って人が、何かに利用できないか考えて塩漬けにして菓子に巻いたのがはじまり。実はこっちは関東風って言われてる桜餅で、このピンク色の外側部分が、小麦粉を薄く焼いて作ったものなんだよね」
画像で見るとわかりやすいが、本当に関東風と関西風ではまったく違う。
関東風はむしろクレープのような生地であんこを挟んだようなタイプなのだ。知らずに見たら違うお菓子ではないかと思ってしまう。
「塩漬けを巻いたのがはじまりっていうなら関東風のほうが最初らしいけど、関西ではなじみのあった道明寺粉を使ったとか、実はそれよりもっと前に桜餅じたいは作ってた、っていう話もあるね。加えて、どこからどこまでが西と東で分かれるのかっていうのも曖昧だし、最近はどちらも手に入ることが多いから、そのへんはまあ……」
きっちりと分けられるようなものでもあるまい。
もしかしてこの先わかることがあるのかもしれないが、今はこれでいいか、と思う。
もしどこかで売っていたら買ってこようかな、と思った。
「それと、桜は塩漬けにしないとこの香りが出ないんだけど、そのクマリンっていう成分、これは抗菌作用とかがあるけど、過剰摂取すると毒性がある。ただ、毒性が出るほど食べることなんてほぼ無いと思うよ」
「なるほど。気に入ったぞ」
「味の話だよね?」
思わず真顔で聞いてしまう。
これでスマホで検索した情報は出し切った。
というかついついテスト前だというのにしゃべりすぎた気がする。いい気分転換にはなったからいいと思うけれど。
少しだけ思いついたことがあって、もう一度スマホの桜の画像を出す。なんだかいい感じの画像を開いて大きくすると、ブラッドガルドの前に出した。
「これでちょっとお花見気分にならない?」
「なるか、馬鹿者」
画面が明るいからなのか目を細めるのが見えた。
「この部屋ももう少しさあ、どうにかなったらいいのにね」
「ふん。そこの扉が開けばどうでもいいことだ」
「そりゃそうだけど自分の迷宮なんでしょ? もうちょっとなんとかしてもいいと思うな~」
ね~、というように、ゆらゆらと左右に揺れながら訴える。
「揺れるな、余計に目が眩しいわ」
「えっ、ごめん……」
瑠璃は姿勢を正した。
結局見てるんじゃないか、と思いながら。
スマホを固定しつつ、二個目に手をつけるようと手を伸ばすと、それよりも先に向こうから手がぬっと伸びてきた。わざわざ瑠璃が取ろうとしたほうをかっさらっていった。
「そういえば――この真ん中は何だったんだ。砂糖……ではないな?」
「あ、それ? あんこだよ。これはこしあんだね」
しょうがなく残った方を手にとる。
そういえばあんこは日本ぐらいにしかなかったっけ、と思い出した。
あんこは作る人や分量、豆の生産地によってもかなり味が変わるらしい。今日の桜餅の味は甘さも控えめで上品よりだと思う。
「えーと……簡単に言うと、あんこはアズキっていう豆を加工したやつだよ。豆の一種を砂糖で煮詰めたりして作る……」
「豆だと!?」
「え!? う、うん?」
ここに来てからの唐突な驚きに、瑠璃のほうが驚く。
ブラッドガルドはまじまじと桜餅の中身を見ていた。
「豆を……砂糖で……」
なんだかものすごくカルチャーショックを受けたような顔をしている。
表情は一ミリも動いていないけれどだいたいわかる。というかある程度ならわかるようになってきたかもしれない。この間盛大に間違ってたけど。
「そ……そんな意外? もしかして豆ってそんな食べない?」
「逆だ……主食のひとつだ」
あ、豆は食べるんだ。
「え、もしかして普段は豆を食べてた?」
「肉だが」
「豆の話は!?」
そんな秒単位で言ったことをひっくり返されても困る。
「おい、そう急くな。主食のひとつと言っただろうが」
「主食はパンだと思ってたから」
「パンはヒトの発明品だ。麦は……奴らの言葉で言うところの地上の作物だからな」
途中で味を確かめるように、口に入れた。咀嚼して飲み込む。
「麦、地上の豆と野菜。特にパンは品質の差はあるが、王族から貧民まで普遍的なものだ。それから家畜という概念も無い。我らはわざわざ飼い慣らさねばならぬほどでもなく、その辺にいるのを狩ればいいだけだからな」
「その辺……」
どう考えても迷宮のモンスターのことだと思うが、一応ツッコミは後にしておく。
「当然迷宮――というより、我をはじめとした迷宮に住み着く魔物にも、食物連鎖を別にすれば主食、と言われるものはある。肉を除外すればコーン、豆、それから地下の作物……だが、わざわざ豆を甘くしようと思ったことはない。そもそも人間どもの料理ですら豆はスープや煮込みに突っ込むものであって、それを菓子にしようとするなど……」
「ねえ思ったんだけどここって地下なんだよね……?」
地下の”階層”が思ったよりも広義の意味をはらんでいそうで、瑠璃は神妙な顔をした。
大体、地下にコーンが生えるものなのか。……あるいは、そう聞こえるだけで実物はまったく違うものなのか。
「ヒトの言うところのな。我らにとってはここが大地だ」
思えばナチュラルに地下と言われてきたから地下――つまりは土の下へ続く大洞窟的な最下層みたいな感じに思っていたが、なんだか妙な物言いだ。
大地、の意味を尋ねようかとも思ったが、ブラッドガルドのほうは既に目線を桜餅に戻していた。
「しかし……そうか……砂糖を……」
これがカルチャーショックってやつかあ……と瑠璃は思った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます