魔窟 ~横浜市役所 市民健全生活支援課~

赤花野 ピエ露

第1話『光』の存在

 雨上がりの午後、空を見上げる数人の学生達、それに釣られて摩天楼を縫う様に歩く人々も足を止めて見上げる。


 飛び降り自殺だろうか、


 かざされたスマホがそれを映し捉える。

 レンズで捉えられ画面越しに拡大され映し出されたその二つの人影に迷いは無い、押される影には意思も無い。


「ごめんね、ゆー君。お母さん疲れちゃったんだ、ごめんね」


 キィィィ、油を注される事も無く錆びを纏った一本の車軸が二つの車輪を支え動かす。

 柵を切った母のこの手を、一線を越えた母のこの足を、止めるものは今やこの錆びだけだろう。



「ヤッバ!」

「ねぇ、行こうよ!私、人の死ぬところなんて見たくないよ」

「そういうぶりっ子いいからさぁ、サッサと警察に連絡してよ。私ぃ、今ぁ、撮るのに忙しいからさぁ」

「おお!LIVEで2000人突破したぜ!」

「最近の若い奴は、飛ぶは撮るはでみっともない」

「あのー、実は飛び降り自殺を目撃してしまってー、警察の方で事情聴取みたいなやつを取られることになってー、今日は会社に行けそうにないですー、すみませーん。     よっしゃー!サボりだぜ!!!」

「すみません、今、たぶん母子だと思うのですが、飛び降り自殺をしようとしている人達が居まして、ええ、○○ビルの屋上です。あ、既に通報がありましたか、なんかすみません。お手数をおかけしてしまって。あ、いえいえ、あ、はい、では、よろしくお願いします」

「うわぁー、嫌なもん見たわー」

「飛び降りるならサッサとしろよ」

「どうせ、自殺するような選択を取るような人間なんだから、死んだって社会に何の影響も無いだろ。無いなら無いままでおとなしく死んどけよ、通行の邪魔だろうが」

「屑がよ邪魔なんだよどけよ」



 こんな世界で人は何を思うのだろうか、そしてなによりも、こんな世界で神は何を思うのだろうか。



『人の子よ、そなたの意志を示して見せよ』



 母の足は止まった。


 止めるものなど錆だけであったのに、母の足は止まり手は口を覆う。


「ゆー君…」

「謝るのは俺の方だよ、ごめん母さん。本当にごめん… 母さん… 」


 自殺を捉えようとしていたカメラに三人目の人影が映り込んだ。

 いや、人影とは呼べないのかもしれない。


 その影には翼が生えており、そしてそれは影というよりもまるで光の様であった。






   *






「姫川さーん、居るのは分かっているんですよー!」先輩が再度、ドアをノックする。

「山田先輩、それ以上の大きい声はご近所迷惑になるんじゃないですか?」悪い事をしているわけではないが、さすがに相手の事を想うと可哀想だ。

「あのな新堂、ここのご近所の方々も税金を払っているわけでだな、俺達はその大切な税金の無駄をなくす為にこうして仕事をしている。そこは分かるよな?」その強面で覗き込んでくるのはやめてほしい。

「はい」詰まった眉間の皴と下がった口角により、実年齢よりも五割増しで老けて見える。

「じゃあ何で、今、俺の仕事の邪魔をしてくるんだ?」

「邪魔をしているわけではないですよ」本音だ、顔は怖いけど山田先輩は良い人なので本音を言っても頭ごなしに責め立てる様な事はしない人だ。


「可哀想に思えて、だって、最初っから嘘を付いていた人じゃないわけじゃないですか」そうだ、騙し取るつもりでやっているわけではないのだろう「数ヶ月前まで全身麻痺で寝込んでいた方とそのご家族にその迫り方は無いと思いますよ」


