間章 テセウスの船とパラドックス その2

「【テセウスの船】のパラドックスはさ。そもそもパラドックス的な『論理と感覚の齟齬そご』のうち、どっちの答えが『論理的』でどっちが『感覚的』なのか。それすら認識が難しい。だからこの問題に頭を悩ませることになる。でもね、そこが【テセウスの船】を考えるうえでの肝なのさ」

感覚の答えと論理の答え…同じものか違うものか…

「さあ、じゃあ種を明かそう。【テセウスの船】のパラドックスを読み解くカギは『同じ』という言葉の使い方さ。パラドックスの解法のパターンの1つ、『前提が間違っているのを見つける』ってやつさ。【テセウスの船】は同じ船か? この問いにおける『同じ』とは何かって話さ」

同じって何かですって? 同じとは同じってことじゃないの?

「いいや同じものがすべて同じとは限らない。同じじゃない同じというものは世の中にはいーっぱいあるのさ」

同じだけど同じじゃないもの…?

「いいかい?アリス。例えばここに女の子が二人と男の子が1人いる。女の子のうち1人と男の子は兄妹で、女の子も男の子もみんな通ってる学校は一緒。そして男の子と兄弟じゃない女の子は男の子と同級生だとしよう」

ちょっとちょっとあんまり一気に話されてもわからないわ。

「AちゃんはBくんの妹だ。BくんのクラスメイトにはCちゃんって子がいる。3人とも一緒の学校に通っている。これでどう?」

……さっきよりはだいぶ想像しやすいわ。

「よし。じゃあAちゃんとBくんは同じ人かな?」

違うわ。そもそも性別だって違うもの。

「それじゃあAちゃんとCちゃんは同じ性別だけど同じ人かな?」

もちろん違うわ。当然BくんとCちゃんもね。

「でもBくんとCちゃんは同じクラスだね?」

ええ。それはまあそうね。

「3人とも同じ学校の生徒だ」

それも正しいわ。

「じゃあAとBとCは同じ家族かな?」

それは違うわ。でもAとBは同じね

「さあ、答えは見えたかな」

同じという言葉にも色々な使い方があるってこと?

「そうさ!同じという時に僕たちは何かの基準で同じかどうかを決める。それを僕らは【テセウスの船】について一緒くたに混ぜたものだから【テセウスの船】って問題を把握できないでいるのさ」

【テセウスの船】は修理すると『元と完全に同じ船ではなくなる』。

でも【テセウスの船】と修理した船は『同じ船として認識される』。

『同じ』の使い方がが違うから、私たちは【テセウスの船】を図りかねているのね。

「答えが出たねアリス!【テセウスの船】は修理した後も同じ船であり違う船である。そういうことさアリス。【テセウスの船】は同じものであり違うものであるのさ」

「でもじゃあ結論はどちらなのかしら?」

「だから答えは簡単さ。アリス、君がテセウスの船は同じかどうかを考えるんだ」

「私は……」

私はどちらだろう。修理して元の部品の無いテセウスの船。それは最初と同じ船…?

私が選んだのは…

「【テセウスの船】は同じ船よ。でも全く同じ船ではないわ。これでいいのよね?」

「君がいいと思えたなら、それが答えさ。さあ、わき道にそれるのはここまでだ。カニバリズムの話に戻ろう」



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