3 これ3、4話で終わらないと気づいた。そして謎の白いシュシュ

 体育館では、すでに教師の指導のもと、片付けが始まっていた。敷かれた緑マットの片付けと、並べられたパイプ椅子をしまう役目に分かれていた。

 瑛理はパイプ椅子を片付けることにした。他人と協力しないで済むという理由からだった。

 椅子を一つずつたたみ、四つ畳んだところで収納スペースまで運んだ。決して無理はせず、着実に運べる分だけを淡々と片付けていった。

 ただ片付けを行うだけでも、生徒たちの動きは様々だ。掛け声をあげて、タイミングを合わせてマットをたたむものもいれば、適当に各々のタイミングでマットを折り曲げていったりしている。椅子を運ぶ速度もやる気と比例しているようだ。明らかに気の抜けた生徒は動作がひたすら緩慢で、起きたばかりの亀のようだった。ただ片付けるという目的が終わればいいという意図が行動から読み取れるようだった。

 瑛理はキビキビと椅子を運んでいたが、その間に何度も同じ女子生徒を追い抜いていた。

 その女子生徒はパイプ椅子を二個持っただけで足元はフラついており、歩く軌道は左右へと流されている。

 背中から覗く真っ黒で大きめのフード姿は瑛理にも見覚えがあった。

『ちょっと危なっかしいのがいるね。彼女は確か知り合いじゃなかったかい』

「そうだな。名前は黒木紫兎くろぎしとだったっけ」

『君がちゃんと名前を覚えているようで安心したよ』

「当たり前じゃないか。授業中にペアを作れっていう恐怖の瞬間に、唯一共感出来る相手だぞ。それに人の名前を忘れるとか失礼だろ」

『その言葉、十分前にも言えるかい? 君は授業でペアを組む子のことは覚えても、たまにお昼を一緒に食べる子のことは覚えていないんだね』

「ど忘れしてただけだっての」

『ど忘れの結果が山田ミミルか』

 瑛理は周囲に気を使って小声で話しつつ、もう何度目になるかわからないが、黒木紫兎を追い抜いた。

 少女は、チラチラと黒木紫兎を眺めていた。重そうに顔を歪めながらも、一生懸命にパイプ椅子を運ぶ姿は、お手伝いをしている子供を見ているようだった。

 少女はせっせかとパイプ椅子を運ぶ瑛理を見て、呆れたように息を吐いた。

『危なっかしくもがんばっている彼女の姿を見て、君は何も思わないのかい?』

「大変だなあ」

『小学生でも、もっとマシな感想を抱くよ。ほら、彼女は随分と重そうに運んでいるじゃないか。どうすればいいかわかるだろ?』

「楽にしてやればいいのか?」

『念のため訊くけれど、持ってあげるという意味でいいんだろうね?』

「いっそコケて貰えば、無茶をしなくなるんじゃないか」

『訊いて良かった。ボクはボクを超褒めるよ。そしてダメじゃないかこのくされ外道』

「時に痛い目をみないと、自分の身の丈ってもんが見えてこないだろ?」

『一部分で正しいことを言うな。彼女が十メートル進む間に、君は何往復したんだ? 手伝ってあげることで、身の丈を教えてあげることも必要だろう』

「一理あるかもな」

 納得が得られたためか行動は早く、瑛理は黒木紫兎の隣に並んだ。

「黒木、お前には無茶だ。片方持つから貸せ」

 黒木は息を切らしつつ、両手で持ったパイプ椅子を床に下ろした。

 毛先は肩上ぐらいの内巻きで、前髪は眉のあたりで切り揃えられている。紫めいた黒髪はわずかに濡れていた。相当無理をして運んでいたのか、なかなか喋ろうとはしなかった。

 大きく深呼吸して息を整え、黒木は瑛理に向き直った。

「気にかけてくれてありがとう刃渡くん。でも大丈夫気にしないで、ってとりあえずは健気アピールとして言っておくね」

「そうか大丈夫なのか」

「察してって言ってるんじゃなくて、もう答えすら言ってるのに汲み取れないんだね。すごいなあ」

「そんなに褒めるなよ。照れる」

「厳密には褒めてないよ、皮肉だよ。都合のいいところだけ受けとれるなんて、脳か耳に膿が湧いてるんじゃないかな?」

「素敵なら詰まってるかもな」

「スカスカだってことはわかったよ。刃渡くんをまた理解できて嬉しいなあ。社交辞令だけどね」

「あっ、わかったぞ。今バカにしただろうこの野郎」

「最初からバカにしてるよ」

「ば、バカにするな!」

「動揺すると語彙力が死ぬんだね。小学生みたい。もちろん褒めてないよ」

「えー俺はバカにしてくる相手も手伝わなきゃいけないのか?」

『……まあ彼女はずっとこんな感じだろう。彼女の人間性はともかくとして、困っていて助けが必要なことは事実だからね』

 一見すると内気そうな見た目とは裏腹に、黒木の言動は特徴的だった。歯に衣着せないどころか、平然とした顔で刀を振り回している印象を抱く。

 黒木の特徴は言動の部分だけでなく、言葉を発する時の仕草は、まるで普通のお喋りをするようなものであるという点だった。普通の女子高生のようにはにかみ、ハムスターのように膨れ、気遣いを帯びた表情を見せる。