「『迫る』とかいう言葉を使うなよ」後頭部を掻きながら一歩後ろへと下がり俺の背中を押してきた。


「じゃあ、お前に任せるわ。頼んだぜ懐柔王子」

「そのイントネーションだと怪獣に聞こえますからやめてくださいよ、てか、王子じゃないですから」懐柔もなんだか聞こえが良くないし、色々嫌な別称だ。

「じゃあ、横浜市役所のイケメン王子、がいいか?」

「王子が無くなってない上に何とんでもないもの付け加えてるんですか!」俺はイケメンではない。

 新設された当初のうちの課に取材に来た雑誌の記者が勝手にそんなことを言ってきただけで、俺は平凡な顔立ちをしている。

「いったいいつまでそのネタで弄り倒すんですか!もう味しないですよ!」

「ほら、何やってんだ。仕事仕事!勤務中だぞー!」


 この人はぁ、後で覚えてろよぉ。


 役所の食堂で小皿を追加して奢ってもらおう。


 はぁー… 。


「姫川さーん、私共はー、横浜市役所 市民健全生活支援課のものですー、どうかお話だけでも聞かせていただけませんかー?息子さんの社会復帰にご協力できるかもしれませーん」


 突然現れたあの、翼の生えた光の人影は世界中に現れ体の不自由な人々を治していった。

 今なお続くこの奇跡の様な神秘の出来事は、一見、喜ばしい事にも思える。

 が、この出来事が原因で様々な対立と醜い戦いが世界中で巻き起こっている。

 それは宗教から始まり化学的な視点からの意見も加わった論争、国家間のより一層の疑心暗鬼の状態悪化に、生活環境の急激な変化、宗教間のいざこざが原因で戦争だって起こっている。

 あの存在の呼び方でさえも決まっていない。

 悪魔なら良かったのに、と言っている人も少なくは無い。

 姫川さんご家族もその一人だろう。


「息子は小学六年生の修学旅行で事故にあい、そこからは寝たきりの生活でろくに勉強もできずに、運動だってそうです、こんな事は言いたくないですが… 今更… 全身麻痺が…、損傷した脊髄が治ったところで、28歳の体の弱い、高校も卒業できていない、バイト経験も、友達だって、生きていける訳がないじゃないですか………   どうしろって言うんですか!!!!! どうしたらいいんですか!!!!! 教えてくださいよ………   」


 この仕事をしていると辛いものをたくさん目にする。

 重度のダウン症だった少女は染色体異常が修復されるものも、実の両親を親として認識できずにろくなコミュニケーションも取れなくなり、悩まされ家を飛び出し数ヵ月後に違法風俗店の摘発で保護された。

 不慮の事故により両手両足を失った男性は、四肢が生え揃うも失った職は戻らず。四肢の欠損が生活保護対象となった理由であったが為に生活保護を打ち切られ、就職するまでの間でも、と再認定を懇願していたそうだが健康状態は良好であり、認めるのが難しい状況であったが為に却下された。

 何よりも悲劇だったのは、

 その一連の出来事が口伝いに周りへと伝わり、宗教団体などからは『神がお救いくだされたというのにもかかわらず、なんと怠惰な』、と言われ、外に出歩けずご近所付き合いも悪かったが為に周辺住民の方々からは誹謗中傷の嵐、彼は飢えに苦しみながら生えてきたその腕で縄を結び生えてきたその足で椅子を蹴った。

 この二つは俺がこの課に配属されてからこの街で起こったものだ。

 だが、悲劇はもっと起こっている。

 短い間にこれだけの事がこの街だけで幾つも起こっている。

 此処だけではなく世界中で起こっている。

 俺は、これらの様な悲劇をなくす為に日夜働いている。


「特例環境変動下における生活困難国民の特別救済処置支援法?」


 略式名称で言うと『特済法』。

 これは現在、横浜市で試験運用をすることとなったもので、市町村では抱えきれなくなった今回の様な問題が起きた際に国が直接関与し救済処置を行えるようにした法だ。

 既に可決されている。

 つまり、明言を避けてはいるが国はこの事態を救済処置が必要な害、災害とみなしたのだ。

 国としての国民に果たすべき義務として、この法案は可決され法律としての力を持った。


 そして先輩と俺は国が横浜市へと派遣した認定審査員である。


「つまり、あなた達が認めれば… 息子は不正受給者ではなくなるのですか?」

「ええ、そうです」大雑把に言えばそういう事なのだが、「ですが、認めるのは私達ではなく国が、です」

「審査し認否の判断材料となるものを集め、国にハンコを押してもらえるような書類を作るのが我々の仕事です」

「たとえそれが望まぬ結果であったとしても、国の下した判断になりますので覆すのは難しくなってしまいますが、このままでは息子さんは不正受給者になってしまいますので…」その言葉に続く言葉よりも先に答えが返って来た。


