Part4 転移

 それを、間近でジュストとインヘル、そしてワカフは見ていた。


〈エージェント・オブ・ダークネス〉のモニターが全てホワイトアウトし、白い闇を作り出す。


 ジュストもインヘルも眼を瞑っていたが、ワカフだけはそれをじっと眺めていた。





 導師グーリーと合流しようとしていたカインたちは、炎の森に佇む〈エージェント・オブ・ダークネス〉のすぐ傍から、光の龍が立ち昇るのを見ていた。


 垂直に伸び上がる大地の光は、黒い太陽を目指しているようだった。


「すげぇ……ッ!」

「これは、また……」


 アスランとグラトリが、その光景に見惚れていた。

 アマクサは言葉を失っている。

 カインは恍惚とした表情を浮かべていたが、無言であった。真に心に響く美しさを感じた時、人は言葉を発する事すら出来なくなる。


 アミカは、暗い空を立つ輝きに眼を奪われていた。それ以上に、あの光の中心にいるであろう思い人の事が、心配であった。





 北米大陸で日蝕が確認されていた頃、反対側のヒノクニでも、その光は観測された。


 眠っていたイアンは、窓から射し込む光に驚いて眼を覚まし、窓の方に身体を向けた。


 眼に飛び込んで来たのは、さっきまで夜だった町が、白い光に包まれる光景だった。


 白夜だ。


 そしてイアンは、真夜中の白んだ空に浮かび上がったものを見て、唖然として呟いた。


「何だ、あれは……」





 ルカとイツヴァは、戦争が始まっている間、同じ部屋で寝泊まりをしていた。


 イアンが入院している病院のすぐ傍にあるレストハウスを、ブロック長が用意してくれたのだ。


 寝室は四つくらいはあるが、二人で同じ部屋を使っている。ルカとしては、両親に続いて兄にまで傍を離れられてしまい不安だろうという、姉のような気持であった。イツヴァはそれを分かっていて彼女の妹として振る舞いつつも、友人たちが傍からいなくなってしまった先輩の寂しさを紛らわせるのに、一役買えれば良いとも考えていた。


 二人も窓の外がやけに明るい事を訝り、外を見た。

 イアンも見ていた白夜を、二人も見上げていた。


「る、ルカ先輩……あれ……空に――!」


 イツヴァが指差す先にあったものを、ルカも見ている。


 膨大な輝きによって澄み切った空は、まるで白紙のキャンパスだった。しかもそのキャンパスには、見事な絵が広がっている。


「空に、町がある……」


 だがそれは、ルカの知っている町ではなかった。


 高層ビルの乱立する、見慣れた大都市ではなく、豊かな自然と広大な土地、その中に点在する石造りの祭壇――


 そしてその町は、空に浮かんだ蜃気楼のようなものではなかった。空中の町は上下を逆さまにしており、次第に立体感を増して、ルカたちの頭上に迫っていた。


「空が、墜ちて来る――」


 ルカはその非現実的な光景に、足元が揺らぐのを感じた。

 眼の前の出来事を受け入れられないから、ではない。実際にルカとイツヴァの身体が、寝室の床を離れ始めたのである。


 いや、レストハウスそのものが、周囲の建物諸共に、地面から引き剥がされて、上空の町に向かって吸い寄せられてゆくのであった。






 頭の中で、光が弾けた。脳みそが吹っ飛んだかのような衝撃と共に、俺の身体は地面に投げ出されていた。白いメタル・プレートを剥ぎ取られ、スキン・アーマーを纏うだけとなった俺は、ぼろぼろになった石畳の上を転がりながら、ゆっくりと地上を離れ始めたのだった。


 全身を痛みが襲う。リュウゼツランが、俺の意思を無視して、戦う為のパーツにしてしまった。俺はどのような力にも抗う事が出来ず、天から伸びた見えない触手に吊り上げられるようにして、その場から浮遊した。


 俺ばかりではない。森を焼いていた炎が逆立ち、根元から折られた木々が舞い上がり、転がった兵士の遺体やコンバット・テクターの破片が敵味方関係なく、空へと吸い上げられている。


