6話 バームクーヘンを食べよう

「と、いうわけで今日はバームクーヘン!」


 瑠璃は満面の笑みで言い、ブラッドガルドはいつも通りぴくりとも表情を動かさなかった。


「しかも今日はちょっといいやつ、らしい、です!」

「いいやつ……?」

「お父さんがね、職場の部下の人にもらったんだよ。栄転が決まって、お世話になったお礼です、って」


 ずっと目をかけててようやく評価されたんだとうれしそうにしていた。それはいいとして、食べながら泣き出したのには少し引いてしまったけど、そこはそれ。

 瑠璃は知らないお店だったが、お母さんは知っていたらしく、これはちょっといいところのやつだと絶賛していた。いずれにせよいい関係だったのには違いない。

 友達と一緒に食べるから貰っていいかと尋ねると、気前よくいくつか持たせてくれたのだ。


 個包装のバームクーヘンをひとつ渡す。

 ブラッドガルドはそれをしばらく眺めた。

 包装にはお店の名前というか、ロゴが明記してある。

 言葉は通じているけどお互いの文字は読めないという不思議な状況ではあるから、たぶん読んでいるというより記号として見ているんだろう。あるいは物珍しさから眺めているってところか――瑠璃はそんな風に思った。


 無言が続いたあと、おもむろに言い放つ。


「……栄転で……礼……を……?」

「なんでそんな理解不能って顔してんの……?」


 全然違ったし、しかも真顔だった。


 ひとまず、自分の個包装のバームクーヘンを開ける。

 プラスチックのトレイが入っていて、その上に切り分けられたバームクーヘンが四切れほど乗っている。円形のそれではなく、円形をさらに小分けしたものだ。


「妙な形だな。……扇型?」

「これ、本来はドーナツ型になるんだよ。売ってるやつも大体そうだけど、これは細かく切ってあるみたい」


 瑠璃は指先で円を描いてみせる。


「なるほど。これをつなげるとそうか」


 つなげてみせることはしなかったが、目線が動いたのはわかった。

 一緒にプラスチックの菓子楊枝が入っていて、それでさらに切り分けたり、突き刺して食べられるようになっている。

 意味ありげに取り出したので、瑠璃は記憶を探った。


「確か黒文字って名前だったじゃなかったかなあ。和菓子っていう日本のお菓子用の楊枝で、お茶の席とか、手で割って食べる物以外はこれを使うみたい。おばーちゃんちでしか見たことないけど、ホントは木製で、クロモジっていう木をスティック状にしたものね」


 というか、プラスチックとはいえそんなものがひとつひとつ入っているということは……やっぱりちょっといいやつなのか、と瑠璃は思う。


「ということは、日本の菓子なのか?」

「バームクーヘン自体はドイツのお菓子だよ」


 ブラッドガルドはそのまま指でつまんだが、瑠璃はせっかくなので楊枝を使って欠片をひとつ半分に切って突き刺した。


 持ち上げると、ややずっしりした感触が手に伝わった。

 おや、と思う。

 前にバームクーヘンを食べたときはこんなにずっしりとしなかったはずだけれど。

 そんなことを思いながら、年輪を刻んだ欠片を口にした。


「んー!」


 その濃密さに見合った、予想外にしっとりした食感がした。丁寧に作られた緻密さは重さを感じさせない。

 だがその濃密さとは裏腹に、広がるのは柔らかな甘さだ。

 それこそ和菓子のような優しい甘さだった。

 外側に塗られた糖衣はさくりと舌を刺激して、上品な食感にほんの少しの変化を与えている。


 端的に言うと、おいしい。


「何これめちゃくちゃおいしい!」

「なぜ持ってきた貴様が言う?」

「えええ、いや、だってさあ……予想外……」


 ずっと昔に食べたバームクーヘンは、もう少しあっさりとしていた。

 人によってはパサパサしている――と形容することもあるだろう。もちろんそれが不味いとか口に合わないというわけではないが、バームクーヘンとはたいていそういうものだと思っていた。

 瑠璃が思っている以上に、ここまでしっとりしているとは思わなかったのだ。

 そのうえ糖衣のしょりしょりした食感がうまくバランスをとっている。


「おいしいでしょ!?」

「悪くはないが」


 ブラッドガルドはそう言うと、二個目を口にした。


「……なるほど。これは美味い部類なのか」


 しばし味わうように無言になったあと、三個目を口に運ぶ。


「いろんなところで見かけるから、いろんな食感があると思うけどね」

「ふん?」


 ちらりと視線を送ってくる。

 ここから先はスマホの出番だ。さっさと検索してしまおう。


「バームクーヘンはさっきも言ったようにドイツのお菓子だよ。意味は、木(バウム)のお菓子(クーヘン)。模様が年輪みたいに見えるから。長い棒を液状の生地をかけながら焼いて作るんだ。だからもっと大きいよ。だいたいはそれを輪切りにしたものだね」