「どうか、息子をよろしくお願いいたします」


 今年度初頭時の生活保護受給者の数は、約 195万人であり、あの存在が出現し治癒行為を始めた年の前年度の約 225万人からは大きく下がってはいる。


 しかし、


 不正受給者の数は昨年度に発覚したものだけでも 17万3652人であり、出現前年度の 5万6296人から爆発的に増加している。

 当時、いや、今もか… 。

 統制が取れず、大阪や北海道に福岡そして愛知などの一部地域が、再生されたが生活ができる状況に無いという者達に対し独断で生活保護金を配布したのだが…


 この仕事についていると嫌なものを目にする。

 それは、悲劇だけではない。


 管理されていない散らかした金には食べ物以上に虫が集って来るのだ。

 そのせいで本来行き渡るべき人達に廻らなくなってしまう、そして腐って行く…




   *




「おかえり~」大型のPCと大小合わせて3つのディスプレイの置かれた作業ディスクに和菓子の空箱を積み重ね、値下がりしていたので買ったというワンサイズ大きいレディーススーツを着たぼさぼさ頭のだらしのない女にしかめっ面で出迎えられても嬉しくもなんともない。

「ただいまでーす」一応、礼儀としてちゃんと返す。まあ、言われなくても誰もいなくても帰って来たら礼儀として『ただいま』は言うけどね。

「ただいまだ」山田さんもしかめっ面、いや、元からの強面で…   …普通に、返事を返した。

「おう!お疲れさん! で、どうだった?」アロハシャツ、しかし色が地味過ぎて迷彩服にしか見えないアロハシャツ、それに袖を通した小太りのオッサンが俺と山田先輩の労をねぎらいつつ結果を聞いてきた。

 因みに、このオッサンが俺達の課長だ。

「姫川 誠さん、重度の骨粗鬆症ですが、筋肉はご両親が行っていたマッサージやEMSマシンのおかげで歩行は可能です。 しかし、今後の生活の事を考えればプロの指導下でのリハビリが必要です」山田先輩は淡々と作成した書類を読み上げる、「義務教育課程中の事故であり、しかも県立の小学校での修学旅行中の事故。当時の判決でも教師、そして学校側の監督不行き届きだ出されています」これらの情報は事前に調べていた。「更に、学生時代の素行は良好であり、有名進学校の付属中学校への入学も決まっていました。これらのことから… えっと、まぁ… 国から県に対して姫川 誠さんへ救済処置をするように命令を下すのは妥当だとおもわれまーす、よっと」最後はぐだってしまったが、要は姫川さんご家族をお助けできるという事だ。

「姫川 誠さんは高認、高等学校卒業程度認定試験を受ける事を望まれています」28歳という事を考えて通信制の高等学校などではなく、学力の高さを証明できる高認を選んだのだろう、棘の道だがこの道を進むそうだ。

「リハビリと高認を受ける期間とで3年間ってとこかねー」課長のその意見に課長以外の3人全員で頷く。


「じゃあその方向で上に通しておくぞぉー」


「じゃあ、俺達は食堂に行きますか、山田先輩」小皿を奢ってもらおう。

「ん? これが見えんのか?」自慢げにピンク色で花柄の布に包まれた四角い箱状の物を見せつけてきた。

「ああー、工具箱ですか?」

「こんな可愛らしい工具箱があるか! 愛妻弁当だよ!愛妻弁当!」弁当に愛妻とか言う謎の単語が付いているのは気のせいだろう。

「山田先輩に頼らずに一人で行けよお子様ランチ」馬鹿にしやがって…

「ミックスフライ定食に小皿をいっぱい頼んで何が悪い!」この和菓子女は、俺の昼食の王道パターンを大きなお子様ランチみたいと馬鹿にしてくるのだ。

「好き嫌いしていつも同じのを食べてるのがお子様なんだよお子様ランチ」

「そんなこと言ったら!佐々木なんて和菓子しか食べてないじゃないか!」今度は俺が逆に和菓子女、佐々木に攻撃を加える。

「 きなこ は大豆で あんこ は小豆、モナカはお餅でお餅はお米、植物性タンパク質と炭水化物を効率よくとっているんですよー、お子様ランチには分からないでしょうがねー」

「いやいや!大量の砂糖が入っているじゃないか!」

「はぁん! 私が食べているのは高級和菓子で、素材の味を生かす為にお砂糖は控え目なんですよー」

「えっ!? そうなの!?」和菓子についてあまり詳しくは知らないので、話しの中身だけ聞いて精進料理を思い浮かべた。

(豆とお米、色も地味そうだし、そうなのかもしれない)と、そんな事を思ったが違った。

「げっ!こんな上等なお店のものを自分用に買って食ってんのか… 給料無くなるぞぉ…」課長も引いている…、どんな和菓子なんだ???

