アトリエ
ようこそいらっしゃいました。……ああ、いえ。このアトリエに人を上げるのは初めてなものですから、どうしても緊張してしまいます。まあどうぞどうぞ。こちらにお掛けください。飲み物は缶コーヒーくらいしかありませんが、どうぞ。箱で買ってあるんですよ。一度没頭すると、深夜まで熱中して絵を描いてしまう悪癖がありまして。眠気覚ましにはちょうどいい。
ええ?ああ、はい。ここにある絵はすべて、私の作品です。二、三十はあるかなあ。まあここにある殆どが、満足のいっていない失敗作なんですけどね……。ほら、気に入ったものは額に入れてあるんですよ。その辺に重ねてあるのは全部ボツです。もうここ一ヶ月、一枚も描き上げられていないんです。
……ああ、今日は私のスランプについて聞きに来られたんじゃありませんよね。確か、駅前の展示で私の作品を見られた、とか。ありがとうございます。私の絵に興味を持って連絡をくださる方なんていうのは殆ど居ないものですから、つい嬉しくてアトリエまでご足労いただいたというわけでして。ろくなおもてなしもできず、本当にすみません。
ええと、駅前というと、アレですよね。地下連絡道の壁に貼ってある。『街の風景図鑑』かなんだかのテーマで、何枚か絵が並んでるんですよね。はい。三、四ヶ月ごとに市の広報誌に募集のお知らせが出て、一ヶ月くらいの選考期間をおいて、選ばれた絵があそこに展示されるんです。そうですか、最近ですか、私の絵が出たのは。展示されたら見に行こうと思っていたんですが、すっかり忘れていましたよ。この自分の巣に籠っていると、時間感覚が鈍ってしまってしょうがない。
……それで、どうでしたか。私のあの絵。駅から歩いて10分くらいの場所にある公園がモデルなのは、お気付きですよね。そうです、子供たちからは遊具の形をとって『タコ公園』なんて呼ばれているあそこです。私もこの街で生まれ育ちましたから、小さい頃はよく遊んだものです。……ええ、その通りです。公園という題材を選んだ以上、昼間にたくさんの子供たちが元気に遊んでいる光景を描こうとするのは当然の発想です。でも私は敢えて、真夜中の誰もいない公園を描いた。その理由が知りたい、ということですね?よろしい、お答えしましょう。
いいですか。そもそも私たちは、公園といえば昼と子供、という固定観念に縛られすぎていると思うのです。そしてその原因は、夜に敢えて公園に注目する理由が無いからですよ。街の一部を切り取るなら、私は見知った場所の見知った光景よりも、見知った場所の見知らぬ顔こそを描きたいと思ったのです。あの公園を夜に訪れたことはありますか?周囲の家々が灯りを消して寝静まっても、公園を照らす小さく点々とした光だけはそこにあるのです。公園はいつなんどきでも、私たちを迎えてくれる。無人の遊具。突然の風に微かに揺らされるブランコや、子供たちが帰った後に滑り台の上に乗ったのであろう数枚の落ち葉。それらが薄ぼんやりとした灯りで映し出されて、まるで昼間とは違った顔を見せてくれるのです。
……ああ、嬉しい、分かっていただけますか。そう、そうです。貴方のおっしゃるとおり。街というのは明るいときと、夜闇の時間でまったく別の世界が広がっている。暗がりの中の淡い光にこそ、人々を惹きつける神秘というか、妖しさや色気に似た情景が見えてくるものです。いやあ貴方はどうやら、私と似通った感性をお持ちのようだ!