「……ドーナツとは全く違うな」

「うん」


 穴が開いてる、という時点で似たようなものに見えていたのかもしれない。


「発祥はザルツヴェーデルってところ。似たような作り方のお菓子や、祖型じゃないかって言われてるお菓子もあるけど、今のバームクーヘンができあがったのは砂糖が一般にも広がったあたりくらいみたい。えっと……十八世紀くらい?」


 瑠璃はちょっと言いよどんだ。

 ちらっと目線だけあげてブラッドガルドを見る。

 砂糖の浸透具合で、ブラッドガルドと自分のいる世界がまったく違う、ということが明確になるんじゃないかと思ったのだ。薄々向こうも勘付いているだろうけれど。

 ただそれに関して何もツッコミが来なかったので、そのまま先を続けることにした。


 目線をスマホに戻して、先を読む。


「日本にバームクーヘンを紹介したのはドイツ人のカール・ユーハイム。第一次世界大戦で強制連行された日本で、一九一九年に似島収容所浮虜製作品展覧会で紹介したのが最初。そこでバームクーヘンのしっとり具合に日本人が魅了されてすぐに売り切れちゃったみたい」


 言いつつ、展覧会は今の原爆ドーム、ということに瑠璃は目を丸くした。

 思えば、原爆が落とされる前からそう呼ばれていたわけではない。知っている以前の姿を想像できないのはどんなことでも同じだ。


「捕虜から解放された後にお店を建てたんだけど、そのあとも関東大震災でお店が潰れたり、第二次世界大戦が起こって死んでしまったり、奥さんがドイツに強制送還されたり……今のユーハイムのお店は、当時の職人さんたちが戦後もう一度再建した会社みたいだね」

「……そのユーハイムとやらのバームクーヘンは?」

「ああー。食べたことないーー」


 たぶん食べておいたほうが良かったんだろうけど、そればっかりは仕方ない。


「日本て、結構専門店だけじゃなくていろんな所で売ってるから」

「ああ、それが最初言っていたことか」

「そうそう」


 瑠璃はうなずく。


「ん? なんか日本だと結構身近だけど、ドイツだとそうでもないみたい?」

「ドイツとやらのほうが本場ではないのか?」

「えーっと……」


 色の違う文字をタップして、リンクに飛ぶ。

 リンク先が表示されるまでの間に、日本での印象を思い出す。


「日本でも今回みたいにお祝いごとやお礼で贈ったりするけど、普通にその辺で売ってるからね。スーパーとかコンビニでも独自商品のひとつで作ってたりするし」


 スーパーは大型商店、コンビニは小型商店だよ、と一応注釈は入れておく。


「だけど、ドイツだとそれ以上に伝統的なお菓子の意味合いが強くて、クリスマスとかお祝いの時とかにしか食べないみたい。地域によっては昔は売ってたとか聞いたことないって人もいるくらいなんだって。……地方菓子の一つって感じみたいね」


 さすがにクリスマスあたりになると手軽な物も出てくるようだが。

 そのへんはクリスマスマーケットの盛んなドイツらしい。


「伝統的ってくらいだから器具や焼き方も大変で、お菓子のマイスターになった人じゃないとできない……だから『お菓子の王様』って呼ばれるくらい。普段は専門店とかに行かないと無いから、日本ほど身近ではないみたいよ」

「本場ならでは、か」

「あー。そういうことなのかも?」


 別の国で違う形になったり、同じものでも注目度が違ったりというのはよくあることだ。

 それはバームクーヘンに限ったことでもないだろう。


「他にも日本だとこの年輪は、繁栄や長寿、幸せを重ねるって意味が当てはめられてるけど、本場ドイツだと特にそーいうことはなくて、むしろ職人さんの技術力の高さの結晶的な」

「……全然違うものではないか」

「んー、まあ、本場では意味は違うのそうかもしれないけど、どっちが偽ってことでもないし、いいんじゃない?」


 瑠璃は首をかしげる。


「それに、わかりやすい物語があったほうが説得力があって受け入れやすいと思うんだよ。悪いものじゃないなら、それはそれでいいんじゃないかな」

「ふん。そういうものか」

「まあたまに悪い意味で変わってるのとかはどうかと思うけど」


 真顔で言う。

 ホワイトデーに返すマシュマロあたりもそうだ。マシュマロを渡すのは、「きみのことが嫌い」だとか、「きみの気持ちは受け取れないから優しく返す」という意味を半ば常識のように信じていた。

