得意と好きは違う
囲会多マッキー
第1話
好きと嫌い、得意、不得意。人間には様々な正反対の考え方がある。学生などで得意な教科が国語であるというと、誰もが好きであると思う。こんなことはないだろうか。私は何度も数学が得意であるというと好きであると勘違いされるのである。好きな教科が得意になっていくなら分かるが、得意になった教科が好きであるという訳ではない。たまたま自分がテストなどで点数を取れただけであってその教科が「得意で好き」だというレッテルを貼られてしまうのである。
私は数学が大嫌いである。しかし計算は大好きである。難しい問題を解くことがとても楽しいのである。おそらくみなさんは私のことを「変人だ」と思うだろう。しかし好きであるというのは周りに「変人」と思われるほどのことをしていないと言われないのではないか。私は現在500ページを超える本を読んでいる。周りからは辞典と勘違いされるほど大きく、分厚い本である。しかし私はこのような長編小説が好きである。周りから「変人」であるレッテルを貼られても変えるつもりはない。
しかし、得意であるというのは○○が出来る。とか、――が私にとっては朝飯前である。みたいな感じである。自分が陸上が苦手でもなんとなくで走るとめちゃくちゃ速いみたいな感じである。つまり、得意というのは自分が思いがけないもので成功することなのではないかと私は考える。
しかし得意になったものが好きになるというのも、好きなものが得意になるということも良くあることである。私は数学が得意だが、大して好きではない。つまり私はテストなどで難しい問題を解くことが出来て、点数が高い方であるが別に好きではない。というのが私の捉え方なのである。本当は○○が大好きだがその○○をするには――をしなければならない。つまり――を得意にならなければ○○をすることが出来ないということである。だから私は自動車を作りたいから数学を頑張る。だから数学が得意になる。ということである。
得意というのは好きであるものになるために必要な過程なのではないか、私はそう考えている。しかしその過程の中で挫折することは沢山ある。だからこそ若いうちに努力して可能性を広げる。可能性を広げるには得意を増やさなければならない。たくさんの得意があればあるほど様々な道が開けてくるだろう。
得意と好きは違う 囲会多マッキー @makky20030217
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