 俺は軋む身体をどうにか地上に固定しようと虚空を掻いた。だが、俺の手は何も掴まず、俺の足は何処をも踏み締めなかった。


「感謝しますよ、転生者よ」


 地上から声がした。


 見下ろすと、俺と同じくコンバット・テクターを解除した黒尽くめの魔術師……導師が立っている。


「貴方が教えてくれたのです、並行世界の存在を」

「並行世界……?」

「はい。貴方のルーツとなった夢……前世の記憶。生まれ変わり、転生という現象の存在。若しかしたらそれは過去であるかもしれない。又は未来であるかもしれない。何れにしても貴方の魂は、我々が生きている現代とは違う時間軸乃至は世界線からやって来たものなのです。それはつまり、こことは異なる歴史の流れを持った並行世界……異世界の存在を証明してくれたという事になります」


 導師は語った。


「五年前……貴方が私の所を初めて訪れた時、私のコンバット・テクター〈ケツァルコアトル〉は反応を示しました。〈ケツァルコアトル〉は貴方に感化されるように自らをチューンアップして、白いボディの〈ククルカン〉に変化したのです。貴方は言っていた、自分にはコンバット・テクターを使いこなす事が出来ない。それは、貴方がこの世界の住人である事を、貴方の魂が拒否しているからに他ならない。だが、自ら進化する〈ケツァルコアトル〉は貴方の力でパワーアップした。〈ケツァルコアトル〉の進化力が貴方に対応し、強力無比の力を手に入れたのです。そして誕生した〈ククルカン〉を、私はあの戦場で用い、わざと破壊された。……異世界の力を持つ〈ククルカン〉は私に未来を見せてくれました。貴方にはリュウゼツランの更なる力を使いこなす事は難しかったかもしれませんね。内分泌物質を操作して感覚を研ぎ澄まし、相手の動きのパターンを予測するリュウゼツランを極めれば、未来を予測する事が可能になるのですよ。私は貴方の事をあれからも徹底的に調べ上げ、貴方の友人となるイアン=テクニケルスの下へ〈ククルカン〉を送り込んだ。そして彼に貴方の為に〈ククルカン〉をチューンさせ、彼がテクストロに出られないようインヘルを仕向け、貴方が〈ククルカン〉を装着するように操ったのです」


 導師の語りは、熱っぽかった。火傷を負った口元が激しく動き、唾を飛ばしながら、導師は全てを暴露した。……俺が、この人の手の上で、踊らされていたのに過ぎなかったという事を。


「何の……何の為にそんな事をしたんだ!?」

「完璧な存在となる為に」


 そう言うと導師は、身に纏っていた黒衣を脱ぎ去った。彼の身体には、ありとあらゆる部位に、深い傷跡が確認された。右の、上腕の中頃から下が、機械になっている。胸にはその腕を固定する器具が、ビスで肉体に埋め込まれていた。その機械の右手で腹部を裂いて見せると、現れたのは内蔵ではない。腹の中身は文字通り空っぽだ。左脚も、付け根から切断された痕が残っていた。義足は前時代的なシンプルなもので、義手と同じく、〈ケツァルコアトル〉を纏っての戦闘のダメージで破壊されていた。


 最後に導師は、機械の右手を胸の中心に刺し込んで、筋肉をべりべりと剥がし始めた。血の粒が珠になって浮かび上がり、俺の顔に触れて破裂した。


 肋骨の内側で脈打つ肺――しかし二つの肺の中心にあるべきものが、導師にはなかった。


「心臓が……!?」

「何年も……何十年も、何百年も……或いはそれよりもずっとずっと前の事です。私は戦争と災害とに巻き込まれ、身体の一部を失いました。まさに次元を揺るがす大いなる災厄、私は次元の狭間に呑み込まれながらもどうにか生還しましたが、ご覧の通り、普通ではない肉体に変えられてしまっていたのです」