 高級和菓子と精進料理は全くの別物のようだ。

「大丈夫ですよ、貯金があるんで」貯金もいつかは無くなるぞ。

「流石は、元大学教授だねー…」

「私はそんなに歳行ってないですよ、私が行ったのは大学院までですよ。教授だったのは母親ですよー」

「ああー、そうだったねー…。 あれ?じゃあ貯金したお金って何処から?」

「・・・・・・」

「・・・・・・」


 急に変な空気になった。

 だらしがなく男っ気も無い面倒くさがりな実家暮らしの若い女が、俺が人の事を言えないが、これだけの高級和菓子を買い込む資金をどうやって貯め込んだんだ…、教えて欲しい。

 変人だが… 人格は一応良好なので、悪い事をして稼いでいるわけではないだろうから…、教えて欲しい。

 食費がヤバい。


「というか新堂、サッサと行かんと あの子 食べ終わって居なくなってるかもしれないぞ」

「一人で誘ってみろよ、お子様ランチ」あの子は佐々木と違って優しいので誘えば付き合ってくれるだろうが、彼女の時間を潰してまで一緒に食事をしたいと思う程の我が儘な男ではない。

「もう時間も無いのでいいです… 」前職からの癖で買い溜めしているプロテイン入りでカフェインゼロのエナジーゼリーを腹に流し込み、お昼休みを終えた。


   *


「城島課長、昨日の件結局どうなったんですか?警察の人から催促のメールが来てますよ」昼休みが終わり、それぞれの作業をしていると佐々木がディスク向かいに座った課長に作業をしながら声を掛けた。

「昨日の件?」昨日も姫川さんのご家庭に行っていたので、それが何なのかを右を向き佐々木に訊ねる。

 警察とのやり取りをする事はそれなりに多いのだが、昨日の今日で催促されるような案件は珍しい。

「夫の自殺を災害関連死として認めて欲しいって言ってきている人が居るんですよ」

「何でそれでうちの課に警察が訊ねて来たんだ? そもそも何で警察が動いてんだ?」

「それが、自殺じゃないかもしれないんですよ」

「災害手当交付金目当ての自殺に見せかけた他殺の可能性があるんだよなー」


「???」どうゆう事だ???


「はぁ、簡単に言うと、警察が自殺と判断した男が生活保護の元受給者で、その妻が、夫の自殺は蘇生混乱騒ぎのストレスによるものだとして国に責任を取れって。で、その自殺を特済法で災害関連死として認めて欲しいって言ってきていましてね」肩を竦めながら呆れた口調で話しを続ける。

「警察は自殺として処理しているから、後はアンタらの仕事だろ、つって投げて来たんですよ。投げてきといて催促すんなよ!」

 まあ、こういった事が仕事なので仕方がないのだが、「でも、自殺じゃない可能性があるんだよな?」そうなってくると話が変わってくる。

「妻がこの訴えを起こした事でその可能性が有るって事が分かったんですよ」

「どんなだ?」俺と同じで気になったのだろう、佐々木の隣に来た山田先輩が問う。


「これですよ、これ」


 佐々木の指差したウインドウに目を向ける。

「住所がどうしたんだ?」生年月日や指紋など色々な情報が書かれているが、指しているのは住所の欄であった。

「夫が生きていた時に住んでた住所、見て」二つ書かれた住所の上欄、筆跡確認の為だろう書類から切り抜きされた崩れた筆跡で書かれたその住所に見覚えが有った。

 見切れていて正確には分からないが、年号から最低でも3年前に記入された事が分かる。


「3年前でこの住所か… はぁっ… 」山田先輩が珍しくため息をつく。


「そう、この夫婦、『魔窟』の出なんですよ」


 魔窟、生活保護不正受給者が住所登録の為に使う部屋や建物を指す俺達の使っている隠語の一つだ。


「摘発は?」面倒くさがっている様子から答えは分かっていたが念の為に聞いておく。

「ガサ入れ前に住所変更していまーす」

「受給理由は?」

「交通事故が原因の全身不随ですねー、カルテを見れば精神的なショックによるものだってのが分かるんですけど、普通の市役所職員には逆効果だったみたいですねー。まぁ、普通はカルテを見せられても分かんないですよね。加害者は身寄りの無いご老人で事故の時にお亡くなりになられていて、この夫の症状を詳しく調べようとする人は居なかったみたいですねー」

