ゾフィー大公妃との関係 2



●【このページの途中までネタバレです】●




「バイエルンの薔薇」に敬意を表し(?)、私がゾフィー大公妃に配したのは、ヴァーサ公です。スウェーデンの廃太子で、最終的に彼の属する王朝から王位を奪ったのは、かつてナポレオンの部下であり、フランスを裏切ったペルナドットです。


また、ヴァーサは、ライヒシュタット公の軍での上官であり、ゾフィーの母方の従兄でもあります(ヴァーサは、10歳の時に、クーデターによりスウェーデンを追われています。ゾフィーは、彼より6つ年下ですので、子ども時代、二人は、会ったことがないか、会っても、ゾフィーの方は覚えていなかったでしょう)。



ヴァーサ公について、ひとつだけ、疑問点があります。ライヒシュタット公の具合がかなり悪く、医者マルファッティが兵舎に通ってきていたのに、彼は健康に満ち溢れている、という報告書を上げているのです。同時に彼は、軍務でのライヒシュタット公を高く評価しています。


なぜ、ヴァーサは、彼の病に気づかないふりをしたのか。そして、実際はライヒシュタット公のことを、どう思っていたのか。


ライヒシュタット公が、ゾフィーに、自分の軍での訓練、及び上官を得意げに語ったことは、おおいにあり得ると思いました。それで、上記の疑問点と絡め、物足りない夫F・カールの対抗馬として、この、軍での上官を推してみました。何より、ヴァーサ公の肖像画を見たら、イケメンでしたので。


(本当は、ライヒシュタット公の、上官ヴァーサ公への憧れと、仲のいいゾフィーの恋への応援、その板挟みになった辛さ……ゾフィーへの、嫉妬と共感……を押し出したかったのですが、やりすぎると、殿下のヴァーサ公への愛に筆が滑って行って、そうなったらもう、趣味に突っ走ってしまいそうなので、自重しました。フランツ・ヨーゼフの養育係バロネス・ストゥムフィーダーに出てきてもらったり、色鮮やかな玩具やコスモスの花などを出したのは、自己規制の防腐剤です……)



なお、私は、夫のフランツ・カール大公も、ゾフィーから、そこまで袖にされていた訳ではなかったと思うのです。子どもの頃から、ライヒシュタット公の遊び仲間だった9歳年上の叔父。下品な彼と付き合うのは、フランツェンライヒシュタット公にとって良くないと、宮廷の貴婦人も、姉のマリー・ルイーゼさえも思っていた……、けれど、最後まで病床を見舞い、亡くなった時は、人目構わず大泣きしたフランツ・カールの人柄に、ゾフィーも絆されていったと思うのです。


ヴァーサ公がお相手であっても、ゾフィーとの間には決定的な出来事は何もなかった、というのが、私の見解です。




●【ネタバレはここまでです】●





一方、ライヒシュタット公の恋愛相手と目される女性は、ゾフィー大公妃の他にも、

ハンガリーの伯爵令嬢ナンディーヌ・カロリィ

カール大公の息女マリア・テレジア

女優のテレサ・ペシェ

踊り子ファニー・エルスラー

ピザーニ伯爵夫人アルマッシィ

(なんと、従姉エリザ・ナポレオーネまで恋人だとしている資料もありました!)

などが挙げられます。

恋心から、彼を解放するようにと、ディートリヒシュタインに手紙を書いた、ポーランドの貴族女性もいました。



また、町の娘との噂もあったらしく、彼の死後、数十年たってからも、「自分はライヒシュタット公の隠し子だ」と出てくる人が、たくさんいたそうです。それだけ彼は人気があり、ロマンスが取り沙汰されていたのです。従兄のナポレオン3世は、ファニー・エルスラーとの恋愛を疑っていました。



こうした事実は、当時から、ライヒシュタット公の恋愛相手に、決定打が出なかったことを意味します。ことさらに、ゾフィーだけを取り上げるべきではないと思いました。


(名を挙げた女性たちは、お話の随所で取り上げています。情景を補いはしましたが、いずれも、資料に記されているなりゆきに導きました)




当時、ウィーンは、ロマンスと退廃の街でした。お話に書いたように、モーリツ・エステルハージやグスタフ・ナイペルクは、友人であるライヒシュタット公を普通の青年として扱い、刺激的な遊びに誘いました。



これに対し、後にモルは、「病のお陰で、プリンスは、我々の頭痛の種(女性関係)から、救われたのだ」と、語っています(前掲 “DIE LETZTEN TAGE DES HERZOG VON REICHSTADT” 8月1日)。


また、プロケシュも、「彼は女性を知らないで墓まで行ったのだろう」と述べ、ディートリヒシュタインの不興を買っています。(前掲 “Mes relations avec le duc de Reichstadt”)



ウィーンの悪徳から、(皇帝に命じられて)実際にライヒシュタット公を護ったのは、モルら軍の付き人達で、後世の評判を護ったのが、プロケシュだったといえましょう。




ただ、ゾフィー大公妃との恋愛をはじめ、全ての恋を否定するものではありません。私のお話では採用しなかった、というだけのことです。  



このお話では、ウィーン宮廷に閉じ込められ、幼い頃には家庭教師達、長じて後は、加えて軍の付き人達……アルゴス獄卒に見張られ、自由な交友関係さえ許されなかった彼の、深い孤独と絶望を描くことを、第一義としました。


しかし、アルゴス達でさえ、彼に魅せられ、最終的には心からの献身を捧げたという事実を、調べていく過程で知りました。それを、改めてお伝えしたく思います。






*~*~*~*~*~*~*~*~*~*~





おつきあい、ありがとうございました。

ライヒシュタット公の物語、ここで終わりとさせて頂きます。



彼のことを知ったのは、5年前です。詳しくは書けないのですが、仕事で「ライヒシュタット公」という字面に出会いました。聞き慣れない、難しい名前だなあと思い、心に引っかかりました。


wikiを見て、肖像画の眼差しに魅せられたように思います。ダッフィンガーの肖像画です。それで、評伝を読んでみました。まずは、『メッテルニヒ』『マリー・ルイーゼ』(塚本哲也)と続けて読み、著者の優しい視点に心が震えました。もっと知りたいと思いました。


日本語の評伝がなかったものですから、英語の本 を、つっかえつっかえ、読み進み、ある深夜、その死の場面で、泣きました。次の本では、ディートリヒシュタインが肖像画を贈られたところでは、この頑固な家庭教師と一緒になって、涙しました。


大丈夫か、その英文解釈は? と、若干の不安はあったのですが、フィクションではない本に泣かされたのは、初めてでした。



この人の悲劇を伝えるには、歴史の流れを描くことが、どうしても必要でした。歴史に翻弄されたというのは、まさしく、彼の為にあるような言葉です。その歴史も、一筋縄ではいかぬ手強さがあり、さらには、父の代の因縁から解きほぐさなければならず……。

言葉で説明するのではなく、小説として場面を描く。そう心掛けていたら、結果的に、130万語近い長編になってしまいました。あと、ドイツ系の名前は、やたら長い! 



ライヒシュタット公のことをもっともっと知ってもらいたい。と、大言壮語したわりには、ひどく力足らずな私でしたが、でも、いつの日かきっと、彼の魅力が今まで以上に理解され、愛される日が来ると信じています。

特に、この日本で! 

少なくとも日本人には、この貴公子を受け容れるだけの優しさ(でいいのかな。度量? 情感? 判官びいき? ……やっぱり、優しさだと思います)があると感じるからです。



最後に。

お付き合い頂き、ありがとうございました。

心から。













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