第3話 翆色の目の白猫

 自分たちの関係について、結論は出そうか……その問いに、スレイマンは、まっすぐな目できっぱりと答えた。


「ああ。本当は、私の中では、結論は出ている。何が合法で、何が禁忌なのか。そして、私はどうしたいのかも含め」


 どうしたいのかも含め。

 それを聞きたい。

 そう言いたいのを堪えて、イブラヒムは頷いた。


「そうかと思っていましたよ。スレイマン様ほどの学識のあるお方ならば、私と論じなくても物事の是非はおわかりでしょう」


「では、何故三ヶ月も、講読につき合わせたと思う?」

「それは……」

 私を焦らすためでは?などとはとても言えない、真摯なまなざしに、イブラヒムは言葉を飲んだ。


「私の思考過程を理解してほしかった」

 スレイマンの“意図”は、思った以上に誠実なものだった。


「そうでなければ、私の答えを誤解するのではないかと思って」

 ……確かに、今までも、スレイマンと自分は発想が違いすぎて、話が噛み合わないことが多くあった。だから、そういう誤解をなるべくなくそうと、スレイマンはこのような場を設けたのか。


 面倒くさいが、誠実で可愛い子だ。

 イブラヒムはますます愛おしく感じた。


「その答えを、今お聞きしても……?」

 思い切って聞いてみると、スレイマンはしばらく無言で考えた。


「うーん、それは……そなたが、私の問いに答えることができたら、にしよう」

「どのような問いですか?」


「猫は、神がいることを本当に知っているのか?」


「……それは、先ほどスレイマン様がお答えになったのでは。夢のある俗説だが、真偽はわからないと」

「何故わからないのだ?」


「私は猫ではありませんから」

 トルハンを抱き上げて、その前足でスレイマンの頬を軽く押した。

 スレイマンは吹き出した。


「惜しいな、いいところまでいっていたのに」

「……違いましたか」


 違いはしないだろう。分からないことも、イブラヒムが猫ではないことも事実なのだから。

 何が足りなかったのだろう。


「さて、今日はもう遅いからこれくらいで終わりにしよう」

 スレイマンは自分の荷物を片付け始めた。


「では、そなたたちはゆっくり休め」

 イブラヒムとトルハンに軽く口付けて、スレイマンは言った。

「そして、また明日も一緒に聖典を読もう」

「はい……」


 何が違ったのだ……。


 イブラヒムはトルハンを抱き締めたまま布団に身を横たえた。

「トルハン、お前は神がいることを知っているのか……?」

 そう聞いても、茶色の大きな猫はぴくりともせず寝そべっている。


(……神を知る猫と、そうではない猫がいる……?)


 そうだ。利発な猫、愚鈍な猫、したたかな猫、様々な猫がいるように、世界にはきっと、神を知る猫と、そうでない猫がいるのだ。


(そしてお前は、後者だ)

 イブラヒムはふてぶてしい雑種の猫を撫でた。

 だが、それもわからない。自分は猫ではないから、トルハンの真意を知ることはできない。こういう答えで、スレイマン様は納得してくれないだろうか…?

 考えているうちに眠くなり、そのままうつらうつらと眠ってしまった。


 夢の中で、“スレイマン様”と呼ばれている翆色の目の白猫に出会った。


 人間の“スレイマン様”とは違って聖典を読んだり、理屈っぽいことを言ったりしない。だが、月を見上げるその神秘的なまなざしを見ただけでイブラヒムは直感した。


(……この目……やはり、普通の猫とは違う)

 やはり、自分の仮説は正しいのだろう。

 世の中には特別な猫と、特別でない猫がいる。

 イブラヒムは、“特別な猫”に、その“特別さ”について聞こうと口を開いた。


「スレイマン様」

 白猫は振り返って、翆の目でイブラヒムをじっと見た。


 白猫に次の言葉をかけようとした瞬間、飛びかかってきた白猫に肉球で頬を打たれた。

「スレイマン様!?違います、私はやましいことなど……」


 話を聞いて下さい…と腕を伸ばしたら、ごわごわとした毛のかたまりに触れた。

「……何だ……トルハン……」

 部屋の外に出たいらしく、トルハンはイブラヒムの顔を前足でばしばしと叩いた。


「夢か……」

 部屋の戸を開けて、トルハンを外に出してやり、考えた。


 単なる夢だ。だが、あの夢で確信を強めた仮説を答えとしたら、スレイマン様はどう反応するだろう?

 少し楽しみだ。

 イブラヒムは再び眠りについた。

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