「それに加えて魔窟だ、一部の職員は買収されていたんだろうしな、難しいなこりゃあ」組織ぐるみであるからこそ他殺の可能性があるのだ。

 全てに通ずる要因として、チェックする体制が整っていなかった事が上げられるだろう。

「警察の協力は得られない、死体は既に火葬されている」

「天使もどきが本当に来たかどうかも分からないですしー… 、まぁ、そもそも天使もどきの治すような怪我ではないですけどね」

「その方向で行けば不当申請で処理できないかな?」

「私もそれを課長に言っているんですけどね」

「そうなったら、自殺の理由が無くなっちゃうでしょ」

「まさか、意見を覆さないといけない上に捜査のやり直しをしないといけなくなるから… ?     嘘ぉ… 」課長の顔がカビの根の深さを物語っている。

「この件を通すなら、頭の固い警察が納得できるだけの証拠を見つけないといけないんだよね」


「んー… 、本当に、他殺の可能性があるんですか? 金銭的に余裕のある方でも自ら命を絶たれる方は居ますよね… ?」最初に他殺の可能性があると言った課長にその根拠を聞いた。


「天使の門出、この奥さんがそこの熱狂的な信者なのかもしれないんだよね」

 この夫婦はどれだけ問題を抱えているんだ。

 いや、問題を抱えているからこそなのかもしれない。

「マジっすか!? ヤバいっすねー!!!!!」何でテンションが上がっているんだ。

「そういや、ここの役員が市長選に出てたな」

「え???」知らなかった… 。

「そんな事はどうでもいいですよ。私はヤバいカルト集団の黒い噂話をですね」変人だ。

「熱狂的な信者だという根拠は?」変なスイッのチ入った佐々木を無視して山田先輩が話しを元に戻す。

「本人に連絡が繋がらなかった場合に、って連絡先があるでしょ」

 課長に促されるまま佐々木のディスプレイ、先程のウィンドウに目を通して課長の指すその項目で止まる。

「個人の携帯番号ですか… 」主婦なら、ましてや全身不随の夫の看病に明け暮れる妻なら、普通は家の電話番号を書く。

 留守電を残し確実に聞いてもらう為に。

 最近では固定電話を持っている家庭が減ってきたが、その場合はアパートの管理人や家族、勤務先の連絡先を書くのが主流だろう。

 まあ、この夫婦にはそれが無いけどな。

「誰の携帯電話番号なんですか?」友達だろうか?

「橘 夢子っていう50代くらいのおばさんでした」この奥さんは38歳なので、友達というには少し歳上に感じる。

「その橘さんがね、天使の門出の重要役員なのかもしれないんだよね」この天使の門出は何かと秘密と噂の多い宗教団体だ、その重要役員の情報を得られたというのは大きい。

 佐々木が『ヤバいカルト集団』と言った通り、天使の門出について流れている噂は黒いものが殆どだ。

 だがまあ、噂とはそういうものだ。


「これが市長選に出ている天使の門出の人ね、元アイドルやってた美人さんで、その街頭演説の様子を撮った写真なんだけど、この後ろに居るのが橘さんね。アイドル時代から彼女のマネージャーやってたらしいよ、今は、秘書って言った方がいいかもだけどね」普通のおばさんって感じだが、背筋がピンと伸びているどこはかとなく知的さを感じさせる眼鏡をかけたスーツの似合う女性だ。

