162帖 『三方良し』

『今は昔、広く異国ことくにのことを知らぬ男、異国の地を旅す』



 僕らはKhyberカイバル Bazaarバザールのバスストップまで戻り、バスに乗ってホテル近くの小さなバスターミナルに戻ってきた。


 数台のバスが停まってて、隣のバスは超満員やってバスの屋根の上にも人が乗ってた。


「すごいなぁ、あのバス」

「ほんまやな」


 と皆んなで見てたら、バスの上に乗ってる少年らから声が掛かった。


「チン、チン」


 なんとなく罵られてる感じがする。


「なんやチンって。チンチンやったらここに付いてるぞー」


 と多賀先輩は戯けてた。


「あはは、チン! あははー」


 今度は明確にバカにされてる気がしたけど、僕は無視してホテルに向いて歩き出した。

 多賀先輩は受けたと思て笑ろてたけど、その後山中くんがボソッと呟いた。


「チンってのは、中国人をバカにした言い方ですよ」

「ええ、そうなん」

「僕らを中国人と間違えたのでしょう」

「なるほど」


 と思てたら、多賀先輩の呻き声が聞こえた。


「痛ってー」


 多賀先輩は頭を押さえてた。


「どうしたんですか」

「あのガキ、石投げてきよった」

「ええっ!」

「コラー、何すんねん」


 と多賀先輩は怒ってたけど、少年らはまだ「チン、チン」と言うてゲラゲラ笑ろてた。それを見てた南郷くんが、石を拾って投げ返してた。


「チンって言うな。俺らは日本人じゃー」


 石は少年に当たらんかったけど、確実にこちらの反撃の意思は伝わった。それを見て少年らはまた石を投げ返してきた。多賀先輩も反撃してる。山中くんまでもが石を投げ返してた。


 僕は、バスの上になんで石があるんか不思議やった。ほんでもよく見ると少年らはポケットから石を出して投げてるんが分かった。初めから誰かに石を投げつけるつもりで、石を用意してたみたいや。


「あいつら不良やな」


 そう思た。

 パキスタン少年と僕らの石の投げ合いが、次第に激しくなってくる。「これはちょっとやばいぞ」と思てた。大事になったら怪我人でるんとちゃうやろかとか、警察沙汰になったら僕らが不利なんとちゃうかと心配してた矢先に、誰かが投げた石が少年の顔面にヒットした。

 少年は、顔を押さえて倒れた。


「もうやめろ。僕らは日本人や」


 と言うたけど、そう時既に遅かった。今度は、


「ヤパン、ヤパン」


 と言うてより一層激しく攻撃してきた。周りに居った大人まで加勢して石を投げてくる。そのうちポケットの石が無くなったんか、バスから降りてきて石を拾い、僕らに目掛けて投げてきた。

 6,70メートルくらい離れて、パキスタン人と日本人の石の投合いになってしもた。パキスタン人の投げ方は下手くそやったし当りはせんかった。投げ方では野球等のボールで遊んできた日本人の方が遥かに上や。どんどんパキスタン人に命中してた。

 このまま投合がエスカレートしたら暴動にでもなるんちゃうかと思た。凡そ10対4やったけど、向こうは人数がドンドン増えてる。僕は、


「もう逃げましょう。大勢で来られたらやばいですよ」


 と3人に言うた。


「そうやな。あと3発投げたら……、逃げよか」


 そう言うて多賀先輩は持ってた石を投げ切って走り出した。僕も、山中くんも南郷くんも走り出した。次の角を右に曲がって、バザールの方へ向かった。


 暫く走って、バザールまでやって来た。振り返って見たけど、追っかけては来なさそうや。ただでさえ暑いのに頭に血が登って走ったし、みんな汗だくになってハーハー言うてた。


「なんで……、『チン』って言うて……馬鹿にされるんやろ」


 息を切らしながら、僕は山中くんに聞いてみた。


「ええっと……、『チン』って……『しん』って書くんですよ……。僕も聞いた話なんですけど……、中国人の中でも……華僑とか、それと……ユダヤ人とか世界中で……、手広く商売をしてるじゃないですか」

「そやな……。授業で習ろたなぁ」

「ほら、あの店見て下さい……。日用雑貨って……、パキスタンでも殆ど中国製品でしょ」


 確かに、トレペとか石鹸とかの生活必需品は中国製が多いし、金物屋で売ってる商品もカシュガルの職人街で作ってた様なもんが多かった。


「高い物を売りつけられて……、腹が立ってるのと違いますか?」

「そやな……、中国の方が技術的に……発達してそうやもんなぁ」

「だから……いろんな所で聞きましたけど……、華僑とユダヤの商人は余り好かれてないみたいですよ。ふーっ」

「へぇ、そうなんや……」

「そやけど、ムカつくなぁ……。俺らは日本人やちゅうねん。ほんま痛かったわ」

「えらいトバッチリでしたね」

「ほんまにもー。近江商人を見習えっちゅうねん……。そう言う事やろ!」

「ああ、『三方よし』ってやつですよね」

「何なんですか。その『さんぽうよし』って言うのは?」

「知らんかぁ。滋賀では当たり前なんやけどなぁ」

「そうや。華僑もユダヤも『売り手よし、買い手よし、世間よし』ってのを知ってたら、俺は痛い目に合わんで済んだんや」

「あはは、そりゃそうですわね」

「売り手……つまり華僑やユダヤの商人も儲かって、買い手の人も嬉しくて、世間……、それでみんなが幸せになるって言うことかなぁ」

「まぁだいたいそういう事やね」

「なるほどね!」

「ほんまにもう……」


 多賀先輩の顔はいつも通り「冗談」の顔に戻ってて、僕はホッとしてた。



 つづく



【参考】

 『三方よし』については、『悠聡』様の作品・近江商人シリーズ「俺が歩いたら草も生えない!? 近江商人は天下を取る」をお読みになっていただければと思っています。言葉の意味がよく分かっていただけますし、それになんと言ってもとても面白いお話です。


https://kakuyomu.jp/works/1177354054884202626


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