 俺たちが生きているこの時代、義手や義足、人工臓器の技術は、充分過ぎる程に発達している。だが心臓を失ったまま、代替物を使用せずに人を生かす技術は、存在しない。


 導師は身体と言うよりは、その存在からして、俺たちとは異質な存在になっていると言えた。


「私は通常の手段では死ぬ事が出来ません。この世界の摂理から隔絶されてしまったのです。かと言って釈迦やキリストの如く、特異な力を持つ訳でもない。私はこの世界に於ける単なる異物だった……だが、絶望さえも忘れる時を経て、私は貴方と巡り合った。私と同じ世界の異物、時空を跨いで転生した稀有なる少年に! 私は気付いたのです、私が失った肉体の在り処に! それはきっと、貴方の魂がやって来た並行世界にある。いや、貴方の世界ではなくとも、次元を超えた異世界にきっとあると!」

「それじゃあ、貴方は、失った身体を取り戻す為に……」

「そう、そして、世界の理から外れた身の上で、もう一度肉体を取り戻す事で、私はより高位の完璧な存在となるのです。沙羅双樹の根元で涅槃に入った釈迦が今現在も甘露の法を説き続けているように、ゴルゴダの丘で原罪を背負って磔刑に処されたキリストが復活して東の国へ向かったように――不死の身を得て私は、更なる高みへと至り、科学の力に屈した神々に代わってこの世界を支配するのだ!」


 導師はそう言うと、二つのカプセルをコンヴァータにセットし、左手のベルトに取り付けた。カプセルの色は、一つは黒だったが、もう一つは白だった。


「着光!」


 コンヴァータの声紋認証を起動させる。射出された黒と白の金属粒子が、導師の身体に蒸着されていった。そこに現れたのは、〈ケツァルコアトル〉の姿ではなかった。いや、デザイン自体は〈ケツァルコアトル〉、そして〈ククルカン〉と同じものだったが、そのカラーリングは、〈ケツァルコアトル〉の黒と〈ククルカン〉の白を混ぜ合わせたものだった。


 白い〈ケツァルコアトル〉、黒い〈ククルカン〉は、大地を蹴って上昇し、俺の傍にやって来た。そして俺の頸を掴み上げると、そのままバーニアで上昇を始めた。


「神話に於いてケツァルコアトルはリュウゼツラン科の植物から作られる酒を飲み、妹と姦通しました。元は人身御供を始めとした因習を失くすような政治をした王でしたが、その一件で信頼を失い、追放される事になったのです。ケツァルコアトルはその間際に、“自分は一の葦の年に戻って来る”と言い残して去りました――」


 導師は俺と共に上昇しながら、言った。

 上空に進むに従って、空気が冷え始める。皮膚が風でぶつぶつと裂かれていた。


「古代アステカの人々は、白人の侵略者コルテスがやって来た年を、ケツァルコアトルの予言の時と勘違いして滅びに向かいました。では一体、“一の葦の年”とはいつなのか? 葦は容易く折れるか弱い植物です。しかしその弱さ故に、例え嵐の夜にあっても倒れる事はありません。又、日本神話に於いてはヒルコが流された船が、その葦だと言います。分かりますか、転生者よ。弱き故に倒れぬ心を持つ貴方が船となり、世界から拒絶された私と共に、貴方が犯した罪によって追放された世界へと私を導くのです」


 俺たちは雲を抜け、太陽の前に躍り出た。無論、成層圏から脱出した訳ではない。惑星直列と、強力なエネルギー同士のぶつかり合いが時空を歪め、空に異世界を映し出していた。俺たちはその異世界への歪みに飛び込んだのだった。


 俺たちだけではない。異世界同士が接近し、地上から引き剥がされた建物や人々が、俺たちと同じように時空の歪みに呑み込まれていた。建物に人は潰され、木や柱は地面を貫き、太陽を中心にして上下を反転させて、落下し始める。


 俺と導師は、異世界へと侵入した。


 異世界のものは自分たちの世界に起こった重力の反転に従い、彼らにとって異物である俺たちは俺たちの法則のまま、地表へ向けて落下してゆく。


「ご苦労さまでした、転生者よ」


 導師はそう言うと、地上まではまだまだ遠いと言うのに、俺の頸から手を放した。


 導師はコンバット・テクターの力で滞空する事が出来るが、俺はそのまま、何百メートル下の地上へと墜落してゆくのだった。


 俺を見下ろす黒い太陽が、急速に遠ざかって行った。

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転生魔装ククルカン―蛇と舞う咎人― 石動天明 @It3R5tMw

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