間章 テセウスの船とパラドックス その1

私はウサギさんの話を聞こうと思った。

「【テセウスの船】のパラドックスはつまり『同じもの』とは何かを問うパラドックスだとされているけどさ、実際にはもう少し違うところにパラドックスが含まれている……ってああ、そうさまずはパラドックスって何かアリスはわかっているかい?」

「パラドックスってあれでしょ、【矛盾】みたいなものよね」

ウサギはやれやれといった表情でこちらを見てくる。むかつく。

「いいかい、『パラドックスに矛盾はない』のさ。まず先にそちらの説明をした方がよさそうだ。矛盾は筋道が通らない、いわば論理の破綻だ。ところがパラドックスの論理は破綻しない。いや破綻しないものもある、かな。今後、破綻する例外が出てくるとこの話も破綻するから予防線は貼っておくに越したことはないのさ。とにかくパラドックスイコール【矛盾】ではないのさ」

じゃあパラドックスって何なのかしら。

「パラドックスはね、『感覚と論理の齟齬そご』さ」

感覚と論理。

「論理的にもたらされた結論がどうにも納得がいかないと感じる。正しいはずなのにおかしく見える。そういうものがパラドックスさ。【矛盾】の話は論理も感覚もすっきり通るだろ。似非えせ商人ざまあみろってさ。パラドックスはそうすっきりとはいかない」

「道理は通るけど心理が通さない。そんな感じかしら?」

「いいね。そんな感じさ。さてじゃあ、パラドックスという謎はどうやって解くのか?パターンその1。解くも何もない。結論は正しい。パターンその2。前提の立て方が間違ってた…ので結論も当然間違い。パターンその3。途中に挟んでる推論が飛躍しすぎている」

「それじゃあ【テセウスの船】のパラドックスもそのどれかのパターンにハマるわけね」

「ところがどっこい! そう順風満帆に話が進まないのが【テセウスの船】。いいかい? パラドックスは論理的な結論と感覚の齟齬だ。ところで『【テセウスの船】はテセウスの船かどうか?』という問いに対して君の心はどう感じて、論理ではどう考えているのかな?」

パーツを全て取り換えたテセウスの船はテセウスの船か?

これに対して感覚の答えは…感覚の答えは……どちらなんだろう?

【テセウスの船】は部品を取り換えてもテセウスの船である、というのは心情的にはかなり納得できる。最初のテセウスの部品が残っていなくてもそれがテセウスの船なような気はする。なぜだろう? 部品というのはテセウスの船の構成要素の一つにしか過ぎない…もっとテセウスが乗っていたこととかそういう歴史的な価値というか逸話の価値というか……そういった部品以外のものからもテセウスの船はできている気がする。

「【テセウスの船】はテセウスの船である。感覚がそう裏付けるのは、魂さ」

魂。なるほど。私はその言葉をかみしめる。テセウスの船の魂が宿っているから【テセウスの船】は修理を経てもテセウスの船である。それはとても論理的ではないけど、心が惹かれる考え、感覚の考えだ。

「じゃあ【テセウスの船】はテセウスの船ではないという感覚を君は持たなかった。そういうことでいいかい、アリス?」

……。私は……あれ? おかしいな。【テセウスの船】は感覚的にはテセウスの船である。そうさっきまで私は話していた。でも【テセウスの船】がテセウスの船でないという意見、それはロジカルなだけ…?本当に?私のうたった「おじいさんの古い斧」の詩は? あれは「面白おかしい詩」だった。笑える、ユーモアにあふれた話だった。それはつまり私の感覚は【テセウスの船】がテセウスの船でないと思っているからこそ感じられる面白さで……。おかしいな。【テセウスの船】がテセウスの船と同じか?という疑問以上に【テセウスの船】に対して私は「同じと思っているのが感覚の答え」なのか「違うと思っているのが感覚の答えか」それすら私にはわからなくなってきた…。混乱する私を見てウサギはにやにやこっちを見ている。

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