第6話 大変なことの後
(大変なことをしてしまった――)
互いに床に散らばった服を拾い集めながら、無言で身につけた。
「正直なところそなたは――」
目を合わせずに釦を留めながらスレイマンが口を開いた。
「面倒な相手と深入りしてしまったと、後悔しているだろう」
心の内を言い当てられて、イブラヒムはひやりとした。
まさか、敬虔な信仰者であるスレイマンの口から「神に背く」などという言葉が出るとは思わなかった。
当然、“神は我々の行いをお許し下さる、だから……”という展開を期待していた。
今まで関係を持ってきた男たちとはそのような話はしたこともなかったが、そう思っていたからそのようなことができたのだ。
この人は、自分などとは住む世界が違うのだ、汚してはいけない存在だったのだ――。
激しい罪悪感とともに、スレイマンの言う通り、面倒、という思いもある。
(ここまで思い詰めた人と、どう関わっていけばいいのだ……)
恐ろしく不安だ。
「あのな、私が一方的にそなたに汚されたような目で見るな、不愉快だ」
「……しかし、私と出会わなければ、スレイマン様はこのような道に堕ちることなく生きられたのに……」
「そなたが私を堕落させたと?それは思い上がりだ」
「思い上がり?」
「誰に何を言われ、何をされようと、人は自分の自由意志によってしか、神に背くことはできない。私の自由意志を自分の力であるかのように言われて、私が不快になるのがわからないのか?」
スレイマンは決して“流された”わけではない。
何ヶ月も考え、確固たる意思で、“神に背いた”のだ。
「……確かに」
確かにそうなのだが。それでも、イブラヒムは汚れなきものを汚したという思いから離れられない。
「……別に喧嘩をしたいわけではない」
そう言ってスレイマンはイブラヒムの隣にちょこんと座った。
「私は、今まで守るべきとされる教えをすべて守って生きてきた。だが、それで、私が重大な過ちを犯していないと、本当に言い切れるか?」
「言い切れない……と答えるべきなのでしょうね」
「そう。その理由は?」
……いつもの理屈っぽい調子になってきた。
恨まれたり泣かれたりするよりはいいが、疲れたところに頭が働かない。
だが、反則なほど便利な答えがあった。
「神ではないから。スレイマン様は神ではないから、ご自分のなさっていることが本当に正しいか、知ることはできないのでは?」
猫が神を知っているか、それを知ることができない……その時にスレイマンが用いた理屈だ。
「……私の思考を学習したようだな」
スレイマンはくすっと笑った。
「だが、他に罪があるかもしれないから、一つくらい加わっても構わない、と言っているわけではない。罪の中に生きてそれでも……」
スレイマンはそこで言葉を切って、にっこりと笑った。
「あとは自分で考えろ」
そう言って、自分の書物など、荷物を片付け始めた。
いつも、スレイマンがイブラヒムの部屋に来て共に勉強をしていたのは、イブラヒムが手を握ったり身体を撫でようとしたときに、さっさと自室に帰るためだ……と、少なくともイブラヒムは考えている。
「なあ、妙なことを聞くが……」
スレイマンは机に両手をついて、俯いて聞いた。
「何ですか?……というより顔が真っ赤ですが……」
「ああしたことは……寝台ではなく、書斎の机でするものなのか……?」
あちこち痛い……と消え入るような声で言った。
(あれはスレイマン様が書斎で脱ぎ始めたから、勢いでそうなったのであって……)
そう思ったが、流石に言うのはやめておいた。
「もう少し、一緒にいて下さいませんか?」
その言葉の何がそんなに意外だったのか、スレイマンは目を見開いて言葉を失った。
「思い合い、思い詰め、あれほど語り合った末に結ばれたのですから、もう少しだけでも」
それは、飾らぬ本心だ。スレイマンも、何も理屈をこねず、素直に頷いた。
*
「……というわけで、しばしそなたの寝台で共に休ませてもらうが、私は疲れている。絶対にこれ以上疲れさせるようなことをするなよ?」
スレイマンは寝台の前で振り返り、怖いほどの笑顔でイブラヒムを威嚇した。
「……しませんよ……」
「本当に……?」
首筋に口唇が触れた。
「……何故わざわざ誘惑するのですか……」
「だって、寝ている間に私が無意識のうちにこういうことをするかもしれない……」
スレイマンと一緒に寝たことなどないのでよくわからないが、今までも無意識のうちに挑発してきたスレイマンだ。
それはあり得るかもしれない。
「……やはり怪しいな。ちょっと護衛のものを連れてくるから待っていろ」
「護衛!?」
何故、思いを遂げた後の二人の時間に護衛が必要なのだ。
というか、誰を連れてくる気なのだ!?
呆然として言葉の出ないイブラヒムを放って、スレイマンは部屋の外に出て行った。
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