 そう感じてしまうのは、普段、だらしないのを見ているせいかもしれない。

「で、これも見て」集合写真を拡大したであろう画質の荒い画像を見せられる。

「あ!天使の門出の教祖だ!」だらしないの、佐々木が中央に映る男を指さす、そしてその男の二つ隣には随分と若いが荒い画像越しからでも知的さを漂わせる橘さんが居た。

「次にこれね」先程と同じ様な写真だ。

 メンバーは変わっているが、中央に居る教祖の二つ隣には橘さんが居る。

 更に幾つかの写真を見せられる。

 そこには必ず教祖の男と橘さんが居た。

「なるほど」天使の門出の旅行か集会での集合写真だろう、そして二人の間柄は… 「内縁の妻、ないしは、共同経営者って感じですかね」

「男が教祖の新興宗教団体で定位置を獲得している重要役員の女って内縁の妻のパターン多いっすよね!」佐々木はテンションが高くなると『っす』って言うのが多くなり、女性らしさが更に無くなる。


 あの子とはえらい違いだ。


「あのぉ~」


 あの子の幻聴が聞こえてきた。


「あのぉ~、ちょっといいですかぁ~?」


 お昼に合えなかったせいで幻聴だけじゃなく幻覚まで……… 、え?


「 え!? 」

「あ、夢原ちゃん、こんにちわちわぁ~!」

「こんにちわちわぁ~!」

「え!? な、何で夢原さんがこんな所に!?」

「いや、同じ市役所で働いてんだろ」

「あ、そうだった」食堂でしか会わないのでうっかり忘れていた。

「忘れるなんて酷いです」


「   」


「はぁっ… 」日に二度も山田先輩のため息を聞くとは思いもしなかった。

 しかし、この絶望に沈んだ心ではリアクションをとる事が出来ない。

「でもまあ、夢原君が此処に来るなんて珍しいな」山田先輩の言う通りだ、夢原さんがこんな所に来るなんて珍しい。

 先程までしていた仕事の話を中断してしまう程に珍しい。

「リニューアルした市立図書館の広告イベントで使う機材を取りに来たんです」夢原さんは広報課に所属する芸大卒で学芸員の資格も持った才女だ。

 初めて出会ったのは雑誌の取材の時だった、そして、そこで人生で初めて一目惚れをした。

「そうか、ここ倉庫だからな」

 新設されたと言っても試験運用みたいなものなので、物置部屋の一角を衝立で囲っているだけなのだ。

 使い古された歴戦の脚立や画鋲、謎のポスター、税金で買っているので捨てるに捨てられない物々、処分にもお金がかかるので置き去りにされているいにしえのコンピューター、持ち主も買い取りても現れなかった落し物達、そしてそこに佐々木の持ち込んだ機材と課長の持ち込んだ小上がりの二畳の畳が置かれており、更なる『何じゃこれ感』を演出している。

「そ、その機材って何ですか?俺でよければあ、ぉお手伝いさせていただきますよ!」此処には荷物が多いから探すのも一苦労なはずだ、ただそれだけ、そこにやましい気持ちなんて無い。

「本当ですか!ありがとうございますぅ~!」先程のマイナス分を取り返せている事を祈ろう。


「手玉に取られてやがる」

「本人が喜んでますからー、良いんじゃないんですかー」

「若いねー」


「これなんですけどぉ~、大丈夫ですかぁ~?」

「お、おぉんふっ!」巨大なスピーカーだ、「だ、大丈夫ですよ!」型が古いからか、とても重い。

 しかし、ここで男らしさをみせてポイントを稼ぎたいところである。


「あ」


 嫌な電撃が走り後で腰を痛める事を確信する。

「い、行ってきます」此処で止まったらヤバイ、勢いが大事だ。

「あー、いってらいってら」腰のせいで振り返れないが佐々木のことだ、手首だけで見送りをしてきている事だろう。

「失礼しましたぁ~!お邪魔しましたぁ~!」横目でも分かる可愛いお辞儀だ。

「またねぇ~」






「行っちゃったよね」

「組立は私達の仕事ですからね、アホは居なくても大丈夫ですよ」

「尻に敷かれるぐらいがちょうどいいのかもな、まあ、仕事を置き去りにしていっているけどな」

「仕事内容を決めるのが仕事ですからね、新堂には雑用をさせておいた方がいいですよ」

「まあ、訪診していた経験活かして外回りを頼んでいるからね、まあいいかね」

「俺も新堂が居ないとキツイところが有るので、何とも言えませんなぁー」

「だね、じゃあ話進めようかね」

「お願いします!」




「これは、俺の深読みかもしれないから話し半分に聞いて欲しいんだけどね」

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