 ところが、とあるマシュマロ会社が、ホワイトデーの起源は「マシュマロデー」であり、もらったチョコレートを優しく包んで返すというだけで、別に嫌いという意味でも気持ちが受け取れないわけでもないということを大々的に宣伝した。

 ネットで拡散された情報は驚きをもって迎えられたのだ。


 こうなるといったい誰が言い出したのか謎すぎる。

 瑠璃自身マシュマロを貰った経験は無いが、愕然とした。


 そんなもやもやした思いも、ついでにバームクーヘンと一緒に飲み下してしまおう。

 瑠璃はそう思いながら残りのバームクーヘンを口にした。


 しっとりした味わいが口の中に広がる。

 おいしい。

 どうでもよくなった。


 気分も一瞬で変わったので、なんとなくブラッドガルドを見る。


「そういえばさあ、きみの部下はどうしたの?」

「部下?」

「部下とかいるんじゃないの? 迷宮の主ってラスボスみたいなものでしょ」


 瑠璃の考え方は完全にファンタジー系ゲームのそれだ。

 けだし魔王を中心にした四天王や幹部何人衆というのは、よく見るものではある。


「なんだ、ラスボスとは……」

「冒険とかダンジョンの最後に構える敵みたいな」

「……その考えでいけば、人間どもにとってみれば我はラスボスかもしれんが」

「自分で聞いてから思ったけどすごい台詞だよねそれ」

「そうか。殺すぞ」


 流れるように言われる。


「えー、ほら、たとえばゴブリンみたいなのとかいないの?」


 ちょっとわくわくしながら聞いてみる。


「ゴブリンは解るのか」

「わかるわかる! 確かこっちだと民間伝承……? だったかな?」

「……貴様、本当にスマホが無いと壊滅的だな……」

「仕方ないじゃんそれは!?」


 そりゃまあ、疑問符オンリーだったのは認めるけど!!

 とはいえゴブリンはイギリスが舞台のファンタジー小説や映画にも出てきたし、たぶんメジャーだと思う。

 そんなものがいるなんて、さすが異世界だ。

 冒険者ギルドも存在しているようだし、ファンタジーちっくな世界をいっそ見てみたくもある。


「で、迷宮にそういうのはいないの?」

「我が迷宮に巣くっているからといって、我の管理下にあるわけではない」

「そうなの?」


 きょとんと目を瞬かせてしまう。

 ブラッドガルドはバームクーヘンをひとつ口にすると、飲み下してから言った。


「上のほうの階層には勝手に住み着いているモノどももいる。ゴブリンはその最たるものだな。だがそこに住み着いているだけで、多くは独自の集団で動く。巣穴を借りるようなものであり、我に対する忠誠はほぼない。たいていは放っておけばいい。此方から何かあれば取引に応じるかもしれんがな」

「つまり同じ迷宮にいるからといって、みんなそこの迷宮の主に仕えてるわけじゃない、ってこと?」

「その通りだ。無論、迷宮主の手によるものもあるが……それらの被造物は魔法生物との区別はそう無い」

「魔法生物?」

「迷宮はただでさえ魔力が濃いからな。そこから発生する生物も鉱物もある」

「おお……」


 感動はしたものの、ここから出るには封印がある。

 果たして目の前の人を出していいのか、というのもあるけれど。


「それで貴様…………今の話に何の疑問も感じなかったのか?」

「えっ、何それ? どのあたり?」


 ブラッドガルドの言葉があまりピンとこない。

 というか、唐突になんだ、という感想しか出てこない。


「わからんならいい。貴様はそのままでいろ」

「……それはそれで、なんか私がアホの子だって言われてるようで嫌なんだけど」


 瑠璃が言うと、ブラッドガルドはほんの少しだけ目を動かした。

 意外だと言わんばかりだ。


「……? 貴様は阿呆だろう?」

「なんでそんな時だけ真顔なのやめてくれる!?」


 そんな当然のことを聞かれたみたいな真顔で言われても。


「貴様は今まで通り菓子を持って来れば良いというだけの話だ。それより食わぬなら我が全てもらい受ける」

「それはだめだ!!!」

「……」


 それだけは阻止しなければならない。

 ブラッドガルドに冷たい目で見られたが、知ったことではなかった。

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