犯罪者

芳川見浪

第1話

「君を信じている」


 私に結婚しようとプロポーズしてくれた彼は、通声穴の空いた透明アクリル板の向こうからそう強く言った。


「任せて、必ず無罪を証明してみせる」


 必ず婚約者の無罪を弁護士の私が証明する


 私の婚約者は、殺人の容疑で逮捕拘留されている。





 ――――





 事件が起きたのは一週間前の日曜日、その日婚約者と被害者は残業終わりに呑みに出掛けた。二駅隣の酒屋で、日付が変わるギリギリまで飲んでいたとの事。


 問題はその後だ、終電を逃してタクシーで帰る事になり、帰り道の違う二人はタクシーをそれぞれ呼ぶ事にした。


 まず婚約者のタクシーがやってきて先に乗車、それから一時間後に被害者のタクシーがやってくるも、被害者は中々乗ろうとしなかった。

 酔って爆睡してると訝しんだ運転手は降りて肩を揺すると、被害者は横に倒れ、その際顕になった背中にナイフが突きたっているのが見えた。


 その時既に被害者は刺殺されていたのだ。


 直ぐに警察に通報されて捜査が行われた。捜査の結果、あらゆる状況証拠から最後まで一緒にいた私の婚約者を容疑者と認定する事になった。


 更に決定的な物的証拠として、凶器のナイフから婚約者の指紋が検知された。





 ――――





 留置所面会室


「状況はかなり悪いわ、ねえ、あの時怪しい人影とかは見ていないの?」


「ごめん、いたとしてもあの時は酷く酔っていたから気付かなかった」


「諦めないでね、必ず無罪を証明するから……愛してる」


「僕も愛してる」


 そして事務所に戻った私は早速渡された捜査資料を読み漁った。どこかに粗は無いか、付け入る所は無いか、何時間も資料と睨めっこしていると、不意にある証言が目に入った。


 それは婚約者を乗せたタクシーの運転手の証言だ、彼が言うには、婚約者を乗せた時ミラーを覗いたら、被害者が手を振っていたのが見えたらしい。


 つまりこの時はまだ生きていたのだ。


 早速私はその運転手にアポをとって話を聞くことにした。

 しかし、得られた証言は曖昧なものばかりで説得力に欠けていた。


 途方に暮れてトボトボと夜の街を歩く。こんな時いつも彼の事を頭に浮かべる。

 初めて出会ったのは大学の授業で一緒になった時、たまたま席が隣になったのがきっかけでよく話すようになり、気付けば私は彼に心惹かれるようになった。


 そして大学卒業前、私は彼に告白をし、彼はそれを受諾して晴れて恋人となる。

 いつまでも色褪せない彩られた思い出、初めて身体を重ね合わせた夜は幸福の絶頂ともいうべき至福の一時だった。


 プロポーズされた時は、喜びのあまりショック死するかと思った。


 だからこそ、今回の事件では必ず無罪を証明しなければならない。


 と、決意を新たにしたら、とある酒屋が目に入った。それは婚約者と被害者が共に訪れた酒屋だった。


「いらっしゃい」


 中に入ると気前の良さそうな店主が出迎えてくれた。

 私は木製カウンターに座り、熱燗とおつまみを頼んだ。そのついでに店主に事件当時の話を伺う事にしてみる。


「ああ、あの時ね。あれは可哀想だったなあ、何せ上司さんがひたすら部下に説教していたんだよ」


 婚約者と被害者は同じ会社の部下と上司の関係で、仲が悪いらしかった。

 おそらくは被害者が飲みニケーションという名目で憂さ晴らしをしようとしたのだろう。


「ほんと部下の人はよくシラフで耐えきったよ」


 その一言は、私をハッとさせた、そして今まで滞っていた思考の循環が活性化され、同時に頭と眠気がスッキリしていく。


「それ! ほんとですか!?」


 思わず私はバンとカウンターを叩いて立ち上がり叫んだ。

 店主は一瞬怯むも、ポツリポツリと続けてくれた。





 ――――



 三日後、私は彼の面会に来た。


「調子はどうかな?」


 アクリル板の向こうで、彼は不安そうに尋ねる。


「ええ、目出度く証明できるわ」


「ほんとに!? 良かったあ」


 彼は心底安心したようでホッと胸を撫で下ろした。


「あなたの有罪が」


「えっ」


「事件のあった日、怪しい人影は見なかった。そう言ったわね?」


「あ、ああ」


「そして酔っていたから気付かなかったと」


「それがどうしたんだよ」


 彼の語気がやや荒っぽいものに変わっていく、眉も潜めて顔には警戒の色しかみえなくなった。


「酒屋の店主が証言してくれたわ、あなたはお酒を飲んでいないと」


「……」


「そしてタクシーの運転手も、あなたはとても快活で運転手と軽く雑談を交わす事ができたと言っていたわ。そして料金メーターが跳ね上がる直前を狙ってストップを掛けたともね。

 酔っていてはできない芸当よ」


「その、家に帰って飲んだから記憶が曖昧で」


「いいえ、あなたは家に帰っていない。運転手が言っていたわ、あなたはアパートから200m離れた駐輪場で降りたと、そして付近の住民からその時間帯に不審なバイクを見かけたという証言もあるわ」


「たまたまだろう」


「そうかもしれない、でも不自然なところはもう一つあるの。それはね、被害者のタクシーが来たのはあなたが帰ってから一時間後という事、そしてタクシー会社に連絡がきたのはその少し前という事よ、何故まとめてタクシーを手配しなかったのかしら?」


 彼は押し黙って何も応えようとしない。私は心を鬼にして畳み掛ける事にする。


「事件のあった日、あなたは酔い潰れた被害者を置いて先に帰った、その時被害者が手を振っていたのは寝相かなにか。

 そしてあなたは駐輪場に止めていたバイクで現場に戻って被害者を刺殺してからタクシー会社に連絡してタクシーを呼んだのよ」


 言い切った。

 しばしの沈黙が流れ、彼はついに口を開いた。


「全く、その通りだよ。今にして思えば何て稚拙なトリックなんだろうな」


「どうして!」


「耐えられなかったんだ、毎日毎日意味もなく怒鳴り散らされ、仕事の足も引っ張るどころかサビ残までさせるんだ! 僕がどれだけ死にたいと思ったか!」


 初耳だった、長年恋人をしているがそんな話は聞いたことなかった。


「信じていると言ったのは……嘘だったの?」


「信じていたさ、君なら僕の有罪を証明するだろうって……おかげでこうやって自分の罪と向き合う覚悟ができた」


「ばかっ」


「ごめん、こんな事になったけど、君を愛しているよ」


「私も愛してるわ、だから待ってる」

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犯罪者 芳川見浪 @minamikazetokitakaze

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