 ごく自然な仕草を問題なく表現できる黒木だが、問題なのは言動だった。

 思いを全く包み隠さない真っ直ぐな言葉は、時に鋭利な刀のようであった。黒木と始めて会話した後に、彼女と仲良くなろうとする者はほとんどいなかった。好意的に感じる表情から飛んでくるのは、罵声であったりするからだった。

 黒木が会話している際、普通に笑顔だった。表情と言動の不一致に、応対する側としてはひどく混乱させられる。

 しかし瑛理は、あまり気にしていなかった。

「手伝ってくれようとしてたのにやめるのは、男としてどうかと思うな。率直にクソだよ」

「なんだって。お、俺が言い出したことをやめるわけないだろうが」

「それじゃあきちんと言わなきゃね。わたくしめに黒木様のお手伝いをさせてくださいって」

「ん? なんだかおかしな感じがするんだけど」

「ここで言わなかったらお手伝いできないよ。そしたらクソ野郎になっちゃうね」

「それは本意ではないな。よし、わたくしめに黒木様のお手伝いをさせてください!」

『言うんだね』

「自分は排水口に流され損ねた縮毛にも劣る存在です。はい」

「自分は排水口に流され損ねた縮毛にも劣る存在です!」

『それも言うんだね』

「これから一生黒木様にお仕えします。どうぞ」

「いや、一生は現実的に厳しいだろ。多分高校を卒業したら黒木とはもう会わないだろうし」

『それは言わないのかよ』

「やっぱり刃渡くんって読めないね。でも私もそう思う。卒業したらもう会わないだろうから楽しみだね」

「黒木もそう思うか? 気が合うなあ。ふはははは」

「気は合わないけど、考えは一致したね。あはははは」

 側から見れば、とても仲睦まじいカップルにすら見えるかもしれない。瑛理は重そうにしている黒木のパイプ椅子を優しく運び、笑いあっているのだ。まるで彼氏が彼女のことを気遣っているかのような構図だ。会話の内容さえ知らなければ、確かな絆のようなものが見えているように思える。

 しかしその交流は、全く心が通っていなかった。

 言うなれば小学生の殴り合いに近しい。

『もうボクここにいるの嫌なんだけど』

 その呟きが何かに届いたのかは、誰にもわからなかった。



 ほぼパイプ椅子を運ぶだけで後片付けを終えて、瑛理と少女は体育館を後にした。黒木紫兎とは挨拶も交わさずに別れた。瑛理にとっての黒木は、たまに利害の一致するクラスメイトではあっても、友人と考えてはいなかった。その関係性については、黒木も同様に思っているようだった。

 人混みに紛れることを瑛理は嫌い、渡り廊下に繋がる出口とは真逆から出た。体育館とブロック塀に囲まれた細い通路は薄暗い。整備は乏しく草も伸びっぱなしだった。

『ここを通ると、体育館シューズが汚れるな』

「俺のだけな」

『こんなところを通ることを選んだのは君だろう』

「なんか人混みの中にいると、気持ち悪くなってこないか? もし爆弾があったら、迷いなく爆発させるぞ」

『この世界が爆弾には厳しくて良かったよ。というか君も死ぬだろ』

 周囲に人はいないため、遠慮なく会話をしながら進んだ。

 不意に少女の目が細められ、何かを凝視し始めた。

『あそこに何か落ちてないか?』

「幸せとか落ちてるか?」

『もし落ちてたら即拾え。なんだか白い布のような』

「パンツか?」

『拾ったら軽蔑するからな』

「というか、そんなもんどこに落ちてるんだよ?」

『あの石ブロックの上に乗っているだろう』

 瑛理は目を凝らして石ブロックの付近を見回したが、落ちているものを見つけられなかった。

「見つからないぞ」

『君は人間関係だけでなく目も見えないのかい。救いようがないな』

 少女に促されるまま近づき、指差しで落ちている場所を教えられて、やっと白レース状の布のようなものを発見した。

『ちゃんと落ちてるだろ?』

「ほんとだ。どうして気がつかなかったのかわからん。これってアレだよな。女の子が頭につけてるやつだよな」

『シュシュだね。なんでこんなところに落ちているか、気になるね』

「俺も気になるな。どうしてこの髪飾りはシュシュって呼ばれるんだろうか」

『根本的な疑問か。後でウィキで調べろ』

「全然汚れてないってことは、まだ落としてから時間が経ってないのかもな」

『となると、これを探している子がいるかもしれないな。どうすればいいかわかるな?』

「女子高生が身につけていたものとして、オークションで売ればいいんだな」

『人として間違うな。そうじゃないだろ』

「そうか、美少女って言葉をつけた方が、より高値で売れるかもな。新たな視点に気づかせてくれてありがとうな」

『違う、ボクの視点にはそんな発想ない。クジュポイントプラス1だ!』

 少女はメモにクジュポイントをプラスした。本日2ポイント目だった。

『持ち主を探すまではいかなくても、落し物として職員室に届けろ』

「もしこれがブラだったら?」

『届けることをためらうよ! そもそもブラが落ちてるか』

 勢いよく声を散らす少女を横目に見ながら、瑛理はシュシュを拾って左手に巻きつけた。

 忘れないようにとの瑛理なりの意図はあるが、少女は何か言いたげに口を歪め、諦めたように飲みこんだ。

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