シュタイアーマルクのプリンス



 初夏。

 シェーンブルン宮殿のバルコニーの下を、松明を持った国民兵が、行進していく。


 ヨーハン大公妃アンナは、バルコニーに立ち、それを見下ろしていた。

 赤々と燃え盛る松明が、きれいだと思った。

 彼女は、国民守備隊の発起人として、名を連ねていた。つい先日も、隊旗授与式に参加したばかりである。



「メラン伯爵夫人に感謝を捧げる!」

「我らが国民守備隊の守護者、美しきメラン伯爵夫人、万歳!」



 メラン伯爵夫人というのは、アンナのことだ。ヨーハン大公との間に生まれた息子が与えられた爵位により、彼女も、こう呼ばれている。


 メラン伯爵の名を提案したのは、メッテルニヒだった。メランというのは、南チロルの景勝地の名だ。

 その頃既に、政治能力のない皇帝を傀儡に、旧弊な姿勢を崩さないメッテルニヒは、時代からの乖離を自覚していたのだろう。

 敵も増えるばかりだった。


 彼は、国民に人気のヨーハン大公を、味方につけたいと考えたのだ。

 メッテルニヒは、自分がさんざん「監視」をし続けた、アルプス王ヨーハンに、いざとなったら、頼る腹づもりだった。


 1848年この年、彼の目論見は、完全に潰え去ったのだが。



「メラン伯爵夫人、万歳!」

「心からの感謝を。万歳!」


 歓呼の声は、鳴り止むことをしらない。

 若々しい声だった。兵士たちの大半は、学生たちだ。


 国民軍は、皇帝の命令で作られた、半ば官製の軍隊だ。王族守護を建前としている。

 しかし、民衆である彼らは、たやすく、市民ブルジョワ労働者プロレタリアートの不平分子と結びつく可能性があった。


 国民軍を、皇室の軍隊と共存させ、皇室警備に当たらせるために、アンナは、一役買ったのだ。


 ウィーンに革命の起きた今、民衆を宮廷に繋ぎ止めることは、彼女にしか、できなかった。

 アルプスの郵便局長の娘にしか。

 かつて、ヨーハン大公の、村の情婦、田舎妻と蔑まれ、宮廷に居場所のなかった、彼女にしか。




 ヨーハンは、部屋の中から、妻の後ろ姿を見守っていた。

 メッテルニヒがいなくなった後、国民に人気の高いヨーハン大公が、摂政についた。


 彼の甥である皇帝は、インスブルック(チロル。皇室支持が根強い)へ、逃亡中である。そもそも、あの皇帝に、政治能力はない。彼は、意志を持たず、メッテルニヒの傀儡だった。



 バルコニーの下から、国民兵たちの、歓声が上がった。妻が、それに手を振って、応えている。

 ヨーハンは、窓辺へ近寄った。


 昼間なら、室内からでも、地平線に浮かぶグロリエッテ(シェーンブルンの庭園にある、ギリシア風の記念碑)が見える筈だ。だが今は、遠景は闇に沈み、ただ、松明の灯りのみが、時ならぬ明るさで燃え盛っている。


 漆の部屋へと続くこの部屋は、かつて、ナポレオンが占拠し、陣頭指揮を取った部屋だ。

 ヨーハンと、兄のカールが負けた戦いで。

 そして、その息子フランツが、死んでいった部屋……。



 フランツなら、どうしたか。

 3月この方、ヨーハンは、考えずにはいられない。


 あの時、荒れ狂う群衆の中に進み出たのが、アルブレヒトではなく、フランツだったら。


 群衆は、彼に、投石しただろうか。

 陣営に戻り、フランツは、民に銃を向けることを許したか。


 無益な問だった。

 フランツは、とうの昔に死んでいる。


 ……彼は、ウィーンにいては、いけなかったのだ。


 鷲の子ナポレオンの息子であるがゆえに、不必要に警戒し、母の国オーストリアへの忠誠さえも、信用しなかった宮廷。

 鷲の子レグロンに、羽ばたくことを許さず、狭いウィーンに閉じ込めたままで死なせてしまった宮廷を、ヨーハンは、憎んだ。





 「夜露は体に毒だ。そろそろ中に入りなさい」

ヨーハンは、バルコニーに出ていった。妻の横に、並んで立つ。

「いいえ、あなた。みんながこんなに喜んでくれるんですもの。ここを離れることなんか、できないわ」


 兵士たちに手を振り続け、アンナは答えた。

 突然現れたヨーハンの姿に、兵士たちの熱狂は、いや増すばかりだ。


「若いのね。みんな、すごく若いわ……」

手を振りながら、アンナはつぶやいた。

「あと10年もしたら、私達のフランツも、こんな風になるのかしら……」


 二人の息子、フランツ・ルードヴィヒは、まだ9歳だ。


「兵士にはしたくないな」

ヨーハンは答えた。

「皇室を守る兵士には、特に」



 ……「俺の息子になれ、フランツ」

 シェーンブルン宮殿で、ヨーハンがそう言った時、フランツは、子どもの頃のような、清らかな笑顔を見せた。


 アンナには言っていない。ヨーハン自身も、息子がフランツの生まれ変わりだとは思わない。

 なぜならヨーハンは、息子を、戦場に送る気が、全くないからだ。息子も、父の意を汲んで育つだろう。


 息子は、戦場に憧れたりはしまい。

 フランツと違って。







 10月に入ると、逃亡中の皇帝の名で、オーストリア全土から、ウィーンへ、軍隊が差し向けられた。


 血なまぐさい戦闘の末、皇帝軍は、ウィーンを制圧した。殺されたのは、その多くが、郊外に住む、貧しい労働者プロレタリアート達だった。プロレタリアートの犠牲者は、正確な数さえ、わかっていない。


 年末、皇帝フェルディナンドが退位した。18歳の甥、フランツ・ヨーゼフが、後を襲った。





 だが、数年後には、全てが、元に戻った。あんなに憎まれたメッテルニヒさえ、ウィーンに帰ってきた。元宰相は、政治には口を出さず、若い皇帝フランツ・ヨーゼフから下問があった時のみ、意見を口にしたという。





 ウィーン革命の翌年、大公ヨーハンは、妻を伴い、シュタイアーマルクへ帰っていった。

 真の意味での、彼の故郷へ。

 そして、死ぬまで、アルプスの民に囲まれ、アンナと共に暮らした。





 フランツ・ルードヴィヒは、ヨーハンとアンナのたった一人の子どもだった。

 だが今や、この「シュタイアーマルクのプリンス」、メラン伯爵には、900人以上もの子孫がいるという。





 ホイップ・クリームをトッピングした、ストロベリー・アイスのような赤ちゃん。

 かつて従兄ライヒシュタット公がそう呼んだ、F・カールとゾフィーの息子、フランツ・ヨーゼフ。

 彼の治世は、実に68年間にも及ぶ。







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