ところで、もしかして、ですが。貴方ならあの絵の『仕掛け』にお気付きなのではありませんか?……そうです。やはりお気付きでしたか。あの絵には特殊な塗料を使用した箇所があります。蓄光性のあの塗料は、眩い電灯の光を受けている限りでは無色透明で殆ど目立たないのですが、電灯が消えて暗闇の中に置かれると、塗料が発光し、絵に隠されたある部分を浮かび上がらせるのです。公園の入り口あたりの、人影を。
ええ、これはつまり、私の理念を絵にも反映させたということになりますね。煌々とした灯りの中では見えない世界がある。あの仕掛けに気づくためには、地下道が消灯される時間にあの場所に出向かなければならない。まったく貴方も数寄者ですね。いや、本当に絵描き冥利に尽きますよ。あの仕掛けに自ら気付いた人とお話しできるとは、思ってもいなかった。
すみません。なんだか嬉しくなっちゃって、口が回る回る。私ばっかり喋ってしまいましたね。他に聞きたいことなどは何かありますか。……あの人についてですか。黄色い顔の女性。噂に聞いたことがある、と……。……貴方は本当に私と似通った人だ。
……『手記.txt』。貴方もこれを読んだのでしょう。誰が書いたのかもわからない、謎の文書。……そうですか、貴方にも送られてきましたか。確認のために、私の場合をお話ししますね。
一ヶ月くらい前になります。私のSNSのメッセージに、突然このファイルのアップローダーのURLが送られてきたのです。送信者は作成されたばかりのアカウントでした。そのアカウントはメッセージの送信から10分きっかりで削除されて、次の日にはまた別のアカウントで、URLが送られてくるのです。
私も最初は気味が悪くて放置していたのですが、少し調べてみると同様の被害を受けている人が何人も見つかりました。漫画家やイラストレーターなんかの、絵の仕事をされている方が多かったように思います。ダウンロードしてみたらメッセージが来なくなった、って人も見つかって。好奇心に負けたというと嘘になりますが……ウィルスでもないようだったので、私もダウンロードしてみたんです。中身はご存知でしょう。なんてことはない、ただありがちな怪談が書かれただけのテキストファイルでしたよ。不思議なことに、メッセージはそれ以来一切来なくなりました。
でもまあ、丁度そのとき私の描いている絵も夜の公園でしたし、遊び心もあって、例の仕掛けで描いたんですよ。黄色い女性を。もともとあの仕掛けに気付かれるとも思ってませんでしたし、多分選考した審査員たちも気付いていないでしょう。
……ですがね、絵を描き上げて選考本部に送った翌日に、出たんですよ。あの黄色い顔の女性が。このアトリエに。
私がここで絵を仕上げていたときのことです。例によって深夜まで作業がもつれ込んでしまって、私は眠気覚ましの缶コーヒーをちびちびと飲みながら、椅子に座ってキャンバスに向き合っていました。そして作業も終わって、少しだけ残ったコーヒーを飲み切って、ゴミ箱に空き缶を捨てに行こうと立ち上がったそのとき。彼女は私の目の前に居たんです。
あの手記の通りでした。「道に迷ったのですが」と、彼女は私に言いました。私が絵に描いたものとは比べものにならないほどの、鮮やかな黄色の顔で。光沢の無い真っ黒い瞳が私をぼんやりと見つめていました。
私が覚えているのは、そこまでです。気がつくと私は床に倒れていて、朝日が窓から差し込んでいました。私の片手には潰れた空き缶が握られていました。気怠い体と、対照的に妙に冴えわたった頭。……黄色。
……ねえ、貴方も遭ったのでしょう、彼女に。どう感じましたか。私はあんなにも美しい黄色を見たのは初めてだった。闇の中でなお輝きを放つ美しき黄色。現実にあんな色が存在すること、それ自体が衝撃だった。私はこれからの絵描きとしての全生命をかけて、あの黄色を私のものにしなくてはならない。そう思った。あの色で再び、真実の彼女を描かなくてはならない。あんな絵の紛い物の黄色とは似ても似つかない。世界にあったすべての黄色は偽物だ。本物は彼女だけが持っている。私は本物の色を手に入れる。あの夜、目に焼き付いた黄色はどうしたら手に入る。違う。違う。違う。私ではあの色に辿り着けない。あの色は彼女だけのものだ。私は手に入れなくては。いや、私には不可能だ。いや、私こそが真の黄色を手にするべきなのだ。なぜなら私は……
(28歳 画家・男 一面に黄色の絵の具が飛び散ったアトリエ内にて語る。翌日、同アトリエ内で死亡しているところを発見された)
アヒルチャン Φ @PHI-03
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